現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480065353

作品紹介・あらすじ

日本実業界の父が、生涯を通じて貫いた経営哲学とはなにか。「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した『論語と算盤』は、すべての日本人が帰るべき原点である。明治期に資本主義の本質を見抜き、約四百七十社もの会社設立を成功させた彼の言葉は、指針の失われた現代にこそ響く。経営、労働、人材育成の核心をつく経営哲学は色あせず、未来を生きる知恵に満ちている。

感想・レビュー・書評

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  • 言わずと知れた近代日本の設計者の一人、渋沢栄一。
    設立に関わった会社は日本興業銀行、王子製紙、清水建設、東京海上火災、新日鉄など実に481社。早稲田大学や日本女子大学などの教育機関の設立や養育院など500以上の慈善事業の運営にも関与した。

    渋沢栄一は、日本の資本主義や実業の制度を設計した人物だったが、一方でその内包する問題点を見抜き、暴走に歯止めをかける仕組みが必要だとも考えていた。
    その手段を「論語」に求めた。

    論語(道徳)とそろばん(利益を追求する経済活動)は必ず一致するものであり、なるべくくっつくように努める必要がある、と考えていた。

    そんな渋沢栄一の講演の口述をまとめた本書。わかりやすい現代語訳。日本のビジネスマンは読んどいた方がいい。

    ところで、渋沢栄一さん、信じられないくらい働きぶりが猛烈だけど、女性関係もすごかったらしいですね…ほんと尊敬します。

    • naonaonao16gさん
      え、20人の婚外子…?
      できる男はモテるってやつですかね、、
      え、20人の婚外子…?
      できる男はモテるってやつですかね、、
      2023/02/28
    • たけさん
      naonaoさん

      できる男はモテますよねー

      渋沢さん、めちゃくちゃ忙しくてさぞかし充実した人生だったんだろうな、と。
      そりゃ、紙幣になっ...
      naonaoさん

      できる男はモテますよねー

      渋沢さん、めちゃくちゃ忙しくてさぞかし充実した人生だったんだろうな、と。
      そりゃ、紙幣になっちゃいますよね。
      2023/03/01
  • 2010年初版。60万部超のベストセラー。
    2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は渋沢栄一の生涯だったことは記憶に新しい。また、今年(2024年)7月から1万円紙幣の顔が福沢諭吉から渋沢栄一になる。

    「論語と算盤」は、幕末から昭和初期まで生き、約480社もの企業の創立・発展に貢献した、日本近代資本主義の父とも、日本実業界の父とも言われる渋沢栄一の講演の口述をまとめたもの。
    渋沢栄一は31歳頃実業で行こうと志を立てる。最初は15歳頃武士になろうとした。遅れたことを教訓にしてほしいという。しかしそれは渋沢以上の渋沢になれたのだといい、遅くはなかったと振り返っている。

    西郷隆盛に会っている。岩崎弥太郎とも会い協力することを請われるが、岩崎は富を独占しようとしたが、渋沢は大勢の人が利益を得られるようにして、国を富ませようと考えたため決裂。

    この「論語と算盤」の内容は派手ではないが、堅実な考えで、少し前の時代だが決して色褪せることなく現代にも十分通用し勉強になる。こういう内容のことが現実に大切なことなのだと実感した。渋沢を作った『論語』を重要視し、熟読することを勧めているが、私は『論語』を25年位前に1回読んだだけで理解も浅く本当に役立つのか懐疑的だったが、渋沢栄一がこれほど推すとなると、また読みたいと思うようになり手元にとってみた。ただ、この本で論語に比べて算盤の扱い方は弱い。

    下記引用少し長いですが、実績のある渋沢の考えであるということから説得力があるので、載せます。

    特に自分を磨くという考えに惹かれた。自分を磨いてさらに努力を重ねて行こうと思った。

    渋沢は1つ女性関係にだらしなく、子供が30人以上いて80歳過ぎてからの子供もいたようで、精力漲るというかエネルギッシュな感じだが、この女性への原動力が近現代日本を作る原動力になっていたのではないか。

    【以下引用】
    はじめに
    p8もともと「資本主義」や「実業」とは、自分が金持ちになりたいとか、利益を増やしたいという欲望をエンジンとして前に進んでいく面がある。しかし、そのエンジンはしばしば暴走し、大きな惨事を引き起こしていく。
    (略)
    栄一は、この『論語』の教えを、実業の世界に植え込むことによって、そのエンジンである欲望の暴走を事前に防ごうと試みたのだ。

    第1章 処世と信条
    p14わたしは常々、モノの豊かさとは、大きな欲望を抱いて経済活動を行ってやろうというくらいの気概がなければ、進展していかないものだと考えている。

    p15国の富をなす根源は、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富。
    和魂漢才
    士魂商才

    p16士魂を、書物で養うにはいろいろな本があるが、やはり『論語』が根底になる。
    商才も『論語』

    p19家康公が世間とのつきあい方に秀でていたこと、二百年余りの徳川幕府を開かれたことは、そのほとんどが『論語』の教えから来ているのである。

    p20「社会で生き抜いていこうとするならば、まず『論語』を熟読しなさい」という
    欧米各国の新しい学説は古い。すでに東洋で数千年前に言っていることと同一のもので、言い替え。

    p21わたしは、『論語』の教訓に従って商売し、経済活動をしていくことができると思い至った。

    p26人が世の中を渡っていくためには、成り行きを広く眺めつつ、気長にチャンスが来るのを待つということも、決して忘れてはならない心がけである。

    p35「人にはどうしようもない逆境」とは、立派な人間が真価を試される機会。
    その場合「自己の本文(自分に与えられた社会の中での役割分担)」だと覚悟を決めるのが唯一の策。
    p36天命に身をゆだね、腰をすえて来るべき運命を待ちながら、コツコツと挫けず勉強するのがよい。

    「人の作った逆境」とにかく自分を反省して悪い点を改めるしかない。自分から「こうしたい、ああしたい」と本気で頑張れば、だいたいはその思いの通りになるものである。

    p38「己を知る」身の丈を守ること

    p41だいたいにおいて人のわざわいの多くは、得意なときに萌してくる。

    p42「名声とは、常に困難でいきづまった日々の苦闘のなかから生まれてくる。失敗とは、得意になっている時期にその原因が生まれる」

    世の中で成功者と呼ばれる人々は、必ず、「あの困難をよくやり遂げた」「あの苦痛をよくやり抜いた」というような経験がある。これがつまり、心を引き締めて取り組んだという証拠である。

    第2章 立志と学問
    p50水戸光圀「小さなことは分別せよ。大きなことには驚くな」

    昔の言葉に「千里の道も一歩から」とある。たとえ自分は、「今よりもっと大きなことをする人間だ」と思っていても、その大きなことは微々たるものを集積したもの。どんな場合も、些細なことを軽蔑することなく、勤勉に、忠実に、誠意をこめて完全にやり遂げようとすべきなのだ。

    p51一度立てた志を途中で変えるようなことがあっては、大変な不利益を被ることになる。だから、最初に志を立てるときに、もっとも慎重に考えをめぐらす必要がある。その工夫としては、まず自分の頭を冷やし、その後に、自分の長所とするところ、短所とするところを細かく比較考察し、そのもっとも得意とするところに向かって志をやり遂げられる境遇にいるのかを深く考慮することも必要だ。たとえば、身体も強壮、頭脳も明晰なので、学問で一生を送りたいとの志を立てても、そこに経済力が伴わないと、思うようにやり遂げられないような場合もある。だから、
    「これなら、どこから見ても一生を貫いてやることができる」
    という確かな見込みが立ったところで、初めてその方針を確定するのがよい。それなのに、きちんとした考えを組み立てておかないまま、ちょっとした世間の景気に乗じて、うかうかと志を立てて、駆け出すような者も少なくない。これでは到底、最後までやり遂げられるものではないと思う。
    すでに根幹にすえる志が立ったならば、今度はその枝葉となるべき小さな志について、日々工夫することが必要である。どんな人でも、その時々に色々な物事に接して、何かの希望を抱くことがあるだろう。その希望をどうにかして実現したいという観念を抱くのも一種の志を立てることで、わたしのいう「小さな志を立てること」とは、つまりこのことなのだ。

    p55志を立てる要は、よくおのれを知り、身のほどを考え、それに応じてふさわしい方針を決定する以外にないのである。誰もがその塩梅を計って進むように心がけるならば、人生の行路において、問題の起こるはずは万に一つもないと信じている。

    第3章 常識と習慣
    p65,66常識とは、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に外ならない。

    知恵がいかに人生に大切か

    p75「志」の方がいかに真面目で、良心的かつ思いやりにあふれていても、その「振舞い」が鈍くさかったり、わがまま勝手であれば、手の施しようがない。

    p76「志」が多少曲がっていたとしても、その振舞いが機敏で忠実、人から信用されるものであれば、その人は成功する。

    第4章 仁義と富貴
    第5章 理想と迷信
    第6章 人格と修養
    p136「人の一生は、重い荷物を背負って、遠い道のりを歩んでいくようなもの、急いではならない。」

    p138決して極端に走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志を持って進んでいくことを、心より希望する。言葉を換えれば、現代において自分を磨くこととは、現実のなかでの努力と勤勉によって、知恵と道徳を完璧にしていくことなのだ。つまり、精神面の鍛錬に力を入れつつ、知識や見識を磨きあげていくわけだ。

    p140『大学』という古典にある、
    「格物致知―モノの本質を掴んで理解する」
    という教えや、王陽明という思想家の説いた、
    「致良知―心の素の正しさを発揮する」
    といった考え方は、すべて自分を磨くことを意味している。

    p141自分を磨けば磨くほど、その人は何かを判断するさいに善悪がはっきりわかるようになる、だから、選択肢に迷うことなく、ごく自然に決断できるようになるのである。

    p143昨今では、国を豊かにしようとするよりも自分を豊かにする方に重きを置こうとするくらいだ。もちろん、自分が豊かになることが大切なのはいうまでもない。

    p144社会に生きる人々の気持ちが利益重視の方向に流れるようになったのは、およそ世間一般から人格を磨くことが失われてしまったからではないだろうか。
    もしかりに国民の頼りとするべき道徳の規範が確立し、人々がこれを信じながら社会のなかで自立したとしよう。そうすれば、人格はおのずから磨かれるようになる。その結果、社会のことを考えるのが大きな流れとなり、自分の利益だけを追求すればよしといった風潮はなくなるであろう。
    だからわたしは、青年に対してひたすら人格を磨くことを勧めるのだ。

    第7章 算盤と権利
    p155個人の豊かさとは、すなわち国家の豊かさだ。個人が豊かになりたいと思わないで、どうして国が豊かになっていくだろう。国家を豊かにし、自分も地位や名誉を手に入れたいと思うから、人々は日夜努力するのだ。その結果として貧富の格差が生まれるのなら、それは自然の成り行きであって、人間社会の逃れられない宿命と考え、あきらめるより外にない。

    p157そもそも何かを一所懸命やるためには、競うことが必要になってくる。競うからこそ励みも生まれてくる。いわゆる「競争」とは、勉強や進歩の母。

    p164わたしは、『論語』を商売するうえでの「バイブル」として、孔子の教えた道以外には一歩も外に出ないように努力してきた。

    第8章 実業と士道
    p169もし社会で身を立てようと志すなら、どんな職業においても、身分など気にせずに、最後まで自力を貫いて、人としての道から少しも背かないように気持ちを集中させることだ。

    第9章 教育と情誼
    p192要するに、青年はよい師匠に接して、自分を磨いていかなければならない。昔の学問と今の学問とを比較してみると、昔は心の学問ばかりだった。一方、今は知識を身につけることばかりに力を注いでいる。また、昔は読む書籍がどれも「自分の心を磨くこと」を説いていた。だから、自然とこれを実践するようになったのである。さらに自分を磨いたら、家族をまとめ、国をまとめ、天下を安定させる役割を担うという、人の踏むべき道の意味を教えたものだった。

    p193昔の青年は自然と自分を磨いていったし、常に天下国家のことを心配していた。また、かざりけがなく真面目で恥を知り、信用や正義を重んじるという気風が盛んだった。
    これに対して、今の教育は知識を身につけることを重視した結果、すでに小学校の時代から多くの学科を学び、さらに中学や大学に進んでますますたくさんの知識を積むようになった。ところが精神を磨くことをなおざりにして、心の学問に力を尽くさないから、品性の面で青年たちに問題が出るようになってしまった。
    そもそも現代の青年は、学問を修める目的を間違っている。『論語』にも
    「昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。今の人間は、名前を売るために学問をする」
    という嘆きが収録されている。これはそのまま今の時代に当てはまるものだ。今の青年は、ただ学問のための学問をしている。初めから「これだ」という目的がなく、何となく学問をした結果、実際に社会に出てから、
    「自分は何のために学問してきたのだろう」
    というような疑問に襲われる青年が少なくない。
    「学問をすれば誰でもみな偉い人物になれる」
    という一種の迷信のために、自分の境遇や生活の状態も顧みず、分不相応の学問をしてしまう。その結果、後悔するようなことになるのだ。
    だからこそ、ごく一般の青年であれば、小学校を卒業したら自分の経済力に応じて、それぞれの専門教育に飛び込み、実際に役立つ技術を習得すべきなのだ。また、高等教育を受ける者でも、中学時代に、
    「将来は、どのような専門学科を修めるべきなのか」
    という確かな目的を決めておくことが必要になってくる。
    底の浅い虚栄心のために、学問を修める方法を間違ってしまうと、その青年自身の身の振り方を誤ってしまうだけでなく、国家の活力衰退を招くもとになってしまうのである。

    p202同時に、教育の方針もやや意義を取り違えてしまったところがある。むやみに詰め込む知識教育でよしとしているから、似たりよったりの人材ばかり生まれるようになったのだ。しかし精神を磨くことをなおざりにした結果、人に頭を下げることを学ぶ機会がない、という大きな問題が生じてしまった。つまり、いたずらに気位ばかり高くなってしまったのだ。このようであれば、人材が余ってしまう現象もむしろ当然のことではないだろうか。 いまさら寺子屋時代の教育を例にひいて論ずるわけではないが、人材育成の点は不完全ながらも昔の方がうまくいっていた。今に比較すれば教育の方法などはきわめて簡単なもので、教科書もレベルが高いもので四書五経や八大家文くらいがせいぜいだった。ところがそれによって育成された人材は、けっして似たりよったりではなかったのだ。それはもちろん、教育の方針がまったく異なっていたのだ。学生はおのおの得意とする所に向かって進むので、十人十色の人材に育っていった。

    p203、204対して今日、同じ教育を受けた以上、自分にもできると考えるようになる。下積みを避ける。並み以上の人材があり余る。今日のような結果を生む教育はあまり完全ではない。

    第10章 成敗と運命
    p206みなさんそれぞれが、自分の仕事のなかに大いなる楽しみと喜びを持つようにするべきなのだ。

    p219誠実にひたすら努力し、自分の運命を開いていくのがよい。もしそれで失敗したら、「自分の智力が及ばなかったため」とあきらめることだ。逆に成功したなら「知恵がうまく活かせた」と思えばよい。

    たとえ失敗してもあくまで勉強を続けていけば、いつかまた、幸運に恵まれるときがくる。

    p220成功や失敗といった価値観から抜け出し超然と自立し、正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、成功や失敗などとはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる。成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスにすぎない以上、気にする必要などまったくないのである。

    p223十の格言
    8言葉で、多くのことをいわない。しかし、いったことは徹底的に努力すべきだ。『大載礼記』
    9声は、どんなに小さくても聞こえてしまう。行いは、隠していてもやがて明らかになってしまう。『説苑』
    10志や意志がかたければ、相手が金持ちや権力者でも屈することはない。道義心が重ければ、相手が王様や貴族でも動ずることはない。『荀子』

  • 【感想】
    いつまでも色褪せる事がない渋沢栄一の名著。
    執筆したのは100年ほど前のはずなのに、今でも活きているこの内容は、いわば人間の本質なんだろう。
    (それを言えば、孔子の「論語」の方が更に素晴らしいが。)

    エネルギッシュ、バイタリティ満々で仕事に臨む事は前提として、仕事をする上で人としてのルールをしっかりと遵守しようというのがこの本の命題だと思う。
    目先の利益や金儲けだけでなく、健全な精神を持って仕事をしていくということがやはり大切ですな。

    人を出し抜く事無く正々堂々と商売をし、裏表をなくして誠実に対応し、その正義を貫く為には諍いや周りとの接触も厭わない。
    これこそが目指すべき企業人なのでしょう。
    とにかく、「マクロな視点で人生を見る」という使命はとても大切で、自分自身これから実践していかないとだめだな!!


    また、下記の【内容まとめ】にも書いていたが、徳川家の家訓は本当に素晴らしい

    「不自由なのが当たり前だと思っていれば、足りない事などない。」
    「耐え忍ぶことこそ、無事に長らえるための基本である。」
    「怒りは自分にとって敵だと思わなければならない。」
    「勝つことばかりを知っていて、うまく負ける事を知らなければ、そのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ。」
    「自分を責めて、他人を責めるな。」
    「足りない方が、やりすぎよりまだマシなのだ。」

    うーん。これは捉え様にもよるが、是非頭の中に入れておきたいな。
    人生を、目先ではなくマクロの視点で捕らえているところ、真似しないといけない。


    渋沢栄一の晩年エピソードもとても面白かった。
    こんなエネルギッシュな人生は、さぞかしご本人も満足だったのだろうなぁ。


    【内容まとめ】
    1.「論語」と「ソロバン」はかけ離れているようでとても近いもの。
     国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富である。

    2.徳川家康の教え
     ・「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」
     ・「不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし」
     ・「勝つことばかりを知りて、負くることを知らざれば、害その身に至る」

    3.どんなに些細な仕事でも、大きな仕事の小さな一部。大きなことは、微々たるものを集積したもの。
     どんな場合でも、些細なことを軽蔑することなく、勤勉・忠実・誠意を込めて完全にやり遂げようとすべき!

    4.・「立派な人間の争いであれ」。争いを避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に負けてしまうことになり、正義が行われないようになってしまう。

    5.知識がどんなにあっても、これを活用しなければ何の役にも立たない。
     勉強したことを実践に結びつけることだ。

    6.論語の一節「高い道徳を持った人間は、自分が立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる。」


    【引用】
    論語と算盤

    「論語」と「ソロバン」はかけ離れているようでとても近いもの。
    実業とは、多くの人にモノが行き渡るようにする生業なのだ。
    国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。
    そうでなければ、その富は完全に永続する事ができない。


    p19
    徳川家康
    「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」
    「自分に打ち克って、社会秩序に従う」
    「不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし」
    「勝つことばかりを知りて、負くることを知らざれば、害その身に至る」

    論語は欠点の少ない教訓。
    この「論語」を用いて商売はできないか?


    p47
    精神の向上を、富の増大とともに進める事が必要である。


    p48
    人材登用のお膳立てをして我々は待っているのだが、この用意を食べるかどうかは箸を取る人の気持ち次第。
    かの木下藤吉郎は、賤しい身分から身を起こして、関白という大きなご馳走を食べた。
    けれども彼は、織田信長に養ってもらったのではない。
    自分で箸を取って食べたのである。
    「何かひとつ仕事をしてやろう」とする者は、自分で箸を取らなければダメなのだ。

    先輩が不利益にあえてするのは、大きな理由がある。
    青年は、まずはただその与えられた仕事に集中しなければならない。
    与えられた仕事に対して不平をならして口にしてしまう、「つまらない仕事だ」と軽蔑して力を入れないのはダメだ!

    どんなに些細な仕事でも、大きな仕事の小さな一部。
    これが満足にできないと、ついに全体のケジメがつかなくなってしまう。

    大きなことは、微々たるものを集積したもの。
    どんな場合でも、些細なことを軽蔑することなく、勤勉・忠実・誠意を込めて完全にやり遂げようとすべき!


    p51
    ・大きな志と、小さな志との調和
    世の中に大きな変化がなくなってきた今日では、一度立てた志を途中で変えると大変な不利益を被ることになる。
    最初に志を立てる時に、最も慎重に考えをめぐらす必要がある。
    自分の頭を冷やし、自分の長所や短所を細かく比較考察し、最も得意とするところに向かって志を定めるのがいい。

    「これなら、どこから見ても一生を貫いてやることができる」
    そんな確かな見込みを立てたところで、初めてその方針を確定するのが良い。

    根幹にすえる志を立て、今度はその枝葉となるべき小さな志について日々工夫すること。

    志を立てる要は、よく己を知り、身の程を考え、それに応じてふさわしい方針を決定する以外にないのである。


    p55
    ・立派な人間の争いであれ
    何があっても争いを避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に負けてしまうことになり、正義が行われないようになってしまう。


    p68
    常識とは、「智・情・意」
    智恵、情愛、意志。
    強い意志の上に、聡明な知恵を持ち、これを情愛で緩和する。
    3つをバランスよく配合して大きく成長させていってこそ、初めて完全な常識となる。


    p73
    習慣というものは、特に少年時代が大切であろうと思う。
    一度習慣となったら、それは身に染み付いたものとして終世変わることがない。
    幼少の頃から青年期までは、最も習慣が身につきやすい。
    だからこそ、この時期を逃さず良い習慣を身につけ、それを個性にまで高めたいものである。

    とは言え、習慣はたとえ老人になってもやはり重視しなければならないと考える。
    青年時代に身につけた悪い習慣でさえ、老後の今日になって、努力すれば改められるものなのだ。
    「自分に克つ!」という心を持って身を引き締めていかなければならない。


    p78
    ・人生は努力にある
    怠けた結果はやはり怠ける事であり、それがますます甚だしくなるのがオチ。
    人は良い習慣を身につけなければならない。
    つまり、勤勉や努力の習慣が必要なのだ。

    自制を知り、より良い選択や決断をするためには、知識を積む事、つまり学問を修める必要がある。
    ただ、知識がどんなにあっても、これを活用しなければ何の役にも立たない。
    勉強したことを実践に結びつけることだ。

    「口ばかりで、実践できないものはダメ」
    机に座って読書するだけを学問だと思うのは全く間違っている。
    勉強を続けることと同時に、生活の中から学ぶ心がけを失わないようにすること。


    p96
    論語
    「高い道徳を持った人間は、自分が立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる。」


    p102
    お金とは大切にすべきものであり、同時に軽蔑すべきものでもある。
    ではどうすれば大切にすべきものとなるのか?
    それを決めるのは、すべて所有者の人格によるのである。

    お金に対して、無駄に使うのは戒めなければならない。
    しかし同時に、ケチになることも注意しなければならない。
    よく集めることを知って、よく使うことを知らないと、最後には守銭奴になってしまう。


    p126
    「人は棺を蓋うて後、論定まる。」


    p136
    ・家康の遺訓??
    不自由なのが当たり前だと思っていれば、足りない事などない。
    耐え忍ぶことこそ、無事に長らえるための基本である。
    怒りは自分にとって敵だと思わなければならない。
    勝つことばかりを知っていて、うまく負ける事を知らなければ、そのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ。
    自分を責めて、他人を責めるな。
    足りない方が、やりすぎよりまだマシなのだ。


    p165
    ?武士道の最も重要な部分?
    「正義」みなが認めた正しさ
    「廉直」心が綺麗で真っ直ぐなこと
    「義侠」弱きを助ける心意気
    「敢為」困難に負けない意志
    「礼譲」礼儀と譲り合い


    p213
    要するに、悪い人間はいくら教えても聞いてくれないものなのだ。
    一方、よい人間は教えなくても自分でどうすればよいのかわかっていて、自然と運命をつくりだしていく。
    厳正な意味からいけば、この世の中には順境も逆境もないということになる。


    p214
    ・細心にして大胆であれ
    軽はずみな行動はどんな場合でも慎むべきだが、あまりにリスクばかり気にすると決断が浮いてなくなり弱気一辺倒に流れがちになる。

    もちろん細心で周到な努力は必要、だがその一方で大胆な気力も発揮しなければならない。
    細心さと大胆さの両面を兼ね備え、撥剌とした活動を行う事で、大事業は成し遂げる事ができる。


    p219
    ・家康と秀吉
    とにかく人は誠実にひたすら努力し、自分の運命を開いて行くのがよい。
    もしそれで失敗したら、「自分の智力が及ばなかったため」と諦める事だ。
    逆に成功したなら「知恵がうまく活かせた」と思えばよい。

    成功したにしろ失敗したにしろ、お天道様からくだされた運命に任せていればよいのだ。
    たとえ失敗しても、あくまで勉強を続けていれば、いつかはまた幸運に恵まれる時がくる。

    成功や失敗の善し悪しを議論するよりも、まずは誠実に努力することだ。


    p234
    とにかく唖然とする程のエネルギッシュさで、日本の資本主義や社会的な基盤を作り上げていった。
    この実践の大いなる原動力が、彼の私心のなさだった。

    栄一は、自分一人が富を独占するつもりは毛頭ない。
    色々な事業を起こして大勢の人が利益を受けるのと同時に、国全体を富ましてゆきたい。


    p238
    「婦人関係以外は、一生を顧みて俯仰天地に恥じない。」
    最初の妻・千代を43歳の時になくすと、後妻として兼子と結婚し4男3女をもうけている。
    また妾も数多く持ち、子どもは30人以上いた。
    最後に子どもをもうけたのは齢八十をゆうに超えてから。

  • 論語と算盤。

    まず、変なタイトルって思いますが、なるほど!ってなる。

    そして渋沢栄一と言う人が凄い。
    天保11年から昭和6年まで生きた実業家で、江戸時代末期の尊王攘夷からの徳川慶喜に仕える幕臣になってからのパリ万博に行って資本主義見てからの、帰ってきたら幕府滅んでて、じゃあ、事業はじめるかって株式会社の基礎作って、明治維新の中で大蔵省にヘッドハンティングされてからの、合わねー、って飛び出して株式会社やら病院・大学までいっぱい作ってしまう。どんな人生なんですか?ってなります。

    この経歴の人が晩年に書いた本。

    これだけ事業成功させたら、相当成金でしょう、となるところが、古典である論語が出てきて、その思想のもと、何よりも国のためを思って行動し、日本の経済的成長に大きく貢献する。

    時系列が凄い。

    お金儲けが卑しいの社会的背景を、論語と算盤の思想で変革し、そしてその思想を貫いた。

    視観察、察が深い。
    外観や動機だけでなく、どんな感情が動いているかまで人を見る。

    常識と習慣。
    知情意を理解して、それを習慣化する。
    どれかが欠ければ、仕事に支障が出る。

    正しく稼いで、広く国の為にお金を使う。
    道徳と経済を強く結びつけた発想が凄い。

  • 渋沢栄一の考え方は今の時代にも通用する考えが多いにある。その伝えていることは、誠実にひたすら努力することや、人としての処世術がやはりベースにあるということだった。研鑽を積む上でこのベースを忘れてはいけないと改めて振り返ることができた。
    渋沢栄一のことを深く知りたいと思った。

  • 言わずとも知れた名著。
    今更ながらではあるが、読んでみた。

    日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、明治維新後に500社もの会社設立に携わり、その多くは現在も大企業として存続している。さらに慈善事業や日米摩擦の解消にも注力した。まさしく偉人である。

    本書は、そんな渋沢栄一が記した人生論・仕事論を現代語訳したものである。
    彼が最も大切にしたのは、「ソロバンと『論語』というかけ離れた二つのものをかけ合わせる」ことだった。これが本書のタイトルにも由来する。
    ソロバンとは経済活動、『論語』とは古来より日本人が受け継いできた道徳の精神を指す。
    つまり、渋沢栄一は日本の近代化のために資本主義を加速させることに力を注いだが、その時点で資本主義が本質的に持つ危険性に気付き、故にその暴走のブレーキを組み込むべきと考えていたのだ。

    渋沢のこの考えは現実のものとなった。
    現在の資本主義は着地点を見失い、経済格差を加速させて、人権問題・環境問題を引き起こしている。それでもなお、膨張を続けている。だれの目にも限界を迎えていることは明らかなのに、止められない。
    この現況に代替案を突きつける議論も少しずつ増えてきている。日本では斎藤幸平などの「脱成長コミュニズム論」がこれに該当する。
    それでもまだ資本主義の暴走を食い止めるにはパワーが足りない。だからこそ、渋沢栄一の出した解決策にいちど立ち返ってみることが重要だと思った。

    他の領域・問題への考え方も非常に先進的かつ合理的で面白かった。
    特に「貧しい人々を救うことは、人道と経済と政治という側面から処理しなければならない。
    とはいえ、貧しくなってから直接保護していくよりも、むしろ貧しさを防ぐ方策を講じるべきだ。」という考え方は、今の日本の行き過ぎた弱者救済・社会保障を是正するためのコアとなるものだと考える。

    偉人だからといって、全ての人に再現性があり合理的だとは思わない。しかし、本書は内容が濃く、合理的で参考になる。
    『論語』も読んでみたいと思う。

  • 人生訓を得ようとして読むより、大河ドラマ「青天を衝け」の栄一の行動は、こんな信念からきていたのか…という角度からみるための本、かもしれない。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    実業家・渋沢栄一の著書「論語と算盤」の内容から重要部分を選び、現代語訳した1冊。
    渋沢栄一の人生を概要だけでも知ってから手に取られた方が、より読みやすくなると思います。

    人生訓的な要素もある本ですが、現代に通じるところもあれば、それはどうなのかな…というところもありました。
    (でもそれは、どんな本を読んでもだいたいがそうかもしれませんね、、、)

    というわけで、最初は人生のヒントを得られれば…という感じで手にとりましたが、どちらかというとそちらの思惑は、読み進めれば読み進めるほど薄れてしまいました。
    代わってむくむくと大きくなっていったのは、「大河ドラマ『青天を衝け』での渋沢栄一の行動は、こんな考え方から出ていたのか…」という、ドラマ副読本のような感覚でした。

    「正しいことをねじ曲げようとする者、信じることを踏みつけにしようとする者とは、何があってもこれと争わなければならない。」(26ページ)

    こうした部分を読むと、ドラマでの栄一の、どこまでも荒々しく突き進んでいた姿の土台には、こんな考えがあってのことなのか…と、栄一の行動が、よりリアリティをもって感じられました。
    よくある渋沢栄一の人生概要は外側からみた栄一をまとめたものですが、この「論語と算盤」は栄一本人の考えの一部がわかる本なので、渋沢栄一を内側から見るような感覚になりました。

    ただ、読んでいると中だるみのように見えるところもあり、読みこむまでには至らず☆☆2つとさせていただきました。

  • 現代語訳なので読みやすいが、大実業家の言葉の重み的なものを感じ難く、痛し痒しか。
    大河ドラマでも登場した、インチキ祈祷師に祟りの元となった事件が起きた時の元号を言わせてとっちめる場面を得意げに語るところとか、微笑ましい。
    明治大正の人はやっぱり中国の古典に精通してるんだなあ。

  • 発言集という趣で、ところどころ光る名言があるものの、渋沢栄一の生き様をして学ぼうとするにはこの本では物足りないところがあり、そこは城山三郎の雄気堂々に譲るしかないかなというところ。

    以下、読書メモ。

    ・人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし

    ・小さなことは分別せよ。大きなことには驚くな。

    ・大きな志と小さな志を調和させる

    ・人間はいかに人格が円満でも、どこかに角がなければならない

    ・年齢に関係なくこれだけは譲れないというところがぜひあって欲しい

    ・過ぎたるはなお及ばざるがごとし

    ・人は富を手にすればするほど、社会から助けてもらっていることになる

    ・高い道徳を持った人間は、自分が立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる

    ・お金を大切にして、良い事柄に使っていく-よく集めて、よく使う。

    ・理解することは、愛好することの深さに及ばない。愛好することは、楽しむ境地の深さに及ばない

    ・忠信孝弟

    ・資本家と労働者の思いやりの道

    ・善意の競争と悪意の競争

    ・信用こそすべてのもと。わずか一つの信用も、その力は全てに匹敵する

    ・とにかく人は、誠実にひたすら努力し、自分の運命を開いていくのがよい。もしそれで失敗したら、「自分の智力が及ばなかったため」とあきらめることだ。たとえ失敗してもあくまで勉強を続けていれば、いつかまた、幸運に恵まれるときがくる。

    ・正しい行為の道筋は、天にある日や月のように、いつでも輝いていね少しも陰ることがない。だから、正しい行為の道筋に沿って物事を行う者は必ず栄えるし、それに逆らって物事を行う者は必ず滅んでしまう。

  • 大河ドラマみとけばよかった

    実業家で約480社もの企業の創立、発展に貢献。また経済団体を組織し、商業学校を創立するなど実業界の社会的向上に努めた。埼玉県深谷の出身ということで、なんとなく名前は知っていたけど、こんな人だったなんて知らなかった。

    “お金とは大切にすべきものであり、同時に軽蔑すべきものでもある。では、どうすれば大切にすべきものとなるのか。それを決めるのは全て所有者の人格によるのである。ところが、世間は、大切にすると言う意味を間違って解釈し、ひたすらケチに徹してしまう人がいる。これは本当に注意すべきことだ”

    “自分を磨けば磨くほど、その人は何かを判断する際に、善悪がはっきりわかるようになる。だから、選択肢に迷うことなく、ごく自然に決断できるようになるのである”

    “教育の方針もやや意義を取り違えてしまったところがある。むやみに、詰め込む知識教育でよしとしているから、似たり寄ったりの人材ばかり生まれるようになったのだ”

    『論語』を読んでみたくなる

    人の道とか、倫理とか道徳とか。武士道とか仁義とか、そういったものに通ずる「芯」のようなものか。

    人の心を持って、経済に貢献し、社会を向上させること。
    その心持ちのことを話している。

    この時代でも「今の若いやつはなってない。俺たちが若い頃はもっと苦労したもんだ」的なことを言っていて、しかも、「それよりもっと若いヤツの中には光るやつがたまにいる」というのまで含めて、どの時代も同じだなと思った。

    学ぶことは、何のためにしているのか。自分で考える力をつけるためだ。「どうすることが正解なのか?」ということをすぐに求めがちだけど、正解を見つけるために、あれこれ考えて、やってみて、また考えて、やってみる。そのことが正解に近づくことだし、そのこと自体が正解なんじゃないかと思う。

    “先の見えない時代に、どう生きるべきか?”

    帯にもあるが、いつの時代だって先なんか見えてないし、生きていく中で、その不安と付き合っていく力を身につけることが大事なんじゃないか。

    そんなことを考えさせられた本でした。

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著者プロフィール

渋沢栄一:1840(天保11)年2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島の豪農に生まれる。幕末はのちの将軍・徳川慶喜に仕え、家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められる。 27歳のとき、慶喜の実弟・昭武に随行し、パリの万国博覧会を見学するほか、欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることとなった。帰国後は「商法会所」を静岡に設立。その後、明治政府に招かれ、のちの大蔵省の一員として国づくりに深くかかわる。1873(明治6)年に大蔵省を辞した後は一民間経済人として活動。第一国立銀行の総監役(後に頭取)として、同行を拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れた。また、「論語と算盤」として知られる「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業にかかわった。さらに、約600の教育機関・社会公共事業の支援や民間外交に尽力。実業家のなかでは最高位となる子爵を授爵する。1931(昭和6)年11月11日、多くの人々に惜しまれながら、91歳の生涯を閉じた。

「2024年 『渋沢栄一 運命を切り拓く言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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