日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書 783)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 30
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480064851

作品紹介・あらすじ

仏教の本質は、すなわち修行である。それは、自己改良による「苦」の消滅。あらゆる苦を生み出すものが「この私」であるなら、心を鍛え、私自身を変えることで、苦しみから自由になれるはずだ。現代に生きる私たちにとって、ひたすら信じる救済の宗教よりも、釈迦本来の合理的な教えの方が、むしろ馴染みやすい。そこに「生き死に」の拠りどころがある。本書では、初期仏教の思想をベースに、生活に結びつく叡智を一〇〇話で紹介。仏教は、それを必要とする人を静かに待っています。

感想・レビュー・書評

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  • 恥ずかしながら、宗教とは非現実的な事柄に大勢ですがることによって現実逃避するものという認識でしかなかった。

    しかし、この本を読み、仏教(中でも仏教原理主義といわれる仏陀が説いた仏教)は、非現実的な神や死後の世界や輪廻を否定し、現実を生きるという苦行をいかに和らげるかということを主題とした、心のコントロールを目的とした超現実的な宗教ないしは思考であることを知った。

    私たちが歴史の授業で学んだ南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土に行けるといった浄土宗のような仏教は、既に日本に伝わるまでの間、そして伝わった時の日本の状況によって大きく歪められた結果の産物であるが、それすらも仏教の大元の考えに寛容な姿勢があるため、同じ仏教として受け入れられているようである。

    この超現実的かつ懐の深さが伺える仏教というものに、非常に奥深さを感じた。

    • hugenさん
      恥ずかしながら、宗教とは非現実的な事柄に大勢ですがることによって現実逃避するものという認識でしかなかった。

      しかし、この本を読み、仏教(中...
      恥ずかしながら、宗教とは非現実的な事柄に大勢ですがることによって現実逃避するものという認識でしかなかった。

      しかし、この本を読み、仏教(中でも仏教原理主義といわれる仏陀が説いた仏教)は、非現実的な神や死後の世界や輪廻を否定し、現実を生きるという苦行をいかに和らげるかということを主題とした、心のコントロールを目的とした超現実的な宗教ないしは思考であることを知った。

      私たちが歴史の授業で学んだ南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土に行けるといった浄土宗のような仏教は、既に日本に伝わるまでの間、そして伝わった時の日本の状況によって大きく歪められた結果の産物であるが、それすらも仏教の大元の考えに寛容な姿勢があるため、同じ仏教として受け入れられているようである。

      この超現実的かつ懐の深さが伺える仏教というものに、非常に奥深さを感じた。
      2021/05/29
  • 前回読んだ時の印象は、数学の本を読んだ後にやな読んだためか入ってこなかったが、今回後半を読んでみたら、ものすごい拾いものの多い方で感心した、著者は理系の工学部出身だが、非常に仏教に明るい

  • 以前TVでとり上げられた素粒子物理学者、故・戸塚洋二氏のお話の中で、佐々木閑(ささき・しずか)氏のことが触れられ、とても興味を持っていました。
    佐々木氏が科学者から仏教学者に転身したと言う経歴も。

    今回、佐々木氏の「犀の角たち」と共にこの本を買い読み始めたのですが、非常に驚いたというのが実感です。
    と言うのは、佐々木氏の本を読んだのは初めてなのですが、私が感じ、思っていることがあまりに多く語られているのです。
    また、違った観点からの発見も。

    以前は小乗仏教と呼ばれ、それが誤解を招くと現在は上座部仏教と呼ぶことがほとんどですが、それを敢えて小乗仏教と呼び、その意味を正しく理解してほしいと願われているところは、なるほどそう言う方向性もあったのかと思ったり。
    日本に伝わった仏教は大乗仏教と言われ、小乗仏教と全く違った体系をしています。
    私はどちらかと言うと(小乗仏教)上座部仏教と言う釈迦がいた頃の原始仏教に近い仏教にとても興味があります。
    それは仏教を宗教の一つとして捉えるのではなく、哲学として学びたいと思っているからなのかもしれません。
    そして仏教の教えの中で、私が疑問に思っていたことも読むうちに氷解していきます。
    釈迦が本来導きたかったのは、絶対的な存在にすがることではなかったのですね。
    生きることは「苦」である・・。そこからいかに「苦」と向き合うのか、それは自分の中に答えがあると言うことなのだなと思います。

    また私の心の拠り所となったチューラパンタカ(周利槃特・しゅりはんどく)のお話もこの本に載っていて感激。
    釈迦の弟子であったチューラパンタカと言う人はあまり賢い人ではなかったので、修行が上手く出来なかったそうです。他の弟子にも呆れられるほど。そんなチューラパンタカに釈迦は日々の掃除をせよと命じます。チューラパンタカはそれから毎日掃除に励むうちに悟りを開いたと言うお話です。
    賢くなくても、不器用にしか生きられなくても、日々前に進もうと努力することが大事であると感じさせられるお話で、勇気が湧きます。

    私がスリランカに行ってみたかったのは、釈迦の存在を近くに感じたかったこともあったんですけどね。

    でも釈迦は絶対的な存在ではありません。
    釈迦自身も入滅の際、そのように弟子達に伝えています。
    『私の死後、皆の拠り所は私の教えとお前達自身である』と。
    後継者を出すでもなく、絶対的『神』を持ち出すことでもない、全ては教えと言う悟りへの道筋と自身が考えること(内観)であると釈迦は伝えているのですね。

    また、ちょっと話は変わりますが、先日の政府の事業仕分けで最先端科学技術に与えられる予算が大幅に削減との報道があったり、「一番ではなく二番ではいけないんですか?」という発言がありましたね。

    私は「別に二番でもいいじゃない」って思っていた人なんですが、佐々木氏の科学者の物の考え方を知っていくうちに、それではいけないんだなと言うことを感じました。科学者とは「二番でいいや」と言う考えでは研究できないんですよね、目指すは「一番」なのだと。それが研究する原動力なんですね。
    なので、それに必要であれば未来への投資をすることはとても大事なことなんだなぁと感じました。
    今は何に使えるか分からない発見や発明も、その後重要な役目を果たすことが往々にしてあると言うこと、これは目から鱗でした。
    もちろん無駄遣いは厳禁ですが。

    そして日本における仏教のあり方・・・。
    元々は厳しい修行をし、人からの施しのみで生きなければならないのです。
    それには道を求めて修行する尊さがあるからこそ、皆が布施をするんだと言うことを僧は心に刻んでおかねばならないのではと思います。

    とにかく今は自分の精神を磨かないといけませんけどね。
    少しずつでも。

    日々是修行です。

  • コラムなので1話が短くて読みやすかった。筆者の主張、考えを短くまとめている。筆者の著書を読んだことがある人なら、あまり発見はないのでは。

  • もともとは朝日新聞に連載されていたコラムを下敷きに加筆修正されたものらしい。これまで読んだ本は、お釈迦様の仏教や法句教、涅槃経、法華経などお経をベースとした教え、それぞれの違いの紹介だったりしたので、佐々木先生本人が実際にどう思い、どう感じているかは推測の域を出ていなかったのですが、今回は科学者目線も持っている佐々木先生の目線での考えが随所に盛り込まれて、より頭の整理ができるような本でした。
    特に、「私は釈迦の信者だが、輪廻の実在性は信じない」というのは、現代人としてのスタンスが明確で、ではお釈迦様の仏教に何を求めているのか、何をゴールとしているのかが垣間見れるような気がしました。先生の言葉によれば「努力によって精神を集中し、その力で智慧を獲得せよ。そうすれば必ず、世界を正しく理解できる。世界を正しく見ることができれば、利己的妄念から生ずる心の苦しみを消すことができる」ということですね。あと、「悟りが無ければ修行する意味がないなどと考える必要はない。少しずつでも、自分は良い方向に進んでいるという思いは、それだけで人生の素敵な財産である。理想を求めつつ、現実の一歩一歩を大切に歩む。気がつけば、それが釈迦の教えの実践になっているのである」というのもありがたい言葉。
    あと、関係ないけど和尚と阿闍梨の語源が知れたのもありがたい。和尚はエルダー、阿闍梨は科目別講師ですね。
    それから、先生は律の専門家として、律について述べているのだけど、これって、禅宗で言っている作法につながっているような気がする。曹洞宗では、生活のひとつひとつが修行ととらえられているので、それぞれにしっかりとした作法があると認識していて、これって律に近いのかなとか勝手に思ってしまいました。作法の方がもう少し細かいルールのような気はしたけど・・・
    また、人間の認識は刹那刹那で切り替わっていて、これを一転に収束させることが精神集中というのも面白かった。
    今まで学んだことと重なる部分も多かったけど、コラムなだけに視点が現代生活にあって、一つ一つが短編で読みやすいことも非常に良かったです。また、時々読み返したいと思いました。

  • 釈迦の教えとはこんなものですよと軽快に知ることができた。

  • 身につまされる話が多い。特に第23話、43話、48話、87話、93話。自分への戒めとして、何度も読み返したい。

  • NDC(9版) 180.4 : 仏教

  • 仏教の本質は修行であり、自己改良による「苦」の消滅です。
    私自身を変えることで、苦しみから自由になることができます。
    本書は初期仏教をベースに、生活に結びつく叡智を100話で紹介していきます。

    優しく正しい心を持っている人の言葉は優しくて正しい。それはそうだろう。だが仏教が主張するのは、「今現在、粗暴な心に支配されている人でも、優しくて正しい言葉を使うよう努力し続ければ、やがて自分の中に優しく正しい心が生まれてくる」ということなのだ。自分の言葉を自分でコントロールしていくことが、そのまま修行になると言っているのである。「相手の気持ちをくみ取りながら、慎重の上に慎重を重ねて、誠実に言葉を紡ぎ出す」、そういう日々を送ることで、我々は自分自身を磨いていくことができるのである。 ー 181ページ

    お年寄りはなぜ偉いのか。それは、生きる辛さを知っているから、そして、その辛さを抱えて生きる中で、智慧と慈悲の意味を本当に理解しているからだ。年をとることそのものが修行なのである。 ー 187ページ

  • ラジオで講演を聞いて本を借りてみた。
    すごくいいこと書いてたけど、もう忘れたという…

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著者プロフィール

1956年福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学バークレー校留学をへて現職。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『宗教の本性』(NHK出版新書、2021)、『「NHK100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』(NHK出版、2012)、『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫、2013)ほか多数。訳書に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波文庫、2016)などがある。

「2021年 『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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