仏教vs.倫理 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480062871

作品紹介・あらすじ

常識として通用してきた倫理では片がつかない事件が続発している。社会のルールをこうして逸脱するのは一部のおかしな人の問題ととらえられがちだ。だが人間は、本来的に公共の秩序に収まらない何かを抱えて生きる存在である。本書は、"人間"の世界をはみ出す「他者」、そしてその極限にある「死者」との関わりを、仏教の視座から根源的に問いなおす試みだ。混迷する現代の倫理を超える新たな地平を示すと同時に、日本仏教の思想的成果を丹念に抽出し鍛えなおす、渾身の一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 人と人との間の関わり方が倫理なら、それを越える他者
    との関わりにおいて宗教が立ち現れる。それは自分の中
    の自分で抑えきれない何かだったり、あるいは死で
    あったり、そして死者であったりするのだが、その
    ような「人の間」を越えた他者との関わり方から仏教を
    通して倫理というものを捕らえ直そうとする本。結局は
    「ご先祖様」や「お天道様」の目がなくなってしまった
    日本において、もう一度「死者」の存在と彼らが生者で
    ある我々に投げかける問いの意味を考えてみなければ
    ならないということを言っていると思うのだが、この本
    を読んで得た一番の収穫はその点ではない。それは
    「悟り」と「慈悲」は全く関係のないそれぞれ独立した
    別個のものであるという視点だった。言われてみれば
    全くその通りなのだが、今まで私はどこかで「悟った
    人間だからこそ他者に慈悲を与えることができる」と
    考えていた節があるのだ。悟った仏陀には当初布教する
    意志はまったくなく、梵天の勧請によって初めて教えを
    説くことに合意したという。人々に教えを説き苦しみ
    から救う慈悲が、悟りの真理の中核にあるわけではない
    という事実にあらためて気付かされた次第である。
    悟ってはいるが慈悲のないもの、悟りにはほど遠いが
    慈悲に溢れるものという存在もまったくないとは言い
    切れない、ということだ。宗教や精神世界については底
    が見えてきたと思っていた部分がある私だが、まだまだ
    新たに知ることはたくさんあるのだなと思い知らされた
    読書体験だった。虚往実帰。

  • 最初の方は、なるほど、そういう見方もできるな、と思っていたが、途中から違和感が。

  • 宗教に対する固定観念を
    改めてくれる好著。

    他者の極限としての死者の議論は、
    大規模災害時の死生観を考える上で
    示唆に富む。

    新宮を中心に活動した、
    高木顕明はぜひ調べてみたい。

  • 著者は、世俗の倫理を超えたところに宗教の固有の問題があるという観点から、「他者」や「死者」との共存という発想を、仏教の思想のうちに見ようとしています。

    比較的平明な語り口で書かれた、30のエッセイから構成されており、日本の葬式仏教に対する評価や、戦没者の追悼をめぐる問題などにも説きおよんでいます。一つひとつの話題は、あまり深く追求されてはいませんが、道徳と宗教の関係を考えるうえでの緒が示されているように感じました。

  • 内容は大いに同意するところあり、極端であったり思想が自分とは違ったりして疑義のあるところあり、また思いもよらない視点からの論に思わずため息を漏らしてしまうあり
    つまり個人的にはかなり良い本だった
    また、引用している先人の思想も興味深く関連文献をぜひ読みたいと感じさせられた

  • 前々から読みたかった本。今まで仏像史学から仏教を見ていたが、違う見方で仏教を見ることができ、また仏教に関する将来など考えさせる所が多かった。
    文章がわかりやすいだけでなく、一つの章が数ページだったので、かなり読みやすく助かった。

  • 人間を「人の間」と捉え
    「間」は人と人をつなぐための潤滑油であり
    自由にそして影響を受けながら生きるためのゆるみである
    そのためのルールが倫理だと説く
    その場合この世という人間の領域における倫理と
    その外にあるあの世を含む不変的な超倫理を分けて整理している
    この社会的ルールを強者・勝者の論理で明文化したものが法律となる

    人と人の間を取り持つ潤滑油
    自分と自分の中の他者の間を取り持つ潤滑油
    人はこの二種類の「間」を備え
    その両方に「間」というゆとりを注ぎ込んでおく必要があるようだ
    どちらかに重点を置きすぎて
    片方を軽く扱うと波が崩れ不協和音を起こしてしまう

    できることならばもう少し具体的に
    この不透明な部分に明快なメスを入れてもらいたいのだけれど
    それが解れば此処にいる必要もないのだろうから無理な話なのかも知れない

  •  仏教の知識が貧相なわたしにはやや難しかったですが、タイトルに惹かれて読んでみました。
     作中では、日本仏教をメインとして、キリスト教などの宗教の観念も織り交ぜつつ、倫理と宗教はイコールにならないとしています。

     思えば、日本仏教は、農耕民である日本人が死者(ご先祖様)を重んじることと交わって、死者儀礼(葬式仏教や死後の戒名など)に特化したものとなったけれど、原始仏教では「死」をそれほど重んじているわけではない。
     また、日本には輸入されなかったが、密教なんてのはむしろ倫理観を疑いたくなるような方向へ仏教が発展した形のように思える。

     仏教だけでもこれだけ枝分かれし、世界的に見れば数えきれないほどの宗教が信奉されている。それは「価値観」の問題であり、必ずしも世間一般の倫理を説くものではない。
     絶対なる唯一無二の倫理は存在せず、したがって、仏教などの宗教にそれを求めるのもお門違い、といった内容です(…だと思います)

  • 近世までの日本社会は、基本的に倫理と宗教が別事として存在していた経緯があります。

    これが明治以降、キリスト教の再渡来によって、倫理と宗教を分かちがたく結びつける方向性へシフトすることになりました。

    たしかに両者を結びつけることも可能であるし、倫理的言説を強化することも不可能ではありません。しかし本来何をなすべきで何をなさざるべきかは必ずしも宗教によって基礎づける必要もありません。

    その辺の消息は、日本宗教の歴史から瞥見してくれる好著。

    そして、末木先生のどの著作にも共通するのですが、該博な知見を土台にしつつも、難しく話をえんえんと続けないところがスバラシイ。

  • [ 内容 ]
    常識として通用してきた倫理では片がつかない事件が続発している。
    社会のルールをこうして逸脱するのは一部のおかしな人の問題ととらえられがちだ。
    だが人間は、本来的に公共の秩序に収まらない何かを抱えて生きる存在である。
    本書は、“人間”の世界をはみ出す「他者」、そしてその極限にある「死者」との関わりを、仏教の視座から根源的に問いなおす試みだ。
    混迷する現代の倫理を超える新たな地平を示すと同時に、日本仏教の思想的成果を丹念に抽出し鍛えなおす、渾身の一冊。

    [ 目次 ]
    倫理ぎらい
    1 仏教を疑う(仏教も倫理も疑わしい 仏教の倫理性欠如 原始仏教の倫理性 ほか)
    2 “人間”から他者へ(倫理の根拠としての“人間” “人間”を逸脱する 他者の発見と宗教 ほか)
    3 他者から死者へ(他者の極限としての死者 死者と関わる 死者が生者を支えている ほか)

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著者プロフィール

1949年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、博士(文学)、東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は仏教学、日本思想史。著書に『日本仏教史−思想史としてのアプローチ』(新潮文庫)『日本宗教史』(岩波新書)『日本思想史』(岩波新書)などがある。

「2021年 『近代日本宗教史 第六巻 模索する現代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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