- Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065582
作品紹介・あらすじ
古代史の一級資料「倭人伝」。邪馬台国や卑弥呼への興味から言及されることの多い文章だが、それだけの関心で読むのは、あまりにもったいない。正確な読みと想像力で見えてくるのは、対馬、奴国、狗奴国、投馬国…などの活気ある国々。開けた都市、文字の使用、機敏な外交。さらには、魏や帯方郡などの思惑と情勢。在りし日の倭の姿を生き生きとよみがえらせて、読者を古代のロマンと学問の楽しみに誘う。
感想・レビュー・書評
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森先生の邪馬台国論。
帯方郡が魏の出先機関であったことから説き起こし、倭と界を接した弁辰の国を巨済島、巨文島とし、そこから、対馬、壱岐(一支国)、松浦(末盧国)、糸島(伊都国、斯馬国)と順を追ってクニの規模や土地や風俗の倭人伝の記述を考古学からの裏づけがられる。これは臨場感があり、帯方郡からの道程が納得させられる。
伊都国が邪馬台国の都と想定しているが、奴国も大きなクニであった様子。不弥国(福岡平野の宇美川流域)までリレー式に臨場感を持っていた記述が、投馬国、邪馬台国で記述が変わる。台与の時代に晋への遣使の新しい情報(但し、不正確)が書き加えられた所為とする。この辺の説明も無理がないと思う。
邪馬台国は南の狗奴国と戦争状態であったが、魏は邪馬台国の味方という訳でもないという。狗奴国にも王があり、官に狗古智卑狗ありとされる。この後の記述は狗奴国についての記述ではないかとのこと。
魏は卑弥呼を見限り難升米(奴国の有力者?)を王と見なし黄幢を授けている。卑弥呼の「以死」はこの戦争の責任を取っての自死とする。
魏の張政の役割は邪馬台国と狗奴国を纏めることにあり、そして台与の時代に邪馬台国は東征したという仮説。
では、狗奴国(後の熊襲)も東征したのだろうか。その東征は物部の祖、饒速日のことなのか、応神・仁徳の河内王朝のことなのか。北部九州と近畿を繋ぐ道筋はまだよく見えない。更に、単なる一氏族の移動に留まらず、各地から多くの氏族が纏向に集結したのは何故なのか。
森先生の衣鉢を継ぐ志のある学者が古代日本の誕生の秘密を明らかにすることを期待しているのだが、纏向で考古学の成果があると卑弥呼だと騒ぐ輩が多く、正直暗澹とすることが多いのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
倭人という漢字の意味が分かりよかった。
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検証なしで進められている感じもありましたが、分かりやすくて整理されました。
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森先生の本は何冊か読みましたが縄文時代の研究は興味深いです。
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高名な日本史の著者が、一生の研究成果としてまとめあげた
倭人伝や邪馬台国に関する内容が
わかりやすく書かれていた。
ただ、直前にかなり強烈な三国志研究家からの指摘の本「魏志倭人伝の謎を解く」を読んでしまったので、
ミーハーな読み手としてはインパクトは薄かった。
とはいえ、邪馬台国東遷説には興味がひかれるところだ。
本筋とは関係ないが、
邪馬台国にとどまり政に関与した中国の武官が、
その後、韓や濊を鎮撫させられたのではないかという記述や、
弁辰の鉄の産地を韓・濊・倭とが協力していた維持していた節があるという記述が、
第二次世界大戦後のマッカーサーの動向や、
レアメタルをめぐる昨今の東アジア情勢を髣髴とさせて面白かった。 -
邪馬台国九州(東遷)説の泰斗による「魏志倭人伝」解読。卑弥呼在世中の247年に帯方郡から派遣され、台与の王権成立後に晋への遣使によって帰国した張政の政治的役割を重視しているのが注意を引く(森の説に従えば邪馬台国東遷=ヤマト王権の成立過程に中国王権が深く関与していることになる)。
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”倭人伝はナゼ倭国伝ではないのか” 言われてみればそうだなあ。
また、「以死」の解釈が面白かった。用例を検討してその意味を導き出すことの重要性を改めて教えられた。 -
倭人伝を読みなおす
森浩一 ちくま新書
何気なく手に取ったいわゆる邪馬台国ものである。
この邪馬台国ものは昔よく読んだ。邪馬台国ブームなんてのがあった、その頃である。
松本清張の「古代史疑」、古田武彦の「邪馬台国はなかった」邦光史郎の「邪馬台国を推理する」などが思い浮かぶな。変わった切り口だと思ったのがタイトルは忘れたが安本美典の古代史もの。推理小説を読む感覚で読んでいたが、その推理の展開については忘れてしまっている。邪馬台国ものの内容は、その国がどこにあったかが説かれ、大きくは九州説と畿内説に分かれているのである。
この本の著者、森浩一氏は考古学者である。1928年生まれというからもう82歳。西日本新聞に連載されたものをまとめたという事であるが、年齢を感じない内容だ。歳をとってもこういう頭の働きができるのだろうか俺は、と自問する。
内容はタイトルどおり、魏志倭人伝を逐語的に読み直し、それぞれのキーワードに対して考察を加えるというスタイルである。
また、60年に及ぶ考古学人生のフィールドワークあるいは現地踏査の経験を交えて倭人伝の読み直しに厚みを加えている。
新しい説が展開されるということはないのだが、例えば、松本清張の説などは古代史の学会などからは無視されていたのらしいのだがそういうところも評価できるところは評価する姿勢は好感が持てる。
この人が、歳をとって寛容になったのか、あるいはもともとそういう学問態度だったのか。
多分、むかしこの人の本、多分岩波新書とか中公新書の類だが読んだことがあるに違いない。 -
埴輪にある謎の入れ墨とか、おそらくではあっても、装飾以上の意味があるのに驚きつつ納得。
事故も多かったろうね。船旅。