ナショナリズムの復権 (ちくま新書 1017)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067227

感想・レビュー・書評

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  • この本から感じるのは、何よりも「思考の熱量の高さ」。新書という紙幅の制限の中に、葦津珍彦、ハンナ・アーレント、江藤淳、オルテガ・イ・ガゼットなどの思想を援用、敷衍しつつ、健全なナショナリズムの復権を説く。

    個人的には、海外の左翼と日本の左翼との大きな差は、夫々の属する国への思慕の軽重にあるように思っていた。どうも日本の左翼には、「自分の国」を何とかしようという意識が薄すぎるのだ。

    非常に多くの要素が熱く語られており、少々とっ散らかった印象を持ちつつも、最後半部に、高坂正堯の有名な「国家を形成する三つの要素」の話があり、何とかまとまった感がある。以下引用。

    『国家には三つの要素がある。「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」この三つがからまりあって国家は出来上がっている。そして戦後の日本は経済成長=利益の体系だけを国家目標とし、一方で力の体系はアメリカの軍事協力にゆだねてきたのだった。そして、価値の体系を置き去りにしてきたのである。(p.220)』

    未整理感はあれど、現状への率直な苛立ちが熱く表明されているところは、率直に評価したい一冊だ。

  • 著者は、ナショナリズムをめぐる三つの誤解があるといいます。まず、ナショナリズムを全体主義とみなす誤解、次に、ナショナリズムを宗教とみなす誤解、そして最後に、ナショナリズムをデモクラシーの帰結とみなす誤解です。

    まず著者は、アレントが問題にした「モッブ」や、ゲルナーが問題にした「大衆」は、伝統から切り離されており、全体主義を招き擬似宗教的なポピュリズムに陥ることを明らかにしたうえで、ナショナリズムがそれらの立場とはっきり異なっていると論じます。

    つづいて、吉本隆明の『共同幻想論』が、なにを問題にしたのかということに議論は進みます。吉本は、習俗に基づく「黙契」と、そのような背景をもたない「禁制」を区別します。そして、両者の区別に気づかないままにつくられた共同体が、全体主義と個人崇拝を生み出すと主張し、政治支配に絡みとられることのない文学の言語をつくっていく個人幻想を、全体主義的な個人崇拝から区別しなければならないと主張しました。

    さらに著者は、アジールにおける自由を称揚した網野善彦と、うしなわれつつある「家」を見守ろうとした柳田国男を対比し、荻生徂徠の思想に「作為」の論理を見いだそうとした丸山真男と、新しい思想と旧来の伝統の摩擦のなかに身を置いた藤原星窩を高く評価する江藤淳を対比しています。著者の共感は、柳田と江藤のほうに置かれており、戦後になって外からあたえられた普遍的な価値観に飛びつく知識人たちを批判する視座を、彼らの思索のなかに見ようとしています。そして、伝統的な価値基準が崩壊した「戦後」という時代のなかで、われわれはその空虚を安易な輸入思想によって埋めようとするのではなく、まずはそうしたわれわれ自身のありかたを直視し、そこから国家について、伝統について、生死について、言葉を紡ぎ出していくべきだという考えが示されます。

    新書という小さなサイズの本で、多くの重要な思想家たちの議論を紹介しているため、この本だけでは著者の考えの根幹にあるものが、十分に理解できなかったように思います。「戦後」という時代が価値観の空洞化を抱え込んでいるという診断には納得ができるのですが、すくなくとも本書を読んだかぎりでは、「田吾作」的なものに飛びついたところでそうした問題がどうにかなるとは思えず、もうすこし著者自身の考えをくわしく知りたいところです。

  • 現代の思想家の中で頭一つも二つも抜けていると思っている先崎彰容氏のナショナリズム論。
    江戸時代〜現代に至る日本の思想史論でもあり、氏がとにかく頭脳明晰の天才だと言うことがよく分かる著書。
    その知識と熱量が、新書と言うフォーマットに収まりきっていない。
    江藤淳も丸山眞男も未読なので、日本思想史もより深く学んでいきたい。

    当時先崎氏は福島の大学に勤務されており、本書の執筆時は東日本大震災直後の仮設住宅という特別に極限の状況だったようだ。
    さらに出版からも既に月日が経過しており、今この本に感想を書くのは適切ではないかもしれないが、読書メモとして下記を。

    冒頭に、ナショナリズム=全体主義と誤解されている、との記述があり、後半章の中でも繰り返し述べられる。
    しかし今の自分にはどちらかと言うと、ナショナリズムは、世界的な全体主義と標準化であるグローバリズムに対する、一国の伝統や国益の保持、というイメージが強い。
    つまり、ナショナリズムは世界の多様性への道であると感じている。

    また、全体主義=絶対悪という暗黙の前提も、そもそも自分にあまり馴染まない。
    吉本隆明で言うと、「共同幻想に飼いならされた個人」というところに大きな共感を覚えたのは、先崎氏の解説の力だった。
    だからこそ、わかりやすい過去の(既に失敗した)全体主義への批判が、かえって飼いならされっぱなしの現代日本を覆い隠すカモフラージュのように聞こえてしまうことがある。

    抑圧的な全体主義は、抑圧の対象となる自由の存在が前提である。
    もはや抑圧すべき自由すら見当たらなくなって初めて国家は悠々と自由主義を標榜できる。
    秩序の反対は、無秩序ではなく虚無だ。

    自分の捉え方とは少し違うところも感じたが、とにかく素晴らしい一冊だった。

  • 最初の方は理解しやすかったけれど、途中から難しくてついていけなくなった。
    とはいえ、ナショナリズムに対する誤解があること自体は理解できた。
    ナショナリズムは、全体主義や擬似宗教、民主主義のいずれともイコールではないこと。
    著者の言うとおりにまさに「誤解」していた私にとっては、勉強になった。資本主義は変化や移動、破壊や拡散が前提となっており、安定した世界とは程遠い。
    拡大は帝国主義であり、収縮は独裁や擬似宗教。いずれにしても安定していない世界であり、価値観が変化し続けているから、物事の判断軸がぶれて自分自身が不安定になっている人が増えているのかもしれない。
    だからこそ、反対に確固たる自分の軸を持つ必要があるのだが、確固たる自分軸も実は社会に形成されるものであるため、結局私たちの不安感や不安定さはなくならない。そういう時代だから、著者はナショナリズムの重要性をあらためて提唱しているのだろう。

  • 【メモ】
     nationalismについての誤解を解くという一つの目的自体は、はっきりしているし賛成できる。ただし、下記目次に見えるように「思想家を読み直すこと(だけ)で、本書タイトルが達成できる」とは限らないのでは。
     また、災害による犠牲者を弔うことにnationalismの復権が必要だとも思えない。
     こんな理由から個人的には説得されないが、この試みは意義があると思うし、何より熱意を感じた。


    【目次】
    目次 [003-006]
    はじめに――ナショナリズムの論じ方 [007-012]

    第一章 ナショナリズムへの誤解を解く 013
    1 ナショナリズムをめぐる三つの誤解 014
    三つの誤解/ナショナリズムは「全体主義」か/ナショナリズムは「宗教」か/死から逃げるためのナショナリズム/ナショナリズムは「デモクラシー」か
    2 ナショナリズムは「危険」なのか 028
    ナショナリズムと死/国家について考えることは、人間について考えること

    第二章 私の存在は、「無」である――ハナ・アーレント『全体主義の起原』 033
    1 人々を全体主義がとらえ始めた 034
    困難な定義/ポール・ヴァレリーの衝撃/テレビを見るような
    2 何が起きているのか、人間の心のなかに 042
    拡散と膨張/異質なものとの出会い/存在が「無」になる
    3 「負い目」の意識は誰にでもある、そこに全体主義が宿る 051
    国内のモッブたち/読解のキーワード①「高文化」平均人とは、無個性の人である/読解のキーワード②「汎帝国主義」/「血」という概念
    4 そして、全体主義に呑みこまれる…… 065
    モッブから大衆へ/大衆、そして全体主義へ/ナショナリズムは全体主義ではない

    第三章 独裁者の登場――吉本隆明『共同幻想論』 075
    1 吉本隆明とは、何者か 076
    全体主義の基本モデル/吉本隆明の登場/吉本思想の核心/『共同幻想論』
    2 個人幻想は人間を、自殺へ追いこむかもしれない 092
    個人幻想と共同幻想/自殺の論理/宮本顕治とマルクス主義/ロマン主義とは、何か/個人幻想のゆくえ
    3 独裁者はどうやって登場してくるか 108
    「空洞化」する個人/対幻想のゆくえ/独裁者の登場

    第四章 「家」を見守るということ――柳田国男『先祖の話』 117
    1 ハイデガーの「死」に、吉本隆明は疑問をもった 118
    震災と死/第二の誤解/ハイデガーと死/吉本隆明の反論/他界はどこにあるのか
    2 網野善彦と柳田国男は対立する 133
    網野善彦とは、何者か/網野史観の特色/ポスト・モダンと狩猟民/『祖先の話』――家について/見守るナショナリズム

    第五章 ナショナリズムは必要である――江藤淳『近代以前』 153
    1 戦後から江戸時代へ 154
    八月一五日=三月一一日/三つの誤解/江戸時代へ
    2 江戸思想に入門してみる 162
    二冊の書物/留学中の衝動/江藤淳はなぜ江戸儒学に注目したのか/藤原惺窩の危機/藤原惺窩の決意/一六〇〇年=一九四五年
    3 溶け出す社会 177
    崩壊から秩序へ/林羅山の登場/秩序の必要性/時代診断の結論

    第六章 戦後民主主義とは何か――丸山眞男『日本政治思想史研究』 187
    1 丸山眞男は朱子学に、まったく逆の評価を与えた 188
    『日本政治思想史研究』の破壊力/丸山眞男にとっての朱子学/江藤淳 vs. 丸山眞男
    2 安保闘争を通じて、民主主義評価は二つに割れた 196
    江藤・喪失・戦後/安保闘争/丸山眞男の論理/丸山眞男の帰結/政治的季節の中の個人/ナショナリズムは必要である

    終章 戦後思想と死の不在――ナショナリズムの「復権」 213
    ある右翼の証言/ナショナリズムの「復権」/戦後思想と死の不在

    終わりに――再び、政治の季節を前に(二〇一三年五月 被災者借りあげ住宅を出てから9ヵ月目に  先崎彰容) [225-228]
    主要引用・参考文献一覧 [229-233]

  •  著者はずいぶん熱い男なんだろうね。この本おもしろかったよ。著者の主張(お堅い・真面目)はともかく、著者の分析は独特でおもしろかったよ。

  • 「柳田國男と網野善彦は対立する」という観点は「へー」という感じで面白かった。が、所謂ナショナリズム的なものとは何なのか?その功罪みたいなモノが論じられるのかと思ったが期待ハズレだった。
    ハナ・アーレント、吉本隆明、柳田國男、江藤淳、丸山真男、小林秀雄、林羅山、藤原惺窩等々の有名思想家を持ち出し独自の観点で比較しながら、ナショナリズムは、1全体主義ではない、2宗教ではない、3民主主義ではない。と(著者曰く)誤解を解き明かしていく作業はそれなりに興味深いのであるが、じゃあ著者の考えるナショナリズムとは一体なんなのよ?って事が殆ど論じられていない。全体的的に言葉遊びをしているようで、ナショナリズムの定義論を展開しているだけ。311でナショナリズムが復権するだろうと結論しているが、「それでおしまい?」って感じで、かなり物足りない。
    本人が被災者でもあるせいか、文体に気負いが感じられ少々読みにくい所もある。ここは編集者にナントカして欲しかった。

  • NHKの「日本のジレンマ」で先崎先生が話されているのを見て購入。久々に熱い思想書来た!もう、ぞくぞくする‼︎めちゃくちゃ面白い!中野センセが好きな人は堪らないと思います。

  • さまざまな思想家の著書をたどりながら、全体主義、宗教、民主主義とナショナリズムは区別されるべきであることを示し、筆者にとってのナショナリズムという言葉の定義を明確にしていく。

  • みずからが死ねば、死者たちのなかに溶けこんでしまい、家の存続を傍らから見守ることになるだろう。近くにある他界から、つねに見守りつづける。こうした生活が、数千年かけて積みあげられてきた「民族の自然」なのだと柳田は思った。そして戦争と手痛い敗戦が、明治以来の今までの社会制度に反省と大転換をもたらすチャンスである、こうも思った。
    この場所を守り、今ここにある人間関係を次の世代に譲り渡すこと、これが「信仰」である。過去から積み上げられてきた宿命を、それは受けいれるということだ。自分の力などというものを過信しないということだ。人々の暮らしのくり返しが、そのままこの国の国柄であり、未来を築いてゆくときの唯一の判断基準である、柳田はそう思った。定住の暮らしとそこで営まれる信仰、家について考え、自分の力よりも背負ってきたものを受けいれること。これが明治以来忘れられつつあった本当のこの国の死生観であり、倫理観であったのである。(p.148)

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著者プロフィール

1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。フランス社会科学高等研究院に留学。文学博士。日本大学危機管理学部教授。専攻は近代日本思想史・日本倫理思想史。
主な著書に『高山樗牛――美とナショナリズム』(論創社)、『ナショナリズムの復権』(ちくま新書)、『違和感の正体』『バッシング論』(ともに新潮新書)、『未完の西郷隆盛――日本人はなぜ論じ続けるのか』(新潮選書)、『維新と敗戦――学びなおし近代日本思想史』(晶文社)、『吉本隆明「共同幻想論」』(NHK100分de名著)、現代語訳と解説に福澤諭吉『文明論之概略』(ビギナーズ日本の思想・角川ソフィア文庫)などがある。

「2020年 『鏡の中のアメリカ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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