日本人の身体 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
3.67
  • (10)
  • (17)
  • (17)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 314
感想 : 22
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067944

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 言葉と身体の結びつき
    古典はやっぱり面白い奥が深い
    もっと知識を深めたい
    大誠堂書店(一宮)にて購入

  • からだというと、昔は死体を意味し、生きている体は、み(身)と呼ばれ、体と魂が一体化して捉えていたが、現代では体をモノとして扱うようになったという。
    能をベースとして、古典から日本人の体の感覚を説明している。

    はっきりとした境界線を引くのではなく、体の感覚や、建物の構造だったり、あいまいな部分を持っているのが日本の考え方なのだなと実感した。

    印象に残ったのは、以下の部分。
    和して同ぜず 
     和の関係は持つが同の関係は持たないという意味だが、今では和=みんなで同じことをすることと、同じにさせたがる。

    老いについて、醜いものと感じている人が多いが、そもそも、若い=幼い、未成熟な状態を指しており、老いは生いに通じ、老いてこそ、芸の真髄を発揮できるという。

    アンチエイジングに走るのではなく、老いても「花」を保って生きる=過去の栄光にしがみつかないことだという。
    若い頃は、勢いに任せることができるが、老いてからは生き方が問われるということだと解釈した。

    老いの部分について、唐突に語られる感じがして、著者は、この部分を強調したかったのではないかと感じた。

  • 能楽師である著者が、日本の伝統的な身体観についての考察をおこなっている本です。

    われわれが、西洋の科学的で分析的な身体のとらえかたになじんだ結果、自分自身の身体についてのもっとも直接的な知をうしなってしまっているのではないかという問題提起から、議論がはじめられています。そのうえで、著者自身がその伝統の一翼を担っている能についての例などを引きながら、分析的な身体についての知識によっては見えてこない、生きられた身体知のありかたが論じられています。

    「生きられた身体」というテーマについては、市川浩や中村雄二郎、竹内敏晴といった論者たちが考察をおこない、近年では鷲田清一や内田樹などの思想家たちも関心を示してきました。本書の議論も、そうしたすでに長い議論の蓄積のある身体論と響きあう内容をもっていますが、日本神話から中国や古代ギリシアなどにおけるさまざまな事例をかなり自由に参照しながら、現代に生きる人びとが身体知のほんらいの豊かさにふたたび目を向けるようにうながしています。

    「あとがき」で著者自身、「話は留まるところを知らなくなり、ほとんどもう一冊の本ができるくらいのものを書いてしまい、いつまでたってもまとまらなくなってしまった」と述べているように、やや奔放な議論の展開がなされているようにも思えますが、伝統的な身体知について考えるうえで興味深い切り口がいくつも示されているように感じました。

  • 日本人(東洋人?)らしいステキな枯れ方のススメ。
    です・ます調で講演をまんま収録したような体裁。
    なので、著者の興味が赴くままに、とりとめもなく話が展開する感じ。
    「能」を解説している部分が大変興味深いのに比べて、それに関連した事項は、ほとんど古典からの我田引水のような、どうとでもとれるような解釈ばかりで、まぁふんわりとした読後感でした。それも日本人らしいのかしら...。

  • 日本人が心身二元論になったのは近代以降であるとの指摘だ。ただし仏教では色心(しきしん)二法が説かれていた。色法(しきほう)が物質で心法(しんぽう)が性質である。続いて西洋と日本の体に対する見方の違いが示される。
    https://sessendo.blogspot.com/2021/11/blog-post_40.html

  • https://cool.obirin.ac.jp/opac/volume/547369

    ひなたやまにもあります。

  • 人間は言葉で世界を認識して分割する。本書は徹底的に言葉にこだわって、日本人の身体観を見つめ直す労作。こちらにもある程度の教養が必要な一冊かも(^_^;)

  • どうあがいたって、日本に生まれ育った人々は、「あわい」から逃れられないのだ。個人主義を徹底することなどできないのだ。心と身体はひとつに溶け合っている。だから諦めて、脳ではなく、腸の声に耳を傾けてみよう。

  • あわいの力の続きのような構成。
    新鮮な話が多くて味わい深い。

    5年ぶりに読み直した。息にしろ心にしろ呼吸でコントロールをすることで身体の意識の変化を追うのはおもしろい。
    楽の漢字にしろ音痴にしろ、身体的共感や言語の運びは、人と人の接し方を考えさせられる。

  • 亡霊であるシテが生きていたのは過去です。そのシテが現在に現われている。いや、彼女は江戸時代の能舞台にも現れていたし、そして未来の能舞台にも現れる。このシテは、能が続く限り、未来永劫現れるのです。

    →人間の生き方の極地を「永遠」に置くと、それに至るプロセスはどのようであれ、結局はおなじことを繰り返しているのだろうと思う。


    となれば、シテの住まうのは永遠の時空です。彼女の体内に流れるのは、その永遠から現在へと向かって流れる「遡行する時間」

    こころを自分の指針にするな、自分自身がこころの師となれ

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

安田 登(やすだ・のぼる):1956年生まれ。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。関西大学特任教授。 著書に、『身体能力を高める「和の所作」』(ちくま文庫、2010年)『異界を旅する能』(ちくま文庫、2011年)、『日本人の身体』(ちくま新書、2014)、『身体感覚で『論語』を読みなおす――古代中国の文字から (新潮文庫、2018年)、『見えないものを探す旅――旅と能と古典』(亜紀書房、2021年)『古典を読んだら、悩みが消えた。――世の中になじめない人に贈るあたらしい古典案内』(大和書房、2022年)、『魔法のほね』(亜紀書房、2022年)など多数。

「2023年 『『おくのほそ道』謎解きの旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

安田登の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×