ことばは国家を超える ――日本語、ウラル・アルタイ語、ツラン主義 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 106
感想 : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480073884

作品紹介・あらすじ

日本語と文の構造ばかりか、表現方法、つまりものの感じ方までもが共通する言語が世界には多く存在する! 世界の見え方が変わる、ウラル・アルタイ言語学入門。

感想・レビュー・書評

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  • 言語の系統図を見て、非常に納得した。私が見たかったのはこういう図だった。ハンガリーとフィンランドがヨーロッパでは言語的に飛地になっていることを知った。
    ヒトの長い歴史の中で、少数言語話者でありながら、一度も国を持たなかった人々の不安定さが非常によくわかる。今の中国やロシアの周辺にはそういうマイノリティたちが複数いて、私たちもその一つなんだと感じる。

  • 膠着語を愛してるんだとかいう詩人が身近にいるので
    なるほどね、とか言いながらも「膠着語とはなんぞや」というままに来ていたので手に取った本。

    言語はいくつかのグループ分けができて、
    そのグループの一つに膠着語があり、日本語はそれに含まれる。

    日本語は英語と比べて違う部分が多く、
    またヨーロッパの言語はそれらが仲間のようであるから、
    何か日本語は孤立した言語のような気がしてしまうが、
    日本語も別種のグループの一員であると位置付けられるのは
    意識しなかった部分でありとても面白い。

    (仲間がいるというのは心強いですね)

    それによると、朝鮮語群、モンゴル語群などのアルタイ語、
    ハンガリー語やフィンランド語などのウラル語のなど非常に広い
    (だが人口密度の希薄な)エリアにまたがっているようだ。


    本書はウラル・アルタイ語を中心にしながら
    言語学の様々なトピックを興の趣くままに語っていくものだ。
    初学者としても読みやすいのだが、しかし、この著者はどうも愚痴が多いような気がする。
    膠着語は助詞などがぺったりくっつくから膠着らしいが、
    彼は怨嗟が膠着してしまっておるので、読むときにはご注意を。
    居酒屋で話を聞いてるくらいだと思うとちょうどいいかもしれない。


    >>
    クマとあれだけなじみの深いロシア語に、元来あったはずのクマを表す単語が実証されてない(p.78)
    <<

    クマを表すのは「メドヴェーチ」という単語があるが
    「メド:蜂蜜」「ヴェーチ:食うやつ」ということで
    直接に名指しているものではない、と。

    脅威や、おそれの対象として直接名指すのが避けられたのではないか、というのは
    推論以上にはなり得ないけれど、面白い話だ。

    >>
    ロシア革命に反対し、抵抗したために、迫害されたソ連邦のユダヤ人、タタール人は満州国に逃亡し、あるものは満州国をソ連邦への反撃のための拠点と考えるグループさえあった。少数民族、あるいは抑圧され排除された少数派にとっては、満州国は、いわば駆け込み寺の役割になったのである。そしてかれらは、日本の軍部に積極的に接触してツラン主義を宣伝したのである。(p.215)
    <<

    まさかこんなところで近代史を読むと思わなかったが、
    これは僕が不勉強なだけで、ナショナリズムと言語は二人三脚のようなものだったはずであるから
    忘れてはいけない側面なのだろう。

    だから、満州国が良かったなんてことは特に思わないが
    歴史の陰影を言語の繋がりは映し取っているものだと思った。

  • 高度の専門書に近く、言語学に多少とも知識を持っていないと難解だが、日本語がウラル・アルタイ語(トルコ、朝鮮、モンゴル、フィンランド、ハンガリー、満州国タイ、等)にに属すると言う常識が助けとなって、辛うじて素読ながら完読出来た。ウラル・アルタイ語の12~14の特色、言語を屈折型、癒着型、独立型の三分類し、比較言語学の立場からウラルアルタイの属す癒着型について語る。

  • 言語学を初めて学習する学生にとっても役に立つ本である。印欧語だけの言語学ではない、ウラルアルタイ語への視点を与えてくれる。そして、国語学、日本語額の学生にも新たな視点を与えてくれるであろう。
     はじめての言語学の本としてもお勧めである。卒論として基本書となるかどうかはわからないが、新しいテーマを探す手段のひとつとはなるであろう。

  • 書店で見かけて、少し読んでみたら私が興味のあったトゥルベツコイについて書かれてあったので購入。
    著者は著名な言語学者であり、あとで読みたいと思っていたので、この4連休で読んでみた。

    本書は日本語の起源について、ウラル・アルタイ諸語との関連でいろいろ書いているのだが、個人的には誤字がいくつか見られ、話が途中で脱線し、著者の政治姿勢が垣間見られる箇所が随所にあり、集中して読むことができなかった。また、トゥルベツコイやマル、バイイ等、詳しい説明が欲しいところで次の話になることが多く、それなら名前を出さなくてよかったのでは?と思うときもしばしば。

    テーマや引用する学者については大変興味深いのだが、(私の知識不足もあり)読むことに集中できず、結局よくわからないままおわってしまった。

  • 東2法経図・6F開架:B1/7/1568/K

  •  想像力の無い日々を見返そう。
     地道な研究の 良い意味での随想。

  • 田中さんがウラル・アルタイ語について書いた本。田中さんは博識の人だから、話がどんどん広がっていく。ここをもう少しまとめを入れてくれた方がわかりやすかった気がする。藤岡勝二、大野晋さんたちのことは多少知っていた。服部四郎さんが言語とは音韵であり、言語学者はここから離れてよけいなことを研究してはいけないというのは意外だった。そこまで厳格だったということか。しかし、それでは言語研究は面白くない。後半でウラルアルタイ語には「もつ」という動詞がなく、「~に~がある」という動詞しかないという指摘は面白かった。これはまさに中国語の特徴でもあるからだ(これは英語研究者には不思議に思えるらしい)。

  • ハンガリー語やフィンランド語が、ヨーロッパの他の言語と大きく異なるということを知らなかった。聞いたことはあったのかもしれないが、意識にのぼっていなかった。僕が高校生のころアメリカの高校に1年間留学して、そのとき同じ高校にスェーデン人とオランダ人の留学生がいた。2人は当然のことのように最初から流暢に会話をしていた。これが、フィンランド人なら違っていたのだろうか。日本語はウラル・アルタイ語のグループに入る。ハンガリーやフィンランドも同じ。英語をはじめとする印欧語は屈折型で、goがwentになったりgoneになったりする。footがfeetになったりする。(なぜかbookはbeekにならなかった。)ウラル・アルタイ語は膠着(接着)型で、たとえば英語でいうと、過去形はedを付ける、複数形はsを付けるというようなもの。すべてがそういうルール(エスペラントがそう)だと簡単で合理的だが、そうならないところがやっかいなところ。be動詞にしても主語によって何種類も変化する。学生時代はフランス語を少しかじったが、男性名詞とか女性名詞とかの区別もあった。とにかく、覚えるべきことが多すぎる。日本語がやっかいなのは漢字と仮名がまざっているところだ。漢字がなければ外国人もよほど楽に日本語を習得するだろうし、漢字テストに悩まされる子どもたちもいなくなる。かといって、ひらがなだけでぶんしょうをかくととてもよみにくい。まあ、日本人はそういう頭になってしまっているのだろう。さて、著者の田中先生はよほどの思いがあって本書の執筆に当たられたのであろう。厳しいことばがあちらこちらに見受けられる。しかし、あとがきでことわられている。すでに亡くなられた方々に深い親しみを抱いた上でのことばであると。ところで、ウラル・アルタイ語では語頭にr音がこないという原則があるらしい。たしかにしりとりで困ることが多い。ならば令和はどうなのだろう。こういう指摘を本書ではじめて知った。大野晋先生の「日本語の起源」は家になかったようだ。読んでみないと。それと「差別からはいる言語学入門」も。

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著者プロフィール

一橋大学名誉教授

「2021年 『ことばは国家を超える』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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