哲学入門 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067685

感想・レビュー・書評

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  • 哲学入門と言っても有名な哲学者(プラトンやデカルトやハイデガーとか)は出てこない。中心的に扱われるのはミリカンなどの現代哲学者である。物理と精神を分ける二元論は現代においては成り立たず、科学が精神世界へ侵入してきている。二元論ではなく唯物論の立場に立って、そこで哲学に何ができるのかを解説しているのが本書だ。内容は簡単ではないが新たな物の見方を与えてくれることは間違いない。少し砕けた語り口も読みやすい。あとがきが素晴らしいので、ぜひとも頑張ってそこまで読み切ってほしい。

  • 本作は科学的な唯物論を前提としつつ「意味」や「道徳」などこれまで哲学専門とされてきた「存在しなさそうでしてるもの」の問題について哲学的観点から考察する骨太な哲学入門書だ。
    当たり前だけど哲学は死ぬほど難しい。実証的ではない故に答えがひとつに定まらないからだ。完璧に理解とか正直ムリゲー。
    ただ、「哲学は問い方が大事」という著者の基本姿勢は普段の問題解決においても非常に重要であるように思う。つまり事象を様々な観点から分解し、極限まで具体化して問う。そして出た答えもこれまた極限まで抽象化、一般化する。このような思想家の高度な思考プロセスが疑似体験できるため学びはたくさんある。論理的思考力を鍛えたい方には非常におすすめの本。

  • 戸田山和久『哲学入門』ちくま新書.2014年

    戸田山先生の本は三冊目だけど、これが一番おもしろかった。内容は哲学がいかに理系の人にも「たわごと」にならないかという点にあると思う、著者は「科学哲学」の人で、現代科学を正面から受けいれているので、話は壮大だが、ちゃんとわかるようになっている。著者の立場としては、唯物論的・発生的・自然的立場なのだが、「唯物論的」というのは、物と心の立場をわけないということである。「発生的」とは進化論をうけいれて原始的な生物から「意味」とか「道徳」がでてくるということで、「自然的」というのは、哲学も科学から反証されることをみとめるということである。また、哲学は「概念工学」であるともいう。こう書くとなんとも難しそうだが、文章じたいはユーモアもあって、たいへんよみやすい。そして、これは個人的な感想だが、著者の立場は案外、中国哲学に通じるところがあるんじゃないかと思う。まだ、ちょっとまとめられないが。

    最初は「意味とは何か」という問題である。結論は「生存の目的をもつものだけが意味を理解する」ということだ。記号の操作だけをする会話ロボットや、人間の仕事を代行するロボットがどんなに精密でも、結局、「腹がへった」ということの「意味」はわからず、食堂に行くとか、食べ物をさがすということはできない。こういうレベルで「意味」を知ることができるのは、自分の生存の目的をもっているものだけなんである。

    つぎに、この「意味」がどうやって自然の中から発生してくるのかという点が問題になる。「意味」は取り違えることがあるのだが、物理的自然は因果関係だけで、そもそもまちがいがない。ということで、「意味の自然化」をしないといけない。そうしないと、意味の世界は物理とは別の心のなかのこととか、エージェント(行為の主体)が行う環境の解釈にすぎないということになり、結局、科学の示す世界観と意味の世界は分離してしまう。この「意味の自然化」で大事になるのが、「機能」という考えで、ルース・ミリカンという学者が言い出したのだけれど、著者はこれを大変重視している。要するに、生物はみな進化の過程で「機能」をもつようになるのだが、「本来の機能」があり、これは間違いがあっても消えてなくなりはしない。「機能」は環境のよみちがいだのなんだので、正常に発動しないことがある。だから、「意味の自然化」を考える上で大事なポイントになる。

    そして、世界は「情報」の連鎖でできているということがいわれる。これは「情報」を解釈する者を前提としない。地層や星の光は、解釈者の有無に関わらず「情報」を発する。この「情報の流れ」という自然のなかで、生存に有効なものだけを「局所的」につかうのが生物で、これが「表象」というものである。この「表象」も生物の「機能」だが、「表象」の進化の過程で、「いまここにない」けど、それを認識できたら生存に優位なものが「目的」としてあらわれることがいわれている。

    最後は「自由」と「道徳」の問題である。「自由」はいろいろと神話化されているが、ほかから全く影響をうけない「自由」はオカルトで、まともな「自由」は誤りによって修正を行う「自己コントロール能力」という「機能」にほかならない。「道徳」は「自由意志」に根ざした「責任」とからむが、著者は立場を決めかねているそうだ。「責任」に関係があるのは「自己」であるが、「自己」は成長のなかで行われる「構成のしかた」であって、その意味で「物語」でもある。人間はこのような「自己」をもとに社会で「責任をとる」という実践をしており、これは互いのコミュニケーションのなかで進化してきた。しかし、科学によって人間に「自由」がないこと、例えば犯罪にいたる事細かな因果関係が明らかにされ「そうなるしかなかった」(「その人がした」のではなく「その人に起こった」)ということが解明されても、「自由意志」のない「道徳」も可能で、行為の帰結によって「道徳」をつくりあげることができる。しかし、この場合、人を罰する根拠は変化せざるをえない。応報主義・道徳教育・みせしめなどの罰の理論はみな問題がでてくる。このときに許されるのは「隔離」という根拠だけで、犯罪は「治療」されることになる。「自由意志」のない世界は暗黒のディストピアとは限らず、「意志の自由」と不当なコントロールを排除する「市民的自由」は別のものとする。

    むすびは「人生の意味」であるが、「すべては決定されているから人生に意味がない」という意見に対して、「選択の自由」の強度の問題で、フルに人生をコントロールできなくても「意志的努力」の価値はなくならないとする。また「進化の産物である人間に究極の意味などない」という意見に対しては、「究極の意味」は「目的手段推論」という「機能」の暴走で、人生は短い目的の集合であるとする。「この宇宙のなかでは何をしようが、たいした存在ではない」という意見に対しては、どうして人生を無意味に思うかという点から答え、結局、こういう巨視的な視点は人が客観化能力を発展させたためにでてくるのであるが、巨視的な視点をとったからといって、自分であることはやめられないので、自己と宇宙の視点を往復しながら、人生をジタバタ作っていくしかないとしている。

    おもしろいが、ハードな本でもあり、アフォーダンスや情報理論の公式などもでてくる。「情報の流れ」としての世界観とか、目的の出現のところは、『易』とか「天命」とかと関わるんじゃないかなと思った。「自由意志」や「人生の意味」はあんまり東洋の道徳では問題になっていないと思う。儒教はそもそも「神」がおらんし、「孝」を生命の連続に対する尊重だとすれば、まったく自然的だと思う。まあ、近世になると中国でも禅とか陽明学の関係で「心」の世界の独立をいったりする気もする。

  • 「入門」とあるので、古今東西の哲学を紹介する本かと思ったら、いきなり今を生きる自分たちが抱える問題に関わる議論が展開されていた。序章からテンションがあがる上がる。
    そして文体は、なぜか懐かしの「昭和軽薄体」を彷彿とさせる。軽いノリでガッツリ哲学的議論を展開できてしまうのがすごい。
    最後までちゃんとついていけた(気がする)し、ワクワクしたし、共鳴する部分があり、脳味噌の栄養になった手応えがある。

    ✕ 「哲学は私の役に立つか」?
    ○ 「私は哲学が役立つような種類の人間か?」

  • 「意味」「機能」「目的」「道徳」…凡そ物理的世界から切り離され、「いわゆる哲学」の領分とみなされがちなこれらの抽象概念を、人間という特定の観察者の視点を排し、物理的・科学的に記述しようとする試み。各章の構成は「問題提起→次の章で検討→新たな問題出現」、とシンプルな直線構造で読み進めやすいが、何せ各章の内容がそれだけで独立した新書が一冊書けるんじゃないかと思えるほどに濃密で、安易な読み飛ばしを阻んでいる。議論が展開されるフィールドも記号論・情報論・進化論・認知論とまさに多岐にわたり、思わず見当識を失いそうになるが、程よい間隔で総括が挟み込まれ、読み進めるうちに自分のロケーションをすぐに取り戻せるよう配慮されている。読み易いのは筆者の軽妙な語り口の所為だけでは決してない。

    基本の道筋としては第2章に典型的にみられるように、それぞれの概念の成立条件を検討(概念分析)するのではなく、「より利用度の高い知識を入手するには既存の概念の枠組みをどう改訂すればよいか(理論的定義)」を主眼として議論が進んでゆく。このところは素人目にご都合主義と思えなくもないが、新たな枠組みの元でその概念が唯物的世界にキレイにはめ込まれた時の美しさと爽快感には抗し難いものを感じた。

    そして長い推論の果てに終章で投げつけられる「すべての人生に価値があるわけではない」「人生に意味などなくともよい」などの刺激的な言葉の数々。表面上否定的な色彩をまとうこれらのシニカルな言説も、この本を読み終えた後ならすんなりと、しかも驚くほどポジティブかつ挑発的な響きを伴いながら胸に浸み込んでくるはずだ。

  • いい意味でのタイトル詐欺。
    普通の人が入門として想像するような哲学の本ではなかった。どちらかと言うと、一般的な哲学をアップデートして、より現代的な哲学をやっている。

    現代は科学(特に脳科学/認知科学、あるいは生物科学や量子力学)が進歩したことで、精神的/観念的な従来の哲学の価値を侵食してきている。それに対して、それら科学の知見に哲学が接近/融合して、新しい価値を生み出そうという試みが本書の内容なのだろう。

    正直、この種の議論に触れるのは初めてだったので、全てを理解できたわけではないが、議論の内容は興味深いものが多かった。いつかもう一度読み返したいなあ、と思わせる内容だった。

  • 入門らしく、くだけた語りくちで進むが、論じている内容は割と難しく、ついて行けない部分がちらちら出てきて、結構読むのは大変です。

  • 入門とあるものの難しい。

  • 第55回アワヒニビブリオバトル「真実」で紹介された本です。
    チャンプ本
    2019.08.06

  • 戸田山哲学入門。ちょけすぎ

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著者プロフィール

1958年生まれ
1989年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学
現 在 名古屋大学大学院情報学研究科教授
著 書 『論理学をつくる』(名古屋大学出版会、2000年)
    『誇り高い技術者になろう』(共編、名古屋大学出版会、2004、第2版2012)
    『科学哲学の冒険』(日本放送出版協会、2005)
    『「科学的思考」のレッスン』(NHK出版、2011)
    『科学技術をよく考える』(共編、名古屋大学出版会、2013)
    『哲学入門』(筑摩書房、2014)
    『科学的実在論を擁護する』(名古屋大学出版会、2015)
    『〈概念工学〉宣言!』(共編、名古屋大学出版会、2019)
    『教養の書』(筑摩書房、2020)他

「2020年 『自由の余地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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