科学報道の真相: ジャーナリズムとマスメディア共同体 (ちくま新書1231)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480069276

感想・レビュー・書評

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  • 主に取り上げられているのは、STAP細胞、原発事故、地球温暖化の3つの報道。その他、社会や政治の報道に関する記述もある。

    どちらかというと化学報道という切り口から現代日本の新聞ジャーナリズムの問題点を論じる内容で、これはこれでためにはなったが、内容は問題あると感じた。

    本書によるとジャーナリズムの世界では「ロールズの」再分配は「可能」だそうだ。そして「弱者に寄り添う報道」は「ロールズの公正」を体現しているとか。この時点で普通に考えたらダメだろう。

    あらためて自分自身のマスメディア感を確かめると、そもそも(日本の大手)マスメディアには不信感を強く感じている。嫌悪感と言ってもいい。その嫌悪感は本書で取り上げている政府との癒着などに対して感じるのではなく、単純にマスメディアは「人として信用ならない」という感じか。

    本書の表紙にある「マスメディアの報道に不信感を抱いていた人」というのに私も含まれるのは間違いないが、本書でその原因の一つとして取り上げている「政府とメディア自身による統制」など、ネットユーザーの発言を眺める限りどうでもよい「問題」なのである。

    ネット上でのマスメディアへの攻撃的な発言が絶えないのは、原因を「統制」としてしまい、ロールズの正義論を、弱者に寄り添う形で「目指す」ことを「公正」と捉えるようなマスメディア側の「読み違い」がある気がしてならない。

    https://twitter.com/prigt23/status/1057962682966392832

  • 記者を取り巻く官庁や専門家とのパートナーシップはシステムとして合理的に発展してきたが、科学分野に限らずネガティブな内輪共同体にしか見えない。よくわからない「正当性の付与」も。報道検証とメディア分析の必要性を改めて感じる。

  • STAP細胞、福島第一原発事故、地球温暖化問題の報道にについて、第一線を離れた元科学ジャーナリストが語る本。
    大学教授となった著者が、今の報道の現場に向けて書いたように読みとれる。


  • ① Natureの正当性
    ② 「有力な仮説」にすぎない
    という問題点をふんわりとしか理解せず、その絶大な
    ③ 話題性

    ④ 余裕のない研究機関
    ⑤ 余裕のないメディア
    が乗っかってぶち上げてみたらただの
    ⑥ 余裕のない研究者
    でした…というあらまし
    リケジョは対等な言葉ではないし見世物にしている感は当時ほんとうに不快だった。そこまででもやらなきゃいけない理研のプレッシャーもすごかったのだろうけど
    科学雑誌はその絶大な権威を自覚してマジで責任もって査読しないといけない editorの権限がどんなものなのかよくわからない(不透明)けど…
    それができないならPubpeerみたいなのでオープンにした方が良いのでは 記者にそこまで精査することを求めるのは酷だよ


    情報がなければ報道のしようもないのだから会見数と記事数の相関はしょうがないのでは
    吉田調書報道についてはよくしらなかったからかなり衝撃だったのだけど 吉田所長の言いようをみると「マニュアル」というもの一般への不信というか、シビアアクシデントには臨機応変に対応してこその腕であるみたいなそういうのがあるようにみえる
    これについては 映画「ハドソン川の奇跡」のことを考えながら読んだけどまあここに書いてある限りでは吉田所長は現場の専門家としての責任をもった最善の判断をしたとは言えなかったように思うな(わたしは著者の意見に流されやすい)


    人為・自然原因説ともに証明は難しいんだけど地球温暖化についてはそのメリットとデメリットをはかりにかけてデメリットが多いということに(少なくともIPCC的には)なっていて、それに基づいて温暖化対策をするというならある程度の正当性はあるんだからどっちが原因とかガリガリやらなくてもいいとおもう
    問題はそのメリットとデメリットの評価方法でそれを公正に伝えて議論をさせてほしいのだけどそういうの見たことないな そこを説明してちょうだいよ


    記者コミュニティは科学者コミュニティと本来は似ないものなはずなのに似てしまっている(内向的)なことが問題なのではという議論をしたけど
    特ダネ・特落ちとかいうのは流行に乗りながら新規性を重視するでかい研究とも似ているので確かに似ていることそのものが問題という気がする


    客観報道というのは手順の客観性のことを指しており客観的事実のみを伝えることを意味しない ということが大きな気付きだった
    事実に考察を加えた時点でそれは主観的なものであるしそれを避けようとするならメディアの意味はないしプレスリリースだけで十分だもんな
    現代は一般人でも会見の中継やプレスリリースなど一次情報にいくらでもアクセスできるんだから、メディアは社の方針に基づいて誠実に議論した結果なら結果的に偏向報道と言われても自由に公正な報道をすればいいじゃないというのがわたしの考えですね


    固い科学観についてですけど まずこれを崩さなきゃだよねというのはいままでも無限に考えてきているので置いておいて、
    避けようもなくふんわりしたデータから「ここまで言える!」と確信する(しているように見える)科学者たちの中では、これだけの不確実性をもった結果である・より根本的な原因によってその結果が覆されるかもしれないし完全な真理というものはない・しかし今のところのベストである という前提認識が当然にある、というのは知られていないところだよなとおもった
    つまり、科学者が確信していないことを人々が確信してしまうという問題以前に、データからは確信的にいえないようなことを確信と"みなせる"という科学者のイデオロギーというかユビキタス専門知的なものがあるということはあまり知られていないように思う

  • STAP細胞事件、福島原発事故、地球温暖化問題に関する報道を、記事を作る側の視点から考察している。科学を正しく正確に、かつわかりやすく伝えるためには、正解のない多くの問題を克服する必要がありそうだ。

  • 地球温暖化懐疑論はトランプが言っているくらいにしか思っていなかったが、日本以外ではけっこう報道されているのですね。

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著者プロフィール

1954年、岡山市生まれ。早稲田大学政治経済学術院教授。専門はジャーナリズム研究、科学技術社会論。東京大学教養学部卒。毎日新聞社でワシントン特派員、科学環境部長、編集局次長、論説委員などを歴任。現在、早稲田大学次世代ジャーナリズム・メディア研究所所長。著書に『科学報道の真相』(ちくま新書〔科学ジャーナリスト賞2017を受賞〕)など。

「2022年 『「専門家」とは誰か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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