日本文化の論点 (ちくま新書 1001)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 649
感想 : 56
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067135

作品紹介・あらすじ

『NHK ETV特集「ノンポリのオタク"が日本を変える時~怒れる批評家・宇野常寛~」』『ニッポンのジレンマ』などで話題の著者・宇野常寛の初新書。

情報化の進行は、二〇世紀的な旧来の文化論を過去のものにした―。本書は情報化と日本的想像力の生む「新たな人間像」を紐解きながら、日本の今とこれからを描きだす。私たちは今、何を欲望し、何に魅せられ、何を想像/創造しているのか。私たちの文化と社会はこれからどこへ向かうのか。ポップカルチャーの分析から、人間と情報、人間と記号、そして人間と社会との新しい関係を説く、渾身の現代文化論。

感想・レビュー・書評

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  • AKBがいかに新しい文化の形なのかを分かりやすく示している。頭のいい人とはこのような人をいうのだろう。

  • 気鋭の評論家、宇野常寛氏によるポップカルチャーの論点を抽出しつつ、現代日本社会を論じるという時代の地図を描き出す入門書的な書籍でございます。視点が斬新で宇野氏の発言はとても読んでいて面白かったです。

    本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏による現代文明批評を新書という形にし、入門書という形でまとめたものです。僕が宇野氏を知るきっかけとなったのはいまや国民的アイドルグループとなったAKB48について、『ゴーマニズム宣言』などでも知られる小林よしのり氏らとともに、熱く激しい論戦を繰り広げていた様子を動画投稿サイトなどで目にしたからでございました。さらに宇野氏は自費出版で批評雑誌を主宰、刊行しながら自らを『政治評論からAKBまで』と称し、多彩な評論活動を展開されている方だということを本書を通して理解いたしました。

    僕自身もサブカルチャー畑出身の人間ですので、宇野氏の紹介する「特撮もの」(仮面ライダーやウルトラマンetc)を自分なりに見ていたつもりではありましたが、正直な話、ここまで深くは見ていなかったことをつくづく思い知らされ、
    「まだまだ修行がたりんなぁ」
    と反省してしまいました。

    冒頭のほうで掲げられているとで見る日本というお話はとても面白かったです。これは宇野氏の友人の社会学者である濱野智史氏がおっしゃったことなのだそうですが、続に『失われた20年』を生きる現代の日本社会とその狭間で蠢く、ソーシャルメディアや動画投稿サイトなどのネット文化のガラパゴス的な発展は自分もまたその恩恵を受けている人間の一人として、とても共感することが多かったです。

    さらに自らが高田馬場に拠点を構えているということで、東京という街全体が「距離」ではなくて「時間」に置き換わっているというくだりは僕自身も東京で生活をしていた時期がありますので、その辺のことはとてもヴィヴィッドであり、皮膚感覚で理解ができました。さらに、宇野氏自身が得意とする音楽や特撮から日本の社会やコミュニケーションを論じたあと、本書の真骨頂である『AKB48と日本文化』に入っていくのです。

    正直なところ、僕はAKB48については、「広く浅く」というスタンスで、宇野氏のようにCDを何枚も買っては足しげく「握手会」に通ったり「総選挙」で票を投じているわけでありません。『あ、あの娘はいいナ』というメンバーは若干名こそいても、宇野氏が積極的に応援し、更には自らの主催する雑誌の表紙にまで起用した横山由依ちゃんのような存在はいないわけであります。

    俗に「識者」と呼ばれる人間がそれこそ口角泡を飛ばして語られる話題が「AKB48」という「事実」が例えようも無く知的に面白いのです。だからこそ僕は2006年当時、付き合いのあった人間から幾度と無くAKB48の公演に誘われておりましたが、そのときは全く興味が無かったので適当な理由をつけては断り続けて現在に至るという経緯を非常に後悔し続けているのかもしれません。もしも、あそこで彼女達の公演に足を運んでいたとしたら、メジャーになる前の彼女達の貴重な瞬間に立ち会えていたのでしょうし、もしかすれば宇野氏とAKBグループについて熱く語りあえていたのかもしれません。返す返すも残念です。

    しかし、彼女達のドキュメンタリー映画は見ているので、本書で紹介されているエピソードを読んでも『あぁ、あの話か』という理解はでき、彼女たちが有名になるまでのプロセスがかつてのアイドルとは一線を画す形であったのだと言うことは良くわかるような気がするのでした。最後に、我々は宇野氏や濱野氏がおっしゃるように古いとあたらしいが存在する中に生きているのでしょう。個人的にはその両方を行き来しつつ、日常を送っていると認識しておりますが、他者から見た僕はに属している人間なのでしょう。おそらく。

    僕は宇野氏とはまた別のアプローチで「見えないもの」を「観る」ようにはしているつもりですが、僕と宇野氏の違いを挙げるならば、アニメ、ゲーム、アイドルの「濃度」が低い代わりに「文学」と「宗教」さらに「哲学」や「金融・経済」などの視点が入っているのかもしれないと、読み終えた後にそんなことを思いつつ、この文章をしたためております。

  • シラケ世代(古いね)でもないのだけれど単に性格が捻じ曲がっているのか、どうもいわゆるネット論客とか正当なことを朗々と唱える人が苦手なのです昔から。

    テレビで一番嫌いなのは討論番組だしね。
    なのでこの本、まったくこの人のこと知らないんだけど、裏表紙の写真みた時点で「あーこいつ、あたしの苦手なタイプ~ははは~~ん」と決め付けてます。はいすいません。

    でもこういう人って別に、あたしに嫌われたって大勢に影響ないでしょうしね。というわけであたしの中では勝手に「なんか角度をつけたカメラ目線のきもいひと」に認定。以上完了。


    ・・・じゃなかったか。


    えっとこの本は、まぁよくある、最近の「サブカルチャーだのネット内カルチャーをなんとなく擁護している風に、問題点を分析していきます、といいつつ、ネットワールドを夜の世界と断言したり、見方なのか敵なのか、スタンスもはっきりしない微妙なヒクツさも加味されてるので要注意」な論客の人のお話です。

    唯一この人の話の中であたしが納得した論旨は、クールジャパン論争のところでこの人が、日本のアニメは「作品そのものの後ろにある、二次創作文化(時代背景や設定を用いて消費者がわが別の物語を楽しむ文化)に支えられている、と述べた点。

    ま、その直後にこの人は、だから宮崎作品よりも海外にでるべきはガンダムだ、二次創作文化の素材としては優秀だから、と言い放つのであたしはこのひととはもう、袖を分かちましたけどね、気持ちの上で。えぇ。

    あたしの理解はこれとは違う。

    たしかにコンテンツを海外で受け容れてもらおうとする場合、海外の文化は日本以上に、その背景やバックボーン、hidden story(隠されたシナリオや意味)を重視する。それはもう、明らか。

    たとえばプレスリリース1つとっても、それは如実に表れる。日本のプレスリリースはタイトルに「誰が何を」を持ってきて、第一パラグラフで5W1Hをいうことが求められる。重要なファクターは、ひとえに「事実」だ。だからリリースは、いかに数字と事実が明記されるかを肝とする。

    ところが翻って海外のプレスリリース。これは日本とは180°異なり、重要視されるのはなぜそこに至ったか、そうしてこれからどうしたいのかという、企業の「思い」でありシナリオなのだ。だから海外のプレスリリースにはquoteと呼ばれる、自社のエライ人の言葉が引用されたりパートナー企業の賛辞が、リリースの本文の重要な内容になっている。正直それがないリリースはストーリーを担わないクソだと理解されることさえあるほどだ。
    ちなみに日本でもこの「賛同文」というのはあるが、これはリリース本文に組み込まれることはほとんどなく、通常は賛同文がリリースの後にずらっと並べられる。

    海外のリリースでは企業の「言葉」は企業の現在と将来を推し量る重要なファクターであると評価されるのに、日本のリリースでは企業の思いではなく「事実」が重視されるのが、広報担当しているとよくわかる。賛同文も、内容ではなくて、何社からもらったのかという「事実」ないしは数字として評価の対象になるに過ぎないからだ。

    ということでわき道にそれたけど、海外文化がコンテキストの外にある背景や世界観を重視する文化であるのだから、それに向かってアピールするには、別に宮崎作品でもいいと思う。ただ、その世界観をうまくガイジン受けする形に展開すれば。


    あとはちょこちょこ文章があったけど他はあまり響かんかったな~(えらそう)なんか、1つ取り上げるテーマへの論及が短くて、散文みたいに最後が自分の意見でしまっていて、このひとあまり、文章力ないんかな?とさえ思ったです。(さらにえらそう)

    論客の人って大変ね、ぜんぜん関係ない人にまでぶーぶーいわれんだもん。
    あ、それともこの書き方、このスタイルそのものが、あたしの知らない次世代の子達のアタリマエなのかな?もしかしたらそうなのかも。一番熱の入っていたのは彼がおそらくすきなんだろうね、AKB48の部分で、そこがある意味一番肩肘張らずに読めました。

  • マンガ・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーを代表とする「周辺領域」であった〈夜の世界〉の想像力が、政治や経済といった〈昼の世界〉を書き換えていく・・・
    すでに『PLANETS vol.8』を読んでいたので、すんなりと読めてしまう。『P8』での多くの刺激的な議論から抽出されたさまざまな論点が、この「〈夜の世界〉からの社会変革の戦略」を帰納的に論証していくかのように、新書としてまとめられている。

    論点①クールジャパン:日本が世界に輸出できるもの
    それはソフトそのもの(作品)ではなく、ニコ動やコミケといったコミュニケーションのインフラである。消費と創作の主体が一致してしまうような(二次創作)、現実と虚構の境界があいまいになった「中間の空間」にこそ、輸出されるべき「日本的想像力」はある。

    論点②地理と文化の関係は分断された
    地理が文化を決定するのではなく、文化が地理を決定する。そして祝祭の場としての現実空間に文化が要求するのは、建築の機能、とくにその規模=サイズの問題だけである。あたらしいホワイトカラー層の出現と、鉄道網に支えられたいままでの〈昼の世界〉とはべつの「夜の東京」とは・・・

    論点③価値はコンテンツからコミュニケーションへ
    情報化の進行によって、コンテンツの単価はゼロに近づいていき、コンテンツを媒介としたコミュニケーションこそが価値を帯びる。カラオケや初音ミク。楽曲自体の価値をその作品の内部だけで批評することには意味がなくなっている。

    論点④ゲーミフィケーション化する社会
    従来は不可視的といわれてきたコミュニケーションにおけるあいまいな「雰囲気」や「空気」のゲーミフィケーションによる可視化・数値化。「市民」と「動物」の二項対立から、双方向的で「中動態」的な(ほんらいの)人間へ。人間観の解体と更新。

    論点⑤反現実の歴史構造とファンタジーの作用する場所
    戦後的想像力、そして「虚構の時代」「終わりなき日常」の終焉。現実と虚構の境界が崩壊したのちにこそ作用する、あたらしい想像力の生成。〈ここではない、どこか〉へ連れていくのではなく、〈いま、ここ〉を異化させていくものとしての想像力。

    論点⑥すべての論点を包摂する論点としてのAKBシステム。
    〈劇場という現場とソーシャルメディア(夜の世界)〉が、〈マスメディアやヒットチャート(昼の世界)〉を席巻していく。楽曲そのものの価値よりもコミュニケーションの価値。「推す」という感情が社会を作る、社会に作用する。秋元康自身による二次創作、彼とファンとの循環的なn次創作。

    少数派たるサブカルチャーそのものが発信できる想像力に限るよりも、コミュニケーションのありようを変容させていくようなテクノロジーのもつ経済力や想像力を広く動員していくほうが、具体的な社会変革のモーメントを産み出すのではないだろうか。

    とはいえ、日本的な想像力や経済力・動員力、そしてさらに「百合」的なエロティックな欲望を兼ね備えた存在がAKBなのだ、という主張は説得力がある。

    ただし、性的な文脈や巨大な経済(現金収集)システムとしてのAKB批判をやんわりかわそうとすればするほど、日本社会を変革するうえで避けられない論点である〈性(と家族)〉と〈金(再分配と循環)〉についてなにか奥歯に挟まった言説にとどまってしまう、というジレンマを抱え続けてしまうと思う。

  • 「地理を失った」都市社会と化した日本の文化を、「昼の世界」と「夜の世界」の逆転の視点から読みといていこうとする本。それを端的に現したものとして「AKB48」についても詳しく論じられている。読みやすいが、言わんとする内容がいいだけに逆にもうちょっと分厚く論じてほしかった気もする。

  • PLANETS副読本、的な。
    宇野さんがいまどんなことを意図しているか、問題意識を持っているか、についてコンパクトにまとまってる。その意味では非常に新書というパッケージを活かした感じ。ふらっと本屋さんに行くくらいの(言葉は悪いけど)文化レベルがあって、かつちょっと手にとってみた人に刺さりやすそうな印象。PLANETSを読んだあとだったので、そこまで興奮がなかったのは事実ですが、復習を兼ねる感じになったというか、そういう意味でも副読本。

  • ソフトウェアでなくハードウェア(インフラ)を輸出する

    都市と地域文化の有名無実化

    ゲーミフィケーション

  •  経済的、社会的に日本は疲弊・衰退してしまったが、本当にすっかりだめになってしまったのか、という問い立てに対し、筆者が「オタク文化が育んだ想像力にこそ、現実を変革する力があり、現代の日本が武器とするべきはそこだ」というようなことを論じていく、というような内容。「昼の世界」(経済力など)が衰退した「失われた20年」の裏側では、「夜の世界」が着実な成長を遂げていたのだ、という感じ。

     面白く読んだ箇所も決して少なくはないけれど、論じ方としてはやや荒っぽい印象を受けた。言葉の定義が雑(インターネットという言葉が、ネット上のコミュニティを指すのか、提供するサービスを示すのか、どのサービスまでを含むのかなどが曖昧)な一方で、(ないしそれゆえに)異なる文脈においても、言葉の中身を再定義しなおすことなしに議論を進めていくので、結局言葉遊びに過ぎないように思えた。
     個人的には、実証主義的な方法論が取り入れられていないところに、不満を感じる。全てに根拠や資料を示すべきだとは思わないけれど、何かしら確かな情報に依拠している訳でもないのに、断定調で意見を述べることが多すぎる。推論をあたかも事実であるかのように提示しながら、そこに推論を重ねていくので、言っていることのところどころは頷けても、諸手を挙げて賛成できない場合が多い。もっとも、これは学問によって作法が異なるのかも知れないけれど。
     また、筆者のいう、現実を変える力を持つような「夜の世界」の想像力は、インターネットを筆頭に様々な例が登場するけれど、実のところ一番言及したかったのはアイドル(特に、というより厳密にはAKB48)についてなのではないか、と感じる。一章まるまるAKBについて、特にそのシステムに関して熱く語っているけど、それだけにとどまらず、その影は別の章でも時折ちらつかされる。読み終わってみれば、「日本文化の」論点といっておきながら、AKBに収束するような構成になっていたのではないか。場合によっては少し無理にアイドルに言及するせいで、少し各章の軸や論理展開がブレてしまっているように思った。

     更にもっともっと個人的な関心に基づいた話をすると、AKBについて言及する箇所で軽く触れられる百合への解像度が低すぎる。別にそこが「女性が女性を性的に消費した(この表現がそもそも引っかかるけど)」決定的な契機でも代表例でも特例でもないし、AKBで二次創作をした女性が「普段はBLを受容していた」とは一概には言えないだろうと思う。二次創作を楽しむ女性をBL読者にひっくるめてるのか、ちゃんと書き手(読者は無理だろう)がそれ以前に描いた作品を精査した上でいっているのか。前者なら定義が雑だし、ちゃんと精査したのであれば、せめてその旨を書くくらいはして欲しい。1ページにも満たない文量だけれど、自分はここでもげるほど首をひねった。

  • 思索

  • 【要約】


    【ノート】

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著者プロフィール

1978年生まれ。評論家。批評誌「PLANETS」「モノノメ」編集長。主著に『ゼロ年代の想像力』『母性のディストピア』(早川書房刊)、『リトル・ピープルの時代』『遅いインターネット』『水曜日は働かない』『砂漠と異人たち』。

「2023年 『2020年代のまちづくり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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