ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 577
レビュー : 80
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480065117

作品紹介・あらすじ

毎年、十万人近い高校生が中退している。彼らの多くは貧しい家庭に育ち、まともに勉強する機会など与えられず、とりあえず底辺校に入学し、やめていく。アルバイトですら、高卒以上の学歴を求められる現在、高校中退者にはほとんど仕事がなく、彼らは社会の底辺で生きていくことになる。いま、貧しい家庭からさらなる貧困が再生産されているのだ。もはや「高校中退」を語らずして貧困問題を語ることはできない。

感想・レビュー・書評

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  • 貧困は子どもへの期待や愛され方にまで格差をつくる。家庭の所得の差によって、愛や期待にまで差がついてしまう。
    「あなたは親から期待されていると思うか」
    この質問に、進学校の生徒のうち、「期待されている」と答えた生徒は70%、逆に底辺校の生徒たちの60%が「期待されていない」と答えている。

    本著は、高校を中退した若者たちの貧困の実態を伝えている。親の所得によって進学する高校が決まり、高校間の格差によって子どもたちの人生、生き方や文化さえも決まると主張する。更に若者たちが希望を持って生きることが出来る社会になれば、彼らは社会のために働くことに生きがいを見いだせるようになるだろうと述べている。
    貧困により孤立した家庭の中では、所得だけの問題ではなく、子どもたちは親からDVやネグレクトなどの虐待を受け、愛情をかけてもらうこともなく、人間として必要な生活習慣、文化、尊厳をもって育てられずにいる。貧困の中で苦しんでいる子どもを放置し、自己責任などと突き放せば、子どもたちに社会のために働こうなどという意識は生まれるはずもない。

    「ここ」にしか行けなかった底辺高校に何の希望も夢も持たずに入学した結果、朝起きれずに単位を落とす、友だちが中退したからもういいやと自分も後に続く、やめさせたがる教師がいるなどで中退する子どもが数多くいる。そんな彼らの多くは貧しい家庭に育ち、まともに勉強する機会など与えられていなかった。中には九九が言えないなど、小学校低学年程度の学力にとどまって今まで放置されてきた子どもたちもいる。彼らを育てるはずの親たちも日々の暮らしに精一杯で子どもの学習環境を作ることに余裕などない。そんな生活の中で、彼らに学習意欲など沸くはずもなく、「学ぶことは生きること」だと言ったところで何一つ通じないだろう。

    彼らは高校を中退した後、ほとんど仕事はなく、まして好きな仕事を選ぶことなど出来ない。例え仕事に就いたとしても根気が続かず転職を繰り返す者も多い。けれど、そのことを根気がないと責める前に、彼らは生まれてから、「頑張ったからこんなに素晴らしいことがあるんだ」「良くやったね」という「励まされたり」「ほめられたり」「次の目標を提示されたり」そんな体験がほとんどない、喜びや感動を味わったことがないということに、気づかなければならない。

    彼らは貧しい家庭からさらなる貧困へと続く連鎖から抜き出ることが出来ずに、社会の底辺で生きていくことになる。若者の貧困、社会的排除は、社会全体を衰弱させる。こんなことは個人の尊厳を踏みにじることでもあると思う。

    読み終えてから数日経って……

    何だかもやもやしていた気持ちが、何となくはっきりしてきたので、残しておくことにした。
    「底辺高校」この名称がもやもやの原因だったのかもしれない。何度も出てくる言葉だった。周囲からの「底辺」という固定観念によって、何だか「諦め」や「自虐的」な感じが纏わりついて、彼らが頑張ろうという気力や希望や夢、それらの感情を抱いたとしても全て吸い取られてしまうような無気力になる言葉のような気がしたからだ。

    • nejidonさん
      地球っこさん、こんにちは(^^♪
      昨日コメントしたのですが、どうもふさわしくないように思えて削除しました。
      現役の教師たちが(友人です...
      地球っこさん、こんにちは(^^♪
      昨日コメントしたのですが、どうもふさわしくないように思えて削除しました。
      現役の教師たちが(友人です)言っていました。
      不登校の子たちの家を訪ねて回るのが一番堪えると。
      貧困の現場を目の当たりにするからと。
      支援を本気で考えて欲しいと、彼らからの必死の訴えをよく聞きます。
      子の教育は親の教育、でも親の教育にまでは口が出せないのですよね。

      不登校=貧困とも限らないのですが、レビューにある通り貧困は実に数多くの問題を生み出します。
      子どもの問題は大人の問題。大人の無関心がこの問題をここまで大きくしたように思えてなりません。
      具体的に何が出来るか、私もいつもそれを模索してます。
      今のところフリースクールにお話会に行くことを6年続けています。
      このくらいしか出来ないのが情けないのですが、君たちを応援している大人がいるよというメッセージです。
      届いているかどうかの確証はありません。
      お話の途中、彼らの眼が輝く一瞬があります。そこに希望を繋いでます。
      レビュー、ありがとうございました。機会を捉えて読んでみたい一冊です。
      2018/05/29
    • 地球っこさん
      nejidonさん、こんにちは。
      とても深く考えさせられるコメントを
      ありがとうございます。
      はっきり言って、今まで若者の貧困に
      つ...
      nejidonさん、こんにちは。
      とても深く考えさせられるコメントを
      ありがとうございます。
      はっきり言って、今まで若者の貧困に
      ついて考えたことなどありませんでした。
      そして、貧困と高校中退がこんなにも
      深く連鎖していることにも気づかずに
      いました。と、言うかnejidonさんの
      おっしゃる通り「大人の無関心」だった
      と思います。
      本を読むことで知識を得ることは
      できますが、そこから先、
      そのことについて自分はどうするか、
      社会はどうなればいいのかなど考え、
      実行していくことは、
      人が動くことでしか出来ません。
      まずは大人が無関心を改め
      踏み出さなければならないですよね。
      わたしも反省しながら、
      自分が出来ることをやってみようと
      思いました。
      nejidonさんは、フリースクールでの
      お話会を通して子どもたちに向き合い、
      自分の出来ることことを行動で示して
      おられることにとても心が熱くなりました。
      きっと、子どもたちに
      思うように伝わらないことや、
      彼らの態度にじれったく思われる時も
      あるのではないでしょうか。
      けれど、子どもたちの目の輝きに
      出会える一瞬があるからこそ
      続けることが出来るのでしょうね。
      きっとnejidonさんの
      「応援しているよ」のメッセージは、
      子どもたち一人ひとりの心の中に
      必ず届くはず、ちゃんと届いていると
      思います。
      2018/05/29
  • 今回の本はドキュメント

    僕は今週から学習ボランティアに参加させていただいてます。
    「経済格差」を「教育格差」にしない
    というライフワークに向けてようやく1歩目を踏み出したところです。

    いろいろと本を読んで知る中で一番感じるのは「親の格差」です。
    本書では経済的問題のみならず「文化資源のなさ」「心理的孤立」が大きな問題としてあげられています。
    いわゆる昔は経済的には困窮していても文化的、精神的に高尚な家庭はたくさんありました。
    僕の友人でも奨学金を受けながら大成した子もたくさんいます。
    しかし今は経済格差が全ての格差の根本になりつつあります。

    本書に「親の期待格差」という言葉があります。
    親自身がすでにいろいろや意味での教育を受けていないことで自分にできないことは子供にもできないと考えてしまう。
    そして刹那的に「今が良ければいい」「自分さえ良ければいい」となってしまいます。
    親が子供に期待しないとすればどんな社会になるんやろうと思います。

    今般の虐待事件をひくまでもなく子供と男を比べて男を取るという選択は本書の中にも枚挙に暇がないところです。
    期待されないだけでなく「握っていた手を離される」絶望感は如何許りかと思います。

    僕自身これから実践していく中でいろんな子供達に出会うことと思います。
    その時に頼れる大人になりたいなぁと思います。

  • どんな親の元に生まれたとしても、すべての子どもに、良質な教育を受けられる権利がある、と私は考えていて、そういう社会に少しでも近づくよう、自分ができることをしたい、と思っているけど、想像を絶する底辺の現実に気が遠くなりつつも、この悲惨な貧困の連鎖を断ち切るのは、お金じゃない、教育だ、という思いは改めて強く感じました。微力ながら知恵をしぼりたいです。

  • 『ルポ 若者ホームレス』の、その前を読んでいるようだった。毎年、10万人近い高校生が中退しているという。そして、著者は「高校を中退した若者たちの貧困の実態を伝えること」「日本社会の低層に沈んでいる若者たちの嘆き、うめき、悲しみ、なかなか聞こえてこない助けを求める声を、彼らに代わって社会に伝えること」(p.14)がこの本の役割だという。第一部は高校中退の現実を描き、第二部ではその背景を探っている。

    「中退した若者たち」の話は、読んでてきつい。「中退したら仕事がなかった」「親しい友だちがやめると、ポロポロ続けてやめていく」「夢などない」―どれが鶏でどれが卵かわからんくらい、学力の低さ、貧しさ、暴力、生活能力のなさ、大人からの期待のなさ、そういったものが絡まりあって、中退に至っている。そして、高校中退は「人生の分岐点」になってもいる。

    ▼子どもが教育から排除されれば、その後に続く人生の可能性が奪われる。貧困は子どもたちから、学ぶこと、働くこと、人とつながること、食べるなど日常生活に関することまでも、その意欲を失わせている。彼らから話を聞いていくと、ほとんどの若者たちが、経済的な貧困にとどまらず、関係性の貧困、文化創造の貧困など生きる希望を維持できない「生の貧困」に陥っている。それが親の世代から続いている。(p.185)

    中学校からの「成績なし」や、入試の面接に欠席でも、入学できる高校。中退は、こうした"底辺校"に集中している。

    私は、同期生のほとんど全員が当然のように大学へ進む高校へ通った。自分たち自身、それぞれに将来への期待や希望があったと思う。近いところでは「こんなことが勉強できる大学へ行きたい」、先のことでは「こんな仕事をしたい」というような。そして、そうした将来は努力すれば手に入るのだという雰囲気は十二分にあったし、親や先生など周りの大人からも、その方向での期待の目があったと思う。

    進学について、遠方への仕送りはとてもできないが、国公立なら大学の学費は出してやれると親からは言われた。何もかもが選べたわけではないけれど、私には「選べる」経験があったのだと思う。そのことを、ほとんど当たり前に思っていたのだと、今はわかる。

    ▼「貧しいということは何もできないことです」「何も選べないんですよ。服も子どもの教育も、何も選べないんですよ。つらいのは子どもたちに何もしてあげられないことです。(p.133)

    そう話す久子さんは、夫の暴力やギャンブルから逃れて離婚、高校生2人と小学生1人の3人の男の子を育てるシングルマザー。夫とのトラブルと厳しい生活に精神的に病むようになり、精神科に通院中、生活保護で暮らしているが、生活はぎりぎりで、最大の悩みは子どもたちの教育費。

    自分が勤めて稼ぐようになって、あらためて教育費の負担の大きさを感じるようになった。高校の授業料はいったん無償になったものの、義務教育もそれ以降の学校も、教科書などの教材費や行事の参加費、修学旅行の積立金など、お金はあれこれとかかる。大学の授業料は毎年のように上がって、国公立といえども私に子どもがいたらとても払えないような額になっている。

    私は、学校を終わるまでの途中で、授業料免除や貸与だけれど奨学金を受けることができて、こういう制度があればお金があまりなくても勉強できると思った。でも、その頼みの綱も、予算は限られていて、当たらないことも多くなっているというし、返済のことを考えると奨学金を借りるのも難しいという。私も学校を終わったとき、数百万の借金ができていた。

    教育費の私的負担の理屈は、「教育を受けた恩恵は、その個人が享受するから」という受益者負担なのだろうが、この理屈でつくられた教育の場では、そこにとどまる若者も、そこから排除されていく若者も、「共にこの社会を生きるどうし、この社会は自分たちのもの」という感覚は育てにくいやろうなと思う。

    『現代の貧困』では、貧困対策は貧困な人たちの権利を守るだけでなく、社会統合や連帯という面を持っている、と強調していた。それは、貧困と富裕、下流と上流といった社会の分裂を防ぎ、同じ社会に生きる人と人とがつながって「私たちの社会」を築いていく際の、もっとも大切な基礎となるもの。

    人間は他者と共同し、共感し、互いに励まし合う資質をもつもの、教育は「将来の社会の担い手」を育てるものだと、著者はいう。『We』173号で、李国本修慈さんは「学校をつくりたい」と話していた。「誰にも等しくある存在価値を認める文化や思想」を軸にすえたその学校構想のことを、この『高校中退』のドキュメントを読みながら思った。

  • 高校中退後の若者が社会とのつながりをなくし、貧困に陥ることに焦点を当てている。問題提起として示唆に富む書。教育と福祉が手を結ぶことの重要性を指摘している点も興味深い。単語の用法の不統一(DV、虐待の定義など)、文体の不一致等が気になったが、これは編集側の仕事か。

    近年、貧困をはじめとする子どもと家族をめぐる問題が社会的な関心を集めつつあるのは望ましいことと思う。けれども、対人援助専門職がそれぞれに「ここぞわれらの出番!」と主張して、一種の縄張り争いの様相を呈してきている感が否めない。このようなことは本末転倒で、あってはならないことと心得て、子どもや家族の困難を軽減するために、隣接領域の専門職がうまく手を取り合っていく方向性に目を向けなければならないと思う。自分の研究においても、福祉領域の固有性を、他の領域と手を組むことでより効果的に発揮できるような方法を考えていきたい。

  • 小学校低学年レベルの学力のまま放置され、掛け算の「九九」が言えないどころか数字の1から100までが数えられない、あるいはアルファベットすら書けず英語を学ぶなど夢物語の高校生...。全国の高校中退数は2001年に10万人を切り、最近では年間5万人台で推移しているものの、また不登校者もほぼ同数の規模となっている。「勉強が分からない」というだけでなく、「経済的事情」・「親による育児放棄」・「学校内での人間関係」などその理由は広範囲に及んでおり、彼らは「高校中退」の肩書きで社会の底辺を生きて行くことになる。元高校教諭で、若者の貧困や自立支援問題を研究する著者が、渦中の高校生たちと向き合いその実態をレポート。高校生の貧困は単なる教育問題に留まらないとし、社会福祉による支援の必要性を訴える。

  •  先日読んだ夜間高校のルポ『若者たち』の類書といえる1冊。高校を中退していった若者たちの姿を追い、そこから日本の貧困問題を浮き彫りにしたものである。

     『若者たち』に比べると、かなり評論寄り。聞き取り調査でつかんだ事実とそれをふまえた論評・分析が、おおむね半々の割合になっているのだ。

     開巻劈頭の一行にいきなり「高校中退者のほとんどは日本社会の最下層で生きる若者たちである」とあり、「そこまで言い切るか」と驚く。だが、通読すればこの言葉に誇張がないことがわかる。
     たとえば――。

    《中退していく生徒の親の多くは子どもの退学をあまり引きとめない。私の聞き取り調査でも、多くの親から「どうせやめるなら、早くやめてほしい」という言葉がよく聞かれたのは、この「すべて公立」という最も安上がりのコースでさえ、(年収)四○○万円以下世帯の親にとっては、負担し続けることがむずかしくなっているからだ。》

    《高校を中退した生徒は、小学校低学年程度の学力にとどまっていることが多く、小学二年生で学んだはずの算数の九九ができない生徒、アルファベットが書けない生徒はめずらしくない。》
      
     「中退した若者たちの親もまた貧困の中で育ってきた。日本の貧困は特定の階層に固定化している」と著者がいうとおり、「格差社会」が流行語になるはるか以前から、日本はもうとっくに格差社会なのである。

     登場する中退者の多くが「この先どうなってしまうのだろう」と不安になる暮らしぶりだが、ただ1人、居酒屋の店長として立派に働いている「哲」という若者の事例のみが、明るい希望を感じさせる。
     では、「哲」はほかの中退者とどこが違ったのか? 著者は、「子どもがより良く育ってほしいと願う親と彼を支える兄たちの存在」「身近に生徒に寄り添っていこうとする教師がいたこと」の2つを要因として挙げる。
     親から子への貧困の連鎖――それを断ち切るには、周囲の「経済的レベルだけではないサポート」と学ぶ意欲を育む環境が不可欠なのである。

     本書は、高校中退者たちを通して日本の教育の底辺を見つめてきた著者が、独自の視点から展開した教育論、教育改革論としても読みごたえがある。
     印象に残った一節を引こう。

    《中等教育の役割は、社会に安定した中間層を形成することだったが、現在の新自由主義化した教育政策は、逆に中間層の解体を進め、貧困層を拡大している。「教育は国家にとって安くつく防衛手段」といったのは、一八世紀のイギリスの政治家エドモンド・バークだが、いまの大阪府では子どもたちの貧困は主要な政策課題になっていない。社会全体で救われ、守られた子どもたちは将来、社会のために働き、尽くす大人に必ず育つ。教育とはそれを信じることによって成立する人間の営為である。》

     終章には、子どもたちを貧困の連鎖から救うための改革案も提示されている。

  • ある程度想像していたが、これほどひどいとは思っていなかった。99ができない高校生、親からも学校からも社会からも愛されたことがない若者は、学校からこぼれ落ち、社会からも外れていく。こうした若者が毎年10パーセント以上生まれている。このまま続けば、社会が崩壊するのは時間の問題。社会不安の原因もこういう人たちになるのだろう。こういう人たちが社会不安の原因から、社会の担い手へ生まれ変わっていかない限り、日本の未来はないと強く感じた。解決市内限り、世界の三流国以下だろう。少数の金持ちだけが、無駄に金を持つ、世界のどこかの国と同じになってしまう。解決には絶望に近い感じがあるが、社会として、政府として、所得の再分配をこういう層に振り向けていく必要を強く感じた。ただし、子供手当のようなお金ではなく、バウチャーのような子供に必ず渡る形の政策が必要だろう。高校無償化も一つの手段と思う。



  • mmsn01-

    【要約】


    【ノート】
    ・新書がベスト

  • 貧困と底学力。相関はあると思ってはいましたが、実際のデータやレポートをみると想像を絶していました。衝撃です。

    最初、「この日本で、掛け算の出来ない高校生って・・・。」と、思っていましたが、「学ぶべき意欲」を一切踏みにじられて育てられた子どもに、すべての責任を押し付けていいのか?

    そして、その負の連鎖が続いていくのです。実際の高校中退者は8%を越えているという現実。もう「貧乏人の子沢山」とか「やる気の問題」だと言ってられません。

    この国のあり方を本当に考えなおさないといけないと感じました。

    バラマキだと感じていた高校無料化には、こういう側面もあったんですねぇ。民主党のやり方には、いまでも反対ではあるんですが・・・。

    今、すべての日本人が読み、本当に議論しないといけない本ではないでしょうか。

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著者プロフィール

元埼玉県立高校教諭。現在、NPO法人さいたまユースサポートネット代表、全国子どもの貧困・教育支援団体協議会代表幹事、明治大学講師。「子ども・家庭・学校」に関するコラムを朝日新聞に「まなぶ」「はぐくむ」シリーズで5年にわたって連載している。
主な著作 『日の丸・君が代と子どもたち』(岩波書店)、『ドキュメント高校中退』(筑摩書房)、『若者の貧困・居場所・セカンドチャンス』(編著、太郎次郎社エディタス)、『ここまで進んだ!格差と貧困』(共著、新日本出版社)、『続・移行支援としての高校教育』(共著、福村出版)

「2018年 『前川喜平 教育のなかのマイノリティを語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

青砥恭の作品

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