観念論の教室 (ちくま新書 1143)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480068484

感想・レビュー・書評

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  • 原点―バークリの生涯
    助走―世界を記号と見る:
    神の存在証明
    宇宙論的証明
    存在論的証明
    アルシフロンが求める証明
    動物精気
    記号的観点へ
    他人の心
    記号
    記号からの証明
    アルシフロンの躊躇
    言語への視線
    言語であるための要件
    距離の知党
    モリニュー問題
    バークリの場合
    デカルト説
    神の言語
    「視覚新論」

    前史:
    二重存在
    エレア派
    古代原子論
    原子論に見られる二重存在
    イデア論
    デカルトの「観念」語法
    感覚、心像、概念
    デカルトの構図
    色に関するデカルトの見解

    飛躍―ヒベルニア観念論:
    粒子仮説的思考
    「原理」の目的
    エッセ・イズ・ペルキピー
    似たもの原理
    粒子仮説的物質肯定論に抗して
    マスター・アーギュメント

    自然法則
    とりあえずのまとめ
    微細構造へ
    顕微鏡
    因果関係の否定
    記号関係・再説
    バークリの言葉

    再考―否定の否定:
    ゲルマーニア観念論
    言語的観念論
    異議申し立て
    仮説的思考
    外のない中
    「第一対話」再考
    心像論
    「理性による」思考
    ロックのもう―つの遺産
    ゲルマーニア観念論再考

    魅力:
    ずれと忘却
    マスター・アーギュメント再考
    ロックの観念論
    デカルトの観念論
    心の内と外
    観念の現象学
    明るい観念論と暗い観念論
    独我論と「ともにあること」

  • バークリの思想を批判的に紹介しつつもその他者性を「明るい観念論」として評価し、他方デカルト的独我論的観念論を「暗い観念論」として否定している。「明るい・暗い」というのは著者の観念というか主観でしかないと思うのだが、どちらか好みかは人それぞれだろう。少なくとも善悪はないように思う。そもそも、そういう二元論を超越する必要があるのではないかと思うのだが。

  • 冨田さんの本、ほんとめちゃ面白い

    バークリーの分かり易い解説。
    驚くべき観念論の豊かさに驚く。驚きつつ、違和感、疑問を拭えない。
    そんで、バークリーへの批判として、そうそう、だよね、そこがずっと気持ち悪かったよ、というところを指摘してくれる。
    でも、それでもバークリーの観念論の魅力を話す
    が、最後、明るい観念論としてのバークリと、暗い観念論としてデカルトの懐疑の果ての我と観念だけ、という孤独を紹介したのち、どうしてこんなに暗い観念論は魅力的なのか、となる

    え!デカルト本だったっけか?と思うのだけども、そうでなく、明るい観念論から暗い観念論に転じてしまわないようにね、暗い観念論は魅力的なのでちょっとしたことで陥るからね、明るい観念論でいられるかは、生き方なのよ、と。

    スターウォーズか!
    いっそ、フォースを観念と訳しちゃえばいいのでは

    ドイツの観念論と比較しつつもあるけども、このあたりは言ってることはわかるけど、ふにおちるには、それぞれをもうちょっと勉強しないとわからんなー

    一番感動したのは、88ページあたり
    これってつまり、世界が僕にアフォードしてくる、というのは、神が世界としてメッセージを僕に送ってきてる、ということ、と受け取っちゃってもいいのかな
    ギブソンがいうには、アフォードは、世界の側にあるものを私が見つけるものとしたけども(確か、、)、それは、ここのバークリーからすれば、神としての世界がこちらにメッセージを送ってて、それを受け取る、という図式にしてよさそう
    そうして意味が発生する
    あーおもしろい

    というので、バークリーの視覚新論に行こう

  • ジョージ・バークリの観念論を、「明るい観念論」と評価し、その内容をわかりやすく解説。
    わかりやすく解説されてはいるのだが、自分にはバークリの観念論が十分には理解できなかった。人間は観念としてしか世界を理解できないというのはよくわかるのだが、だからといって観念しか存在しないということにはならないのではないか。ちょっと言葉遊びのような議論になっている気がした。バークリの記号的世界観という考え方は興味深かった。

  • 紅葉がきれいな季節になりました。ところで、いま目の前に真っ赤な紅葉の木があるとしましょう。それは本当に、そこに存在しているのでしょうか?――この問いに「NO」と答える哲学上の立場があります。それが本書で扱われる「観念論」です。

    「観念論」は、様々な物体が「本当は私たちの心の中にある観念として存在するだけだ」と主張します。これは、常識からすればとんでもない主張に思われますが、哲学史においては真面目に考えられてきたものです。しかし、どうして哲学者はそんな考え方をしたのでしょう?本書は「観念論」の元祖であるバークリに焦点を当てて、「観念論」のエッセンスを提示しています。

    本書では、バークリの生涯から始まり、バークリ哲学の前史としての哲学史、そしてバークリ哲学の主要部分といった順番で説明されていきます。また、本書の特色としてバークリの「観念論」の魅力に触れられている点が挙げられるでしょう。その主張ゆえに、バークリの「観念論」は奇をてらった思想、あるいは机上の空論といったような仕方で理解されることが少なくありません。しかしながら、あくまでも「心の中の観念」という留保をつけつつも、他者の存在や科学が仮定するだけの存在など、すべてを肯定しうる「ふところの深さ」がバークリの「観念論」にはあるということを著者はその魅力として指摘しているのです。

    このように、「観念論の教室」というタイトルを持つ本書ですが、実質的にはバークリの哲学に関する分かりやすい入門書になっています。とはいえ、哲学史においてなんらかの意味で「観念論」に関係する思想は、やはりバークリ抜きには語れません。バークリ以外の哲学者、「観念論」に関心があるとしても、本書を一読しておいて損はしないでしょう。
    (ラーニング・アドバイザー/哲学 KURIHARA)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1655039

  •  観念論の説明というよりも観念論を題材にしたエッセイ(になってしまった)。少なくとも終章までは説明。具体的な例を示してくれているので分かりやすかった。観念論自体は2章を読めばおおよそ分かる。あとは観念論の始祖とされるバークリの生涯と、観念論に至るまでのヨーロッパの思想界の様子で土台を固め、批判に対する反論で観念論を補強。非常に理想的な構成であったが、終章、しかも最後の数ページでエッセイになってしまった。「思い」を書くこと自体は否定しないが、説明の中に混ぜ込んでしまうと説明にならなくなってしまう。「あとがき」か、章立てに入れるなら「おわりに」へ入れるべきだったと思う。

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著者プロフィール

1952年、香川県生まれ。京都大学文学部哲学科卒。京都大学博士(文学)。ハーバード大学客員研究員などを経て、現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。著書に、『ロック哲学の隠された論理』(勁草書房)、『クワインと現代アメリカ哲学』(世界思想社)、『観念説の謎解き』(世界思想社)、『観念論の教室』(ちくま新書)、『ローティ』(ちくま選書)、『カント入門講義』(ちくま学芸文庫)、Inquiries into Locke’s Theory of Ideas(Olms)、 The Lost Paradigm of the Theory of Ideas (Olms)、「科学哲学者柏木達彦」シリーズ全5冊(ナカニシヤ出版)、「生島圭」シリーズ全3冊(講談社現代新書)など、訳書に、R.ローティ『連帯と自由の哲学』(岩波書店)がある。

「2019年 『デカルト入門講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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