ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 83
  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067357

感想・レビュー・書評

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  • 2010年、マンションの一室に二人の幼子を、真夏日に何日も閉じ込めたまま外出し餓死させた事件。このルポに書かれていることが本当なら、母親の周りには、誰一人として、幼い子供たちが現在どういう生活をしているか本気で心配する人がいなかったと思われます。人に頼れずに育った情緒不安定なこの母親は、何か得体の知れないやり切れなさから逃れようとするように、家出をしたり嘘をついたりを繰り返す。そのたびに家族は落胆し翻弄されます。「母親」「妻」「娘」としての期待を裏切った彼女に対して「こんなに面倒をみてやったのに」「こんなに親身になってやったのに」という被害者としての処罰感情を持った人ばかり。お前なんかもう知らん、子供を生んだからには母親なんだから子供の面倒をみるのが当たり前とでも言っているように、「しっかり母親をします」と念書まで書かせて、彼女と子供を大海に放してしまいました。裁判の証言で、家族からは「生活に困っていると言ってくれたら助けたのに」という受動的な発言ばかりで「あの時、自分にも何かできたかもしれない」という発言をする者がいないことに、この事件を知った時の数倍も強いショックを受けました。子供を一人では作れないのと同じで、けっして一人では育てられないです。よく言われる「女手一つで育て上げた」というのは誇張だと思います。なんらかの形で周りが助けてくれてたんですよ。どうかこの事件が、何かの導きをもたらせますようにと祈らずにはいられませんでした。

  • 世間を大きく騒がせた大阪で起きた幼児の置き去り事件。
    起きてしまった結果は悲惨極まりなく、当事者である母親がその罪を償わなければならないことは自明の理だ。だが、母親を責めるだけではこの事件の本質は決して解決しない。

    母子家庭、貧困、虐待、児童相談所、行政の関わり、人と人との関わり、親子関係、生育環境、あらゆる事が少しずつ噛み合わない方へ噛み合わない方へと転がっていってしまった。もしかしたらどこかで救えていたのではないかと、今から見ればそう思えるが、その時はそこになかなか辿りつけなかった事が、この事件をここまで悲惨なものにしてしまった。

    懲役30年が確定したというが、果たしてそれは妥当な量刑なのか。
    彼女だけの責任なのだろうか。
    判決には、虐待の負の病理の検証が不足しているように思えてならない。

    行政であれ、家族や友人であれ、適切な援助で救える命がある。でも、家族や親子というごくごく個人的な関係下での事案なだけに、援助が難しくなる側面が確かにある。
    困難を抱えた人をどうやったら救い出せるか、助けを求める余裕すらない、細い細い隙間へ落ち込んでしまった親子をどうしたら見つけ出せるか。
    今この瞬間にも、ギリギリのところで持ち堪えている親子がいるかもしれない。
    どうやったら彼らを救えるのか。
    できうる限りの手立てを尽くし、なんとか助け出してほしい。
    もう二度、こんな辛い事件は起きてほしくない。

    「助けを必要とする人たちが孤立し、自分に向き合えず、助けを求められなくなることがネグレクトの本質だ」

    • vilureefさん
      こんにちは。

      おっしゃる通りだと思います。
      この事件にしても先日のベビーシッターの事件にしても母親ばかりが責められることに違和感を感じます。
      父親の養育権放棄に関してはメディアもスルーですよね・・・。

      誰もが速やかに行政へ頼る知識と能力を持っているわけではない。いかに周囲がサポートして行くかがこれからの課題ですよね。
      2014/04/03
    • bokemaruさん
      vilureefさん、コメントありがとうございます。
      この問題は、結びつく結果が悲惨なものになりがちなのに、制度や慣習、思惑など、絡む問題が複雑すぎて一朝一夕には解決できそうにないところが厄介ですね…。
      辛いニュースを聞かなくなる日は来るのでしょうか。
      2014/04/03
  • 有名な大阪2児置き去り死事件。事件の報道を読む限りでは身近なことととして感じることはなかった。読み始めてすぐ、これは今よく見聞きする若者の生い立ちや家族関係の環境が不幸にも重なった、身近な事件だと感じるようになった。加害者となった若き母親が、些細な問題も解決する能力を持ち得なかった事情を著者が丁寧に細かく追うことで、私たちは肯定はできないが周りの優しさや勇気がもう少しあれば事件を防ぐことは可能であったことを理解できる。周囲の「誰かが何とかすればいい」という自己保身が、彼女を追い詰め、幼い子どもたちを死に導いてしまった。読了したさらに遠くにいる私たちは、同じように「誰かが何とか…」ではなく、「私たちにできることは何か」を考えるべきだと感じた。

  • 事件の事は、センセーショナルに取り上げられていたので、知ってはいたけれど、この人の取り巻く環境が、こんなにも辛いものだったのかと。

    人に助けてと言えなかった彼女をヒトゴトには思えない。

    元夫やの元夫家族の『子供を将来を思う気持ち』が本当にあったのなら、こんなことにならなかったろうし、手を差し伸べることもできたのじゃないか。『誰の子供』であるか、が重要だったんだろう。

    読む進めて行くうちに色々と、自分自身と重なり、かなりしんどい。

    『母親なるものから降りる』自分にも時々、問いかけようと思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「自分にも時々、問いかけようと思う。」
      で、もし降りようと思ったら、降りるコトが出来ますか?(非難している訳ではありません、フと思ったので)
      2014/04/03
    • kumapanchiさん
      自分自身がシングルで出身地でもないところで子育てしているので、人事じゃないくらい、重なる部分がある。
      お母さんだから、こうしなくてはという、周りからのプレッシャーはすごいけれど。
      助けてっていえる環境を作るのは、すごく大切だけど、早々簡単でもないってことも実感としてあります。
      小さな子供は絶対的信頼で、親を見ているから、その手を離さないように、といつも思っています。
      2014/07/03
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「その手を離さないように」
      何かと大変だと思います、、、辛い時は、お子さんの飛びっきりの笑顔を思い浮かべて乗り切ってください。。。
      2014/07/03
  • いかに女性が、女性だけが、女であること、妻であること、母であることを強いられているか実感しました。
    あまりに切ないし、他人事じゃない。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「強いられているか」
      男は母にはなれないけど、一緒に子育ては出来る筈ですよね。でも仕事に時間を奪われて、それを言い訳にするんでしょうね(スミマセン)。そんな社会の歪みが弱いところに負担を強いている。辛い話です。。。
      2014/04/03
  • 著者は芽衣さんにかなり感情移入しているようで周りの他者に責任を問えないかという視点がいたるところに見受けられるように思います。
    ただ本人が重要なタイミングで更生のチャンスが与えられていたにもかかわらず自ら捨て去っている事には病気や生い立ちを理由に責任追及をしていないように感じます。
    著者のスタンスとしてあえて追及しないようにしているのかもしれませんが。

    再発防止は可能なのかという視点で読み進めましたが個人情報保護が過剰に取り沙汰される現代においては自ずから限界があるのかなと感じました。
    仮に自分がこの業務に携わった時果たして何ができるのか。
    自分の中で全く答えは出ませんでしたがこの事件は忘れないようにしないといけないと強く感じました。

  • 3月の終わりに『永山則夫 封印された鑑定記録』を読んだとき、まだ読んでなかったけれど、『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件』は、たぶん同じような本なのだと思った。そして、4月半ばに『ルポ 虐待』を読んだあと、もういちど『永山則夫』を読んだ。

    二つの本は、やはり似ていた。

    "母"の呪いにさいなまれるという点では、『ルポ 虐待』は、『障害のある子の親である私たち』にも似ている気がした。母はこうあらねばならない、親なのだからこうすべきだといった呪い、「やさしく愛情にみちたお母さん」という呪いが、母でもある女性をくるしめることがある。

    2010年の夏、幼い2人の子どもの死体が大阪市内のマンションで発見された。2人の母親は「子どもを放置して男と遊び回っていた」とものすごい非難を受けていた(私はあとから頼まれてこの事件の発覚当時の新聞記事を図書館で集めたこともあって、よけいに印象に残っている)。

    複数のメディアが、母親の芽衣さん(仮名)に拘置所で接見し「なぜ子どもたちを放置したのか、どんな気持ちだったのか」と尋ねている。そのひとつ、事件発覚から半年以上が経った時点でのインタビューで報じられた芽衣さんの「肉声」は「考えても考えても、自分がやったこととは思えない。なぜこうなってしまったのか、自分の中でもまだ整理ができていないんです」(『週刊現代』2011年3月5日号)というものだった。

    「なぜ、わが子をネグレクトして亡くしたのか。答えを見出すには、自分自身に向き合う長く厳しい作業が必要だろう。治療の力を借りなければ、自分を取り戻すことはできないのではないか」(p.13)と著者は考え、芽衣さんに初めて会ったときに踏み込んだ話はしなかった。

    著者と会った理由を「子どもたちの仏前にお菓子を供えてくださったと手紙にあったからです。お礼がいいたくて」(p.7)と語った芽衣さんとは、その後何度か拘置所を訪ねたものの面会はかなわなかったそうだ。著者がそれから芽衣さんの姿を見たのは一審の法廷。

    大阪地裁でおこなわれた7日間の裁判員裁判(一審)で、芽衣さんは懲役30年の判決を受けた。芽衣さんは上告したが、二審判決は控訴棄却、「殺意はなかった」とさらに上告したものの、2013年の春に最高裁は上告を退ける決定をし、懲役30年の判決は確定した。児童虐待死事件としては例をみない年数である。

    著者は、芽衣さんとは会えないまま、事件の経緯を追い、芽衣さんの人生をたどる。芽衣さんが夫と子ども2人と暮らした町を歩き、実父や元夫、近所の人たちや友人たちの話を聞き、裁判での証言をまじえて、芽衣さんの生育歴を記していく。

    若い結婚をして、間もなく妊娠した芽衣さんは「早くママになりたかった」と心理鑑定で語ったという。芽衣さんは、離婚を考えてはいなかったが夫の親を交えた話し合いで離婚は決まってしまい、自分は育てられないという声をあげられないまま、芽衣さんが幼い2人の子を引き受けることになっていた。

    ひとりでの子育ては、芽衣さんに「見捨てられた幼少期の自分」を強く感じさせたのだろう。まるでかつての自分を見るようなわが子の姿から芽衣さんは目をそむけ、その姿から逃げるのに必死だった。「自分」を直視できず、夢の世界に逃げた。それが瞬く間に50日という放置の時間となった。

    悲劇の真因は、芽衣さんが「よい母親であること」に強いこだわりを持っていたことだ、と著者は書く。

    ▼だめな母親でもいいと思えれば、助けは呼べただろう。「風俗嬢」の中には夜間の託児所にわが子を置き去りにして、児童相談所に通報される者がいる。立派な母親であり続けようとしなければ、そのようにして、あおいちゃんと環君が保護されることもあったのかもしれない。
     だが、芽衣さんは母親であることから降りることができなかった。
     自分が持つことができなかった立派な母親になり、あおいちゃんを育てることで、愛情に恵まれなかった自分自身を育てようとした。
     だからこそ、孤独に泣き叫ぶ子どもに向き合うことができなかった。人目に晒すことは耐え難かった。母として不十分な自分を人に伝えられず、助けを呼べなかった。
     結婚当初、芽衣さんの自尊心を支えたのは、家庭であり、夫の存在、健康に育つ子どもたちだった。不安で自信のない芽衣さんは、あらん限りの努力をしてその虚像を支えようとした。だが、頑張りは長くは続かない。理想の姿が崩れかけた時、それでも持ちこたえて、関係を持続することよりも、別の世界に飛んだ。それが芽衣さんが幼い時から長い時間をかけて習慣としてきた困難への対処方法だったからだ。(pp.255-256) 

    その芽衣さんの姿は、努力するものの空回りして疲れ切ってしまい果ては身ひとつで逃げ出す、というパターンを繰り返した永山則夫に重なってみえる。愛情や褒められることや尊重されること、そういった頑張れるエネルギー源となるものを芽衣さんも、ほとんど持てていなかった。

    永山則夫が当初の鑑定では語らなかったことを、3、4年経ってからようやく石川医師の前で語ったように、時間をかけなければ芽衣さんの心にも、事件の真相にも迫ることはできないだろう。芽衣さんのケースは、一審の裁判はわずか7日間、事件発覚から3年足らずで判決が確定している。

    永山則夫の鑑定で石川医師が全身全霊で永山の人生と向き合ったように、芽衣さん自身が自分の人生を振り返り、たどり直すことに伴走できる人がいれば、そして時間があったならと思う。

    ▼芽衣さんは最後まで、母親であり続けることを望み、殺意を否定した。
     芽衣さんは、離婚の話し合いの場で、「私は一人では子どもは育てられない」と伝えることができれば、子どもたちは無惨に死なずにすんだ。その後も、あらゆる場所で、私は一人では子育てができないと語る力があれば、つまり、彼女が信じる「母なるもの」から降りることができれば、子どもたちは死なずにすんだのではないかと思う。そう、問うのは酷だろうか。だが、子どもの幸せを考える時、母親が子育てから降りられるということもまた、大切だ。少なくとも、母親だけが子育ての責任を負わなくていいということが当たり前になれば、大勢の子どもたちが幸せになる。(p.265)

    芽衣さんは私と同じ誕生日だった。下に妹が2人というのも同じ。この本では妹さんたちの話は出てこなかったけれど、姉の起こした事件のことを、妹たちはどう思って見たのだろうと、ちょっと考えた。

    (4/14了)

  • 良書だと思います。
    当たり前に考えたら、起こりえないことが起こった場合(この場合、母が子をこんな目に合わすなど、愛してるいたらあり得ない)こんな異常なことができる精神状態になってしまう経緯に興味があります。
    もちろん、罪は果てしなく重い。
    でも、鬼畜母、極刑、と叩いているだけじゃ、何も変わらないと思う。
    罪のない子ども達が、今この瞬間も闇の中に飲み込まれようとしている。
    私も4歳の娘がいます。
    子を持ってしみじみ思うのは、親が幸せでなければ、子を幸せにすることはできないということです。
    物心両面の基盤を失った母親が、なお変わらず子に愛を注ぎ守っていけるか...
    自分だって同じ状況になれば、他人事ではないかもしれません。

  • 事件について同情はできないと思っていたけれど、彼女の生育歴を知ると何とも言えない複雑な感情が芽生えました。
    大阪に越してきてからの出来事も詳細に描かれていて、読んでいて苦しくなる部分も少なくなかったです。
    現実から目をそらすことが、彼女の生きる力になっているようにも感じました。
    一番衝撃だったのは、義母が発した「育てられないなら、子どもたちを庭先においていってくれたらよかったのに」という言葉。
    ”(子どもを)庭先においていく”って…孫に対してモノを扱うようなぞんざいな言い方をするものなのかと。
    元嫁から裏切られた気持ちが大きかったゆえの発言かもしれないけれど、それでもやっぱり引っ掛かるし、彼女に同情したくなる部分でした。
    もうこんな事件の”新たな”ルポは読みたくないです。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「”新たな”ルポは読みたくないです。 」
      杉山春が「ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか」を執筆したのが2004年だから、、、悲しいけど繰り返されるのかなぁ。。。私達には何が出来る?何をしなければならない??
      2014/04/03
    • まぬる猫さん
      >nyancomaruさん
      コメントありがとうございました。
      本書を読んで気になったのは近隣の人が子どもたちの声を聞いて複数回匿名通報していたことです。通報した方を責めるつもりは毛頭ないですが、匿名でなければ通報された側との連携も取れてもしかしたら…という考えがよぎってしまいました。
      とはいえ、自分もマンション住まいですが、同じ状況になったら「ただ叱られてるだけで自分の誤解だったらどうしよう」「通報したことで逆恨みされたらどうしよう」「どの部屋か確証もてないし…」などと考えて匿名で連絡してしまってたと思います、少なくとも本書を読むまでは。
      小さい子どもは自分たちの状況を伝える手段が大人よりはるかに少ないですよね。それを(関係性だけでなく物理的なところも含めて)近くにいる大人が掬い上げるアンテナを持っていないと…と感じた次第です。
      2014/04/04
  • ものすごく滅入るけど、取材は圧倒的である意味羨ましくなる。しかし、どうすればいいんだろうなあ…

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「どうすればいいんだろうなあ… 」
      適度にお節介になり、緩やかなネットワークを作り。若い世代を応援するコトです(格好よく言ってる私ですが、全然出来てないです)。。。
      2014/04/05
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