- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480063601
作品紹介・あらすじ
「自分」とは、「社会」とは。私たちの「生きにくさ」はどこから来ているのか。難解な語を排し、日常の言葉で綴る待望の哲学入門。
感想・レビュー・書評
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「哲学」とは便利なことばで、何か小難しいことがあれば、何でもかんでもそれで済まされてしまうという風潮がある。
以前、友人が言っていたことだけれど「趣味で、哲学を勉強しています」というのは更に便利なことばだ。それを言うと、相手は「スゴイ!」とか「頭良さそう!」とかなるわけで。
でも、その実、そこで勉強している「哲学」というのは、昔誰かが言っていたことを暗記しているに過ぎなかったりする。ドヤ顔で「哲学では~」とかのたまっている人に限って、そういう傾向が強い。それ、別にアナタの凄さじゃないですから。
さて、そんなこんなで「哲学」の意味というのは、結局よくわからないのだけれど、本書は様々なことを考えさせてくれる。「高校生のための」と題されているが、長谷川さん自身が述べているように、別にその点に力が入れられているわけではない。もちろん、中には高校生の頭をこねくり回すような記述もあって小気味良いのだけれど。
そして、生きていく上で避けられない事々に、長谷川さんなりの見解を示していただけたということには、素直に「ありがとう」と言いたい気もする。散々悩んだ挙句、答えが出なかったようなことにも回答していただけているので、長谷川さんの見解に納得できれば、それは自分の中の一つの結論ともなる。ただ、やっぱり本書の正しい使い方は、長谷川さんの見解にナニクソと思って、自分なりの見解を築き上げることだとも思うんだ。
ところで、高校生が本書を読んで、もし楽しめなかったとしたら、それは国語教育、あるいはその指導にも責任があるのかもしれないと思ったり思わなかったり。
【目次】
はじめに
第1章 自分と向き合う
第2章 人と交わる
第3章 社会の目
第4章 遊ぶ
第5章 老いと死
第6章 芸術を楽しむ
第7章 宗教の遠さと近さ
第8章 知と思考の力詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著書は、「哲学」や「思想」は「個人の人生」と、どのように関わるのかを記す。答えは、「人生を楽しむ」ためというのが本書の主張である。
著者は、塾に通う子供たちと山奥の合宿や演劇祭を行い、その子供の親たちと付き合い、PTAや地域の活動など、ながい模索を経て、「まわりに気兼ねしないで自分の考えをきちんと提示する魅力的な人物」や「一人の人間の個性的な生き方を支えるに足る透明な知と思考」に出合う(p208参照)。「人生を楽しむ」哲学者・長谷川宏とその人の魅力を髣髴とさせる一節。 -
100-H
閲覧新書 -
2007年第一版
塾講師でありながら哲学者という変わった経歴を持つ著者。
「哲学」の入門書であり、「哲学学」の入門書ではない。
(「哲学学」の入門書は例えば「ソフィーの世界」)
世界と自分との対峙、人間存在への関心、生と死、自分とは何か?
人が生きていく上で向き合う疑問→哲学 -
長谷川さんの良心を感じた。市井の学者っているんだな。感慨深い。学問的な意味での哲学ではない。最初はなんだかなぁ、と思いながら読んでいたが(我見に過ぎないのではないかとの疑念ありつつ)、読み終えてみると、よい意味で裏切られた感じ。こころが暖まるエッセイだった。
・平等と対等。
・人柄への関心。
・共同精神と死。個の精神と死。
・死者と精神的につながることによって共同の世界が深みのあるゆたかさを獲得しえているとすれば、そのゆたかさは死の悲しさと寂しさをくぐりぬけ、悲しさと寂しさを包みこんではじめて可能となるゆたかさだ。
・芸術的な美を楽しむには、いったんは信仰心や知識に背を向けるようにして自分の感覚に磨きをかけなければならない。
・容易に答えの得られぬ問いをかかえつつ、現実肯定と現実否定のはざまをいきることは、精神の強さのあかしなのだ。
・子どもとの意志の疎通がうまくいかないとき、ことばづかいを分かりやすくしたり論理を緻密にしただけではどうにもならない。子どもの日常世界をなにほどか共有し、子どもの知と思考を、観念的にもせよ、自分のうちに取りこまねばならない。 -
「自分と向き合う」「人と交わる」「社会の目」「老いと死」
といった、人生におけるテーマ8つについて論じた本。
哲学というほど大げさなものではなく、もっととっつきやすい
人生論的な内容です。
高校生でも十分読めるけど、この本の内容を真に実感するのは
もっと後になってからだろうな。
誰もが漠然と感じていることをよくここまでわかりやすく
日本語に落とし込んで表現したもんだと感心しました。
普段の生活をゆっくり振り返るきっかけともなる良書。 -
ほとんど術語なしに書かれた高校生向けの本。あlくまでも入門書なので、ありふれた結論に陥っている感もあるが、在野の哲学者としての論考をじっくりたどるのは楽しかった。
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筆者は学習塾の講師という立場に身をおく在野の哲学者である。哲学という自由度の高い学問と、極めて実用的な学習塾での授業という両方をこなしていること自体が私にとっては興味深いものであるが、そのほかにも様々な行動を通して知の実践をおこなっている方のようである。
タイトルにあるように高校生に向けられた本書では、難しい哲学用語を極力避ける方針が貫かれている。引かれている例文も読者を煙に巻くという類のものはほとんどない。ただし、述べられていることはいずれも哲学の基本的課題というべきものばかりであった。
私は最終章の「知と思考の力」に注目をした。学ぶとはどういうことなのか、私たちは日常の学習に対して無関心であることを痛感させられたのである。学習には大学受験とか就職とか資格取得とか目的があっておこなうものがある。これがいま私たちが考える学習の大半のイメージである。しかし、利害とは無関係に純粋に学びたいことを学ぶという学習が別にある。それを追求するためには場合によっては既存の枠組みの中では難しいこともあるというわけだ。
筆者は大学からはなれ市井に身をおくことによって、周囲の人々の中に潜在的に存在する普遍的な知と思考を感じ取る。こうした謙虚さとでもいうべき態度が学ぶものには必要であることを気づかされるのだ。 -
「自分」とは、「社会」とは。私たちの「生きにくさ」はどこから来ているのか。難解な語を排し、日常の言葉で綴る待望の哲学入門。(「BOOK」データベースより)
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いいこと、たくさん。
あーこれこれ、あたしが感じたりしてたもの。
言葉にしたらこんな感じなんだな。