東北発の震災論: 周辺から広域システムを考える (ちくま新書 995)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067036

作品紹介・あらすじ

中心(中央)のために周辺(地方)がリスクを負い、中心から周辺に利益が還流する「広域システム」。その存在を顕在化させたのが今回の震災であり、福島原発事故だった。東北において典型的に見られる「中心‐周辺」のシステム形成史をたどり、そのシステムから脱却するために、周辺に暮らす人々や自治体がいかに主体的に動くべきなのかを考察。広域システム災害一般の問題と、東北社会特有の問題との両方を論じた先に見えてくる、未曾有の災害を乗り越える新しい社会のあり方を構想する。

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災

  • ☆弘前市の職員派遣もかかれているし、思ったより中立的な立場で書かれている。
    と思ったが、最終章がいただけない。
    広域システムが大きすぎる問題点(個々の人ではなく数値として把握されている。システムの綻びや社会の破局)を指摘し、それを踏まえた上で、広域システムの合理化に対向する「知」は西洋近代と異なる論理が必要で、東北は新しい社会形成の実験場としての再生を訴えている。
    しかし、その指摘の根本は我々の生活がインター・ディペンダントであることから発生するものであり、社会が段々とその傾向を強めているからに他ならない。何をどこまでディペンダントし、どこまでインディペンダントを貫くのか、そういう覚悟の問題ではないかと思う。
    さらには、資本主義社会の限界もあると思う。

  • あくまで「論」であって解決策が示されるわけではないけれど、この復興のあれこれにモヤモヤしたものを感じる原因がわかったような気がする。復興の遅れ…というだけでは済まされない構造的な問題を指摘。新しい社会が形成されていくことを願う!

  • 数か月前に読み終えていたのだけど、どうにもうまく咀嚼できずにいた。

    本書では、東日本大震災を以下の3つのキーワードで読みとくことを試みている。
     1.広域システム
     2.中心と周辺
     3.主体性

    日本は多神教であり、家、自治体、天皇制のような親子関係で構成されてきた。
    一方で、西欧は一神教であり、個によって構成されてきた。

    西欧では主体性を個に求められるが、日本でも同様に主体性を個に求めることは可能なのだろうか。
    上記の社会構造の違いによって、日本での主体性は個よりも関係性に求めるべきなのかもしれない。

    昭和までの市町村合併は、疑似親子化による下位化だった。
    しかし、平成の大合併では中心による周辺の吸収であり、広域システム化に変化した。
    広域システムによって経済的な豊かさを享受できるようになった反面、周辺特有の中心と異なる周辺の文化や暮らしは切り捨てられる可能性が出てきた。

    システムが巨大化することで、主体であった人が客体化し、周辺化されていった。
    システムが小さいうちは主体となれた社会的な関係性が、広域システムでは周辺に追いやられてしまうのである。
    周辺に追いやられ、主体であったはずが切り捨てることが可能なモノとされてしまう。
    これは、ヨーロッパ思想界では1970年代に人のモノ化として提示された現象に似ていると。

    この人のモノ化と対峙する時、日本では社会的な関係性に主体が存在するとしたら、個に主体性がある西欧と異なるスタンスを探るべきなのだろう。
    あるいは、西欧の制度を取り込み始めてそろそろ150年であり、日本でも個が主体性を発揮する時代になっていくのだろうか。


    一神教と多神教の対比で、中沢新一さんの「日本の大転換」が想起された。
    「日本の大転換」は読んでもまったく腑に落ちなかったけど。

  • 中心と周辺で構成される広域システムの非対称性、矛盾を描いた本。東日本大震災は、第二の敗戦、などといわれながら、そのまっただ中にいる人と、そうでない人にわかれてしまっている。世に言う復興は中心からの話であり、それを周辺から考えよう、という本。システムの責任を誰が持っているのか分析していくと、実はどうにも誰も責任を持っていないことがわかる。周辺のなかにも、目立つ声と目立たない声がある。一枚岩ではない。そして支援と復興の主体の対立関係。広域システムのリスクはまだ中間点だ、と。システムに嵌ったまま生きてきた身としては、その先がなかなか見えないけれど、しかしその指摘は理解できる、気がする。

  • 今回の原発事故が引き起こした新しい事態とは、まずは立ち入りや居住が基本的に禁止される警戒区域が広範な市街地に、しかも複数の自治体において町域丸ごと長期にわたって設定されたということにある。原子力災害は人為的なものであることにもよるが、リスク形成の構造が従来の自然災害とまるっきり異なっていることにも由来する。

  • 被災現場のレポートや様々な要因が複雑にからまる状況の分析の部分は面白いし、広域システムという捉え方や問題意識には首肯すべき点もあるにせよ、生硬な中心ー周辺論(中心を東京と、周辺を「地方」とおそらくは自覚的に混同している)を踏み台に、「日本人」(ひとまとめ?)は西洋近代化を受け入れると主体を失うとか、小集団に根ざした国の再興が必要とかになると、御説拝聴しましたと言うしか。特に「投票もディベートも信用せず、個人が主体性を持たず小集団レベルで主体性を発揮するクニの復興」という著者の夢想は、ディストピアしか連想されないが、何かの冗談のつもりなのか。

  • 被災地目線の震災論、と思いきや、それに留まる内容ではない。現代日本が抱える「中心と周辺」の問題点を、被災地を題材に抉り出す、というもの。この書を通じて何を考えるのか、するのか?と問われたら、(今は)疑問も持ち続けること、人の話を聞いて自分はどう考えるのか問い続けること、だろうか。本書を紹介し、送ってくれたW君に深謝!

  • 『東北発の震災論』 著者・山下祐介さん- 毎日jp(今週の本棚・本と人)
    http://mainichi.jp/feature/news/20130310ddm015070171000c.html

    新たな「主体性」を思い描く [評者]赤坂憲雄 Chunichi Bookweb(TOKYO Web)
    http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013042102000171.html

    脱原発ではなく脱システムを [評者]田中優子 BOOK.asahi.com
    http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013030400006.html

    筑摩書房のPR
    「中心(中央)のために周辺(地方)がリスクを負い、中心から周辺に利益が還流する「広域システム」。その存在を顕在化させたのが今回の震災であり、福島原発事故だった。東北において典型的に見られる「中心‐周辺」のシステム形成史をたどり、そのシステムから脱却するために、周辺に暮らす人々や自治体がいかに主体的に動くべきなのかを考察。広域システム災害一般の問題と、東北社会特有の問題との両方を論じた先に見えてくる、未曾有の災害を乗り越える新しい社会のあり方を構想する。」

  • 広域システム災害としての東日本大震災を論じた部分は難解ながらも理解しましたが、東北発という視点は直後に離れて以来、点で接する立場からの論考だけに、線になる形で支援交流してきた立場からは、周辺でなく中心に組み込まれた側からの見方に感じられます。
    しかし、そういうバラバラになっている存在が、システムとして一体になっているという論点は、これからの社会のあり方を考えるのに大事だと思います。

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著者プロフィール

山下 祐介(やました・ゆうすけ) 1969年生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。弘前大学准教授などを経て、現在、東京都立大学教授。専攻は都市社会学、地域社会学、環境社会学。著書『限界集落の真実』『東北発の震災論』『地方消滅の罠』(以上、ちくま新書)、『「復興」が奪う地域の未来』、『地域学をはじめよう』(以上、岩波書店)、『「都市の正義」が地方を壊す』(PHP新書)、『「布嘉」佐々木家を紡いだ人たち』(青函文化経済研究所)、『地方創生の正体』(共著、ちくま新書)、『人間なき復興』(共編著、ちくま文庫)など多数。津軽学・白神学の運動にも参加。

「2021年 『地域学入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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