昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したのか (ちくま新書)
- 筑摩書房 (2012年10月1日発売)


- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480066879
作品紹介・あらすじ
男子普通選挙とともに訪れた本格的政党政治の時代は、わずか8年で終焉を迎えた。待望久しかった政党政治が瞬く間に信頼を失い、逆にそれほど信望の厚くなかった軍部が急に支持されるようになったのはなぜか。宮中やメディアといった議会外の存在、大衆社会下におけるシンボルとしての天皇、二大政党による行き過ぎた地方支配など、従来の政治史研究では見過ごされてきた歴史社会学的要因を追究する。現代日本の劇場型政治と二大政党制混迷の原型を、昭和戦前期に探る試み。
感想・レビュー・書評
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選挙前なので、昭和の二大政党に関する文献を読んだ。その一冊が本書。もう一冊は井上寿一氏が最近出した本。これについては次に読む予定。
それはいいとして感想であるが、現在と状況がかなり似ていると感じた。たとえば行財政改革を行ったり、あるいはマスコミが扇動的な報道を行ったり(これは現在の方が幾分かマシに思えるが)するところは現代と類似しているといえよう。ただその一方で状況が全く異なるものもある。具体的には天皇を政治シンボルとして使うことや軍部の存在というものが挙げられよう。
史料に基づき、詳細な分析がなされているところに好感が持てる。また、現代の議論に使える論点や主張もあるので、二大政党を考えるにおいて、大いに参考になるだろう。
筆者の見解が最後に述べられているが、これについては全く同感であり、自分も気を付けないとと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
同じような光景を最近も何度も見ているなあという気持ちにさせられるが、「昔から政治は何も変わってない」ではなく、「政党政治はこういう力学で動いてしまうもの」という捉え方をして、ならばどうするべきなのかを、前を向いて考えないといけないのだろう。
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普通選挙制度が政党政治に与えた光と影が詳しく書かれている。戦前の政党は汚職や不正といったイメージが付きまとうが、実際の事例が多く描写されていて実感が持てた。
政党政治が潰えた理由の大きな要因のひとつに政治の劇場化やメディアの政党政治観を挙げており、今でも政党政治を続ける上で避けて通れない問題となっていることは考えさせられる。
政党政治には権力闘争の面があるのが当たり前であり、できるだけ寛容であるべきだという著者の意見には目から鱗が落ちた思いがした。政治においては最小悪を選択し続けることも大切な選択肢だと感じた。 -
民主主義への可能性をもっていた政党政治がなぜ崩壊したのか?
それは単純に軍部のせいというわけでもなく、政党自身の問題、それを選挙で選んだ人々、マスメディア、そして天皇周辺の勢力のさまざまな動きのなかで生じたこと。
もちろん、背景には世界大恐慌というのがあるわけだけど。
未熟な政党政治の問題を批判しているうちに、民主主義自体の価値がさがっていって、より純粋に国をよくしようとしている軍部に国民の期待がうごいていく。
そして、そのイメージとして、天皇が使われていき、反対陣営の議論を封じ込めていく。
で、満州事変によって、世論は大喝采をおくり、その勢いをもって、急速に陸軍が政治の中心になってしまうという構造。
う〜ん、これって今でもやっていそう。なんかちょっと暗い気持ちになった。 -
2015.02.27 池田信夫氏のブログより。
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筆者は、この時期の政党政治の問題点として、1)疑獄事件の頻発と無節度、それによる政党政治の評価の低下、2)買収・議事妨害・乱闘による国会の混乱、国会の威信の低下、3)政党による官僚支配、地域の政党化・分極化と中立化・統合化欲求の昂進、4)「劇場型政治」と、第三極(軍部やら新体制やら)を求めるマスメディアや世論、の4点を総括している。
現代の視点からすると「政治主導」や世論・マスメディアは正義、と無条件で思いがちで、これらが大衆デモクラシーの弊害などと軽々しく言うのも若干の抵抗がある。それでも、政治が大衆化された故のこれらの問題点により政党政治が終わってしまう過程が描かれていた。「『政策論争』を訴える若槻の主張はまぎれもない『正論』なのだが、それだけでは政治的に敗北するのが大衆デモクラシーというものなのである」という記述、ここ数年何かと話題になっているポピュリズムにも繋がる。
政友会が政権批判のために普通選挙法案を不成立とさせる陰謀まで図ったり、朴烈怪写真事件のような事件を政権批判に使ったり(天皇の政治利用でもある)、大分県では駐在所やら公共事業やらやくざまでも民政党・政友会系に分かれていたり、という個々の具体例には驚くばかりだ。
一方、日本の戦後処理過程で、戦前との連続性は、軍国主義の払拭の不徹底というような否定的な意味で捉えられることが多かったように思う。しかし本書では、戦前、天皇・宮中グループと密接に結びついていた浜口・若槻・幣原が国際主義・民主主義勢力として米国側に印象付けられていたことが、天皇制存続や穏やかな占領政策に繋がった、と言及されている。 -
男子普通選挙とともに訪れた本格的政党政治の時代は、わずか8年で終焉を迎えた。待望久しかった政党政治が瞬く間に信頼を失い、逆にそれほど信望の厚くなかった軍部が急に支持されるようになったのはなぜか。宮中やメディアといった議会外の存在、大衆社会下におけるシンボルとしての天皇、二大政党による行き過ぎた地方支配など、従来の政治史研究では見過ごされてきた歴史社会学的要因を追究する。現代日本の劇場型政治と二大政党制混迷の原型を、昭和戦前期に探る試み。(2012年刊)
・はじめに
・第1章 護憲三派と政党政治の新生―政友会の分裂から第二次加藤高明内閣まで
・第2章 「劇場型政治」の開始―第一次若槻礼次郎内閣
・第3章 天皇・非政党勢力・メディア―田中義一内閣
・第4章 ロンドン軍縮会議という岐路―浜口雄幸内閣
・第5章 満州事変と政党政治の危機―第二次若槻内閣
・第6章 政党政治の終焉―犬養毅内閣
・まとめ
・あとがき
本書は、昭和戦前期の本格的政党政治の時代を分析したものである。原敬暗殺後、後継の高橋是清内閣が行き詰まり内閣は総辞職、加藤友三郎、山本権兵衛、清浦奎吾と非政党内閣が続く。1924年に政友会が分裂。第十五回総選挙の結果、大命は憲政会総裁加藤高明に降下する。以後、若槻、田中、浜口、若槻、犬養と二大政党制が機能したが、犬養亡きあと、斎藤実(海軍軍人)への大命降下となり政党政治が終焉するまでを論じている。
これまでは、政党の汚職や党利党略により争いが激化し、軍部に付け入る隙を与え、政党政治が自滅したものと理解していたが、本書を読むと、事情はより複雑であることがわかる。
当時の社会的な背景としては、普通選挙を導入したことにより、政策論争だけではなく、政治シンボルの操作が最も重要な政治課題となる劇場型政治が始まる。それが政権交代を実現するための手段として意図的に用いられていく事がわかる。(朴烈怪写真事件、不戦条約問題、統帥権干犯問題、天皇機関説問題)
また、この時期、軍人の社会的地位が著しく低下していた事も無視できないという。背景には行財政整理にともなう軍縮がある。政府はマスメディア(新聞)の後押しを受けて軍縮を進めるが、この時期の政党側の軍人軽視傾向が軍部台頭の真因であったという。
満州事変後、マスメディア(新聞)世論は、事変前と変わって大旋回する。戦争報道によって大きく部数を伸ばした新聞は、新聞経営の立場を優先させ軍部台頭の片棒を担ぎ、政党政治の崩壊に手を貸すこととなる。
いくつか興味深い点がある。元老西園寺公望の加藤高明の高評価、ロンドン海軍軍縮問題を巡る考察(条約批准には成功したものの、政党外勢力への政党政治の依存の危険性)、最後の元老が果たした超法規的役割や宮中勢力による天皇の輔弼(天皇の宮中の満州某重大事件の処理を巡って天皇は田中首相を叱責するが、これは個人的意思で偶発的に行ったわけではなく、宮中のアドヴァイザーのアドヴァイスを受けつつ行ったことだという。)など、戦前期の政治を理解する上で参考になった。
著者は当時のマスコミについても厳しい見方をしているが、現在に至っても本質に変わりはないのではないか。社会の木鐸たる見識もなく劇場型の報道に終始する現状をみると既視感を感じずにはいられなかった。 -
二大政党だからという訳では無い様に読めました。
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「二大政党制はなぜ挫折したのか」というテーマに興味を引かれて読んでみたのだが、内容が詳細過ぎて時代背景を理解していない人には分かりにくい。さらに文献の引用が多用されているので、文章として読み進めようとするとつかえてしまう。
当時の理解を深めるためのきっかけとしては良いと思う。
著者プロフィール
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