ことばの教育を問いなおす (ちくま新書)

  • 筑摩書房
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本棚登録 : 92
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480072740

作品紹介・あらすじ

大学入学共通テストへの記述問題・民間試験導入などで揺れ動く国語教育・英語教育。ことばの教育はどうあるべきなのか、3人の専門家がリレー形式で思考する。

感想・レビュー・書評

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  • 対談ではなく対書。
    ある程度の量を持った文章を読みながら、別の人が新たな章を進めていくという形。

    中でも鳥飼玖美子氏による、大学入学共通テストのドタバタへの言及は、分かりやすい。
    何が問題?と思っている方には、良いまとめになると思う。

    この方の英語教育を扱った本は割と好きで、自分は専門ではないものの、第二言語として英語を学ぶこととはどういうことか、いつも考えさせられる。

    小学生から英語を導入し、中学生からオールイングリッシュがでの授業が期待されているわけだけど。
    鳥飼氏は早期教育したって日常会話レベルしか身に付かないよというし、苅谷剛彦氏も考える時は母語がベースになるといっている。

    確かに日本語だって、ある程度の文章を読みこなすには相応の思考力が必要なわけで、言葉は何となく分かっても「何を言っているのか」が分からない文章ってある。

    もう一つは、授業をオールイングリッシュにすることの意味合いも、私にはよく分からない。
    例えば、段階が高度になるほど、授業における会話の内容が高度になるのか?とも思うし。
    反対に中学の早い段階で、文法事項もままならない生徒に、オールイングリッシュで何を伝えるんだろう、とも思う。
    結局、行き来が単語レベルまたはイエスノーの、いわゆる一番難易度の低い問いにしかならないんじゃないか……。

    知っていることを使うこと、聞いたことを書いたり、書いたことを話したり、言語活動を工夫することには意味があると思うけれど。
    まあ、これも専門外の意見として。

    刈谷夏子氏の国語教育は、大村はまの実践そのものというより、感想に近いもので、具体的にもっと知りたかった。

    ただ、経験したことを踏まえ、理論化すること。
    自分の中にフレームを持つことの大切さには、気付かされたし。
    更に、教育のいう分野では、この経験が理論化しにくい、普遍化しづらい意味も分かる。
    大村はまの実践が素晴らしいものであっても、それは全ての教師に出来ることではないのだろう。

    だからといって、古き教えと片付けてしまうのではなく、結局、教えることの根本には変わらないものがあるのだと。それもよく分かる。

    資料問題を繰り返し扱わなくても、自分の授業を進めていけば、ちゃんと対応出来る。
    大は小を兼ねる、という言葉が相応しいかは分からないけれど、勇気付けられる人もいるだろうな。

    あら。思ったより長くなりました。
    整理になりました!

  • 実践の国語教師大村はまの教え子として国語教育のありかたを考え続ける刈谷夏子、性急な英語教育改革をあやぶみ発信し続ける鳥飼玖美子、そこに社会学の立場から教育を論じる苅谷剛彦も加わって、対談ならぬ対書形式で、章ごとに書き手が変わって話を継ぐリレー仕立ての一冊。キーパーソンとなっている大村はまをはるかな目標とあおぎつつ、英語と日本語の語学教育にたずさわってきた私自身にとっては腑に落ちること多い内容(ああ、自分の教育感の根っ子のところは大村はまの存在と言葉で支えられていたんだと改めて気づいた)だけれど、急に読んでもわかりにくいところはあるかもしれない。

    親として大学入試改革に巻き込まれていろいろ気をもんで迷惑しているけれど、これを機に国語も英語も日本語もひっくるめた「ことばの教育」にもっと関心がむけられるようになればさいわいと思いたい。国語=文学鑑賞(ときに道徳)+漢字や文法の暗記ではなく、本当の「読める」を支え「考え、伝え合う」をたすける力をつける科目になってほしいし、英語(外国語)も単語や文法の暗記やコミュニケーションよりもむしろ第二の言語習得を通じて第一言語である日本語の感覚を問い直す科目になってほしい。

    まずは私自身が教壇に立つときの覚悟をあらたにして、こどもとのコミュニケーションの中でもあれこれ意識していこう。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/522137

  • 3人の専門家が「国語」「英語」など「ことばの教育」をめぐってかわす対話ならぬ“対書”の一冊

    本書の眼目は二つ

    「ことばの教育」をめぐるそれぞれの立場からの発言

    ・オーラルな英語の技能だけ高めても、書く能力は高まりません。
    ・発音は……下手でも構わない。けれど、文法が怪しげだと、教育を受けていないと誤解されてしまう
    ・[記述式問題は]採点のポイントを的確に押さえ、減点されないような答案を書く、という保守的な、従属的な書き手を生むだけなのではないか。
    ・「ことばの力」が大切なのは、それが「考える力」と深く密接な関係にあるから

    「対書」という耳慣れぬ議論の形式

    《対談や鼎談ではなく、意見を文章にしてぶつけ合う「対書」による議論です。一人が書いたものを読んだ次の人が触発されたことを書き、それを読んでさらなる感想や反論や疑問をぶつけ合っていますので、口頭ではないものの、「やりとり」(インターアクション、相互行為)そのものといえます。》

    3人の専門家のプロフィールは次のとおり
    同時通訳者の草分けで、小学校に英語教育は不要と主張してきた英語教育の専門家
    大村はまの教室で学び、大村はまの思想と実践を世に伝える会の事務局長
    社会学の視点で教育について積極的に発言しているオックスフォード大学教授

    3人の多岐にわたる論点、道草や誤解を含む議論に、読者はたくさんの気づきを与えられる

  • 英語教育、国語教育、社会学のプロの方が、それぞれ異なる立場からことばの教育について論を交わしている本。議論の中心となるのが、大村はまさんという国語教師の方が実践した教育方法。半世紀の間、ひたすら、言葉を使うことの重要さを子供に感じてもらうような実習を自ら考えだしては実践したらしい。

    論点としては想像以上に幅広く、面白かった。国語教育・英語教育に共通する現在の問題点や重要な点は何か?ことばの力を育てるために有効な方法は何か?そもそも教育について考えるとき、「理論」とはどんなふうにつかうべきものか?

    最後にまとめられていた通り、ことばの教育=考える力の教育という点が印象的だったし納得した。
    (現状は国語・英語教育ともに必ずしもそうなっておらず、表層的な部分で特に話すスキルを重視する風潮にあるが、書くことで思考能力を高める段階を経ないと、深い思考を言葉にして話すことはできないとのこと)

    同時に、だからこそことばの教育は難しい。
    また、本書でもふれられていた通り、教育の理論は、実践を振り返る際のよりどころとしてには参考になり重要ではあるが、誰にでも効果的な教育方法というのは成り立たない。

    そんな中でも、ことばの力・考える力を育てるのに重要なこととしては、次のような点が挙がっていた。

    ・帰納的思考(抽象化)と演繹的な思考(具体化)を往復する。

    ・メタ認知の視点(自分の使っている言葉が自分のいいたいことにあっているのか?を反省的にみる視点)を持っておく。

    ・話す力を鍛える前に、書く力を鍛える。書くためには、まず読むことで、筆者の思考のプロセスを学び取る。

  • 東2法経図・6F開架:B1/7/1455/K

  • 教育の本質的な部分を手堅く突いた、正攻法の指南書です。本当に大切なことは、こういう書物にこそ書いてあります。
    最近はYaho●や●martNewsでやたらと英語、プログラミング、早期教育、教育改革を煽り、人々を煙にまく論調が目立つ分、このような書は見向きもされないのかもしれませんが。。悲しいことです。

  • 807||To

  • 大村はまつながりの対談ならぬ対書(変換できぬ)だそうだ。大村はま先生の実践についてはいくつか読んでいる。その教え子が、大村教室で得たのはOSだという。なるほど。まあ、地頭とかいうのと近いのかもしれない。やさしいことばでも、深く難しい内容を考えることはきっとできる。だれも知らないような専門用語をふりかざして煙に巻くのは、話し手の方がしっかり理解しておらず、伝える自信がないからかもしれない。通訳や翻訳をするときに、日本語でもなく英語でもなくその中間、いや一段深いところにある概念のようなもので理解しているというのはわかるような気がする。大学入試についての件は今まさに進行中の話だけに、興味深く読めた。ただ、どの人の意見を聞いても、それも一理あるなあと思えてしまい、自分の頭でどっちがいいとか簡単には決められない。利権がからんでいるのならそれは困ったものだが、多くの人は教育を良くしようと思ってのことととらえている。いい方向に進んでいけばうれしい。夏子さんが書いている。いきいきした教室であるための必要条件。それは先生自身が「ことばというものは面白いものだなあ」と心から思っていないといけない。「ことば」は「数学」でも「生物」でも何にでも置き換えられるだろう。「あこがれの連鎖」(齋藤孝)やはりこれが一番重要なのだと思う。ところで、「おわりに」で鳥飼さんが書いている。「赤ちゃんが狼に育てられるなど特殊な例外を除いて」と。人の子どもは決してオオカミによっては育てられません。もう、この一言があるだけで、何だか全体のイメージがダウンしてしまう。残念。

  • ざっと読んだ。大村はまの話が半分以上。こういう本を読む人たちが、この本に書かれていることで知らないことというのは、どのくらいあるのだろうか。

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著者プロフィール

鳥飼玖美子
東京都生まれ。上智大学外国語学部卒業。コロンビア大学大学院修士課程修了。サウサンプトン大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。同時通訳者等を経て立教大学教授。専門は英語教育論・言語コミュニケーション論・通訳翻訳学。著書に『英語教育の危機』『本物の英語力』『ことばの教育を問いなおす』など。

「2020年 『英語コンプレックス粉砕宣言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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