- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065100
作品紹介・あらすじ
理学部出身、鉱山会社を辞めて独学で司法試験に合格した「変わり種」が、さしたる動機も思い入れもなく、無理やり引きずり込まれた検察の世界。そこで目にしたのは、刑事司法の「正義」を独占してきた検察が社会・経済の構造変革から大きく立ち後れている姿だった。談合事件やゼネコン汚職などで「組織の論理」への違和感に悩んだ末に辿り着いた自民党長崎県連事件。中小地検捜査の常識を超える「長崎の奇跡」だった。こうした経験から、政治資金問題、被害者・遺族との関係、裁判員制度、検察審査会議決による起訴強制などで今大きく揺れ動く「検察の正義」を問い直す。異色の検察OBによる渾身の書。
感想・レビュー・書評
-
本書は元検事の郷原信郎氏が、検事時代に取り扱った事件について語ったものです。
なお、本書は2009年刊行ですので、著者が検察官を退官し、弁護士として活動し始めたあとに刊行されたことになります。
また、時期的には2010年の「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」など検察による捜査での不正などがあり、検察の体制的な問題がクローズアップされていた時期の少し前の刊行です。
そのため、この事件発覚前に書かれた著作ではあるもののタイトル的にもなんらかの暴露や体制批判があるものと期待して読んだのですが、期待はずれでした。
構成としては、検察の簡単な説明、経済検察や政治資金捜査、長崎地検での事例、といった感じでした
なお、政治資金規正法違反に関する記載が多いのですが、政治資金規正法についての説明が特にないので、読んでいても意味不明な点は多いです
【読書メモ】
・検察は従来から考え方を基本的に変えない
・日本の刑事事件は、歴史上の事実として「事案の真相」つまり実体的真実を明らかにすることが目標とされる。
・アメリカの刑事裁判は、当事者が納得する形で刑事処罰を行うことによってなんらかの社会的価値を実現することが目的。
単純な過失による事故は刑事責任追及の対象とならない=責任追及より原因解明
・検察は自らの非を認めることはない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大型戦艦型の正義を振りかざす検察はすでに時代に対応出来ていない、という郷原元検事の意見
-
特捜部の捜査は、検察独自の捜査で、政治家や経済分野への志向が大きい。
検察の仕事がよく分かるが、最後の長崎の部分は自慢話っぽい。 -
閉鎖的な内部の文脈に縛られ、時代に取り残された組織という意味では、検察も昨今のニュースになっている大企業も同じだ。
処方箋は最終章に書かれた通り、本来的な目的まで遡り、各人が合目的的に判断し、行動することに尽きるのだろうが、そういう組織がそれを許容するか。 -
レビュー省略
-
検察もの、とくに特捜系の話はがっくりさせられるものが多いですが、「長崎の奇跡」の紹介が、最後に世の中捨てたものじゃない、ということを教えてくれます。
-
100315
-
「法律が定める制度は国民の利益を図るためにあります。法律が機能していないことによって最終的に不利益を受けるのは国民です。我々国民一人ひとりが、法律の定める制度が本当に社会の実情に即しているか、適正に運用されているかに関心を持つ必要があります。」
-
理系出身で就職後、司法試験に合格して検事になったという変わり種の著者が、検察の正義がうまくきのうしていたものが、機能しにくくになっている現状を鋭く指摘している書。
内容は、検事になった理由から始まり、日常の仕事や人々の関わり、検事が多くの権利を有していることを説明している、また、問題となっている、経済検察としてライブドア、村上ファンドの問題、政治家の献金として小沢事件を取り上げて、どちらも不発であり、刑事事件の巨悪を退治するという昔ながらの公式に幻想を抱き、現代の複雑で多様化している社会に対応できなくなりつつあることを指摘している。
検察の内部からの告発はなかなか少ないとは思うが、社会に適応できなくなっている面があることがよくわかった。時間がない人は、5章だけ読んでもある程度の要旨はつかめると思う。