前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書 987)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067005

感想・レビュー・書評

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  • ざくざく読む用に図書館で借りて読んだ。
    哲学の知識持ってたり、古典との比較をすらすら出来る人はなんでも武器に出来るんだなあと思って感心した。ウェーバーを読みたくなった。

    前半は結構しっかり読み込んだ。
    アンチの受け皿としてのセンター、似非贖罪の象徴、ゴルダの丘としてのセンター、のあたりの話がおもしろかった。
    後半は流して読んだ。ぱるるさんはぐぐって拝見しましたが、かわいいですね。

    なんか「AKBのなんとか論」みたいな本書けば出版してくれる気がしてきた。
    ぼ、坊主騒動とかがある前に借りてきてたんだからね!

  • うーん、途中までしか読めませんでした。
    AKBファンがAKBがいかにすごいかを語っているだけ。な気がします。他のアイドルとの比較がないんですよね。なぜ嵐やももクロではキリストになれず、あっちゃんがなったのか書いていないんですよ。半分ぐらいまででですが…
    AKBやあっちゃんは好きだし、最後に答えはわかるかもと思うのですが、なかなか読む気になれません。

  • 素晴らしいものを読んだ。

    凄く良い。


    「分不相応な女の子がアイドルになれること自体が罪=罪を引き受けるアイドル=キリスト的存在」

    という読み解きより、むしろその発想の自由さ、想像力の逞しさに感動を覚えた。

    最近不自由でしようがないと、頭が凝り固まってしまった感が否めない人は読めばいいと思う。

  • この一年で最後まで読めなかった本は、石原慎太郎の「新・堕落論」と東京大学の「震災後の工学は何をめざすのか」ぐらいしか思い出せない。けれど、この本は前書きで断念してしまった。
    僕はAKB信者じゃないけれど、それなりの知識はあるしカラオケで歌っちゃうこともある。そのぐらいではこの本を読む資格はなかったのか。
    否。僕にとってはどうでもいいことなのに、著者にとってはどうでもよくなかったのだろう。キリストを超えた、なんて言葉は僕にはゆめゆめ使えないけれど、それを使う人の著書を読む覚悟が出来ていなかった。前田敦子か、キリストの、どっちかに、僕は立ち向かえなかった。

  • 3年生のゼミでAKBの話しがあったので、手に取って読んでみました。とても興味深い。著者の前田敦子がキリストを超えたとする論、なるほどと思う所もあるし、ふ〜んって思う所もあったけど、もう少しこの手の本を読みたくなりました。

  • 「推し」とは何か?

    絶対的なものへのコミットメント

    境界線の恣意性

    恣意性からコミットメントへ
    (あえてコミットメントする)

    宗教からAKBへはこういう一サイクルとなっています。

    深いコミットメントを描いたここ最近の作品として
    『1Q84』2009年村上春樹
    『借りぐらしのアリエッティ』2010年 宮崎駿監督

    しかしこの辺の作品が描く他者へのコミットメントとAKBの誰かへのコミットメントは違う気がする。

    〈宗教〉としてのAKB48とは何か?
    「あえてコミットメントする」から「あえて」がとれて

    「(絶対的?)なものへのコミットメント」
    まで1週したということ?

  • 「キリストを超えた!」なんちゅう大袈裟なタイトルが話題になり、私もその過剰さが気になりつい手にとり、購入しちゃったw

    キリストとあっちゃんのとりまく状況に類似性があるのは分かったが、あっちゃんがキリストのような存在になれるのか、また超えることができるかについては結局分かんねーな。著者による「キリストを超えることができるのか」についての推測も、おもしろかったけど納得できるほど説得力はなかったかな。

    それよりも読んでいて、著者が実際にAKB48にハマっていく過程を追体験できる部分の方がおもしろかった。AKBに興味がない人はなんで特別かわいくも歌もうまくない小娘におっさんがハマっていくのか理解できんだろうが、この本でファン心理が少し分かるかもしれない。また、著者がイベントで見た小さな軌跡とも言えるエピソードの数々はおもしろかった。

    タイトル負けしてると思うけど、
    このタイトルじゃないとオレは手にとってないと思うので、結果OK!

  • ぜんぜんまとまってない。こじつけにも程がある。でもなんかもうAKB好きなんだろうなぁという感じはすごいする。それが面白い。それでいい。

  • 明日から仕事だ。
    この休みで結構本読めた。

    その結構読めた本の中に、
    『AKB48白熱論争』http://ow.ly/gvRCB
    『前田敦子はキリストを超えた』http://ow.ly/gvRVw
    というAKB48に関しての2冊がある。

    まず、AKBという「システム」を、秋元康氏が
    発明・発見・実践したことは凄いことだと思うし、
    エンタメ界にとどまらず、資本主義のあり方に
    風穴を開けたといっても過言ではない、
    (でもやっぱり、それは言いすぎかな)
    とは思うけど、この2冊の議論レベルまで行ききると、
    「いい大人」がくそ真面目にAKBについて
    あれやこれやのアプローチで語り合う、
    時に政治、時に社会学的アプローチ、
    これはやはり少し滑稽に見えてくる。

    なるほど確かにAKBは議論に値するくらい
    革命的なアイドルかもしれないが、
    誰かがどこかで言っていたように、
    よってたかって笑い無しで学術的アプローチを繰り出し、
    論壇的に議題として語り合うよりも、
    ファンの間や、ネット上や、学校や、
    居酒屋や、そういった「主観」や「個人」が
    偏重的に入り乱れた空間で、「楽しく」
    語り合わせるモノなんじゃないか、そう思う。

    だから、例えば「AKB48白熱論争」の帯にある

    「なぜAKB48だけが、売れ続けるのか?
    4人の論客が語り尽くした現代日本論」

    ってところに、

    「なんで男どもはあんな大して可愛くないよくわかんない集団に熱狂しての?マジキモい、意味わかんない」

    的な論調の女性が惹かれ、

    「ん?この新書の論客達は博識な大人の男達のようね。論理的にキモいやつらのことを解き明かしてくれるのかしら?どれどれ・・・」

    ってな具合に本書を手に取り、
    仮に読んでみたとしたら・・・

    「はぁ?なにこれ?やっぱりキモい。「AKBの運動が世界を変えていく」って何?本気でいってんの?」

    という具合に、ベースとして
    「引き気味で見ていたAKB現象」を
    さらに引きに引いて、
    結果、徹底した「無関心」に、
    そう、結果、AKBに対する理解が1歩も進まない、。
    結果、1歩進むどころか「後退」に
    つながってしまうのではないか、
    そう思う。想像だけど。

    例えば、

    俺はあっちゃんが好き。
    なぜなら~だから。

    このシンプルな思考を
    ある男子が目の色を変えて熱く語る。
    ここまでは既存のアイドルと同じ、
    いや、むしろアイドルじゃなくても
    自分の好きな歌手(例えばミスチルだって良い)、
    芸能人、スポーツ選手にも言えることだ。
    これは取り立てて新しいムーブメントでは無い。

    AKBの新しさはむしろここからで、
    自分のなけなしの金で買ったCDに
    添付された投票券で、
    自分が好きなメンバーに1票を投じる。

    結果、そのメンバーはメディア選抜
    (簡単に言えばテレビに優先的に出れる)
    入りである16位より上の順位を獲得する。

    ここだ。
    旧来のアイドルとの違い、
    熱狂の源泉はここにある。

    今までのアイドルは、
    例えば、ある男子が48人いる中の一人であるA
    (しかもAは48人中25番目くらいの人気)
    のファンだったとしても、
    ある男子の「Aを好きだ」という気持ちだけでは、
    Aをテレビなどの表舞台に引っ張り上げる、
    「グループ内における一構成員でしか無い子」
    を活躍させる直接的要因には
    ある男子はなることが出来なかった。

    だが、AKBではなり得るのだ。
    「自分の1票」が確実に、Aをスターに出来る
    可能性を秘めているのだ。
    なぜならその票数が選抜につながるからだ。

    さらに、好きなAに「握手会」で、
    本当の意味で「直接」会うことが出来て、
    なんなら「握手」で「触れる」こともできるし、
    リアルな「会話」も出来る。
    「いつも来てくれてありがとう」
    「○○くん、今日も来てくれたんだね」
    なんて言われた日には、ある男子は狂喜乱舞、
    1枚しか買わなかったCDを5枚買うことになるかもしれない、
    5票投じて、もっともっとAにスポットライトを当てたい
    と思うかもしれない。

    このシステムを開発したことが新しかった。

    一歩踏み込めば、そこから段階的に
    「AKBにハマる人間」を作り出すシステム。

    くらいでAKBをまじめに語るのはやめておいて良いと思う。

    「あとは個々で自分がタイプの子探してみなよ。一人くらいいるはずだよ?」

    くらいの紹介で良いと思う。

    そこでもし、

    「じゃあ俺はこの島崎って子可愛いと思うわ」

    って思ったら、

    次の総選挙で「島崎って子」を、
    少しだけ応援する気持ちになっていることに気がつく。
    そしてさらに、
    ここからが男の性で、どうせ俺が応援したなら
    上の順位に!って自然と思いながら中継を見つめ、

    「はぁ?こいつ島崎って子よりぶすなのになんで上なの?」

    とか少しずつ島崎って子を
    応援している自分に気づく。
    って位の楽しみ方で良いと思う。

    これ以上は、
    ハマる奴はCD買って投票すれば良いし、
    劇場行けば良いし、ライブ行けば良い。

    そうやって増殖し続けているのがAKB。

    それで十分。
    楽しむ奴は楽しめば良い。

    長くなったけど、
    別にこのシステムをくそ真面目に
    学術的アプローチしてどうとかいらないと思う。
    逆に気味悪さが増すだけだ。
    この本を読んで思ったのは、それ。
    長くなったけど言いたかったのは、それ。

  • キリストを超えた、というインパクトのあるタイトルはやはり大きい。

    ここまではまるんだ→何でそこまで→それはこれこれ、こういう感じで、という、自分のような初心者にも一応納得できるアイドル・AKBへのハマり方を提示してくれている。
    そこの表現が、かなり大袈裟(いい意味です)。
    「大してかわいくない子たちが・・」と思っている人は劇場に行っていないからだそうで、間近で見ると声援を受けて輝く彼女たちの姿に、人はここまで変われるのか、と愕然とし、これはまさに宗教的奇跡とまで言い切ってしまう。
    こういうところで興ざめして、拒否する読者もいるでしょうね。

    AKBと宗教の類似性を論じた箇所に、役だつところあり。

    会いに行けるアイドルという”近接性”がポイント。
    現代の資本主義は人々を「疎外」するが、CDを買うなりすることで「近接性」を感じることができ、そこが”救済”としての意味を持つという部分。
    何かにひかれる、というあまり意識していない部分も、これからはこの「近接性」が重要なキーワードとなる時代になっていくと思った。

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著者プロフィール

1980年生まれ。情報環境研究者。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、共著に『希望論』(NHK出版)、共編著に『日本的ソーシャルメディアの未来』(技術評論社)など。

「2012年 『恋愛のアーキテクチャ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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