大学卒業後の2年間何をしていたんですか。」
そんな質問が突き刺さる。
「この2年間・・・特に何をするわけでも無く、・・・ふらふらとしておりました」
言い終わった後の、ホウと濡れたため息は、男の賛嘆でなく、僕の安堵。終わったな、と言う感慨の、言葉にならない吐息である。
「正直に生きたい」
そう思っていても建前と本音を使い分ける。それが就職活動と言うものであるには変わりない。
「やりたいこと、やりたいことは何ですか」
その質問に悩み、そして苦しむ。自分にとって楽しいいことをやりなさい。やりがいの感じれることを仕事にしなさい。ただし、それが仕事となるとは限らない。
不安定と安定。安定を求めて職を求める。日に日に世間の目は冷たくなる。世間の目があるから正社員にならないといけない。何とか普通を手に入れたい。定職を得たい。そんなごく当たり前から就職活動を始める。その行動の1つ1つが記録されている。今生きている学生、就職活動に翻弄される学生。みんな悩んで考える。そうしてようやく1つの職を得る。
「やりたいことはなんですか」
就職活動する学生はまずここから入る。しかし、愚問。収入を倍にするために会社の利益を10倍にする。その為に社員は働くのであって、利益を増やすために経営者は社員を雇う。会社にとって利益を生まない社員は不要であって雇う必要性も無い。会社にとって必要な能力があるかどうか。採用の基準はそれ以外には無い。
就職するために企業にとって必要な能力を鍛える。働かせてください、仕事をください。そうやって必死に叫んで自分の能力を磨いて、他人と比べて、自分が優れていることを示す。そうしてリクルートスーツに身を包み、自己分析を行い、企業研究をしてその企業で利益を上げられる人となる。そういった人間になれる資質があるかどうか。それが問われる。
それでも自分に嘘をつくことなどできない。メッキははがれる。正直に自分と言う人間を売り出してそれに対応してくれる企業があるかどうか見極める。いくらやりたい仕事、やりたいことがあったとしてもそれに見合う能力が無ければ採用されない。そこを主張しても自分は売り込めない。まず、自分と言う存在を認めてもらい、その中でやりたいことに近づけていかなけれないけない。
やりたいこと。必ず就職の中で聞かれる。だけど、それだけでは就職はできない。自分を見つめ、そして企業と照らし合わせをして、始めて道は開ける。多くの企業とふれあい、そして感じ、考え、行動する。その当たり前のプロセスとたどって、やがて就職へと結びつく。大企業へ行きたい。やりたいことだけでは職は見つからない。どこかに必ず必要としてくれる人はいる。それを見つけることこそが就職活動の意義なのではないだろうか。