- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480066763
作品紹介・あらすじ
二〇一一年三月一一日の原発事故の拡大で、私たちの「豊かな戦後」の終焉は決定的となった。この事件は、私たちが求めてきた経済成長の帰結として生じた事件である。戦後日本において、原子力はいつしか被爆の「恐怖」から成長の「希望」の対象へと変容し、夢と平和の象徴として受け入れられていく。大衆の日常と社会意識は、いかにしてこの明るい未来のスペクタクルを欲望し、受容したのだろうか?戦後日本の核受容を、「原子力的な陽光」の冷戦期から「放射能の雨」のポスト冷戦期への変遷の中にさぐる。
感想・レビュー・書評
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アメリカの「核の平和利用」がいかに日本のそれぞれの人の「夢」になったか。
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吉見俊哉『夢の原子力 Atoms for Dream』(ちくま新書、2012年8月)税別900円
東京大学大学院情報学環教授(社会学・文化研究)の吉見俊哉(1957-)による、電力という近代の象徴の受容をめぐる社会学アプローチ。
【構成】
序 章 放射能の雨 アメリカの傘
第1章 電力という夢 革命と資本のあいだ
1 革命としての電気
2 電力を飼いならす
3 総力戦と発電国家
第2章 原爆から原子力博へ
1 人類永遠の平和と繁栄へ
2 列島をめぐる原子力博
3 ヒロシマと原子力博
4 冷戦体制と「原子力の夢」
第3章 ゴジラの戦後 アトムの未来
1 原水爆と大衆的想像力
2 記憶としてのゴジラ
3 ゴジラの変貌とアトムの予言
終 章 原子力という冷戦の夢
本書の内容・視角は2011年に文庫本化された『万博と戦後日本』とほとんど変わることがない。序章などはまるで同じである。
しかし、第1章の18世紀以来の電化=近代化パラダイムを経て、第2章の冷戦下の原子力化=現代化(という表現を著者は使ってはいないが)へ至る道筋をみれば、なぜ日本が原子力という手段での電力供給の道を選んだのかが見えてくる。
著者は、戦後日本を覆っていた夢の原子力は「陽光」から「放射能の雨」に変わり、「アメリカの傘」をさす以外の方法を見いだせていないと言う。たしかに戦後日本は長い夢を見てきたのかもしれない。
しかし、現実は万能の力を持つアメリカ合衆国が日本国民を洗脳したなどということではないし、日本国民が危険性を承知せず空想的な未来社会のみを渇望して原子力を受け入れたわけではない。もっと切実で、もっと実際的な必要性に駆られて原発は建設されたはずである。
スマートな整理の仕方であるが、やはり物足りなさを感じる。 -
被爆国日本はなぜ原子力の夢を見たのか。夢しかみていなかったのか。震災後もまだ夢を見ているのではないか。そのようなことを問う、著者ならではの一冊。