ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書 922)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480066275

作品紹介・あらすじ

フーコーは、私たちが自明視する世界のありようを、全く違ったしかたで見せる。「価値を変えろ!」と迫るその思想の核心に、どうすればたどり着けるのか?本書は、最高傑作『監獄の誕生』を糸口にフーコーの全貌に迫ることで、その思考の強靱さと魅力と、それを支える方法とを、深く広く、生き生きと描き出す。正常と異常の区分を生み出す「知」の体系と結びつき、巧妙に作用する「権力」。そうした秩序が社会の隅々にまで浸透する近現代を、フーコーはどう描き、その先に何を見定めたのか。魂を揺さぶる革命的入門書。

感想・レビュー・書評

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  • パンデミックの夜に|特別掲載・大疫病の年に|重田 園江|webちくま
    http://www.webchikuma.jp/articles/-/2026

    明治大学 重田ゼミナール
    http://www.isc.meiji.ac.jp/~shisou/

    筑摩書房 ミシェル・フーコー ─近代を裏から読む / 重田 園江 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066275/

  •  フーコーにフォーカスした新書は、中山元氏の『フーコー入門』、慎改氏の『ミシェル・フーコー 自己から脱け出すための哲学』、箱田氏の『ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方』があるが(内田氏の『フーコー 主体の系譜学』は現在講談社学術文庫化)、そのなかでもっとも彼のたくらみに触れやすい書籍だと思う。
     フーコーの書籍を「読む」ことに重きを起き、そこから彼の思想を他の書籍なども引きながら紹介していく本書は、後半になるにつれて著者のギアがあがっている印象はあるが、ライトな書き口で読みやすかったし、唸らされた。
     現代社会が大きな監獄に見えてくるので、漠然とした生きづらさを抱えている人はその根本要因が言語化されていて気持ちいいかも。

  • フーコー愛がすごい!情熱にあふれてる
    規律と監獄の普及、生まれたあらゆる学問、区別、定義、正常/異常
    そこから「監獄の失敗」は何に役立ったか→犯罪から政治性を排除、無効化する点につながるくだり、ほれぼれした。。まさに規律の狡猾さそのものがあらわれている
    主権と生権力についてはリベンジする

    >規律というのはものすごくせこいが忍耐強く人間に働きかけ、ひとたびそれがうまく働くと暴力や強制力をほとんど必要としない境地にいたるのだ

    >今では自発性も主体性も、どことなく気恥ずかしいような時代がかった言葉の仲間になってしまっている

    監視されること、規律の存在ばかりに疑念を抱くのではなく、権力がどのように作用しているのか、それはどこからやってきたのか?追うように読んだ


  • 『監獄の誕生』を紹介する件では、なんだこの著者はと思った。が、その肩肘の強張りを外した「最後の数ページ」には、この著者のイワンとしたことが力みなく伝えられている箇所に出会った。
    途中で諦めないでよかった。

  • フーコー好きな人のブログを読んでる感じ。フーコー読んでわかんないとこあってもいいんだ、と思えたので挑戦したい。

  • 基本はフーコーの著書『監獄の誕生』を解説する読書案内で、加えてフーコーの著作の性格や、その魅力を伝えることを意図している。章ごとの流れとしては、2章までが導入、3~8章と12章が主に「規律」をめぐる『監獄の誕生』の読解、9章~11章がフーコーの近代国家への見立て、13章ではその政治活動について紹介する。

    未読の読者が対象だといってもフーコーへの難解なイメージから警戒感があったが、『監獄の誕生』を読解するパートを中心に興味深く読めた。近代になって身体刑が自由刑に転換したことへの問い自体はフーコー独自の着眼ではないとされるが、私にはそこからが新鮮だった。ブルジョワジーの要請とも一致する規律型の権力が空間と時間を制御することで、機械化された人間という名の資源を生み出したとする主張が腑に落ちる。著者の「今では自発性も主体性も、どことなく気恥ずかしいような時代がかった言葉の仲間になってしまっている」という一文には、規律が自明のものとして内面化されてしまった社会を薄ら寒く感じ、怖れを新たにする。同時に、規律が自然発生的に「つまらない工夫が積み重なってテクニックとして精緻化」されたという指摘と、近代国家に対して規律を生んだ元凶とする見方を短絡的とする戒めも独特だと感じた。

    自身の中高生時代の学校体験や、一部にある感情的な語り口など、フーコーの魅力を伝えようと模索する著者のパーソナリティが端々に滲むのも本書の特徴だろう。ここでフーコーは理解し難い哲学者としてでなく、「見えているものを違った仕方で見せる」ことで、社会に違和感を感じ続けた著者という一人の人間を励ました存在であることを理解し、著者がその魅力を伝えようとする動機にも納得できた。

    12章の「監獄の失敗」が黙認され続ける事実への考察には、偶然最近読んでいた『凶悪犯罪者こそ更生します』や『獄窓記』が伝える日本の刑務所の実情とも重なった。一定の犯罪者を確保して市民の被害者意識を醸成することが目的であれば、刑務所が更生施設としてほぼ機能せず再犯者を多く生み出しつづけるのは必然だ。犯罪者の更生を目指すという人権的に真っ当な試みは意図せず、人びとの内面にも根を下ろす「規律」が張り巡らされた社会システムに対する挑戦にあたるのではないだろうか。そもそも「犯罪者が更生する」ということを、市民感情として一定数以上の人々がそれ自体をあまり望まないだろうことは想像に難くないからだ。

  • 著者はフーコーに惚れている。あとがきにて、「大好きな人の大好きな本についてなぜ好きかを書いて出版できるということは、それ自体とても幸運なことだ」(p.268)、と書いてしまうほどだ。フーコーという巨人の肩に乗って遠くを見通したいという願望があるのだと思う。

    フーコーの数多い著作の中で、著者は『監獄の誕生』を特別視している。この本も最初は『監獄の誕生』についての本を書こうという目論見であったのが、そこに収まりきらなかったため結局『ミシェル・フーコー』というタイトルにしたとあるが、この本はやはり『監獄の誕生』に関する本として読んだ方がいい。『言葉と物』なんて『監獄の誕生』可愛さ(?)に巻末の参考文献説明で、「この本がさっぱり分からなくても落ち込むことはない。分かったところで、生きる指針を与えてくれるような内容でもない」(p.249)なんて言ってしまうほどだ(正しい?)。

    フーコーは、過去の断層の向こう側の文献/言説を丹念に掘り起こすことで、すでに回りにあってあまりに当然と思っているが突き詰めて考えると全く当然でも何でもないものだということを炙りだすという手法を採る。『狂気の歴史』も『言葉と物』もそうだし、『性の歴史』もそうだ。『知の考古学』ではそのやり方について自ら解説もしている。その魅力については、著者の次の文章がよく言い表している。

    「フーコーの著作はどれも古い時代から説き起こし、独特の迂回路を経て現在へとつながっている。かといって現実との関係が薄いかというとむしろ逆で、なぜこんな昔のことを書いているのに強烈に「今」が浮かび上がるのか不思議なほどだ。それが彼の人気の秘密なのだろう」(p.229)

    「監獄」や「刑罰」はその最たるものであり、『監獄の誕生』は著作の順番からいってもその集大成とも言える。突き詰めて考えると「犯罪」を犯して「監獄」に入れられる根拠をは正義にもよらないし、社会的効用の最大化という理由でもない。それは「主権」、「自由」、「責任」さらには「身体」というものを通した内面化した権力による統治の仕組みに関連するものだ(と思う)。

    今後、一定以下の世代においては、ほぼ全ての人がひとつ以上のソーシャルネットワークのアカウントを持つであろう時代において、フーコーが描写した「生権力」や「規律」というものがどのようにその意味を変えることになるのかは検討に値する課題であるように思う。ソーシャルネットワークに実名で向かうことで「規律」はより精緻に内面化されるとともにコントロールされ、自ら書き込むという所作を通して強化されるようなものではないかと思う。それは、かつて「権力」という言葉によって誰もが想像するような権力とは違うものだ。その意味でも、今現在においてフーコーが言う「断層」が多くの地点で発生しつつあるのではないか。分析対象としてのアルシーヴはかってないレベルの量とアクセス容易性を備えている。そういう観点でフーコーと今とをつないでくれる考察はないものかと思う。ちなみにタイトルから、ジョン・キムの『逆パノプティコン社会の到来』はその種のことを扱っているのかと思ったら全く期待外れであった(勝手な期待ではあったのだけれども)。

    フーコーを研究するものは、フーコーが試みたことを読み解くだけでなく、フーコーが試みたことを現在の課題に適用して鮮やかに切り取ることも試みてくれないかと思う。著者はきっとこの世界では脂がのった新進気鋭の若手女性研究者と目されているのだと思う。次は肩に乗った先に見た景色を描写してくれることを期待している。


    さて次は積ん読本になりつつある中山元を読もうかな。

  •  「現代思想入門(千葉雅也著)」「疾風怒濤精神分析入門(片岡一竹著)」「ミシェル・フーコー 自己から抜け出すための哲学(慎改康之著)」からの流れ読みだ。
     フーコーの思索への尊敬と親しみを感じている著者が学生に講義するように口語調で語られている。「フーコーは専門分野を持たず、永遠のアマチュアだった。(後略)」(39頁)、ここでは短いがフーコーへのアプローチの方法がさりげなく示唆されている。なるほど。
     フーコーの解らなさを深掘りすることで、世の中を見る新たな「眼」が得られるということだ。
      

  • 入門書としてはとてもわりやすかった。監獄の誕生を読みたくなった。

  • 好感の持てる入門書。
    入門書で2回読むのはめずらしいけど(実際に読み始めてみても途中で読む気をなくすことがほとんど)、この本は、2回目も楽しく読めました。
    この本のいいところは、『監獄の誕生』とそのテーマにかかる周辺講義などに焦点を絞って、フーコーの思考の過程を熱意をもって紹介してくれているところだと思います。テレビ番組アメトーークで、○○大好き芸人のテーマで、自分の好きなことを熱意をもって面白おかしく話してくれたら、○○のことをあまり知らなくても「なんだかおもしろそうだな」と思って等の対象物に関心を持ったりしますが、あれです。あんなかんじです。
    フーコーの著作を俯瞰して、目立ったトピックをつまみぐいで説明する本も悪くはないですが、それだと「ふむふむ勉強になるなあ」と思っても、「おもしろそうだぞ、実際にフーコーの本を読んでみたいな」にはならなかったりします。この本はその逆で、フーコーの思想の全体像は特にわからない(そもそもそういう意図を持っていない)のですが、『監獄の誕生』への関心をめちゃくちゃ高めてくれます。
    ということで、ぼくは、この入門書を2回読んだのですが、その両方、『監獄の誕生』を読み始めることになったのでした。影響受けすぎでちょっと恥ずかしいですが。【2021年8月8日読了】

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著者プロフィール

明治大学政治経済学部教授。専門は、現代思想・政治思想史。

「2023年 『高校生と考える 21世紀の突破口』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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