ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書 852)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480065575

作品紹介・あらすじ

二十世紀末に「歴史は終わった」と高笑いしたリベラル民主主義の時代はこの十年で終わったはずだった。だが彼らはいまだ危機をあおってわれわれを欺こうとしている。今こそ資本主義イデオロギーの限界と虚妄を白日の下にさらし、世界を真に変革へ導く行動原理を、まったく新しいコミュニズムを語らねばならない-。闘う思想家ジジェクが、この十年の混迷を分析。二十一世紀を生き抜くための新しい革命思想を問う。

感想・レビュー・書評

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  • 訳:栗原百代、原書名:FIRST AS TRAGEDY,THEN AS FARCE(Zizek,Slavoj)
    最初の十年の教訓◆肝心なのはイデオロギーなんだよ、まぬけ!◆資本主義的社会主義?◆ショック療法としての危機◆敵性プロパガンダの構造◆人間的な、あまりに人間的な◆資本主義の「新たな精神」◆ふたつのフェティシズムのはざまで◆コミュニズムよ、もう一度!◆コミュニズム仮説◆新時代の共有地囲い込み◆社会主義かコミュニズムか?◆「理性の公的使用」◆ハイチにて◆資本主義の例外◆アジア的価値観をもつ資本主義…ただしヨーロッパで◆利潤から超過利潤へ◆「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」

  • ラカン派マルクス主義者の哲学者、精神分析家とのことで表題にも惹かれて一読。ラカンの概念だけでなく、マルクス、カント、ヘーゲルなど、哲学的素養がなければ読み下すことは困難。資本主義はその永続のために社会主義的方法を取り込むことで生き延びる。その矛盾を打破するために社会主義ではなく共産主義が必要なのだという主張。

  • 著者・ジジェク(http://www.egs.edu/faculty/slavoj-zizek/biography/)の名を知る人は多いと思います。日本国内ではさほど多くの訳書が出版されているわけではないので、こうした新書の形で手に取りやすくなっているのは嬉しい限りです。

    実際、私自身もジジェクの名前を目にするようになったのは、ル・モンド・ディプロマティーク(http://www.diplo.jp/)や政治学関連の書籍を読む中で目にする程度でしたので、彼の立ち位置を知っていながら思想には触れていないなんともふわついた状態だったのです。そんな奇妙なふわつき感をなくそうかと手にとってみたのでした。

    一度の読了では、噛み砕けたいえず無理やり咀嚼したばかりに消化不良を起こしている状態に近いと思います。彼自身が創りだした世界を捉える比喩や言葉は難しいので、他の著作を繰り返し読み、他の書籍も読みながら世界観全体を把握しておく必要があります。一方で、議会制民主主義に感じる限界には以前から感じていたことですし、『21世紀のマルクス主義』(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1729286683&owner_id=320755)で語られていた佐々木力氏のコミュニズムとは違った捉え方もあり、冒頭に記述した世界を捉える新しい視点の必要性はより具体的に把握できたように思えます。

    アメリカ帝国主義への冷徹な批判は、グローバルな市場での活動を是とする巨大な体制につながる経済活動下で生きる私達自身に反省と自戒を求める文章であるようにも思えます。現在の私たちが資本主義を維持するために聞き、言葉する言い訳が、実は私自身がソ連邦崩壊時にソビエトに向けていた言葉と同じであることを痛烈に指摘するのは資本主義を外側から見れる人だからこその文章だと思います。

    訳文そのものに原文を訳しきれておらず、日本語に意訳していくのが困難な作業だったのではないかと察することのできる文章が多くありますので、独特の表現がダイレクトに文字になっている部分もあります。そのため、「大文字の概念」「シニフィアン」など、この本を読む前に彼の用語を知っておければより深く落とし込めると思える瞬間もあり、そのつど立ち止まりそうになりましたが、無理して走りきってしまいました。時間を置いて、2回目、3回目と反復して読みなおしていけば、より理解が深まるとも思いました。コミュニズムへの視点が前よりも開けたと感じられる本です。

  • 資料

  • 前回読んだ時は力不足だったと思います。今回、再挑戦して今日、搾取がますます超過利潤の形を取っている現実を読み取ることができました。ビル・ゲイツの例は大変わかりやすかった。なるほどと納得できました。社会が今日抱える大惨事の回避方法に、優れて先見性があるのではないかと思います。

  • J.P.デュピュイの「プロジェクトの時間」 -2011.05.10記

    過去と未来の閉じた回路である時間-未来はわれわれの過去の行為から偶然に生み出されるが、その一方で、われわれの行為のありかたは、未来への期待とその期待への反応によって決まるのである。
    「大惨事は運命として未来に組み込まれている。それは確かなことだ。だが同時に、偶発的な事故でもある。つまり、たとえ前未来においては必然に見えていても、起こるはずはなかった、ということだ。‥‥たとえば、大災害のような突出した出来事がもし起これば、それは起こるはずはなかったのに起こったのだ。にもかかわらず、起こらないうちは、その出来事は不可避なことではない。したがって、出来事が現実になること-それが起こったという事実こそが、遡及的にその必然性を生み出しているのだ。」
    もしも-偶然に-ある出来事が起こると、そのことが不可避であったように見せる、それに先立つ出来事の連鎖が生み出される。物事の根底にひそむ必然性が、様相の偶然の戯れによって現われる、というような陳腐なことではなく、これこそ‥‥偶然と必然のヘ-ゲル的弁証法なのである。この意味で、人間は運命に決定づけられていながらも、おのれ‥‥の運命を自由に選べる‥‥のだ。
    環境危機に対しても、このようにアプロ-チすべきだと、デュピュイはいう。
    大惨事の起こる可能性を「現実的」に見積もるのではなく、厳密にヘ-ゲル的な意味で<大文字の運命>として受け容れるべきである-もしも大惨事が起こったら、実際に起こるより前にそのことは決まっていたのだと言えるように。
    このように<運命>と-「もし」を阻む-自由な行為とは密接に関係している。自由とは、もっと根源的な次元において、自らの<運命>を変える自由なのだ。
    つまりこれがデュピュイの提唱する破局への対処法である。まずそれが運命であると、不可避のこととして受けとめ、そしてそこへ身を置いて、その観点から-未来から見た-過去へ遡って、今日のわれわれの行動についての事実と反する可能性-「これこれをしておいたら、いま陥っている破局は起こらなかっただろうに!」-を挿入することだ。

  • ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)
    (和書)2010年08月25日 00:03
    スラヴォイ・ジジェク 筑摩書房 2010年7月7日


    柄谷行人さんの「世界史の構造」を読んだ後だったので、ジジェクさんの言っていることを理解するのにかなり有益でした。

    予想以上に面白かったので他の著書も読んでみます。

    柄谷行人さんの「トランスクリティーク」「世界共和国へ」「世界史の構造」の再読をしてみる。

  • 社会
    哲学
    政治

  • ・選択する主体は常に、自分は何者なのかと問われ続ける。だが自分が何者であるかなど本来誰にも分からない。
    ・肝心なのはイデオロギーなんだよ、マヌケ!

  • 生存と正義は次元が異なる。
    ホントそうだよなぁ~

    2回読んだけど難しいなぁ~
    でもなんか面白いんだよな。
    ラカンさんが読みたくなった。

    Mahalo

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著者プロフィール

1949年、スロヴァニア生まれ。
リュブリアナ大学社会学研究所上級研究員、ロンドン大学バークベック校国際ディレクター。
ラカン派マルクス主義者として現代政治、哲学、精神分析、文化批評など多彩な活動をつづける。
翻訳された著書に、『終焉の時代を生きる』(国文社)、『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書)、
『パララックス・ヴュー』(作品社)、『大義を忘れるな』『暴力』(ともに青土社)、
『ロベスピエール/毛沢東』(河出文庫)など多数。

「2013年 『2011 危うく夢見た一年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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