日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 32
  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480064677

作品紹介・あらすじ

一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。

感想・レビュー・書評

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  • 求めていることに、応えてくれる一冊でしたー。
    繰り返しの部分が少し目立つけど、読みやすい。

    「さようなら」と「goodbye」の違いって。
    「さらば」(それならば)に含まれた意味って、何なんだろうと思っていました。
    そこから、やはり死生観に入っていくのね。
    西田幾多郎、九鬼周造、柳田邦男から古典文学まで幅広い引用もあり。

    死とは、不可避の状態である。
    自分にとっては経験のない非日常だけれど、あらゆる物事にとっては当然そう在るものだとも言える。
    そうした「自然」自ずから成り行くことを、「あきらめをもって受け入れる」態度。覚悟。
    互いの別れを「いざ」「ならば今」と受け入れることで、見送る方も見送られる方も、心にケジメが付くということのようだ。

    面白いのは、日本では死者が彼岸と此岸を行き交っているというイメージ、風習があること。
    確かに、死んでも案外と身近な場所にいるのかもしれない、という思いは、死への恐怖心を和らげるのかもしれない。

    「おのずから」と「みずから」の違いにも言及し、そこに日本人の諦念、悪く言い換えれば無責任さを見出す。
    ここから、「る、らる」つまり「受身、可能、自発、尊敬」という多様な意味を持つ助動詞にまで触れて、ワクワクする。
    中古では「ゆ、らゆ」であり、「尊敬」の意味はまだ付加されず、「自発」の意味を軸とした動詞がその後も残っていく。
    おのずからそう感じられるという自発の姿勢は、栄枯盛衰、様々な推移に対して「まあ、人生ってそういうものだよね、仕方ない」と言ってしまう感覚のルーツなのだろうな。

    「もの」と「こと」の違いについて、また運命については引用。

    「『もの』的世界とは、原理的・法則的・普遍的な、発語者の力ではどうにもならない、不動なもの、運命的なものを表しており、われわれは、そうしたものを過剰ともいえるかたちで表現し、それにしたがってきたという指摘」

    「つまり、この世の普遍的・集団的な論理・原理にしたがうときには『もの』という言い方をし、その時その場での、一回的な出来事については『こと』という言い方をしているのだ、という指摘」

    「運命とはそうしたものであるがゆえに、それにただ巻き込まれ翻弄されるべきものではなく、それをそれとしてあらためて認め、受けとりなおすところに、真に運命となりうる」

    「詩のもっている、押韻、リズム、畳句(リフレイン)といった技術は、すべてその『現在の今』を繰り返し反復するということにおいて、そこに『永遠の今』を顕現させうるものだと九鬼は考えています。
    韻と韻とが重ねて踏まれることは、われわれの偶然性としての出会いが重ねて反復されることの象徴です。」

  • 先行の事柄が「そうであるならば」
    不可避の定めによって「そうならなければならないならば」

    「さようなら」という言葉自体には過剰な希望も悲哀もないけれど、それを口に出すためには事実を事実として認めつつも胸の内に押さえる覚悟が必要だ。そしていくらかの諦念も。本書を手に取ったときはまさか死生観の話になるとは思っていなかったが、日本人の時間に対する考え方やものごとの移り変わりを見つめるまなざしが、多様な文献によって浮かび上がってきて興味深かった。

  • 「さらば」は本来、「然あらば」。
    「さようなら」は本来、「さようであるならば」。

    元々は接続詞であり、
    前に述べられた事柄を受けて、
    次に新しい行動・判断を起こそうとするときに使った。

    千年以上、
    なぜ私たちは、このような言葉で分かれてきたのか。


    ここで世界の別れの表現、別れの言葉を見てみる。

    1.Good-bye, Adieu, Addio

    Good-byeは、God be with you から。
      「神があなたとともにあらんことを祈る」
      他も、別れに際して神のような存在のご加護を願う、
      という意味

    2.See you again, Au revoir, 再見,

       いずれも「再び会いましょう」

    3.Farewell, 安寧(アンニョン)ヒ、ゲセヨ

       うまくやって行ってください、
       安らかに行ってください

    「さようなら」は、これらのどれに類しない。[more]

    日本人は、古い「こと」が終わったときに、
    そこに立ち止まって、それを「さようであるならば」と確認し訣別しつつ、
    新しい「こと」に立ち向かおうという心のかまえ、傾向がある。

    これは、この世の出来事を一つ一つの「こと」の
    連なりとしてとらえる態度に由来し、
    「囃し」が「生やし」などと同根であるように、
    生成を促す力を与える呪言によって、
    ひとつひとつ処理していこうするものである。

    別れの場面を不可避の状況として、
    そうでなければならないなら、
    再会の希望で紛らわすでもなく、別離の苦い味わいを避けるのでもなく、
    あるがままを受け入れつつ、それ自体何も語らない、
    心をこめて手を握る暖かさが、「さよなら」という言葉である。

    この国には、「さようなら」がある。
    本書はその思いがけない勇気をくれた。

    【読書メモ】
    ・ 星を見るにしても、一つ一つの星をバラバラに見るのではなく、ひとまとまりの全体の物語のうちにおいて見ることによって、それぞれの星が意味をもちうるように見ることです。人生のバラバラな出来事を一つのまとまった物語として語ることによって、心の葛藤をまとめて、それを死の受容ということに適用しようといわけです。 p36

    ・「弔う」とは、「問う」ことであり、「訪う」ことです。つまり、死者の世界を訪問して、死者の思いをあれこれ問うことです。 p49

    ・「明日」があるからそうするというのではなく、「今日」を「今日」として行き切ることにおいて、そこによりよき「明日」がつながってくるという考え方です。 p79

    ・日本神話に親しい「八百万の神々」という考え方は、単に大勢の神々が、あちこちいろいろなところに混在しているという話ではなくて、それぞれがそれぞれの特殊・相対を担いながら、そこで絶対を現しているという発想です。 p96

    ・花びらは散る 花は散らない 金子大栄による「色即是空 空即是色」の訳 p193



    【目次】
    1.「さらば」「さようなら」という言葉の歴史
     接続詞「さらば」から別れ言葉「さらば」へ
     近世以降の「さらば」「さようなら」
     古い「こと」から新しい「こと」への決別・確認・移行
    2.死の臨床と死生観
     二つの「死の物語」
     二人称の死と「あの世」
     「さようなら」としてのアーメン
    3.日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死
     「この世にし楽しくあらば」と「この世の事はとてもかくても候」
     「生より死にうつるとこころうるはあやまりなり」
     死とは「今日に明日をつぐこと」
    4.「いまは」の思想
     「おのずから」のこととしての死−生
     「つぎつぎとなりゆくいきほひ」としての死−生
     「いまは」の時間把握
    5.不可避としての「さようなら」―――「そうならなければならないならば」
     「そうならなければならないならば」としての「さようなら」
     「さようなら」の力
     「敗北的な無常観」としての「さようなら」
    6.「さようなら」と「あきらめ」と「かなしみ」
     「おのずから」と「みずから」の「あわい」
     「あきらめ」と「かなしみ」
     「さようであるならば」と「そうならなければならないならば」
    7.出会いと別れの形而上学
     九鬼周造の『偶然性の問題』
     偶然性をどう踏まえるのか
     「さようなら」の形而上学
    8.「さようなら」としての死
     「別れ」としての死
     「たがいに相見て別れを告げる死」
     「さようなら」としての死

  • 昔「さよならは別れの言葉じゃなくて~♪再び逢うまでの遠い約束~♪」という歌があったけど、やっぱりさよならは別れの言葉なんだなあ、と思った。「再び会う」期待や祈りは込められていない。花は散る、人は死ぬ、諸行無常。「さらば」「さようであるならば」さようなら、なのだろう。いろんな人の死生観なども語られているが、特に十返舎一九の辞世の句、志賀直哉や吉田兼好が印象に残っている。

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記はこちらに書きました。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=7836

  • 一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。

  •  世界の別れ言葉は、一般的に、「Good-bye、Adieu(=神があなたとともにあらんことを祈る)」、「See you again、再見(=再び会おう)」、「Farewell、安寧ヒ ゲセヨ(=お元気で、安らかに)」の3つに大別できるが、日本語の別れ言葉「さようなら」はどれにも当たらない。「さようなら」は、「さらば」あるいは「しからば」という言葉で、もともとは「そうであるならば」という接続詞なのだ。ではなぜ、日本人は別れ際に「そうであるならば」と言うのか。そして、この別れ方が一般的ではないなら、それは日本人のどのような世界観を映し出すものなのか。
     この問題を、とりわけ死生観の次元で検証したのが本書だ。「サヨナラダケガ人生ダ」とうそぶく日本人の持つ無常観の源泉を探りながら、その精神史を別れ言葉によって探求した一冊。

  • 「さようなら」とは不思議な言葉だ。
    左様なら、なんなのか。ずっと疑問に思っていた。
    これが別れの挨拶として、定着するに至るまでどのような経緯があったのか、それを考えるヒントにこの本はなる、と思う。
    かつて文章の中で、文学の中で、この言葉がどのように使われてきたか、ということはよく研究してある。

    美しい言葉である。「さようなら」。
    この言葉によって日本人の精神性がわかるか?答えはNOだ。
    挨拶はどのような場面で使われるか、それがどのような心持ちであるか、は、自由であるから。
    ゆえにこの本ももう少し違うアプローチなら、よりよかった。
    内容は大変興味深いので一読の価値はある。

  • 数年ぶりに再読。タイトルだけで買った記憶があるけど、きらいじゃない感じ。きちんと理解してない部分もあるけど、個人的には「もの」「こと」のあたりが特に興味深かった。

  • 図書館で出会ったが、いつか買って手元に置きたい。
    「今」に含まれるもの、「みずから」と「おのずから」
    この二点が個人的に発見だった。
    「自然・自然な」が英語ではnature, naturalで、同じく"自然"を使うことに面白さを感じた事があるが、"自然"の捉え方、視線の違いまでには思い及ばなかったため。
    古典の引用が多いのも、勉強になりました。

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著者プロフィール

1946年長野県生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。東京大学教授などをを経て、現在鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授。専門は倫理学・日本思想史。著書に『自己超越の思想』(ぺりかん社)、『「おのずから」と「みずから」』『やまと言葉で哲学する』『やまと言葉で<日本>を思想する』(以上、春秋社『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(ちくま新書)『「かなしみ」の哲学』(NHKブックス)『花びらは散る 花は散らない』(角川選書)『ありてなければ』(角川ソフィア文庫)などがある。

「2016年 『日本思想の言葉 神、人、命、魂』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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