- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480069504
感想・レビュー・書評
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時間表現を精査して、人が時間をどのように認識しているかをモデル化していく。
時間を川の流れのようなものとイメージし、主体はその川の中にある。(河畔に立つというモデルもある。)
その場合、未来と過去はどちらにあるか?
実はどちらもある。
今から数日経った日を指して言う言い方に「○日後」といえると同時に、「○日先」とも言えるからだそうだ。
ここで私の目から鱗が落ちた。
自分自身はこれまで川の中にいて上流を見ながら、その方向を未来だとしか思っていなかったからだ。
ちなみにこの時間のモデル、青山拓央さんの『心にとって時間とは何か』にも出てくる。
割とこの話題では普遍的なモデルなのだろう。
時間を巡るメタファーを慎重に検討するくだりは、人によってはまだるっこしく思うかもしれない。
でも、最終章まで読み進めると、ある感動が沸き起こる。
言語学者(特に日本語学界隈?)は、現状を淡々と記述するひとが多い気がする。
が、瀬戸さんは、時間が、金や資源をメタファーにしている現状を憂えている。
そして、「命」を新しいメタファーにし、表現のみならず概念も刷新していくべきだと主張する。
優れた表現者が、そういう認識を共有し、作品を作ってくれたら、たしかにそういう方向に変わっていけるかもしれない。
そして、そんな方向に変わっていくのもすてきだな、と思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難解…。モモの実例はわかりやすかった。「時は金なり」「功利主義」を表すのが「灰色の男」、「時は命なり」を表すのが「モモ」。
現代人は「時は金なり」から「時は命なり」へ価値観をシフトする必要があると、筆者はシンプルで力強いメッセージを送ってくれているのだが、この結論に至るプロセスが非常に難解。
言語学的なアプローチは、言葉の対となるメタファーを一つ一つ整理していくため、とても時間と手間がかかっている…本書の考え方を借りれば、命がけのアプローチといっても差し支えない。
真木悠介の時間形態の話はおそらく「気流の鳴る音」かと思う。読みたくても読めていない本のうちの1冊だから、今年チャレンジしてみたい。 -
「時間とは何か」という問いに対して,言語学の観点から接近する試み。時間の意味についてはメタファーでしか語り得ないと指摘し,「流れる時間」,「時は金なり」,「時間に追われる」といった言い回しに働く意識を分析する。
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過去から現在、未来への時間の流れを言葉で表していました。内容的には少し難しかったです。
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2017/10/11読了。
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シリーズ:ちくま新書
定価:本体760円+税
Cコード:0280
整理番号:1246
刊行日: 2017/03/06
判型:新書判
ページ数:208
ISBN:978-4-480-06950-4
JANコード:9784480069504
私たちが「時間」をどのように認識するかを、〈時は金なり〉〈時は流れる〉等のメタファー(隠喩)を分析して明らかにする。かつてない、ことばからみた時間論。
時間は抽象なので、私たちが時間を認識するとき、なにかに「見立て」るしかない。この「見立て」つまりメタファーを分析することで、“時間”を具体的に意識化することができる。近代において最も強固な「見立て」は“時は金なり”のメタファー。コーパスや、具体的なテキスト(「吾輩は猫である」「モモ」等)を探り、私たちが縛られているさまざまな時間のメタファーを明らかにした上で、新しい時間概念(「時間は命」)を模索したい。
<http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069504/>
【目次】
第1章 時間をことばで表すと―『広辞苑』vs.『新明解』
『広辞苑』の定義の変遷
『新明解』の挑戦
第2章 「時間」と「とき」
ときの意味―ゆったりと流れるもの
時間の意味―計量されるもの
「時は金なり」は「時間は金なり」?
第3章 時間経過の認識論
哲学者たちは時間をどう思索したか?
時間はどう流れるか
第4章 時間のメタファー
時は金なり
時間に追われる
時間のネットワーク―時間のことばの全体像
第5章 新たな時間概念を求めて
“時間は命”
時間の円環を取り戻す