夢の原子力 (ちくま新書 971)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480066763

作品紹介・あらすじ

二〇一一年三月一一日の原発事故の拡大で、私たちの「豊かな戦後」の終焉は決定的となった。この事件は、私たちが求めてきた経済成長の帰結として生じた事件である。戦後日本において、原子力はいつしか被爆の「恐怖」から成長の「希望」の対象へと変容し、夢と平和の象徴として受け入れられていく。大衆の日常と社会意識は、いかにしてこの明るい未来のスペクタクルを欲望し、受容したのだろうか?戦後日本の核受容を、「原子力的な陽光」の冷戦期から「放射能の雨」のポスト冷戦期への変遷の中にさぐる。

感想・レビュー・書評

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  • アメリカの「核の平和利用」がいかに日本のそれぞれの人の「夢」になったか。

  • 2012年刊。著者は東京大学大学院情報学環教授。

     ヒロシマで洗礼を受けた日本人の「核」体験は、紆余曲折を経てフクシマまで辿り着いた。すなわち、核エネルギーの暗部、核兵器による被害体験で始まった日本人の核への忌避感を一方の極に持ちつつ、戦後、原子力の発電・平和利用の推進という別の極によって、互いに捻じれていった。この模様を、新聞報道、博覧会、映画やアニメといったサブカルチャーの底流等から解読しようとする。


     と要約すべきなのだが、実は少し違う。
     核への忌避感に関する戦後の報道その他の言説は僅少で、片手落ちの感は否めない。つまり捻じれにおける平和利用の極だけが割に強調されているのだ(もっとも、映画「ゴジラ」第1作に紙幅を割く等、単純に偏頗一面的な著作とまでも言い難い)。
     また、平和利用キャンペーンの暗部(フクシマやチェルノブイリ、スリーマイルで現出した問題と、廃炉や超長期で保管しなければならない原子力発電所廃棄物の問題を隠蔽した)の裏のスポンサーの実態と有り方にはあまり触れられない。判明しないのかもしれないが…。
     突っ込み不足を感じる一書。


     本筋と関係ないが、戦中のプロパガンタ映画を通じ成立した、東宝、円谷英二と日本軍とのつながり。そのプロパガンタ映画で出来たパイプから、第1作「ゴジラ」以降も東宝の円谷英二作品における自衛隊の撮影協力が得られてきたという事実と、戦中の戦争賛美目的のプロパガンタ映画の経験が、戦後の反戦色の強い第1作「ゴジラ」特撮映像の底辺部分を支えていた。
     その一方、「ゴジラ」の後続シリーズが徐々に反戦色を脱色していく様とを開陳するのは、隠された裏面の推理など想起できることが多いと感じたエピだ。


     なお、近代における世界の電力設備・送電設備形成史が何気に詳しい。著者の言うほど本筋に関係するとは思えないけれど…。

  • 1950年代に日本各地で開催された原子力博が、いかに「原子力の平和利用」という”まやかし”を日本人に植え付けたかがよくわかる。この一大プロパガンダに手を貸した読売新聞・朝日新聞・中日新聞・西日本新聞・北海道新聞・河北新報などの罪は大きい。

  • 吉見俊哉『夢の原子力 Atoms for Dream』(ちくま新書、2012年8月)税別900円

    東京大学大学院情報学環教授(社会学・文化研究)の吉見俊哉(1957-)による、電力という近代の象徴の受容をめぐる社会学アプローチ。

    【構成】
    序 章 放射能の雨 アメリカの傘
    第1章 電力という夢 革命と資本のあいだ
     1 革命としての電気
     2 電力を飼いならす
     3 総力戦と発電国家
    第2章 原爆から原子力博へ
     1 人類永遠の平和と繁栄へ
     2 列島をめぐる原子力博
     3 ヒロシマと原子力博
     4 冷戦体制と「原子力の夢」
    第3章 ゴジラの戦後 アトムの未来
     1 原水爆と大衆的想像力
     2 記憶としてのゴジラ
     3 ゴジラの変貌とアトムの予言
    終 章 原子力という冷戦の夢

    本書の内容・視角は2011年に文庫本化された『万博と戦後日本』とほとんど変わることがない。序章などはまるで同じである。

    しかし、第1章の18世紀以来の電化=近代化パラダイムを経て、第2章の冷戦下の原子力化=現代化(という表現を著者は使ってはいないが)へ至る道筋をみれば、なぜ日本が原子力という手段での電力供給の道を選んだのかが見えてくる。

    著者は、戦後日本を覆っていた夢の原子力は「陽光」から「放射能の雨」に変わり、「アメリカの傘」をさす以外の方法を見いだせていないと言う。たしかに戦後日本は長い夢を見てきたのかもしれない。

    しかし、現実は万能の力を持つアメリカ合衆国が日本国民を洗脳したなどということではないし、日本国民が危険性を承知せず空想的な未来社会のみを渇望して原子力を受け入れたわけではない。もっと切実で、もっと実際的な必要性に駆られて原発は建設されたはずである。

    スマートな整理の仕方であるが、やはり物足りなさを感じる。

  • 被爆国日本はなぜ原子力の夢を見たのか。夢しかみていなかったのか。震災後もまだ夢を見ているのではないか。そのようなことを問う、著者ならではの一冊。

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著者プロフィール

吉見 俊哉(よしみ・しゅんや):1957年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論などを主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出文庫)、『大学とは何か』(岩波新書)、『知的創造の条件』(筑摩選書)、『五輪と戦後』(河出書房新社)、『東京裏返し』(集英社新書)、『東京復興ならず』(中公新書)ほか多数。

「2023年 『敗者としての東京』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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