キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書 887)
- 筑摩書房 (2011年2月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065919
感想・レビュー・書評
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情報の海からキュレーションする能力や必要性を学んだ。
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感想
気になったことをポッケに入れておく。いつかつまずいた時に見返せるように。そうしてできた網目は他人と違うものを掬い上げられる。 -
佐々木さんの話題の豊富さには驚くばかり。
そして、マスメディアを嫌いであることにも(笑)。
キュレーションはもちろんだが、
チェック・イン等の言葉の使い方も上手。
2011年度は、ソーシャル・メディアの使用に
チャレンジしてみようと思っている。 -
現代の潮流はわかる。
が、その先は…
ま、著者も全部見通しは立てづらいだろうけど、もう少し方向性を指し示してくれてもいいと思うけど。 -
最近よく耳にする「キュレーション」とは何かを知りたくて、また各方面から勧められ読んでみました。
バブルとか、カローラを買う時代を知らない人間ですが、いまはマスコミからだけ情報が発信される時代ではない、
情報を選べる時代なんだなと思います。
ムーブメントもマスコミでなくて別のところが起こしてるんじゃないかなあ。
綾鷹は選ばれるようになったのかなとかw -
これからのメディアのあり方を論じた一冊。全体的にはそのとおりだと思うけれど,なんか腑に落ちない部分もある。
本当に一億総キュレーションの時代が来たら,求められるのはキュレーションをキュレーションするメディアではないか。そして,それは,それでも比較的優位にあるマスメディアとなるのではないか(前は比較することすらできなかったわけで,それは佐々木さんの言うとおりなのかもしれない)。
というよりも,既存メディアは今後はキュレーションのひとつに過ぎなくなるのではないか。二項対立的にもう影響力がないんだと論じているところが保守か革新かみたいな前世代的な匂いがするのはやや残念。そもそもこの論を書籍という既存メディアで出版しているわけだし,ちょっと言い過ぎな感じがとしてもしている。
そのほか,「キュレーション」と「編集」の概念的な違いの整理が足りないところもあるのだけど,今後の姿としてとても参考になる一冊であることは間違いない。 -
コンテンツ(文学、情報、アート)は、長らくそれを流通させる媒体として、マスメディアを必要としてきた。
一本化された情報源によるコンテンツの大量消費の時代は終焉し、細分化したキュレーター達がマスメディアの代替えとなる。
キュレーションは、無数のコンテンツの中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を取捨選択、フィルタリングし、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有する事。
マスメディアの地位はブランドとして保たれていたが、現代のキュレーターは、Twitterアカウントや、Bloggerになっている。そしてそれらはブランドではなく、過去の実績で評価される。
本では触れられていなかったが、この仕組は、茶の湯における「目利き」と同じだ。
とても明快な文体で理解しやすく、また、アートの世界を、コンテンツホルダーとキュレーターに分類するのは、とても納得できる。(現代の才能は、多くの場合、ネット上のキュレーターにより発掘されている)
おそららく本文の趣旨とは関係ないのだが、序章と第一章の二人のアーティストの話がとても感動的だ。
ジャンルやパターンを突破して、その先にある、より大きな流れ(音楽なら、それをジャズとかクラッシックではなく、「サウンド」と呼称する)と、鑑賞者を直結する。
音楽も、芸術も、そして写真も、ジャンルやカテゴリーになぜこだわるのかいつも分からなかった。それが文章として説明されている事に感動した。
素晴らしい考察だが、3章でフォースクエア等のライフログ系マーケティングの話が冗長で無駄と感じた。4章のキュレーションにつなげる前降りなんだろうけど、読者層として、そこを知らない層は当てはまらないと思うので、削ってもよかったと思う。
読書にも流れがあって、流れに乗っていると、タイミングのあった一冊にであるものだけど、この本はまさにそうだった。 -
■どんな混沌にも必ず法則があり、その法則に基づいて情報は流れて行く。それを解き明かすのが本書の最終ゴールです。
■「情報を求める人が存在する場所」を本書では「ビオトープ」と呼ぶ。
■消費は「機能消費」「つながり消費」のどちらかになる(P.128)。
■コンテンツのアンビエント化とは、動画、音楽、書籍などがオープンに流動化し、いつでもどこでも手に入るかたちで漂う状態のこと。CDやダビングやらの箱や手間は消滅。消費を楽しくする知識•感覚も共有された空間が生まれる。コンテンツは流通形態だけでなく、在り方も180度変移。
■ネット空間はマスメディア広告のように完璧にコントロールされる世界ではないし、無理にしようとすれば炎上したり批判されたりするのは当然。そこが今だにわからない人が多すぎる。
■「認知」「興味」の場は、ライフログでもマスメディアでもなく、「Chech in」ではないか(P182)。◇「Check in」は「場所」「番組」「料理」「ブログのエントリ」「記事」など、情報を集めるためのブイをネットの海に差し込む行為→「●●に興味ある人が集る港に行く」感じ◇「人にChek in」とは「視座にCheck in」すること。「情報の真贋を見極めることは難しいが、信頼できる人はわかりやすく、その人の発言は信頼できる」ということ(P.206)。◇人にCheck inすることで自分ではでき得ない「ゆらぎ」が生まれるため、タコツボ化が防止できる。
■「アウトサイダー⇔インサイダー」の境界、そしてその境界を設定するキュレーションの方向性は、情報の海そのものにも適用される概念◇「自己の世界の意味的な境界」をセマンティックボーダー(清水氏)と呼ぶ。コレで人は外のノイズの海から、自分のルールにのっとっている情報だけを取り込む。これを代行するのがキュレーター。「これは今までアウトサイダーだったけど、この意味を与えればインサイダーだよ」と。◇セマンティックボーダーは、硬直しない。内側の論理によってではなく、外部の誰かによって作られるべきである◇フィードバックとフィードフォワードをまとめたホロニックループとセマンティックボーダーの組み換えがこの世界を生き抜いていく条件
■インターネットの役割は、「情報を流すこと」「人と人が繋がること」の2つ。検索は「情報に特化」した。SNSは「繋がりに特化」した。今、Facebook、twitterの肥大化により「つながり機能が情報流通と統合」しはじめている。
■生活圏や文化圏が四分五裂(価値観の微細化)していく社会でその国における普遍主義は崩壊し、一方でインターネットによってアンビエント化し、開放的になっていく文化もある◇プラットフォームがグローバルに統合され、コンテンツやキュレーター、それに影響を受けるフォロワーなどが無数の小規模モジュールとなって存在する生態系の誕生。ここでは自分の文化圏域に深く入り込むコンテンツに共感する人たちと世界中でつながる世界◇同じ国に住んでいる、でも異なる文化圏域の人より、異なる国の同じ文化圏域に属する人の方が近い世界◇コンテンツ発信にコストがかからないため、ボトルネック握る先進国・メディア・プロだけが情報を支配する構図は成立しにくい。それどころか、プラットフォーム上ではローカル情報の重要性が逆に増す可能性◇ポスト・グローバルの例。ゲルマンのシンプルなデザインが世界中で自国の民族性を体現しているように見えたこと。「魂に響くものなら、どんな文化とも共鳴し合える。本当のグローバルは画一化されて巨大化することではなく、人間の根源的な部分で会い通じることが出来るようになること」◇グローバル・プラットフォームで情報が流れるということは、多様性がそこに内包され、自立・共存・発展するローカル文化の集合体を生み出していくことになる◇プラットフォーム3定義。圧倒的な市場支配力を持つ。非常に使いやすいインタフェイス。プレーヤーの自由度の高さ◇多様性を許容するプラットフォームが確立していけば、文化は多様性を保ったまま、他の文化と融合して新たな文化を生み出すことも出来る。その世界で新たなまだ見ぬ文化は、キュレーションによって常に再発見され続けていく -
マスメディアを経由して情報をコントロールする旧来の「広告」消滅する。なんとなく理解はできる。しかし、10年後は、どのような世界になっているのだろうか?
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ネットの先行献本の形でPDFファイルで読ませていただく。
書評→
<a href=\"http://rashita.net/blog/?p=5267\">書評 「キュレーションの時代」(佐々木俊尚)</a> -
ホリエモンの推進本だったので読んでいる。
タイトルにある「キュレーション」についての前置きが長過ぎる。後半の章だけで事足りると思うが、内容が面白いので一気に読める。
ネットビジネスを考えている人には情報発信についてかなり参考になります。
溢れる情報を集めて分かりやすく提示出来る人が
利益を生む時代に。
#キュレーション #情報収集 #情報 #ネットビジネス -
著者自身の生業でもある「キュレーション」の重要性について。
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大量生産消費により機能は安価で手に入り、その先に求めるつながりや共感を充足するには、視座の提供、コンテキストの付与であるキュレーションは重要となる
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キュレーションジャーナリストは理想に近い姿か。
ビッグデータの観点までは踏み込んでいない。2010年の著書だから当然かもだが。 -
数ある情報や立ち寄りスポットの中から、参加してくれた人たちに何を選んでどう紹介するのか。そこが無数に変化することが奥トレのおもしろさかなと思ったりもしますが、この本はそんなキュレーションの必要性をわかりやすく書いてくれていると感じました。「なんでもいい」と思って紹介するのは逆にそういう自分を紹介することになってしまう。どういう視点を持ち込むか、引き出しがどのくらいあるか、その辺のレベルはあげていきたいなと思います。
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刊行されたタイミングで読んだ方がぐっと来たのかも知れないけれど、この〝キュレーション〟とやらが必要なのは今も変わらないだろう。取り上げる力というか、センスを磨けと言ってるんだろうけど、簡単なことじゃないのよね。
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