暴走する能力主義 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480071514

感想・レビュー・書評

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  • 非常に読みやすい。スルスル読める。

    階級、学歴の次に基準となる「新しい何か」は見つかるのだろうか。メリトクラシーを俯瞰で見たときに今、学校教育で行うべきはなんなのだろう。「自分の中の答え」みたいなものがまた遠くにいった気がした。

  • 本書は、能力主義について、その「再帰性」という観点から、社会全体を分析対象にして論じている。国内外における近年の大学や就職に係る能力観の議論は、やや食傷気味の感があったが、本書はアプローチの方法も結論も大きく異なる。能力主義は再帰的な性格を帯びるものであることを、明瞭に示したこの仕事はとても重要である。

    第1章では、「『新しい能力』であるかのように議論しているものは、実はどんなコンテクストでも大なり小なり求められる陳腐な、ある意味最初から分かり切った能力にすぎない」(p.46)と早々に断じた。能力観が変わってきた、という固定観念に対処するために、これまでの議論から「最大公約数的な陳腐な能力」を毎回定義し直してきている、という見方は、非常にわかりやすかった。

    また個人的には、この「再帰性」という言葉の説明力の大きさに気づかせてもらったことは有益だった。再帰性とは、「常に反省的に問い直され、批判される性質がはじめから組み込まれている」(p.51)状態を指すとここでは解した。再帰的に、能力に関する議論を社会が求めていることを実証するために、著者は以下の5つの命題を設定してる。

    命題1 いかなる抽象的能力も、厳密には測定することができない 【2章】
    命題2 地位達成や教育選抜において問題化する能力は社会的に構成される 【3章】
    命題3 メリトクラシーは反省的に問い直され、批判される性質をはじめから持っている(メリトクラシーの再帰性) 【4章】
    命題4 後期近代ではメリトクラシーの再帰性はこれまで以上に高まる 【5章】
    命題5 現代社会における「新しい能力」をめぐる論議は、メリトクラシーの再帰性の高まりを示す現象である 【5章】

    この議論の立て付けは参考になった。上の「能力」や「メリトクラシー」を、同じくらい議論が重ねらている「教養」に置き換えた上で検討すると、よい仮説が導けるのではないか。またそれらは、近年の大学教育における議論に通ずることがあるのではないか。本書はこうした点に気づかせてくれた論稿だった。211頁に示された再帰的メリトクラシー理論の図表は秀逸。

  • 絶えず能力というものが問い直される続けるという近代社会の仕組みについて解説してある。

  •  タイトルは著者が理論的にインスパイアされたギデンズ『暴走する世界』にちなんだもの。現在の「教育改革」を席捲する「コンピテンシー」論を理解する補助線として。

     著者の議論の要諦は、21世紀に入って以降の日本で次々と提案されている「新しい能力」論は、後期近代における「メリトクラシーの再帰性」のあらわれとしての「能力不安」言説の反映に他ならず、基本的な論点は過去の反復でしかない、というもの。その点は明快だし、説得力もあるのだが、次々と簇生する「新しい能力」論をギデンズ的な「嗜癖」(=一時的な不安の置き換えとしてのaddiction)と見なしていることには違和を感じる。

     というのも、日本における「新しい能力」論は、まちがいなく新自由主義的な人的資本論というイデオロギーと、そこに焦点化することで駆動する教育投資市場の拡大という問題がある。つまり、本書の枠組みで言うなら、それぞれの「新しい能力」論が、誰の・どんな欲望に応じて・どのように構成されてきたかが決定的に重要ではないか。「嗜癖」という理解は、問題を過度に一般化する(それは現代社会に通有の病理なのである)か、過度に個人化する(それはイデオロギーに目を曇らされている個人の問題である)おそれなしとしない。

  • いまいち言っていることも言いたいこともよく分からなかった。「メリトクラシイの再帰性」という言葉だけ、繰り返されいた。

  • 読了。
    端的に云うと、社会で必要とされる人間の能力は、基本的に測定不能であり、社会で求められるとされる能力の変遷に伴い、教育内容を変えるべきという勘違い(?)を、「メリトクラシーの再帰性」という概念で説明した本。
    受験勉強と社会で必要とされる能力に連続性など、そもそも科挙の時代から無いわけだが(笑)、自身の判断を絶対化出来ない人間のサガは、不確実と判っていながら何らかの指標を求めてしまうのだ。

  • 本書は能力主義に敬語を鳴らす一冊である。主に大学教育や就職活動に焦点を当てて、能力とはついて書かれている。

    資本主義だと、どうしても能力主義になりがちであると感じる。しかし、何を能力と呼ぶのかにもよる。就職に関すれば、仕事ができないのにその仕事に就く人も少なくもない。

  • なぜ新しい能力が求められるのか?コミュニケーション能力、非認知能力がなぜこんなにも叫ばれているのか、教育改革がなぜ成功しないのかということをメリトクラシーの再帰性という現象から説明している。
    メリトクラシーの再帰性とは、メリトクラシー(業績主義)が常に自己反省的な性質をもっているということである。必要な能力は定義することができないという性質上どんな能力を想定してもそれは批判可能性を秘めており、それに対する能力が提示される。
    現代において教育はどんなあり方であるべきなのだろうか。
    相対主義が蔓延する中で、学校が担う義務は何か。
    反知性主義をどう考えればいいのだろうか。

  •  コミュ力などの新しい能力が必要という考え方は幻想だった?

     社会が変わり、今までにない新しい能力が求められている、だから教育も新しい何かをしなければならない。社会はずっと昔からこう言い続けてきた。
     何十年単位で見ると、産業構造が変わってもそれほど新しくしかも全般的に使える能力が必要なことはない。というかそもそもそんな漠然とした能力はない。

     確かにそのとおりだ。私達はただ新しい能力が何か必要であるという強迫観念に突き動かされてるだけのように思える。そして。この指摘は非常に重要なものだ。

  • 797円購入2018-07-10

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2018年 『教育と社会階層』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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