〈狐〉が選んだ入門書 (ちくま新書 607)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480063045

感想・レビュー・書評

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  •  「狐」のペンネームで「日刊ゲンダイ」紙上に、人気の書評を書き続けた「山村修」さんの遺著ともいえる書評集です。
     「この人の書評は面白いよ。」そういって若い人にも勧めたい一冊です。ライン・アップされている本が、実際、どれもこれも面白いことは間違いないのですが、忘れられていく本になっていきつつあることがとてもさみしい。
     友達と遊んでいる「100days100bookcovers」でも紹介しました。覗いてみてください。
     https://www.facebook.com/hashtag/100days100bookcovers
     
     ブログにも載せました。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202010310000/

  • ペンネーム「狐」で書評を書いていた山村修の入門書のススメ。といっても、山村修の言う入門書とは、いわゆる専門書への手引の類というよりも、それ自体が作品として面白くタメになるものを意味している。しかも、若桑みどり「イメージを読む」の様にそういった本が意外に多いらしい。そんな良本を25冊紹介したのが本書です。
    本というのは、読み手の容量に呼応するという性質がある。子供の頃読んた本を大人になって読むとまた違った感想を持つのもそうだし、山村修の様なプロの読み手でさえも、こうした入門書で指摘され初めて気づく(高浜虚子「俳句はかく解しかく味わう」)といった奥の深さがある。
    さらに、まえがきで紹介された散文詩、人生に絶望した男が地下のエレベーターから地上の世界へと戻る価値があるのかとふと呻吟する場面、酒も食べ物も友情も愛もダメだが「私には本がある。読書という喜びがある」と決然と地上を目指す話は読書好きなら共感できるのでは。
    ちなみに、山村修は2006年8月、肺癌のため56歳で死去。 コラムニストの中野翠とは曾祖母同士が姉妹という遠い親戚にあたる。

  • 敬語とは、人と人との距離を確保するためにつかうものである。ときには厭な相手を遠ざけるためのものである。つまり他人が「へんな風に」侵入してこないように戸締りをするための言葉が敬語だ。橋本治はそう書いていました。(p.22)

    水仙にたまる師走の埃かな
    虚子の指摘するひとつは、花を楽しむというのは、ひっきょう、それだけの閑が合ってのことで、多忙のときにはそんなに悠長な時間を過ごしているわけにはいかない、しかしもちろん閑だろうが忙しかろうが、埃はあらゆる物の上に落ちる。それがほかならぬ水仙の花の上に落ちているというところに、師走の忙しさが思われる、ということです。
     つまり人々のせわしない日常を表すのに、この句では「水仙」がきわめて大切な意味を帯びているのですね。これが虚子に教えられたことのひとつです。(p.76)

  • 本の本

  • 第1章 言葉の居ずまい(国語辞典に「黄金」を掘りあてる―武藤康史『国語辞典の名語釈』
    敬語は日本語の肝どころ―菊地康人『敬語』 ほか)
    第2章 古典文芸の道しるべ(社会人に語りかける古典入門―藤井貞和『古典の読み方』
    古歌を読む分析的知性の強力さ―萩原朔太郎選評『恋愛名歌集』 ほか)
    第3章 歴史への着地(歴史への抑えに抑えた怒り―エルンスト・H・ゴンブリッチ『若い読者のための世界史』
    歴史的想像力の剣さばき―岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』 ほか)
    第4章 思想史の組み立て(世相の向こうに「近代」の醜怪をあばく―金子光晴『絶望の精神史』
    考えるべきことを考えよという指針―田川建三『キリスト教思想への招待』 ほか)
    第5章 美術のインパルス(たっぷりとゆたかな「小著」―武者小路穣『改訂増補 日本美術史』
    江戸絵画の見かたをかえる異色の水先案内―辻惟雄『奇想の系譜』 ほか)

  • 入門書という一見、読書家にとって、あまり気にされる事の無い書物の書評も著者にかかれば、あら不思議

  • 紹介されている本が読みたくなった。

  • おそらくはかなりの読書量を積み上げてきたであろう著者が厳選した25冊の「入門書」の紹介。

    「入門書こそ究極の読みものである」と冒頭で著者が主張する入門書とは、『図解、マンガでわかる』のようなものではなくて、その本のテーマに関して思索を重ねたであろう人の著作である。

    この著者の各「入門書」紹介の文章は、紹介する本について要点をまとめただけのものではない。著者が過去に読んできた別の本から、その「入門書」著者の魅力満載エピソードや歴史的・文化的背景上その「入門書」が持つ価値などをさらりと説明する。その、他の本からの流用に自分の知識をひけらかす感じがないところが好ましい。著者の豊かな読書経験がうかがわれる。

    著者は実に謙虚な方である。
    自分の見方はこうだったけれど、この「入門書」ではこんなところまで指摘してる、すごい!!といったふうに、自分を下げてでも本とその著者を持ち上げる。
    文章全体に「入門書」に対する尊敬の念が漂っている。
    読んでいて楽しかったし、蒙をひらかれたところもあるこの著作もまたすぐれた「入門書」であるといえる。

  • おすすめ資料 第27回入門書を馬鹿にしていませんか?(2007.6.1)
     
    連綿と続いてきた本の世界の住人になるための最初の一冊をどうして見つけるかについて丸谷才一氏は「うんと感心した書評があったら、読んでみる」そして「その書評を書いた人の本を読んでみる」ことが大事だと言っています(『思考のレッスン』)。

    「ひいき筋の書評家」といえば昨年惜しまれながら亡くなった「狐」、山村修氏のことを思い出す方も多いのではないでしょうか。
    その山村氏の生前最後の本となった『<狐>が選んだ入門書』は、単なる手引書ではなく「究極の読み物」として「その本そのものに、すでに一つの文章世界が自律的に開かれている」「それ自体、一個の作品である」ようなすぐれた入門書を5章にわたって25冊紹介したものです。
    この本自体が山村氏の言う究極の読み物といえるので、この箇所も、あの箇所もと引用したい誘惑に抗しがたいのですが、その愉しみは皆さんにお譲りすることにして、もう一冊、残念なことに彼の逝去後の出版となってしまった『花のほかには松ばかり』をご紹介します。

    能楽や謡曲についての「手引書」は数多く出版されていますが、山村氏のこの本は、観るときの補助としての謡曲が「読む」という行為をとおすことによって、どんなに豊穣な世界をわたしたちに広げて見せてくれるかを教えてくれるすぐれた「入門書」です。

    「専門書」を読みすぎて倦んだ頭脳を、27冊の入門書たちの広く深い華麗な世界を味わうことによって活性化していただけたらと思います。

    なお、書評家としての「狐」については『書評家 <狐> の読書遺産』、若島正の書評「共感のさざなみ、かきたてられて」(『毎日新聞』今週の本棚2007年2月25日)も是非お読みください。

  • 入門書とはある分野を学ぶための補助線でなく、その本そのものに、一つの文章世界が自律的に開かれている。本当にそう思うし、そうした本に出逢いたい。

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