英語教育の危機 (ちくま新書)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480071095

感想・レビュー・書評

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  • コミュニケーションが具体的に何なのかよくわからず学習指導要領にモリモリ盛り込まれてることのヤバさがよくわかった。

  • 個人的には、英語が本当に必要ならば、
    少なくとも、どこの書店にも英語のペーパーバックが並んでいて、
    アマゾンのベストセラーにも、英語の本がランキングされていいはずなのに、
    そのような気配もありません。

    つまり、日本には、英語を使わなければいけない需要が、ほとんどありません。
    なのに、「英語を勉強しなくちゃいけない」、「英語を話せないといけない」と思う人が、
    たくさんいます。本当に不思議です。
    これほど多いならば、何か、それを表す現象が起こってもいいはずなのに、
    例えば、テレビ番組の多くが、英語になるとか。。。

    日本人の英語における関心ごとは、
    「大学受験のための英語」か、
    「TOEIC(資格)の点数を上げる」か
    「英語をどのように勉強する」かに限られます。

    言語を学ぶことは、その国の文化を知ることであったり、
    背景知識となる歴史や政治を知ることです。
    日本の英語教育における実状は、あまりに、「実用的」に英語を使うことにしていますが、
    そもそも、実用的に使う目的も、理由も、環境もほとんど存在しません。
    ということは、何十年も日本人を苦しめている「英語うんぬんの議論」は、
    相当根深い問題があると思います。

    外国人の方が日本語を学ぶ例で考えてみたら、わかりやすいと思います。
    なぜ、学ぶかと言ったら、「必要」だからです。
    ただ、なんとなく、日本語を勉強している人は、あまりいないと思います。
    「きっと役に立つだろう」という理由で、「一生懸命」勉強している人がいるでしょうか?

    「必要」というのは、日本語を知って、仕事上に活かしたり、論文を書いたり、
    生活をしていく上で必要になったり、文化を知りたいからです。
    かならず、そこには、「切実な理由」が存在します。

    しかし、多くの日本人には英語を学ぶ「切実な理由」というのは、ほとんどありません。
    極々限られた人に必要とされています。
    英語を話せないと出世できないなど、一部の会社等で制限を設けていますが、
    それは、切実な理由があるからです。会議が英語になるから、英語を話さないといけないとかです。
    そうならば、英語を使うしかありません。
    ただ、大事なことを、会議で英語を使わないといけないよりも、会議で何を話すかの「何が」だと思います。

    それで、「よし!TOEICを勉強しよう」というには、的外れもいいとこです。
    なぜなら、TOEICの勉強には、「何を英語で話すか」の、その「何か」を勉強することは、できないからです。

    自分が考えたことを、外国語を使って表現することは、ましては、正確性を伴うビジネスの場なら、
    TOEICが何点とか、そういうレベルではありません。
    日本語検定1級を持っている外国人に、彼は、日本語を流暢に使えるから正確にビジネスができる
    、と思う人がいるでしょうか?

    ここにも、「英語を話すことが目的になっている」
    という非常に不思議な現象があります。

    ある場での、コミュニケーションには、正確性が絶対的に必要になりますが、
    正確な英語表現が不得手な人(90%以上の英語学習者)に、ビジネス上で、不正確な外国語を使われたら、
    余計、混乱するのではないでしょうか。

    英語をしゃべれること自体が目的化しています。
    本当に、よくわからない状況です。
    この辺にも、非常に根深い問題が存在しています。

    英語は道具、単なるコミュニケーションの道具という意見も、よく聞きますが、
    これも意味がわかりません。道具なら、その道具を使って、「何をしたい」のか、
    明確に存在しなければいけませんが、多くに学習者には、そんなものはありません。
    海外旅行に行って困らないために、少しは英語を話せないと、、、本当に切実なことならば、
    数週間で、できるようになるはずです。
    たぶん、言った本人も、どこかで、聞いたことを、
    ただしゃべっているだけなのでしょう。

    外国語学習における肝は、「思考力」向上にあります。
    なぜ、思考力向上が大切かというと、
    自分が「何を考えた」ということ、またそれを「表現する」ことが、
    人生そのものだからです。
    それは、学業、仕事、生活、あらゆる場面で、必要になるからです。

    言語学習では、母国語では経験できない、「わからないこと」が多数存在します。
    それを、一つずつ「わかるようになること」が、自身の思考力を向上する上で、
    非常に役に立ちます。

    母国語では当たり前のようにわかる内容も、外国語では、さっぱりわからない。
    この経験が非常に大切になります。
    また、母国語では当たり前のように表現できることも、
    外国語では、どう表現したらよいのか、全然わからない。
    この経験も、自分の思考力を上げる上で、非常に大切です。

    考えて見て下さい。大学受験で必要とされる英語の語彙レベルは、たかが数千です。
    しかし、ネイティブの大学生が知っている語彙は、数万です。
    語彙能力で、十倍以上の開きがあります。
    それをわかっていて、ネイティブ並みに語彙をつけようなんてすると、
    死ぬほど、覚えることがあります。
    ということは、よほど、学ぶ言語に、興味がないと、続けられるはずありません。
    「英語を話したい」という理由で、興味が続くならよいですが、
    それは、「サッカーがうまくなりたい」と同じように、上達しなくなったら、
    止めてしまいます。「サッカーが好きだから」なら、続けられますが、それは、
    多くの経験を積んだ後に、わかることです。

    自分が考えたことを、外国語を使って、話したり、書いたり、また、相手が、話すことを理解したり、
    書いたものを読めるようになるには、よほどの興味がないと続けられません。
    つまり、外国語を使う前に、何を考え、話し、書き、聞き、読みたいという、
    「切実な理由」が存在していけなればいけません。

    もし、良い英語教育というものがあるとするならば、その「切実な理由」を、
    考えさすことだと思います。それを考えて、「切実な理由」がなければ、
    英語をいくら勉強したところで、身に着くはずもありません。
    切実な理由を、考えること自体が、思考力をつけることです。

    問題は、切実な理由もないのに、話さなければいけないと思いこんでいる
    少なくない日本人英語学習者の、思考力のなさを問題にしなければいけません。
    また、それを、ビジネスとしている供給側も、そして、教育というものの本質をよくわかっていない、
    文部科学省しかりです。

  • 英語教育のあり方を,ヨーロッパで生まれてきた複言語主義をベースに議論している好著だ.英語を学ぶことで異文化コミュニケーション能力を育成するという壮大な目標を,文科省は掲げているが,少し異常だと感じている.そんなに簡単に英語がマスターできるものではなく,できる人はそれなりに努力している.すべての生徒が英語が必要だとも思わないし,日本の企業では英語が必要な部署はせいぜい5%だろう.日本語をもっと勉強するべきだ.

  • 文部科学省による中央集権的な英語教育改革の流れに抵抗するすべがない、外野の専門家が何を言っても、受け流されるか、形式的に言及されるだけで、根本的な方針変更が出来ない硬直性、無謬性は、戦前の軍部にもあった日本官僚制の宿痾だ。おそらく方針転換をすると先輩の前任者に恥をかかせるから極力方針を変更しない、と言う村社会の原理が文科省にあるのだろう。筆者の危機感、指摘される問題点はすべて同意できるが、筆者の英語教育改革の結論が協同学習、というのには腰が抜けるほど驚いた。その問題意識からなぜその結論になるのだろう。

  • 2020年からの英語教育の推進内容や大学入試改革について説明されている。国の進める方法では、なかなかコミュニケーションに使えるようにはならないと筆者は述べている。
    筆者は、複言語主義による英語教育がよいと述べているが、文部科学省の進める英語教育でさえ、指導教員不足が心配されるのに難しいように思う。

  • 専門的な英語教育については、最後の方に書いてあり、多くが学習指導要領について解説しているので、研究の参考文献ではなく、指導要領の解説としても使えるかもしれない。

  • ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB25251271

  • 特になし。

  • 臨教審第二次答申を受け1989年に告示された「学習指導要領」以来、英語教育の迷走が続く。この時、英語教育の目的が「コミュニケーション」にあると明記され、その能力の要素は「文法的能力・談話能力・社会言語能力・方略的能力」だったにも拘わらず、当時提示された選択科目「オーラル・コミュニケーション」という科目が注目を集め、コミュニケーション=「聞く・話す」という大きな誤解を生じてしまった。
    そもそも「コミュニケーションというのは、数値では表れない、いわば人間力が反映されるものである。多様な人間と接し、多様な事柄に挑戦し体験することで人間として成長し、語るべき内容を持って初めて、コミュニケーションの必要性が認識され、英語学習への意欲が生まれるはずである」(p.156)にも拘わらず。

    80年代に顕著になった新自由主義下の経済優先政策、グローバル化のうねりをうけて続く、教育界の「慢性改革病」と「迷走」、経済界や政府、マスコミからの教育界への「叱咤」が顕著になった。このような中で今の英語教育は文法訳語でなく会話重視となってしまった。読み書き能力が衰えた。読み書きができないから、聞く・話すもできない。経済界の圧力に押され、文科省も(誤った)「コミュニケーション重視」の方針に従い、従来とは違った英語教育を展開する。

    大学入学試験にしても、本当に「4技能」を個別に測定しなければならないのだろうか。英語力の基礎は「読解力」である。読めない英文は聞いても理解できない。聞いても理解できない英文を話すことはできない。読めない英文は書くこともできない。入学試験までに、(深くまたは早く)読む力を強化すれば、書く力、話す力は大学入学後に育成できるのではないか。
    小学校の英語教育のみならず、大学の英語教育においても、正規科目(コンテンツ科目)を英語で行うべきという意見は少なくない。しかし、次のような「問題」にも目を向けるべきだ。
    1.教師が「英語での指導」に専心し、英語で授業をすることが目的となる恐れがある。
    2.生徒は授業を十分に理解せず、自信を失う場合がある。
    3.英語だけの授業は浅薄になりがち。生徒の知的関心を喚起しない、など(p.94)。

    一方、世界では「Communicative Approach」や「複言語主義(plurilingualism)」(p.99, p.111)
    、「CLIL: Content and Language Integrated learning」、「TILT: Translation and Interpreting in Language Teaching」など、言語教育に通訳翻訳を取り込む指導法も注目されていることにも注目すべきだ(p.98)。

    大学教育の質の低下が問題となっているが、平均して英検準2級程度の学生を対象に、学術的な内容を教えるべき科目(コンテンツ科目)において大学教育にふさわしい高度な(興味を掻立てる)内容を伝えることが可能なのだろうか。「大学という学びの場では、学生の知的好奇心を刺激するような教育を行うことで眠っていた学生の意欲が覚醒する。教育内容が動機づけとなり関心を抱くと学生は意欲的になり、予想以上の力を発揮する。つまり、「内発的な意欲を喚起する動機づけが長い目で見て成果を上げる」(p.156)ということも忘れてはならないのではないか。

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著者プロフィール

立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科教授(研究科委員長2002-2005、2008-2010)を経て立教大学特任教授、立教・異文化コミュニケーション学会(RICS)会長(2009-2011)。著書『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房2007)(単著)Voices of the Invisible Presence: Diplomatic Interpreters in Post-World War II Japan(John Benjamins, 2009)(単著)『通訳者たちの見た戦後史――月面着陸から大学入試まで』(新潮社2021)(単著)。

「2021年 『異文化コミュニケーション学への招待【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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