- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480073211
作品紹介・あらすじ
なぜ日本は国際協調を捨てて戦争へと向かったのか。国際関係史の知見から、一九二〇年代日本に本当は存在していた「戦争を避ける道」の可能性を掘り起こす。
感想・レビュー・書評
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題名は「避けられた戦争」だが、「戦争は避けられなかった」が正直な読後感。先の戦争についてどこで道を誤ったのかを論じる書は多いが、そのほとんどは満州事変、国連脱退、2.26事件、日独伊三国同盟、仏印進駐、Hullノートへの対処などを挙げる。が、それらよりもずっと前にレールが敷かれており、引き返す機会があったのは1925~27の若槻内閣と、1930年新関税協定締結後の外交政策にあったと著者は主張する。自分にはその正誤を論じる見識はないが、日本が大きく道を外し始めた主要な要因は1927年に誕生した田中義一首相・外相の外交、政治センスのなさにあると感じた。蒋介石の実力を見くびり張作霖支援に固執するなど、とにかくセンスがない。ただこういう人物が首相になってしまうのも当時の必然であって、仮にもう少しマシな人物が首相になったとしても、いずれ第二、第三の田中義一が現れて戦争に突き進んだように思われる。結局当時の日本社会の未熟さがそうさせているのであって、敗戦で手痛い仕打ちを受けるまでは国民の意識を変えることは難しかっただろう。歴史は様々な選択の連続と言われるが、どの選択も必然性があって選ばれており、誰かがサイコロを振って決めている訳ではないのだ。
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第一〜第六章の本編は、若干行きつ戻りつするが、ほぼ第一次世界大戦終戦から満州事変までの通史。国際的な潮流としては「新外交対旧外交」、日本国内では「国際派対民族派」という二つの軸から見ていく。世界史と日本史の統合が意識されているようで、本書内でもバランスよく配置されている。第一次世界大戦後の記述で、新外交への転換が強調された世界史教科書と、旧外交の継続が強調された日本史教科書の対比は見ると驚く。
ウィルソンが新外交を提起し、ヴェルサイユ講和会議では新外交と旧外交の併存。ワシントン体制では国際強調の中で、列強の在中既得権益の容認と中国の主権尊重という矛盾した側面があった。1920年代後半には米英は中国の主権尊重の方向に次第に政策修整。またパリ不戦条約のような動きもあった。しかし日本国内では、旧外交的な思考を持つ民族派により国際派は退潮していく、という流れである。通史部分は先行研究を豊富に参照しており、通説とそう変わらないだろう。
書名への回答はエピローグでやっと出てくる。1925-27年の第一次幣原外交の時期に日本も米英同様に対中政策を転換していれば、また1930年の日中新関税協定の締結時に交渉により満州利権の一部留保に成功していれば、この二回の機会で満州事変とそれに続く一連の戦争は避けられた、というのである。ただ、その時点で政権が果たしてそうできたのだろうか。本書では軍部と民族派を主に悪役にしているが、旧外交的思考の他の国民や新聞報道も出てくる。普通選挙後の政党政治時代、かかる選択肢を取れなかったのは結局のところ、国民が受け入れる見込みがなかったからではないか、とすら考えてしまう。
なお、満州事変から対米英戦まで繋がっているとは思うが、満州事変を避けるための問題提起を「避けられた戦争」という書名でいいのかどうか、かすかに疑問にも思う。満州事変から対米英戦まで一直線で不可避だったとも思わず、また逆に満州事変さえ避けられればその後の戦争は起きなかったのかも疑問だからだ。 -
詳細な史実の列挙、分析。歴史は種々の要因が積み重なって起きるということを記載。その点は評価。
知識人やマスコミの意見が歴史に影響を与えた、ということが頻繁に記載されている。彼らが大衆煽動したり、政治家に影響を与えたということ。恐ろしいこと。
最後に安倍首相の談話に関する批判がある。
読了180分 -
本書の題は避けられた戦争となっており、ここでいう戦争とはアジア太平洋戦争を指している。アジア太平洋戦争、すなわち対米戦争の勃発は満州事変と重要な因果関係にあり、筆者は日本がどのような選択をしたら満州事変を避けることができたのかという歴史のifを、当時の日本と世界をとりまく国際政治を俯瞰しながら検証しようと試みる。
筆者も指摘しているように、やはり明治憲法における統帥権の独立という矛盾が不安定要素をもたらしていたようだ。ナショナリズムに駆られる軍の中堅将校や国民、新聞各紙は対中強硬を声高に主張しており、軍人や民間右翼によるテロ行為が散発していたがゆえに、政府や軍の良識派(英米強調派)の影響力も著しく低下していた。歴史のifを検証することは面白い試みであるが、ほんとうに戦争を避けるためには明治憲法の改正ないし国民意識の変革が求められるだろう。いうまでもなくそれは困難であるが。ようするに、対米戦争を回避するための現実的手段はほんとんどなかったのではないだろうか。
男爵幣原喜重郎は一部の中国人やアメリカ人からも好意的に評価されているようで、周りに流されない冷静で聡明な人物であったことが推測できる。彼一人の力では軍を抑制することは困難であったが、当時の日本には幣原という優秀な外交官がいたことを知っておくべきである。今後は幣原に関する勉強もしていきたいと思う。 -
1920年から日中戦争までのアジア史を日本中心にあつかったものである。高校で歴史総合に合わせて、日本をめぐり世界情勢について詳細に書かれている。写真よりも略図があればもっとわかりやすかったと思われる。目次が10ページと多いことに驚かされた。
歴史総合について学習する場合の準備にはなるであろうが、高校生には少し難しいかもしれない。 -
構成要素そのものは勉強なるし悪くないんやけど飛躍が多くその穴が筆者の思想で埋められているから独断的な断罪が行われたような読後感,要するに説教くせえ
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まだまだ日中戦に至る経緯や、世界情勢について知らないことが多ことに気付かされる。
日本国民も、新聞も当初は世界協調の方向に向いていたのに、その方向性が対外強行なものへと傾いて行ったのはなぜか、それを食い止める事はなぜ出来なかったのか、政党政治が未熟であった事は間違いない。
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第二次世界大戦に関して、なぜ日本が未だに中国と揉めており、
翻って英国とは揉めないのか、それがよくわかった。
後発の帝国として、不平等条約の辛苦を理解しながらも、
中国に対して強く出てしまうという悲しさ。
そしてなにより、明治憲法の構造的欠陥は致命的だったのだな・・・ -
著者がいう2回のチャンスの1つは1925年に始まる第一次幣原外交の対中政策で英米が中国との不平等条約の改正に応じた時に日本も同様の政策転換をしていれば。もう1つは1930年に日本が中国の関税自主権を承認した新関税条約を締結した時期に満州利権の一部留保の交渉ができたかもしれないと。
しかしやはり軍部だけでなく国民も含めて満蒙の利権に固執する国全体の大きな流れを食い止めることはできなかったのではないか。
政治家だけでなく世界の大きな流れの中でどうしていくべきかという判断力(情報の把握力)を国民ももつことが必要でそれが本当の民度の高さではないだろうか。 -
1920年代を新外交の時代と位置づけ、米国や英国の旧外交からの転換を見誤った日本の実態を、政治史や外交史中心の視点で描写している。読み易く、当時の政界、軍人、国民の感覚が伝わってくる。