青木昌彦の経済学入門: 制度論の地平を拡げる (ちくま新書)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067531

感想・レビュー・書評

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  • • 制度が重要である(institutions matter)ということは、同時に歴史が重要である(history matters)ということでもある。比較制度分析を進めるのには、いろいろな国の歴史分析による比較歴史情報と、ゲームの理論という分析用具を、車の両輪のように相携えていかなければならない(グライフ2006)(64)
    • マーク・グラノベッター(Granovetter)社会学者、「社会的埋め込み(social embeddedness)」利己的な行動を抑制(65)価値というものが人間から独立に、外部に存在すると考えるのは、古い社会学の欠陥。そもそも、その起源を説明できないから。規範とは、社会交換をつうじて生み出され、維持されるもの。新古典派経済学の利己的な経済主体像は個人主義に過ぎる。実際には、経済取引というのは、友人関係、取引関係そういう社会関係の網の目のなかに埋め込まれている(embed)。そういう関係のなかで人々は戦略的に行動している。
    • グローバル化が進んでも、すべての国の制度構造がのっぺらぼうに同じになったら、一つ破綻が起きれば大変なことになる。
    • メカニズム・デザイン論(106)
    レオニード・ハーウィッツ:制度を変えるためにはintervener(デザインと実施の間に介在する人)という存在が必要だ。例として、カリスマ的指導者、組織されない大衆
    • 制度は経済学者のノースが考えるように行動に関する制約なのか、あるいは社会学者の盛山和夫が『制度論の構図』で述べたように、社会的な意味の体系というところに本質があるのか。こうした対立がある程度ゲーム的な考えで統一的に説明できるのではないか。制度を共通認識、予想と考えれば、そういうものが人間行動に何らかの規則性を生み出す。個々人にはそういう共通知識は制約として感じられるかもしれないが、それはまた人々の行動選択によって確認され、再生産されていく。個々人のさまざまな選択の中からあるパターンが共通認識として成立していくには、何らかの人々の外部に存在する認知的な範疇の介在が資源として必要。それが法や、社会学が強調してきたさまざなま言語的表現や社会的シンボルの役割でもある。(110)
    • 「普遍性」と「多様性」はどうやって折り合いがつけられるのか(122)
    • 東アジアの国々は、自然条件、農業環境を共有しながらも、さまざまな制度的特質を有していた。たとえば、土地所有権の保障、土地貸借契約の履行、農民相互の信頼関係のあり方、相続慣行、そして政治形態を品質的に規定する租税義務のあり方などについて、東アジア内部にはかなりの多様性が見られた。こうした多様な制度的対応は、東アジアを一括りに論じることはできないとわれわれに教えている。プロテスタンティズムとの対比において「儒教」、民主主義との対比において「全体主義(totalitarianism?)」、古典的マルクス主義の強調する「地主による搾取」、法に基づく統治と一般化されたモラルとの対比において「同族結合」、個人主義(individualism?)との対比において「集団主義(collectivism?)」などの概念枠で一括することは到底できない。(166)
    • 規範の日中比較-メンバーシップ対グアンシ(コネ)(172)
    membership-based norm:村の構成員であることは、協調の規範や相互監視に実効性を与える上での必要かつ十分条件であった。
    • 制度分析の三つのレベル-本質、実体、政策(190)
    (a)「制度とはなにか」という本質論
    (b)国家、法、組織、契約、社会規範といった諸制度の具体的現れ、すなわち制度の実質的形態とそのあいだのリンクや補完性、歴史的発展経路
    (c)現存する制度体系の働きの現状分析とそれに働きかける政策にかかわる議論
    • プロセスとしての制度と外在的な公的表現(196)
    制度とは、社会的ゲームにおいて回帰的に(recursively)生じ、またこれからも生じるであろうと互いに期待(予想)されているような、プレーの状態の際立ったパターン(salient patterns)
    • 法ドメイン(206)
    制度理論に法を位置づける試み:ケンブリッジのディーキン(Deakin)
    • 歴史制度分析-明治維新と辛亥革命(209)
    とくにわれわれ日本人にとっては、西洋との対照を念頭に置いた東アジアの比較歴史制度分析は、重要な課題である。
    ウィットフォーゲル(Wittfogel)の「東洋的専制論(Oriental depotism)」や「集団主義対個人主義」「血縁(kinship)にもとづく規範対一般化された(generalized)規範」など単純な図式を用いたものが多い。ともすると、西洋の学者の議論は、アセモグル=ロビンソンの議論がそうであるように、都市、工業、法の支配というような西洋近代化の象徴的なファクターに焦点をあて、その東アジアにおける失敗を論じようとする。そうした西洋の制度的発展を理念型とした比較論は、では中国の経済発展がなぜ突如遅れて起こったか、ということに関して、単純な政治的決定論に依拠するという脆さを持っている。
    • 制度の現状分析と政策分析(215)
    社会科学の目的が、人間社会の現実的および規範的なあり方についての理解という知的営為にあるとすれば、現状分析と政策分析が制度論の究極的な仕事であるとさえいえる。
    • 制度の働きに関する本質的な理解と、歴史的に形成されてきた制度の実質形態の分析多岐な理解は、そうした陥穽に陥ることをいさめてくれるだろう。そうすれば、制度改革に関する公論の場において、経済学は制度の歴史的経路を与件としつつ、人々のインセンティブと両立的で、かつ社会にとって資源制約的な制度の可能性を提起するという、独特の役割を果たしうることになるだろう。
    • 日本の制度の再構築(219)
    70、80年代の日本の組織の強み:緊密な情報の共有(上からも下からも、水平の部局間でも相互の情報交流)。しかし、デジタル時代を迎え、情報やデータはもと高速で効率よく共有されるようになり、このような日本企業の利点は失われた。
    • 移りゆく30年(228)
    バブルが破裂し、自民党一党支配が終焉した1993年が画期。
    今の日本が必要としている改革の要は、活動人口の減少、いっそうの都市化・サービス業化など、人口と雇用構成の永続的な変化への対応にある。



    <メモ>
    • 政治学でいう安定(stability)が経済学でいうところの均衡(equilibrium)か?
    • 誰がその国を動かしているのか(政治家、官僚、民間企業、軍…)
    • 西洋の学者が日本、中国について論じるのは、その国(の経済)に勢いがあるとき

  • 比較制度分析の第一人者として知られる著者のエッセイや対談などをまとめた本です。

    「はしがき」によると、本書は青木昌彦の『経済学入門』ではなく、『青木昌彦の経済学』入門とされています。とくに岡崎哲二や山形浩生による著者へのインタヴューは、制度論的な立場にたどり着くまでの著者の歩みや、制度論の基本的な考え方などが語られており、本書のタイトルとなっている「青木昌彦の経済学」への入門としての役割を果たしているように感じます。ただ、制度論についての包括的な解説ではなく、さまざまなテーマにかんして制度論的アプローチにもとづく著者の考えが比較的わかりやすいことばで語られているという印象です。制度論について本格的に学びたいという読者は、肩すかしの印象を受けてしまうかもしれません。

    そのほかにも、中国経済についての呉敬璉との対談や、現代経済学のありかたと日本経済の現状についてのミルトン・フリードマンとの対談なども収められており、興味深く読みました。

  • 流石にこの本一冊で、青木氏の理論を学ぼうというのは無謀であった。。。
    ただ、何となく読んでおいたら、今後役に立つかも。

  • 制度経済学の日本における第一人者。けれど「日本における」ってのは語弊があって、この方、活動の拠点はほとんどスタンフォードなどアメリカだったし、書き物も英語でやっている。その思想も明らかにアングロサクソン風味である。

    この本は、わりと最近の論文や対談を集めたもので、多少の重複などあるが、難しくなりすぎずに、まさに入門らしい仕上がり。ただ、こう読んでいてかゆい所に手が届かない感覚が残った。理解力不足か。

    ・制度論は経済学の中では盛り上がってきている分野らしい。ゲーム理論がバックボーンになっている。→たしかに制度抜きで経済を語れないし

    ・制度をルールとしてではなく、より広く、均衡として考える。

    ・歴史的経緯があるから複数均衡、すなわち複数の制度がある。→そのとおりなんだろうが。。。個別論まで踏み込まないとso whatな感じ。

    ・これまで西欧中心の制度経済学が多かったが、東アジアの諸制度にも焦点を当てた研究を。→本書唯一の具体論の箇所なのだが、こちらの知識不足のせいか日中の類似を論じている箇所なのか、差異を論じている箇所なのかもつかめなかったり。

    ・ゲーム理論では、ナッシュ均衡が成立するためにプレイヤー間の共同知識(それぞれのプレイヤーが他のプレイヤーが何を知っているかを知っていて、そのことを他のプレイヤーも知っていて、さらにそのことを各プレイヤーも・・・)が必要なことがわかっている。この共同知識を制度として外出しすることで、無限循環みたいなことにならなくするのが、制度論のミソのひとつのようである。たぶん。

    ・電力論やオリンピック論でちと萎えた。

    山形浩夫との対談は悪くない感じで噛みあっている。

  • 経済学の専門家による経済制度論。講話や対談を中心に制度論やゲーム理論について述べているが、あまり理解できなかった。意義についても理解できていない。
    「(ソ連について)国家による資本の所有と運用は、多くの人が予想していたように非効率的でした。その理由は単純です。人はだれも、他人のお金を自分のお金を使うように注意深く使わない。それが重要な命題です(フリードマン)」p217
    「今後、中国は自由な市場が生み出す民間セクターの圧力と、中央集権の政治システムに伴う圧力との摩擦が大きくなるでしょう(フリードマン)」p224

  • 青木の捉え方をホログラフ風に見せるという編集なのかもしれないが、雑文の集合とも見える。

  • 難しすぎ。

  • 青木経済学の主要コンセプトがやさしく紹介されている。

  • 経済学のなかでも特に制度論に重点を置いて、理論の概説と応用事例を、筆者の講演や寄稿を再構成する形で紹介している。

    制度論はゲーム理論をベースにしているが、異なる変数域(ドメイン)でプレーされる複数のゲームのあいだの相互作用も捉えようという視点を持っている。複数のドメインーマーケット、政治、社会的交換等―の間をつなぐリンケージの変化についても分析の対象とするが、このことにより、シュンペーター的なイノベーションー新結合―についても捉える視座を持っている。

    具体的な応用例のなかでは、東アジアの雁行形態の経済発展モデルを新しい視点から捉えた分析が、非常にダイナミックな視点を持っており興味深かった。

    この分析では、経済の成長段階を①雇用の大部分が農業であり、人口増・雇用増により経済規模が拡大するが、収穫逓減の法則により経済成長は人口増に追いつかない段階、②工業技術の発展と工業への雇用移動により、経済規模が急速に拡大する段階、③経済思潮が内生的な人的資本(全要素生産性と人的資本投資)の蓄積によって駆動される段階の3段階に分けている。

    それぞれの段階は、経済や人口の動態の統計から捉えることができる。また、各段階において必要となる社会制度の枠組みが異なっており、その変遷を分析することができる。

    日本は現在③の段階にあるが、韓国や中国が急速にその後を追っている。特に、後続の国々において前の段階が十分に成熟しない段階で次の段階の特徴(人口の高齢化や出生率の急速な低下)が起こる場合にどのような施策が必要となってくるのかという視点が得られるのは、非常に有益な分析であると感じた。

  • 【メモ】
    ・初出は第四章第一節の書き下ろし部分のみで、ほかは過去になされたものの収録。

    ・気になった箇所を抜き書き。第二章第三節の対談:「青木先生、制度ってなんですか?」(青木昌彦と山形浩生の対談)から。

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    山形  物理学を考えると、いずれはすべてのドメインを統合した第一社会学理論のようなものが生まれるのではないか、と考えたりもしますが、法学、社会学、経済学を全部まとめあげるような体形は、方向性としてありうるとお考えですか。
    青木  社会科学では、これまで制度についてはいろいろな対立がありました。法実証主義やメカニズム・デザイン論が追及しているように意識的に設計されうるものであるのか、あるいはハイエク〔2007〕が考えるように進化的に、自生的に作られていくものと考えるべきなのか。あるいはサール(Searle 2010)という哲学者が考えるように、人間の権利とか義務とかいう価値と合理的な選択とは二分法的に考えるべきなのか。そうでなくゲーム理論家のビンモア(Binmore 2005)が考えるように前者もある種の社会合理的な合意の選択として考えられるのか。制度派経済学者のノースが考えるように行動に関する制約なのか、あるいは社会学者の盛山和夫教授が『制度論の構図』という名著で述べたように、社会的な意味の体系というところに本質がるのか。
      実はこうした対立が、ある程度ゲーム的な考えで統一的に説明できるのではないか、と思っています。先ほども示唆したように、制度を共通認識、予想と考えれば、そういうものが人間行動に何らかの規則性を生み出す。個々人にはそういう共通認識は制約として感じられるかもしれないが、それはまた人々の行動選択によって確認され、再生産されていく。そういう循環関係にあるのですが、ただ、個人のさまざまな選択の中からあるパターンが共通認識として成立していくには、何らかの人々の外部に存在する認知的な範疇の介在が資源として必要です。それが法とか、社会学が強調してきたさまざまな言語的表現や社会的シンボルの役割でもあるわけです。こうした関連性を考えていく上では、なぜそこからひとびとの共通認識を持ちうるようになるのか、ということを考えるうえで、山形さんも勉強しておられる認知科学や脳科学なども、今後はおおいに関係してくると思います。〔……〕
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    (本書pp.109-111)



    【目次】
    はしがき 

    第1章 経済学をどう学ぶか 023
    私自身、こう経済を学んできた(聞き手 岡崎哲二)
    経済学を学ぶ心構え――京都大学経済学部の学生諸君に招かれて

    第2章 制度分析の考え方 049
    制度分析入門――そして日本の今をどう捉えるか
    制度のシュンペーター的革新と革新の制度
    青木先生、制度ってなんですか?

    第3章 制度分析の応用――日本と中国の来し方・行く末 123
    伝統的な経済成長モデルの限界をみつめよ――呉敬璉教授との対話
    雁行形態パラダイム・バーション2.0――日本、中国、韓国の人口・経済・制度の比較と連結
    中国と日本における制度進化の源泉
    福島原発事故から学ぶ――望まれる電力産業の改革と革新

    第4章 制度論の拡がる地平 189
    制度論の拡がる地平――政策、認知、法、文化的予想、歴史をめぐって
    資本主義はどうなるか――ミルトン・フリードマンとの対話
    先進都市化と卓越したチーム力を競おう――2020年東京オリンピックに向けて

    初出一覧 235
    註    ix
    参照文献 i

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著者プロフィール

スタンフォード大学名誉教授。経済産業研究所(RIETI)所長などを歴任。著書に『比較制度分析に向けて』(NTT出版)他多数。2015年7月15日に逝去。本書には単独としての最後の論文が掲載。



「2016年 『比較制度分析のフロンティア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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