哲学入門 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 774
レビュー : 41
  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067685

感想・レビュー・書評

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  • 本作は科学的な唯物論を前提としつつ「意味」や「道徳」などこれまで哲学専門とされてきた「存在しなさそうでしてるもの」の問題について哲学的観点から考察する骨太な哲学入門書だ。
    当たり前だけど哲学は死ぬほど難しい。実証的ではない故に答えがひとつに定まらないからだ。完璧に理解とか正直ムリゲー。
    ただ、「哲学は問い方が大事」という著者の基本姿勢は普段の問題解決においても非常に重要であるように思う。つまり事象を様々な観点から分解し、極限まで具体化して問う。そして出た答えもこれまた極限まで抽象化、一般化する。このような思想家の高度な思考プロセスが疑似体験できるため学びはたくさんある。論理的思考力を鍛えたい方には非常におすすめの本。

  • 「意味」「機能」「目的」「道徳」…凡そ物理的世界から切り離され、「いわゆる哲学」の領分とみなされがちなこれらの抽象概念を、人間という特定の観察者の視点を排し、物理的・科学的に記述しようとする試み。各章の構成は「問題提起→次の章で検討→新たな問題出現」、とシンプルな直線構造で読み進めやすいが、何せ各章の内容がそれだけで独立した新書が一冊書けるんじゃないかと思えるほどに濃密で、安易な読み飛ばしを阻んでいる。議論が展開されるフィールドも記号論・情報論・進化論・認知論とまさに多岐にわたり、思わず見当識を失いそうになるが、程よい間隔で総括が挟み込まれ、読み進めるうちに自分のロケーションをすぐに取り戻せるよう配慮されている。読み易いのは筆者の軽妙な語り口の所為だけでは決してない。

    基本の道筋としては第2章に典型的にみられるように、それぞれの概念の成立条件を検討(概念分析)するのではなく、「より利用度の高い知識を入手するには既存の概念の枠組みをどう改訂すればよいか(理論的定義)」を主眼として議論が進んでゆく。このところは素人目にご都合主義と思えなくもないが、新たな枠組みの元でその概念が唯物的世界にキレイにはめ込まれた時の美しさと爽快感には抗し難いものを感じた。

    そして長い推論の果てに終章で投げつけられる「すべての人生に価値があるわけではない」「人生に意味などなくともよい」などの刺激的な言葉の数々。表面上否定的な色彩をまとうこれらのシニカルな言説も、この本を読み終えた後ならすんなりと、しかも驚くほどポジティブかつ挑発的な響きを伴いながら胸に浸み込んでくるはずだ。

  • 難しかったので、ふわっとしか理解できなかったけれど、哲学するとはこういうことかとその一端を教わった気がする。引っかかった箇所はマーカーを引いたので、少し時間をあけて再読したい。文体としては、わかりやすさを意識してか口語で書かれているのが、私としては逆にわかりづらく感じてしまった。冗長率が高すぎるというか…。

  •  概説書ではありませんが、しっかり入門書の役割を果たしています。


    【目次】
    目次 [003-010]

    序 これがホントの哲学だ 011
      ありそでなさそでやっぱりあるもの  たとえば「意味」はあるのか、ないのか、と考えてみる  私の唯物論マニフェスト!  哲学的「課題」ってちょっと厄介  第一の戦略――これが存在もどきの正体だ!  還元主義ではうまくいかない  第二の戦略――存在もどきは観点に応じて現れる  第三の戦略-人生に必要なものはすべてバクテリアの頃からもっていた!  この本は、意外に本格的なのだ  哲学にできること、できないこと

    第1章 意 味 035
      哲学はどう始めるかが大事  チューリング・テスト  精神分析医型プログラム・イライザ  「知能をもつ振り」はできるか 意味の理解」がないじゃないか!  中国語の部屋  サールの議論に反論してみる  サールの再批判に反論してみる(その一)  サールの再批判に反論してみる(その二)  ロボットでもダメだよというサールの議論  なぜロボットは心をもたないように思えるのか  ロボットに心をもたせるために  生存の目的をもつロポットだけが「意味」を理解する  後半の課題  認知科学は認知をどうとらえているか  問題の立て直し作業  解釈者なしの意味  因果意味論  目的論的意味論  目的論的意味論への批判に答えてみる

    第2章 機 能 107
      本章の問いはデカイぜ  ありそでなさそな機能  ビッグな存在もどきとしての機能  〈いまそこにないもの〉 へのかかわり  「機能」の起源論的説明とそれへの反論  ミリカンは反論にどう答えたか  概念分析って何か  概念分析と分析哲学への疑問  実験哲学のインパクト  哲学の仕事は概念をつくることだ  哲学はことがらそのものを探究する(べきだ)  ミリカンの定義は機能の概念をつくっている  「本来の機能」の射程は長い 機能カテゴリーって何だ?  統合的な説明が科学において果たす役割  起源論的説明vs. 因果役割的説明  ミリカンの逆襲  「本来の機能」概念の理論的目標

    第3章 情 報 139
      解読者を前提しない情報  情報概念の多義性と曖昧さ  「情報とは何か」とは何かを先に問うべき  三つの情報概念とその関係づけという課題  本章でやること  シャノンの情報理論をおさらいする  通信システムの定義  現代風の情報量とエントロピーの定義  シャノン自身は情報理論をどう展開したか  シャノンたちのアイディアの新しさ  通信と関係なしに使える情報の概念  ドレツキの仕事の目標  情報量の理論から情報内容の理論をつくらねば  エキヴォケーション――情報量の理論から情報内容の理論をつくるための準備  ゼロックス原理――情報内容の定義に向けての最終準備  ゼロックス原理から情報内容の定義が満たすべき要件を導く  情報内容の定義が満たすべき要件  いよいよ情報内容を定義する  情報の入れ子構造  情報Aはどうなった  因果と情報の流れ  意味の素が手に入った

    第4章 表 象 193
      「いいとこ取り」はダサイかもしれんが、哲学の大事な仕事  志向性とは何か  本章で行うことをきちんと述べると  志向的記号と自然的記号  ドレツキの「自然的情報」の概念は、生きものの役に立たない!  生きものに有用なのは「局地的情報」だ!  ただの偶然の一致よりは強く、普遍法則よりは緩い「つながり」  局地的反復自然記号  自然な準拠領域  志向的記号と自然的記号はどういう関係か①――ドレッキ批判を手がかりに考えるく  カンのドレツキ批判  記号の消費者も考えろ  志向的記号の定義をやり直せ!  志向的記号と自然的記号はどういう関係か②――思ったより厄介な両者の関係  ドレツキとミリカンは目標は同じだが、アプローチが異なる  記号生産メカニズムの本来の機能は、真なる表象を生み出すこと  志向性の謎は解けたか

    第5章 目 的 233
      間違うことのできる表象をもつ利点とは  人はどうして「目的手段推論」を身につけたのか、という問い  生きものの認知デザインの進化を考える枠組み  オシツオサレツ表象  「オシツオサレツ表象」と「アフォーダンス」  Bアフォーダンス  オシツオサレツ動物にはできないこと、そしてなぜできないのか  どうすれば実現できるのかわからない目的を、人はもつことができる  記述的表象と指令的表象の分離への第一歩!  もう二種類の準事実的表象  目的状態表象が完全に分化しているってどういうことか  目標が実現されるように行動を調整し導く表象  信念の分化  わがはいはポパー型生物である  シミュレーションに不可欠なのはどんな表象か  逆問題とタスク分析  ホンマもんの目的手段推論  ホンマもんの目的手段推論の特徴  目的手段推論は、他の能力の進化の副産物?――(その一)他者の心を理解する能力  目的手段推論は、他の能力の進化の副産物?――(その二)  言語の運用能力  人間は拡張機能のついたオシツオサレツ動物だ

    第6章 自 由 289
      石やカエルには自由はないが、われわれには自由がある……!?  「自由意志はあるのか」がなぜ問題になってきたのか  ラプラスのデモン  メカニズム決定論  決定論と自由の問題をめぐるいくつかの立場  デネットの両立論とその特徴  「行為者因果」としての自由意志?  自由意志の脱神話化あるいはデフレ政策  自由意志概念の二つの構成要素  量子力学の確率的法則は自由意志の助けになるか  自己コントロールとしての自由  決定論は自己コントロールの障害ではない  自然法則に従うことは、何かに「コントロール」されることではない  因果と理由  人間の自由と原始的な生きものの自由  「反省的検討」は因果的世界で意味をもつか  他行為可能性  「決定されている」ということは「不可避的」ということとは違う  他のようにもすることのできた能力  もつに値する「自由」

    第7章 道 徳 339
      「はやぶさ」がエライのか?  道徳的に重要な自由意志 言語を介した反省的思考は自己づくりを可能にする  自己づくりがなぜ自由と関係するのか  自己づくりは徐々に進む  「自己」はどのようにして現れたのか 「自己」は物語からできている  責任ある意志的行為  責任があるから自由意志がある?  責任をとるという実践は、どのように進化したのか  協力の進化が自己づくりのルーツになった  コミュニケーションの進化が助けてくれた  デネットへの不満  もしも「自由」が幻想にすぎないとわかったら  ペレブームのハードボイルド路線  自由と責任がなくなったら道徳はどうなる?  帰結主義は無傷で残る  他に残るものはあるだろうか?   ハード決定論は犯罪者をどう扱いうるのか  罰はどう正当化されるのか  隔離説は正当化されるか?  犯罪者を「治療」する  もしも科学が人間の自己コントロール能力の脆さを証明してしまったら  自由意志なき世界はディストピアか

    人生の意味――むすびにかえて 397
      すべては決定されているんだから、人生に意味なんてないよ  「意志的努力」の価値  俺たちただの進化の産物だし、その生に究極目的なんてあるわけないもんね  人生は、短めの目的手段連鎖の集まりである  この大宇宙の中で、ちっぽけな僕らの生に意味なんてあるのでしょうか……  なぜ人生が無意味に思えるのか  アイロニカルな笑みをたたえ、ジタバタ生きる――デフレ的な人生の意味

    参照文献と読書案内 [413-439]
    あとがきまたは謝辞または挑戦状(二〇一四年二月 戸田山和久) [440-446]

  • 本書は『哲学入門』と銘打っている。そして、「本書は、哲学の中核にみなさんをいきなり誘いこむことを目論んでいる」という。いきなり高い視点でハードルを上げているが、それだけの準備ができたという自負が著者にあるのだと思う。その気負いを少しそらすためなのか、全編でかなりくだけた表現をしているが、その内容は自ら「哲学の中核」というだけあって深い。お

    著者は、基本的には唯物論者である。ここでいう唯物論とは次のような形で定義される立場だ。
    「この世はようするに、物理的なものだけでできており、そこで起こることはすべて煎じ詰めれば物理的なもの同士の物理的な相互作用に他ならない、このように考える立場は、政治的立場が何であれ唯物論だ」
    そして、現在において哲学を考えるにあたってはもはや唯物論以外の立場を取りようがないのではない。その唯物論的前提の中で、どのようにして哲学の主題となる自由意志や道徳など様々なものができあがっているのかを問うのが現在の哲学の役割だと自分も思う。著者はそれら哲学的主題を「ありそでなさそでやっぱりあるもの」と表現し、「存在もどき」ととりあえず呼び、その成立の由来と根拠を主題として論を進める。具体的には、「意味」「機能」「情報」「表象」「目的」「自由」「道徳」そして「人生の意味」だ。これらのものたちは、通念上当然存在しているように思うし、現実生活を営む上でそれがあるように振る舞っているのだが、唯物論の立場で科学的に考えていったときになぜそれがそのようにあるのかが、本当にそれがあるのかがいったんわからなくなる。
    もちろん、それらは何とかして物理的な相互作用とは別に存在しているのだと実質的な二元論的な理解を主張することも可能かもしれないが、そういう人たちに対しては著者は「いつまでも棲み分けできると思っている人たちは、科学が「ココロの世界」を侵食する能力を軽く見ているのだろう」とバッサリいく。著者が次の宣言を読むとき、自分の期待値がずいぶんと上がった。意外に掘り出し物だったかと。そういうことを自分も考えたかったからだ。

    「そうすると、唯物論者にはすごくスリリングな課題が与えられることになる。つまり何とかして、存在もどきたちをモノだけ世界観に描き込むこと。このようにして、唯物論的世界観では「ありそでなさそ」になってしまうものたちに対して、やっぱりある仕方で「ある」と言っていいです、あるいは、これまで思っていたような仕方であるわけではないけど、ちょっとだけならあります、あるいは、それはやっぱりないけど、代用品ならあります、と言ってやること。これは面白い課題だ」

    そこで、著者が取る戦略は、還元主義でも、何らかの「レベル」というものを導入するものでもなく、次のような進化論的な観点から解決する戦略となる。
    「存在もどきはこの物理世界に最初からあったわけではない。しかし、それらはこの世界の中でだんだんに湧いて出てきた。「意味」も、「目的」も「機能」も。という考え方だ。この考え方を基本的な枠組みとして採用し、どこまで行けるかを試してみようというのが本書の目標である」ー 言い換えれば、「物理的世界の中で、存在もどきがそうでないものから現れてくるプロセスを明らかにし、そのシナリオをつくれ」ということである。

    著者は、中でも「自由」に切り込むに当たってダニエル・デネットを広く援用しているが、デネットが自身が自らの心の理論をダーウィニズム的アプローチと呼ぶように、著者も様々な哲学的課題を進化論の観点から捉えようとする。著者は、そのことを「あるベストセラーのタイトルをもじって言えば、人生に必要なものはすべてバクテリアの頃からもっていた、というわけ」と書いている。本書刊行後に出版されたダニエル・デネットが自身の心・意識に関する思索の総まとめを目指した最新著作『心の進化を解明する』の副題が「バクテリアからバッハまで」と同じバクテリアを象徴的な起点として語っているのは大変興味深い一致である。

    本書は次の順番でどうやって「存在もどき」たちが生まれてきたのかを語っていく。

    第1章「意味」ー 心が何かを意味できるという存在もどきが発生したかから入る。ここではチューリングテストから意味とは何かを探る。そこで中国語の部屋などでも有名なジョン・サールをカテゴリー錯誤として批判する。サールの本はいくつか読んだが、前提として端的には唯物論をまず否定していて、どうもしっくりいかなかったのはあまりも複雑で精妙だったからかと思ってもいたのだが、そこで感じていた違和感の正体がカテゴリー錯誤という観点で見えたような気がした。ここでは著者は自身のポジションと同じ現在の哲学者ということで、ルース・ミリカンの目的論的意味論を紹介している。意味を進化の歴史に紐づけているのだが、これがなかなかにハードである。
    第2章「機能」ー 「機能」という概念が、前章の「意味」や「目的」「自由」といったものをつなぐハブのような役割を果たすという。「機能」の定義を、それがどのように生じたのかという過去の経緯に訴求するという意味で、進化論的、発生論的な議論である。これを機能の「起源論的説明」というらしい。おそらくは、ここをしっかり理解しないと著者の求める議論についていけないのだが、あまりついていけている自信はない。ただ、簡単にわかることではないのだろうけれども、この方向の議論にきっといいことがあるよといった雰囲気をにおわせる。そこは著者の腕なのかもしれない。ミリカンという人の本についてももっときちんと知りたいという気にもなる。
    第3章「情報」ー シャノンの情報理論が取り上げられ、そこから情報の流れとして表象の進化が発生するとする。この辺りの理論も正確に理解できたとは思えないが、哲学において科学としての情報理論が重要であるということを改めて理解した。トール・ノーレットランダーシュの『ユーザーイリュージョン』でもラプラスの悪魔と情報理論の話から始めていたが、それが必然的なものであることを改めて認識できた。工学的な必要性から確立されたシャノンの情報理論が、解釈者なしの情報概念という意味で哲学的にも重要であるという指摘は面白い。情報の流れを条件付き確率で語っていくのは、やりすぎの感覚が個人的には否めないが、「情報」の哲学上の重要性を感じることができる議論である。
    第4章「表象」ー 前章の「情報」を受けて、情報の流れが意味の素となり、表象が進化する筋立てを組み立てている。第1章での「意味」は生物特有のものであったが、生物なくしても意味の素はあるという議論が展開される。そのことによってモノだけの世界に表象を導入しようとする試みである。ここで、意識の議論でもよく出てくる「志向性」がやはり出てくるのである。
    第5章「目的」ー 前章の「志向性」に媒介されて「目的」が現れてくる。そして「本来の機能」とも「目的」はつながってくる。ここでさらに「アフォーダンス」という概念が出てくるのだが、このアフォーダンスはデネットの意識の議論でもよく参照される概念だ。人間が目的を持つために、表象とアフォードの間にタメを持つことが進化上有利であり進化的にその能力が獲得されてきたと説明される。「目的」とシミュレーション能力との関係が論じられる。そして、進化論的議論の結果として、われわれが普通に持っている「目的手段推論」は、実際には他の生物が持っているニーズと知覚情報によって決定されるアフォーダンスという傾向性を調整するための拡張機能と解釈する。
    第6章「自由」ー そして、いよいよ「自由」である。「自由」は「存在もどき」の代表選手だ。この章でリベットの実験についても軽く触れられるが、その議論は本質的な議論にはあまり関わらない。「意志」と「意識」とをわけて考えるべきであり、リベットの実験は「意識」の問題であると正しく理解されているからではないだろうか。ここでは自由意志の問題を「責任ある自由な行為主体」と「認知計算メカニズム」という二つの自己理解の対立としてとらえる。そのために、まず「自由」と「決定論」とが両立するのか、それとも両立しないのかといったところが議論される。ここでダニエル・デネットが両立論の議論の代表としてフィーチャーされる。デネットは通念とは逆に、自由意志は決定論を必要とすると主張し、そもそもわれわれが求める自由意志とはそういうものだと論じる(著者はこれを自由意志のデフレと呼んでいる)。ここまでの議論は「理由によって行為するということは物理的原因によって動かされることに反しない」ということを示しており、人間の自由の特色を、その行為の理由を知ることができることだとし、「人間の自由は反省的自由」だと結論付ける。人間は、表象の進化によって、「自分の目的・欲求と信念についての表象をもつことができる」からだ。そして、この反省的検討に、言語能力が必要となるという形でさらに議論が進む。また重要な点だが、自由の必要条件ではないかと素朴に考えられる「他行為可能性」じは自由の存立には必要ないという議論を準備する。「責任」は他行為性を含意しないことから、「責任」は決定論と両立すると主張する。責任論の観点からも決定論のかん「自由」は問題ではなく、その意味で「自由」はあると考えていいのである。
    第7章「道徳」ー 前章を受けて、「自由意志がないと道徳もなくなってしまうのか」という問題について考える。ここで道徳とは、行動に対して社会で通念行われている賞賛や非難が与えられる「道徳というシステム」を指す。著者はデネットを援用しながら「責任主体であるためには、ある程度の自己を自分でつくりあげた歴史が必要」だという。そして、「自己は実体というより組織化のされ方」だという。さらにリチャード・ドーキンスの「延長された表現型」に倣って「自己を延長された表現型の一種」だと考えるべきだと提案する。そして、自己を構築するために言語が必要となるという。言葉によって紡ぎだされる物語によって自己が構築されるというのである。そして、デネットは主客を逆転させて、責任があるとみなすよい理由があるときに、自由があったんだと判断するべきだという。これが合理的に価値のある自由だと、自由の定義を見直すのである。そして、責任を取るという行動が、互いの協力を引き出すために進化的に有利であったために進化してきたものだと論じる。デネットの理論に多くを依拠しながら著者により描かれた図29の自由の進化をまとめた図はひとつの到達点であるだろう。そしてさらに踏み込んで自由意志なるものがないとした場合であっても、「道徳的に価値のある自由意志は存在しないことを認めて道徳システムを作り直す」ことを提案する。かつて、神を捨てたり、無意識を発見して取り込んだりしたように、今ある道徳とその根底にある人間観を変化させる可能性を考えるべきだ、というとき『ホモ・デウス』で語られる人間至上主義からの転換を思い浮かんだ。自分にとっては本書で考察されている自由意志と責任が、類似する議論の中で今のところもっともしっくりとくるものである。その意味でも法的な犯罪に対する社会システムに関しては、本章で取り上げられているペレブームの犯罪者処罰の根拠を、応報主義、道徳教育による矯正論、社会的抑止論、正当防衛論に求めるのではなく、社会からの隔離に求める議論は有意義であるように思われる。
    むすび「人生の意味」ー 自由意志や道徳について突き詰めたときには、それでは個々の人生の意味はどこにあるのかが必然的に問われる。そこで、「意味」などないと理解してしまうことも実践的にどうするのかはおいて、ひとつの解決である。本書ではその問いをいったん「どんな種類の「人生の意味」が科学的世界観と両立できるのか、それはもつに値するものなのか」という形にして問い直す。まずは、決定論に基づいたとしても、それだけで人生の意味がなくなることはない、というのは至極当然である。しかしながら第5章の「目的」の帰結として、目的は生物の生き方の中にひとつの構成要素としてあるが、「生きること相対には目的はない」ということになる。著者は、本書の中でひとつの解を提示しているが、それが最終的な開であるようには思われない。ネーゲルは「人生の無意味さは解決を要する問題なのか」と問うた。実は人生の無意味さの感覚を進化の中で副次的に得られた貴重なものであるかのように受け止めるべきものなのではないのか、という。おそらくはそれはそれぞれの人に委ねられているように思う。

    この本の中である程度自分がついていけたかなと思えたのは、テーマとしても興味を持っていて、いくつか読んでいたデネットに依拠して進められた「自由」や「道徳」と、後はシャノンも知っている「情報」のパートくらいなのかもしれない。
    それでも、他の理解の怪しい章も含めて著者の姿勢と議論の空気を吸うだけであっても面白く読めた。読書の楽しみと理解とはまた別の類のものであるように思うのだ。

    著者は、哲学を反証可能性のあるものとしたいと望む。哲学者の仕事は、進化学、動物行動学、脳神経科学など様々な科学から得られた知見を統合して「一枚の絵」にしていくことだという。つまりは哲学を科学の一部として科学によって支えられるものとしたいとする。もはや科学的知見に依らない哲学はその意義を持ちえないと考えているのだ。そういった立場を「自然主義」と呼んでもよいのかもしれないが、著者自身もこの意味で自らを自然主義者であると宣言する。著者は本書で描写した哲学的シナリオに対して次のように語る。「これに最終的に決着をつけるのは科学だ。しかし、いまの段階では、直接にこのシナリオを検証・反証するだけの科学的知見はまだ十分ではない」
    おそらくは、ここで書かれていることが現在の哲学と呼ばれる探求のある方における最先端のものではないのかと思っている。少なくとも自分は、哲学的探究が最新の科学知見によって補強され更新されるべきものであると強く信じているので、ここで書かれているものを貫く姿勢は信頼に値するものと思う。


    巻末の参考資料の説明を読んでいると、哲学の世界でも最新の科学的知見を取り入れて、日々進化を続けていっているというのが分かる。当然なんだけれども。そして、それを生業として日々そういうことを深く考えている人がいることも。それは、一瞬はうらやましいと思うのだけれども、少し違うんだろうなとも思う。

    最後に著者はこのように問う。
    「重要な問いは「哲学は私の役に立つか」ではない。「私は哲学が役立つような種類の人間か」だ。そこで、本書の締めくくりに、逆に哲学からみんなに問いかけてみたい」
    それは「役立つ」の定義によるだろうが、少なくとも哲学を必要としている人間にはなろうとしている。


    ---
    『心の進化を解明する ―バクテリアからバッハへ―』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4791770757
    『マインド―心の哲学』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4255003254
    『ディスカバー・マインド!―哲学の挑戦』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4480842799
    『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4314009241

  • 哲学

  • ・そもそも人生の無意味さは解決を要する問題か ― 人生の無意味さこそがわれわれに関することがらのうちで最も人間的なものの一つ ― ときには一歩ひいて眺め「俺また実にくだらないことをやってるな」
    ・哲学とは概念を想像すること
    ・重要な問いは「哲学が私の役に立つか」ではない。「私は哲学が役に立つような種類の人間か」だ
    ・あなたには哲学を役立てるだけの知恵と力と勇気があるのか?

  • 『恐怖の哲学』がたいへん面白く、唯物論的・発生的・自然主義的観点からの説明をもっとよく知りたく読んだ。

    「ありそでなさそでやっぱりあるもの」こそ、哲学の中心主題。
    過去の文化遺産ではなく進行中の営みとしての哲学を扱う。科学の成果を正面から受け止め、科学的世界像のただなかで人間とは何かを考える。

    心をもつもたないは機能ではない。その機能が何のためにあるか、という機能の目的の存在様式の問題。

    自然界を流れる情報はいかにして志向的表象にまで進化するのか。
    モノからココロがいかにして発生するのか、ということ。

    人間はオシツオサレツ動物(ドリトル先生のpushme-pullyou)とは質の異なった別次元の存在なのではない。目的手段推論というちょっとした拡張機能つきのオシツオサレツ動物。


    でネットは自己が先にあってそれが物語を語っているのではなく、話が自己をつくる、「物語自己」を提唱している。

    われわれが獲得した目的手段推論は、連鎖を打ち止めにする究極目的を欲してしまうため、人生の意味ということを考えてしまう。目的手段推論をわれわれが進化させ、事前に行動を綿密に計画したうえで実行するという高次の自己コントロール能力を獲得した副産物である。目的を探索する推論は、役に立つ装置の本来の機能とは外れた使い方、ある種の機能不全なのだ。

    人生全体が目的手段の連鎖で成立しているわけではないから、一つ一つの短めの目的手段推論を本気で行って最善手をとろうとしている限りにおいて、われわれは自分を価値あるものとして、自分の人生を生きるに値するものとしてまじめに受け止める。

    人生の無意味感覚は、環境世界の表象に自己を客観的に位置づけるという能力がその目的のために正しく使われているからこそ生まれる副産物であり、その能力はわれわれが生存のために獲得したものであるから、この副産物こそ人間的なものの一つである。人生の無意味さは解決を要する問題ではない。



    【目次】
    序 これがホントの哲学だ
    1.意味
    2.機能
    3.情報
    4.表象
    5.目的
    6.自由
    7.道徳
    人生の意味---むすびにかえて

  • 「入門」とあるので、古今東西の哲学を紹介する本かと思ったら、いきなり今を生きる自分たちが抱える問題に関わる議論が展開されていた。序章からテンションがあがる上がる。
    そして文体は、なぜか懐かしの「昭和軽薄体」を彷彿とさせる。軽いノリでガッツリ哲学的議論を展開できてしまうのがすごい。
    最後までちゃんとついていけた(気がする)し、ワクワクしたし、共鳴する部分があり、脳味噌の栄養になった手応えがある。

    ✕ 「哲学は私の役に立つか」?
    ○ 「私は哲学が役立つような種類の人間か?」

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