日本の個人主義 (ちくま新書 602)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480063069

作品紹介・あらすじ

今日、自らの責任において従うべきルールを選びとり、行動するよう促す圧力は増すばかりだ。だが、そもそも「自律」を他人に強制するなんて可能だろうか。また、日本人が個人として自律していないとする評価は正当なのか。「個人主義」は近代の幻想にすぎないのか。本書では、「個人の自律」を切実な課題とした大塚久雄ら戦後啓蒙の知的遺産を手がかりに、こうしたアクチュアルな難問を考え抜く。社会経済史、ポスト近代思想、認知科学などの成果を縦横に使いこなす刺激的論考。

感想・レビュー・書評

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  • あまりレビューの評判はよくないのだが、それは現代が個人主義的であることを前提にして論をすすめているきらいがあるからではないだろうか。現代を多角的に吟味しなければ、大塚久雄解説書になってしまう。

    筆者が言いたいことはきわめてシン
    プルであるが、そこにいたるまでのプロセスに多くの考えさせられる部分がある。おすすめ文献なんてのも紹介されているので、日本人論の入り口になればと思う。

  • さすがに大塚久雄ではシンドい。自立した個人、という極めて抽象的な近代的課題を抽象的な思想道具(それも黴臭い)で語るということをもう一回やってるのだけれど…。ちょっとこの著者、愚鈍にすぎる。子どもと写っている著者近影に人の良さは出てるのだろうけれど…。いわゆるザンネン本。

  •  昨今の「構造改革」路線と同調するように「自己責任」が強調されている。護送船団方式とか横並びではなく、「個人の自律」が求められている。

     しかし、このような問題意識は、けっして今に始まったワケじゃない。この日本で60年以上前から叫ばれ続けた「個人の自律」が、いったいどのような経過を経ていまもなお課題となっているのか。作者は大塚久雄という戦後啓蒙の巨人を参照しつつ、この古くも新しいテーマをたどっていく。

     ニーチェやフーコーをどんどん引用して、たんに「思想」をもてあそぶ書物はいくらでもある。そこんところ、この本は「日本の」というベースにしっかりと寄り添って、「個人の自律」と、その問題点について考察している。
     〈自律した個人〉は、はたして経済的に、また政治的に、社会をよりよくするだろうか。そもそも個人が〈自律〉することなんてできるのか。〈個人の自律〉なんて不可能だとしたポストモダンの言説はほんとうに正しいのか? こういう現代的な課題を、あえて60年間変わらぬ課題を通して考えていくところが興味深い。

     すこし「あれ?」と思ったのは、「個人の自律」と「個人主義」がどこまで同じでどこからが違うのか、というところがあいまいだったところ。
     とくに、現在の情勢といえば、一方で「自己責任」が叫ばれつつ、他方では「行きすぎた個人主義」が糾弾されたりしているわけで。教育現場では「日の丸君が代」と同時に「考えるチカラの重視」なんて言われたりして、ほんとワケわかんない。
     この錯綜した現代について、どっかで踏み込んで語って欲しかったという思いもあった。

    「個人の自律」が「古くて新しい課題」であることを、歴史のみならず脳科学やポストモダン言説も参照しつつ、ひろーーーーーーい視点から見取り図を描いてくれるという点で、読み物としてたいへん楽しいことはたしか。豊富な文献紹介も、ありがたい。

  • 今日の日本において個人主義はなぜ重要か。それは「個人の自律」という現象にかかわっているから。自律とは、行動基準を自ら考え、選び、そしてそれに従って行動すること。個人の自律を称揚する個人主義はどんな問題をはらむのか。

    コミュニタリアニズムによれば、「自由で独立した自我としての人格」など存在しない。

    囚人のジレンマからわかるのは、自分の利益だけを考えていると、自分の利益を最大化できない場合があるということ。経済成長が実現されるには、自律した個人が自分の利益を最大化することとを目指して行動するだけでは足りない場合があるわけだ。ここに社会関心が介入する余地を見出せる。

    丸山眞男によれば、「民主主義は現実には民主化のプロセスとしてのみ存在し、いかなる制度にも吸収されず、逆にこれを制御する運動として発展してきた」。個人の自律とは、単に自ら立てた規範に従い、行動することではなくて、自ら立てた規範に批判的に従い、批判的に行動することなのである。

  • [ 内容 ]
    今日、自らの責任において従うべきルールを選びとり、行動するよう促す圧力は増すばかりだ。
    だが、そもそも「自律」を他人に強制するなんて可能だろうか。
    また、日本人が個人として自律していないとする評価は正当なのか。
    「個人主義」は近代の幻想にすぎないのか。
    本書では、「個人の自律」を切実な課題とした大塚久雄ら戦後啓蒙の知的遺産を手がかりに、こうしたアクチュアルな難問を考え抜く。
    社会経済史、ポスト近代思想、認知科学などの成果を縦横に使いこなす刺激的論考。

    [ 目次 ]
    第1章 自律の時代(アクチュアルな問題としての「自律」;構造改革政策 ほか)
    第2章 自律するということ(自律とはなにか;自律は可能か;自律を語ることに意義はあるか)
    第3章 自律のメカニズム(啓蒙はいかに成るか;啓蒙は必要か;啓蒙を語ることに意義はあるか)
    第4章 自律の先にあるもの(社会的関心はいかに生まれるか;自律は社会的関心をもたらすか;社会的関心を語ることに意義はあるか)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 2009.04 個人主義について考えさせられた。知的な欲求を満たすことができた。

  • 日本とヨーロッパの個人主義の比較のあたりは面白かったけど、
    全体的に抽象的な内容が多くて難しいです。
    だるかった。

  • 西尾幹二さんの『ヨーロッパの個人主義』を意識してるのかと、思って読み始めましたが、それほどの意識はなかったようですね。大塚先生の読み直しと、ネオリベまでの大衆考察・共同体考察です。自律を求めない大衆に対する接し方は、どうするべきか。

  • 最初につかみのところ、教育現場などでもいわれるようになった「自律した個人」というテーマはなるほど、こういうことをこの本は論じてくれるのね、と期待したのですが、想像以上にアカデミックな内容で素人の私には厳しかった。
     対立する論と論の差異の感覚がつかめず、また、対象にしている内容も抽象的なものが多いように感じました。
     すみません、素人の私のようなものが手を出すような本じゃなかったです。表紙裏の子供さんと一緒の著者や冒頭のみで選ぶべきではなかったです。
     素人には難しいよって言う表示をしていただけるとうれしいのですが。

  • 大塚久雄をキーにして、ネオリベや脳・認知科学のピンカー迄、自ら立てた規範に従い自らの力で行動する「個人の自律」とそのエートスを巡るポスト近代主義の「賞味期限切れ」問題の通論。自律を求める他者啓蒙(教育)の矛盾については、「批判(検証 )」と「他者(公共空間/社会性 )」コミュニケーションの姿勢を提示。

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著者プロフィール

1963年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科単位取得退学、博士(経済学、東京大学)。東京大学社会科学研究所助手などを経て、現在、東北大学大学院経済学研究科教授。専門はフランス社会経済史、歴史関連諸科学。著書に『フランス7つの謎』(文春新書)、『フランス現代史』(岩波新書)『歴史学ってなんだ?』(PHP新書) 『歴史学のアポリア――ヨーロッパ近代社会史再読』(山川出版社)などがある。

「2022年 『歴史学のトリセツ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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