日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)

著者 : 竹内整一
  • 筑摩書房 (2009年1月1日発売)
3.69
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480064677

作品紹介

一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)の感想・レビュー・書評

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  • 求めていることに、応えてくれる一冊でしたー。
    繰り返しの部分が少し目立つけど、読みやすい。

    「さようなら」と「goodbye」の違いって。
    「さらば」(それならば)に含まれた意味って、何なんだろうと思っていました。
    そこから、やはり死生観に入っていくのね。
    西田幾多郎、九鬼周造、柳田邦男から古典文学まで幅広い引用もあり。

    死とは、不可避の状態である。
    自分にとっては経験のない非日常だけれど、あらゆる物事にとっては当然そう在るものだとも言える。
    そうした「自然」自ずから成り行くことを、「あきらめをもって受け入れる」態度。覚悟。
    互いの別れを「いざ」「ならば今」と受け入れることで、見送る方も見送られる方も、心にケジメが付くということのようだ。

    面白いのは、日本では死者が彼岸と此岸を行き交っているというイメージ、風習があること。
    確かに、死んでも案外と身近な場所にいるのかもしれない、という思いは、死への恐怖心を和らげるのかもしれない。

    「おのずから」と「みずから」の違いにも言及し、そこに日本人の諦念、悪く言い換えれば無責任さを見出す。
    ここから、「る、らる」つまり「受身、可能、自発、尊敬」という多様な意味を持つ助動詞にまで触れて、ワクワクする。
    中古では「ゆ、らゆ」であり、「尊敬」の意味はまだ付加されず、「自発」の意味を軸とした動詞がその後も残っていく。
    おのずからそう感じられるという自発の姿勢は、栄枯盛衰、様々な推移に対して「まあ、人生ってそういうものだよね、仕方ない」と言ってしまう感覚のルーツなのだろうな。

    「もの」と「こと」の違いについて、また運命については引用。

    「『もの』的世界とは、原理的・法則的・普遍的な、発語者の力ではどうにもならない、不動なもの、運命的なものを表しており、われわれは、そうしたものを過剰ともいえるかたちで表現し、それにしたがってきたという指摘」

    「つまり、この世の普遍的・集団的な論理・原理にしたがうときには『もの』という言い方をし、その時その場での、一回的な出来事については『こと』という言い方をしているのだ、という指摘」

    「運命とはそうしたものであるがゆえに、それにただ巻き込まれ翻弄されるべきものではなく、それをそれとしてあらためて認め、受けとりなおすところに、真に運命となりうる」

    「詩のもっている、押韻、リズム、畳句(リフレイン)といった技術は、すべてその『現在の今』を繰り返し反復するということにおいて、そこに『永遠の今』を顕現させうるものだと九鬼は考えています。
    韻と韻とが重ねて踏まれることは、われわれの偶然性としての出会いが重ねて反復されることの象徴です。」

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記はこちらに書きました。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=7836

  • 一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。

  •  世界の別れ言葉は、一般的に、「Good-bye、Adieu(=神があなたとともにあらんことを祈る)」、「See you again、再見(=再び会おう)」、「Farewell、安寧ヒ ゲセヨ(=お元気で、安らかに)」の3つに大別できるが、日本語の別れ言葉「さようなら」はどれにも当たらない。「さようなら」は、「さらば」あるいは「しからば」という言葉で、もともとは「そうであるならば」という接続詞なのだ。ではなぜ、日本人は別れ際に「そうであるならば」と言うのか。そして、この別れ方が一般的ではないなら、それは日本人のどのような世界観を映し出すものなのか。
     この問題を、とりわけ死生観の次元で検証したのが本書だ。「サヨナラダケガ人生ダ」とうそぶく日本人の持つ無常観の源泉を探りながら、その精神史を別れ言葉によって探求した一冊。

  • 「さようなら」とは不思議な言葉だ。
    左様なら、なんなのか。ずっと疑問に思っていた。
    これが別れの挨拶として、定着するに至るまでどのような経緯があったのか、それを考えるヒントにこの本はなる、と思う。
    かつて文章の中で、文学の中で、この言葉がどのように使われてきたか、ということはよく研究してある。

    美しい言葉である。「さようなら」。
    この言葉によって日本人の精神性がわかるか?答えはNOだ。
    挨拶はどのような場面で使われるか、それがどのような心持ちであるか、は、自由であるから。
    ゆえにこの本ももう少し違うアプローチなら、よりよかった。
    内容は大変興味深いので一読の価値はある。

  • 数年ぶりに再読。タイトルだけで買った記憶があるけど、きらいじゃない感じ。きちんと理解してない部分もあるけど、個人的には「もの」「こと」のあたりが特に興味深かった。

  • 図書館で出会ったが、いつか買って手元に置きたい。
    「今」に含まれるもの、「みずから」と「おのずから」
    この二点が個人的に発見だった。
    「自然・自然な」が英語ではnature, naturalで、同じく"自然"を使うことに面白さを感じた事があるが、"自然"の捉え方、視線の違いまでには思い及ばなかったため。
    古典の引用が多いのも、勉強になりました。

  • 東大倫理思想のペリカン文化人は眉唾本が多いが、本書は、さようならという言葉を巡って、日本人の精神のありようを少しづつ浮き彫りにしていく。その思索の様は、特に文学作品の豊富な引用とあいまってなかなか説得力もある。日本人の「哲学」とは本来かくあるべきという良いお手本ではないかと感じる。

  • 先行の事柄が「そうであるならば」
    不可避の定めによって「そうならなければならないならば」

    「さようなら」という言葉自体には過剰な希望も悲哀もないけれど、それを口に出すためには事実を事実として認めつつも胸の内に押さえる覚悟が必要だ。そしていくらかの諦念も。本書を手に取ったときはまさか死生観の話になるとは思っていなかったが、日本人の時間に対する考え方やものごとの移り変わりを見つめるまなざしが、多様な文献によって浮かび上がってきて興味深かった。

  • アメリカ人の女性飛行家A.リンドバーグを「これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない」と言わしめた別れの言葉-「さよなら」の持つ人間的な温かみと人知を超える厳しさ、そして生と死の「あわい」で揺れるその両義性‥。

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