ほんとうの法華経 (ちくま新書 1145)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480068545

感想・レビュー・書評

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  • 最近原始仏典を読み始めたのだけれど、なぜか法華経も気になって、積読してたこの新書を引っ張りだした。

    話がサクサク進むので、入門向きではないです。あと分厚い。
    法華経の内容はざっくり予習でいいけれど、まずは仏教の歴史を一通り頭に入れた上で読んだほうがわかりやすい。

    実際にお経の本文から、この部分は当時の仏教がこうだったから~ということや、サンスクリット語の原文をいかに訳すべきかなどが具体的に解説されているので面白い。
    「誰でもさとれる!」と言うためだけになぜこんなに長いお経を…?という疑問が、少し解けた気がします。

    鳩摩羅什の訳も日蓮の読み方も、法華経の編纂者たちの意図をしっかり汲んでいるようです。汲んでいるかというのは学術的には厳密に断言できない気もするけど、聖典というのは単純にテキストを読むということではなくて、いかに自分の物語にするかということだと思う。中国(というか天台宗)や、そこから伝わった日本で一番といっていいほど大切にされたのが、平等なさとりを示すこのお経だったこと、私はうれしい。

  • 橋爪くん、いきなり間違ってる。

    013
    『ということは、わが国の仏教の大部分が、法華経を最高の経典と考えているということだ。』

    どこから、そんな間違った結論を出してる?
    そりゃー、日蓮や、井上日召や、田中智学や、石原莞爾や、モンキッキーや山本リンダや久本雅美や石原慎太郎は、法華経を最高の経典と考えるだろうけど。

    天台宗から、日蓮宗も含めた、様々な宗派が生まれたのは事実だけど。それだけで「日本の仏教の大部分が、法華経を最高の経典と考えている」なんて、とても言えない。もっと、いろいろ、あるよ。

    016
    『法華経ほど、日本人に影響を与えた経典はないでしょう。』

    それ、主観的すぎる。
    他にも、いろんな影響が入り乱れてる。

    019
    植木雅俊が述べている。
    『もともと原始経典では、平等がはっきりと説かれていました。』

    それは、正しい。

    でも
    018
    『平等思想を再び掲げたのが大乗仏教で、それが法華経の一仏乗の思想に結実した』

    これは、ウソだ。
    法華経は、他の大乗経典よりも、差別表現が多い。
    女性や、身体障害者や、特定の職業や、インド社会における被差別階級をロコツに差別してる。かなりドギツい表現で。

    初期経典には、そんなに差別表現が頻出しないからね。

    020
    『原始仏典では、釈尊は「私は人間である」「皆さんの善き友である」と語っていました。』

    それは正しい。
    でも、大乗経典にも「私は皆さんの友である」という表現は出てくる。

    020 
    を読んでて気づいた。

    植木雅俊は「原始仏教」と「小乗仏教」を分けて考えている。
    今時、「小乗仏教」なんて言葉、ふつうは使わないのに。

    わざわざ、そんな差別的表現を用いるのは、彼がカルト信者で、どうしても小乗仏教を貶めなければならない理由があるからだ。

    『維摩経』も、ずいぶんサーリプッタ長老や、他の長老たちや、小乗仏教を貶めようとしているフザケた経典だが、彼の思考回路も、それと同じだ。
    アラハットであるサーリプッタやマハー・マウドガリヤーヤナたちを貶めようとする思想は、それこそ、法を誹謗する行為なのに。

    021
    植木は
    「ナーガルジュナが、般若経よりも法華経の方がすぐれていると述べた」
    と、断定的に述べてるけど、そもそも、日蓮信者以外の仏教徒は、それぞれが「ナーガルジュナは、我が宗の経典こそ最高だと述べた」と喧伝してるからね。
    つまり、ナーガルジュナが書いたとされる文章はいろいろあるけど、あまりにも多岐にわたっていて、そもそもナーガルジュナと呼ばれている人物は1人だったのか?いったい、どこからどこまでを同一人物が書いたのか?
    はっきりしてない。

    そこら辺、植木は、もっと正確に伝えるべきじゃないの?

    025
    釈尊は文字が書けたのだから、自らのを教えを文字にして残すという発想は無かったのか?という問いに対して植木が答える。
    『なかったと思いますね』

    これは正しいと思う。
    だが、オレが、それを正しいと思うのは、
    釈尊が、言葉というものを絶対ではないと見なしているから。
    言葉は
    その瞬間
    その場所で
    誰が
    誰に向かって
    どのような状況で
    どのように話したのか
    という1回きりの現象なのだ。

    その瞬間に話された言葉が真理であって、それを固定化して伝えたとしても
    500年後、1000年後、2000年後の世界では、その言葉は、別の意味を持ってしまう。

    だから大乗経典が生まれなければならなかったんだろうし。

    釈尊は、自らの言説を、文字にして、固定化して、残そう、とは考えなかった。
    それよりも、もっと、みんながそれぞれ柔軟に考えて、状況に応じて、正しい対応をしていくべきだと考えたはずだ。
    「偉いお釈迦様が語ったんだから、その言葉は絶対である」
    と考えること自体が正しくない。

    釈尊を神格化したり、その言葉を絶対化するのは間違いであって
    状況に応じて適切に対応することこそが、正しい法なのだ。

    釈尊も、そのことを、はっきり述べている。
    たとえ、釈尊が語った言葉でも、状況が変化すれば、それにこだわってはいけない。


    026
    『ガンダーラなど、北伝の小乗仏教も、いくつもの部派に分裂しながら、自派の正当性を権威付けるために聖典を編集しなおしました。その際、都合の悪い箇所を削除したり、都合の良い文言を付け加えたりしたようです。』

    これは、まあ、そうだろう。
    でも、「都合の悪い箇所を削除したり、都合の良い文言を付け加えたり」が、もっと甚だしいのは、大乗経典のほうだからね。

    もう、ほとんど、ブッダの言葉とは言えない激しい差別用語を付け加えたり、神秘的な「予言」を付け加えたり、ムチャクチャな自己の権威づけを行っているのは、むしろ法華経の方だから。
    小乗仏教を貶したりするのは間違ってる。

    『北伝仏教で最初に文字として書き留められたのは、大乗仏教でした。紀元前後のことです。大乗仏教は、編纂されると同時に文字化されています。小乗の仏典が文字化されたのは、それに刺激されたからと言って良いでしょう』

    大乗経典が文字化されたほうが早かった、という説は、研究者である植木が言う通りだろう。

    でも、ブッダの言葉の継承の仕方としては「口伝」のほうが正統的だからね。
    文字化したり、物語化したり、神話化したり、哲学化したり、するのはダメだと思う。本来は。

    なにより、ゴータマ・ブッダは、マガダ語などの日常語で教えを継承していくように厳しく指定してて、サンスクリット語など上流階級の言葉で伝えてはいけない、と、はっきり語ってるからね。
    植木はそのことを知ってるのに、言及してない。

    物語化や神話化しちゃうと、時代が変わると意味不明な箇所がイッパイ出てくるんだよね。
    ブッダが言おうとしたことの真意が正しく伝わらない、あるいは、様々な形で歪められて伝わってしまう。

    様々に歪められて伝えられた結果が大乗経典だとも言える。
    ここまで歪める?というくらい、歪めてる。

    大乗経典は、時代とズレ過ぎなのだ。
    初期経典には、あんまり、そういうのないよね。

    027
    橋爪が、ハディースを持ち出して、これが、経の形式に近い、と言い出す。

    それは、そうだね。ハディースが口伝だとすれば。
    ムハンマドから数世紀後にハディースは、文字化されたんだって。

    仏教には『コーラン』がなくて『ハディース』だけがあるようなカンジです、と言う話は、面白い。
    オレも『ハディース』は読んだけど、そんなこと、考えたこともなかった。

    でも、「経典にはニセモノが混じってるという発想がない」というのは、違う。
    多くの研究者たちは、大乗経典は、ニセモノがイッパイ混ざってる、と考えている。
    ブッダの教えを一応ベースにはしてるけど、ブッダの教えとは殆ど異なる主張がなされている。
    むしろ、ブッダの時代から離れたところで成立した、新しい戯曲とか新しい文学作品、新しい哲学書、ってカンジだよね。
    初期の経典でさえ、ブッダの言葉そのものとはいえない、と言われているくらいだから。

    この点は、植木も、研究者らしく、ブッダが語った時代から500年も後に編纂された『法華経』は、釈尊の言葉をそのまま伝えるものとは言えない、と、正しく述べている。
    釈尊の語った言葉を一番正確に伝えているのは原始経典だと。
    当たり前のことだけど。
    『「一般に韻文は古いもので、散文の多くは後世の付加である」などの基準にもとづいて、七つの原始仏典を重視され・・・・・そこには、お釈迦様の最も基本的な思想が残されていると言えます。』

    『法華経は釈尊滅後500年の歴史を踏まえて編纂されたものですから、お釈迦様の直説ではないと言えます。』
    ここは正確に表現されてる。
    本当のことが語られている。


    結論

    最初のほう、読んでたら、橋爪大二郎の法華経に関する断言の仕方が、あまりのも大雑把で、呆れたんだけど。

    でも、それは見せかけのポーズであって、途中から、クリスチャンである橋爪の立ち位置から、法華経の矛盾点や問題点に、鋭く切り込んで行ってる。
    さすがだ。

    でも、法華経の狂信者たちを相手にするのは面倒くさすぎるよね。
    連中は、すぐに他人を陥れたり、傷つけたり、殺したり、してくるから。
    陰謀だらけだし。
    関わりたくないよね。

    それから、植木雅俊だけど。
    オレは、この人がサンスクリット原文から訳した『法華経』は、本当に素晴らしい内容だと思うし、『テーリー・ガーター』の翻訳は極めて重要な仕事で、どんなに高く評価しても評価しきれない。

    翻訳者としての植木雅俊には、ただただ敬服するばかりだ。

    だけど、法華経主義者としての植木雅俊は、極めて、いかがわしい存在だ。
    カルト信者すぎて、学問的中立性、客観性というものが失われてる。

    特に、小乗仏教をひたすら貶めようとする姿勢は、そのまま法を誹謗する態度であり、どこかのカルト教団にそっくり。
    そこが、まさに『法華経』的なんだけどね。

  • 大乗仏教って、なんか大仰だよね〜。

    というイメージを代表するのが法華経で、苦手な世界。

    このお経は、最高だぞ、と言うばかりで、なにがどうスゴいのか、中身がわからない。
    やたらたくさん、菩薩やら人々がでてくるし、地面から菩薩がでるわ、空中に浮かぶわ、とんでもない数の羅列。。。スペクタクルではあるのだけど、で、結局、なにがいいたいの?みたいな印象。

    という法華経なのだが、この本を読んで、ようやく意味が分かった、気になった。

    要するに法華経は、
    ・だれもが仏になることができる
    ・というか、自分のなかにすでに仏はいる
    ・ブッダも仏であると同時に菩薩でもあって、世の中に仏の教えを伝える存在であった
    ということらしい。

    誰でも、仏になれる日本では、だからどうしたという感じだけど、人は幾ら頑張っても仏にも菩薩にもなれず、阿羅漢どまり、ということになっていた当時の仏教界では、革命的な思想だったみたい。

    とはいうものの、後で、いろいろな御都合主義的な別の教典が入り込んでいて、全体としては一貫した考えにはなってないようです。

    ということを、橋爪さんが、ガンガン、「ここ、おかしい」「ここは矛盾している」と責め立て、植木さんが解説しつつ、ときどき「これはおかしいですね。きっと、あとから追加されたものでしょう」という感じ。

    実にストレートな対話で、長年のモヤモヤがすっきりとなくなりました。

  • 教条的にならず、精神を汲み取り、テキストを解釈していく。対談、それも和やかなものでなく、鋭く切り込み、応答する形のため、図らずもテキストの読みが深くなっている。ちょくちょく日蓮の言葉に及ぶが、彼がいかに法華経、釈迦の精神を深く汲み取っていたか、興味深く読めた。

    テキストがにごるというか、後の時代から見ると、至らない部分があるのは、今の時代、同性愛を宗教がどう扱うか戸惑っている状態から類推できる。

  • 法華経のサンスクリットの原典が1837年に発見された.これまでは中国の鳩摩羅什が漢訳したものを我が国では使ってきた.分厚い解説書なので,気になったところを読んだが,難しい.方便品に「輪廻」が出てくる(p96)が,単なる「生まれ変わり」ではないという解説がある.地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの生存領域(六道)で生死を繰り返すこと,迷いの領域を抜け出せないでいること だそうです.こんな具合に語句の仏教的な解釈が一般に漢字から感じる意味と異なっている事例が多すぎる.何とかしてほしい.

  • これまでにない法華経の解釈や解説。法華経が長い間読まれ継がれてきたのは、その時代に相応しい解釈がなされてきたからではないだろうか。植木先生の「本来の自己に目覚める」という読み方こそ、今の時代になって最も相応しい読み方なのでしょう。

  • 社会学者の橋爪先生が宗教学者の植木先生の法華経の本に色々と質問をする形で法華経を解説したもの。対談方式なので厚い本がすいすいと読むことができた。興味がある内容だったので面白く読めた。しかし、前提知識が無い人には、「最高の仏教入門」とオビに書いてあったが、入門ではないように思う。

  • 法華経は、まとめられた時期が比較的遅かったために、仏教の教えが成立していくまでの過程が豊かに振り返られているように感じる。

    大乗仏教が、仏教がもともと持っていた「日々生きていく中でいかに苦しみや困難を解決していくか」といった視点を改めて取り戻す動きだったということも、その経緯を含めてこの本を読んで改めて理解することが出来た。

    仏性というものが全ての人に備わっており、それをいかに自覚するのかということが釈迦の教えの根本にあるという法華経の考え方も、原典に当たりながら詳しく解説されている。

    また、法華経の各章(品)に沿って、それぞれの内容を解説するだけでなく、植木氏と橋爪氏の感じたことを語り合うことによって、それぞれの品が現代の社会や仏教を理解するうえでどのように位置づけられるのかを考えさせられる。

    仏教の女性に対する考え方や、教団という組織をつくることに対するスタンスが時代とともにどのように変化していったのかといったことも、原典とその後に中国などに伝えられていった訳本を比較したりすることによって見えてくるのが、非常に興味深かった。

  • 学者さんの対談にしては読みやすくわかりやすかったです。法華経を読んだ気にさせられるし、読みたいとも思わせる本でした

  • 2度間を開けてトライしたけど、2度とも挫折。細かいところをつつきすぎてて(厳密?)、私のレベルには合わなかった。対談形式なのでわかりづらいということはまったくないが、法華経って面白いなぁという感じることはなかった。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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