日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

  • 筑摩書房 (2009年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480064677

みんなの感想まとめ

別れの挨拶としての「さようなら」の意味を深く掘り下げる内容が展開されている。著者は、世界の別れの挨拶を分類しながら、日本特有の「さようなら」がどのカテゴリーにも属さないことを示し、その背後にある文化的...

感想・レビュー・書評

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  • 求めていることに、応えてくれる一冊でしたー。
    繰り返しの部分が少し目立つけど、読みやすい。

    「さようなら」と「goodbye」の違いって。
    「さらば」(それならば)に含まれた意味って、何なんだろうと思っていました。
    そこから、やはり死生観に入っていくのね。
    西田幾多郎、九鬼周造、柳田邦男から古典文学まで幅広い引用もあり。

    死とは、不可避の状態である。
    自分にとっては経験のない非日常だけれど、あらゆる物事にとっては当然そう在るものだとも言える。
    そうした「自然」自ずから成り行くことを、「あきらめをもって受け入れる」態度。覚悟。
    互いの別れを「いざ」「ならば今」と受け入れることで、見送る方も見送られる方も、心にケジメが付くということのようだ。

    面白いのは、日本では死者が彼岸と此岸を行き交っているというイメージ、風習があること。
    確かに、死んでも案外と身近な場所にいるのかもしれない、という思いは、死への恐怖心を和らげるのかもしれない。

    「おのずから」と「みずから」の違いにも言及し、そこに日本人の諦念、悪く言い換えれば無責任さを見出す。
    ここから、「る、らる」つまり「受身、可能、自発、尊敬」という多様な意味を持つ助動詞にまで触れて、ワクワクする。
    中古では「ゆ、らゆ」であり、「尊敬」の意味はまだ付加されず、「自発」の意味を軸とした動詞がその後も残っていく。
    おのずからそう感じられるという自発の姿勢は、栄枯盛衰、様々な推移に対して「まあ、人生ってそういうものだよね、仕方ない」と言ってしまう感覚のルーツなのだろうな。

    「もの」と「こと」の違いについて、また運命については引用。

    「『もの』的世界とは、原理的・法則的・普遍的な、発語者の力ではどうにもならない、不動なもの、運命的なものを表しており、われわれは、そうしたものを過剰ともいえるかたちで表現し、それにしたがってきたという指摘」

    「つまり、この世の普遍的・集団的な論理・原理にしたがうときには『もの』という言い方をし、その時その場での、一回的な出来事については『こと』という言い方をしているのだ、という指摘」

    「運命とはそうしたものであるがゆえに、それにただ巻き込まれ翻弄されるべきものではなく、それをそれとしてあらためて認め、受けとりなおすところに、真に運命となりうる」

    「詩のもっている、押韻、リズム、畳句(リフレイン)といった技術は、すべてその『現在の今』を繰り返し反復するということにおいて、そこに『永遠の今』を顕現させうるものだと九鬼は考えています。
    韻と韻とが重ねて踏まれることは、われわれの偶然性としての出会いが重ねて反復されることの象徴です。」

  • とにかく読みにくい。レトリックの要素をもっと減らして、もっとロジックに寄せて書いてほしい…と思ってしまった。

  • さようであるならば、という接続詞がなぜ別れるときの挨拶なのか、を検証。

  • テーマが面白い!と思って手に取ったが、小難しいことがいっぱい書いてあった。別れの挨拶は世界的にも3つに分類(①良い別れ系②再会系③神のご加護を系)されるらしいが、「さようなら」はどれにも当てはまらず、この独特の別れ方から、日本人独自といえる文化を見つけだそうとする試み。「そうならざるえないならば」という諦観と、受入れる心、文章や会議の最後に「以上です。」と付け加える風習との類似性から探っている。面白いが小難しい。

  • 昔「さよならは別れの言葉じゃなくて~♪再び逢うまでの遠い約束~♪」という歌があったけど、やっぱりさよならは別れの言葉なんだなあ、と思った。「再び会う」期待や祈りは込められていない。花は散る、人は死ぬ、諸行無常。「さらば」「さようであるならば」さようなら、なのだろう。いろんな人の死生観なども語られているが、特に十返舎一九の辞世の句、志賀直哉や吉田兼好が印象に残っている。

  • 先行の事柄が「そうであるならば」
    不可避の定めによって「そうならなければならないならば」

    「さようなら」という言葉自体には過剰な希望も悲哀もないけれど、それを口に出すためには事実を事実として認めつつも胸の内に押さえる覚悟が必要だ。そしていくらかの諦念も。本書を手に取ったときはまさか死生観の話になるとは思っていなかったが、日本人の時間に対する考え方やものごとの移り変わりを見つめるまなざしが、多様な文献によって浮かび上がってきて興味深かった。

  • 「さようなら」は、もともとは「さようであるならば」という接続詞。

    一人称の死は、死後自分はどこに行くのだろうという自己中心的な恐怖になるが、
    二人称の死では、亡くなった大切なひとは自分の中にいることに気づく。自分があの世。

    死とは無になることではなく、自分が生きていた世界はそこにあり続けるけれど、自分はその世界とはお別れしていくということ。
    死ぬことは何よりもかなしいことだけれど、そうならなければならないのなら、そのかなしみをしっかりとかなしむ先に安心がある。

    「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」

  • 古文、例文が多すぎて所々飛ばして読んだ。

    good-bye→God be with you(神と共にあらんことを)
    さようなら→さらば。そうであるならば。そうでなければならないなら。

    表現の元をたどっていくと、死生観に行き着くのも面白いと思った。
    「東洋風な諦念の美」として賞賛される一方で、「浅薄なニヒリズム」だと批判もあるようだが、過去にけじめをつけて無常を受け入れる言葉、私は美しいと感じた。

  • 第92回ビブリオバトルinいこま「三冊屋」で紹介された本です。
    2022.6.26
    ①『さよなら俺たち』清田隆之
    ②『貴様いつまで女子でいるんだ問題』ジェーン・スー
    ③『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』竹内整一

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記はこちらに書きました。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=7836

  • 一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。

  •  世界の別れ言葉は、一般的に、「Good-bye、Adieu(=神があなたとともにあらんことを祈る)」、「See you again、再見(=再び会おう)」、「Farewell、安寧ヒ ゲセヨ(=お元気で、安らかに)」の3つに大別できるが、日本語の別れ言葉「さようなら」はどれにも当たらない。「さようなら」は、「さらば」あるいは「しからば」という言葉で、もともとは「そうであるならば」という接続詞なのだ。ではなぜ、日本人は別れ際に「そうであるならば」と言うのか。そして、この別れ方が一般的ではないなら、それは日本人のどのような世界観を映し出すものなのか。
     この問題を、とりわけ死生観の次元で検証したのが本書だ。「サヨナラダケガ人生ダ」とうそぶく日本人の持つ無常観の源泉を探りながら、その精神史を別れ言葉によって探求した一冊。

  • 「さようなら」とは不思議な言葉だ。
    左様なら、なんなのか。ずっと疑問に思っていた。
    これが別れの挨拶として、定着するに至るまでどのような経緯があったのか、それを考えるヒントにこの本はなる、と思う。
    かつて文章の中で、文学の中で、この言葉がどのように使われてきたか、ということはよく研究してある。

    美しい言葉である。「さようなら」。
    この言葉によって日本人の精神性がわかるか?答えはNOだ。
    挨拶はどのような場面で使われるか、それがどのような心持ちであるか、は、自由であるから。
    ゆえにこの本ももう少し違うアプローチなら、よりよかった。
    内容は大変興味深いので一読の価値はある。

  • 数年ぶりに再読。タイトルだけで買った記憶があるけど、きらいじゃない感じ。きちんと理解してない部分もあるけど、個人的には「もの」「こと」のあたりが特に興味深かった。

  • 図書館で出会ったが、いつか買って手元に置きたい。
    「今」に含まれるもの、「みずから」と「おのずから」
    この二点が個人的に発見だった。
    「自然・自然な」が英語ではnature, naturalで、同じく"自然"を使うことに面白さを感じた事があるが、"自然"の捉え方、視線の違いまでには思い及ばなかったため。
    古典の引用が多いのも、勉強になりました。

  • 東大倫理思想のペリカン文化人は眉唾本が多いが、本書は、さようならという言葉を巡って、日本人の精神のありようを少しづつ浮き彫りにしていく。その思索の様は、特に文学作品の豊富な引用とあいまってなかなか説得力もある。日本人の「哲学」とは本来かくあるべきという良いお手本ではないかと感じる。

  •        -20090325

    アメリカ人の女性飛行家A.リンドバーグを「これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない」と言わしめた別れの言葉-「さよなら」の持つ人間的な温かみと人知を超える厳しさ、そして生と死の「あわい」で揺れるその両義性‥。

     心の際-こころのきわ  -2009.04.13記

    この「さよなら」が、「さようであるならば」か、はたまた「そうならなければならないならば」のいずれに偏るものか、その判別も下しかねるが、ただおのれ一身の「心の際」-器量のこととして受けとめずばなるまい。
    いまはただ、本書の中で採られていた、浄土真宗の僧であった金子大栄-1881~1976-が「色即是空、空即是色」を意訳したもの、とされる詞を書き留めておく。
    「花びらは散る 花は散らない」

  • 「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受け入れている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそうちに埋め火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。

  • 「さようなら」という言葉には,幾許かの諦めのような認識(そういうことならば)が感じられる一方で,どうにもならない事柄に対する厳しい覚悟(そうならなければならないのならば)も感じられる.このふたつのバランスが微妙に絡み合いながら成立している素晴らしい言葉であるということ,そしてこの言葉にかつての日本人が込めてきた思いはとても切ないものであったということをこの本は示してくれている.
    幾らかの感傷が含まれているのを承知で言えば,井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」という言葉の素晴らしさを改めて認識させられた.

  • わかりやすく面白かった。
    「さようなら」という言葉の意味を肯定するにしろ否定するにしろ、この五文字についてまわる印象は、胸を締め付けられるようなかなしみだ。

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著者プロフィール

竹内 整一(たけうち・せいいち):1946年長野県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻博士課程中退。東京大学名誉教授。専門は倫理学、日本思想史。日本人の精神の歴史を辿りなおしながら、それが現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している。主な著書に、『魂と無常』(春秋社)、『花びらは散る 花は散らない』『日本思想の言葉』(角川選書)、『「やさしさ」と日本人』(ちくま学芸文庫)、『ありてなければ』(角川ソフィア文庫)など。

「2023年 『「おのずから」と「みずから」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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