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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784480075826
作品紹介・あらすじ
エリートなのに仕事ができない――理解が得られにくい不条理に自身も発達障害者であるライターが、当事者、大学教員、精神科医、支援団体への取材を通じて迫る。
エリートなのに仕事ができない――
理解が得られにくい不条理に
自身も発達障害者であるライターが迫る。
「ケアレスミスが多い」「人間関係がうまくいかない」――生活や仕事上で問題を抱える「大人の発達障害」が注目を集めて久しい。実はその中に「高学歴でありながら、発達障害を抱えている人」が少なからず存在する。「エリート」のイメージと「障害」の実情の狭間で理解が得られず、周囲と自分を比べては落ち込み、アイデンティティの葛藤を抱える……。当事者、大学教員、精神科医、支援団体への取材を通じて、発達障害が取りざたされる背景にある「異質であること」「非効率的であること」に不寛容な社会の姿を浮かび上がらせる。
【目次より】
・「あなたは早稲田大学を出ているんだから発達障害とは違う」
・人としての〝合格ライン?が上がってしまう感じ
・自分の意志がないのに〝意識高い系?になってしまった
・エリート同期たちからはニート扱い
・アイデンティティが負い目に変わる
・合理的配慮はあらゆる人に関係がある問題
みんなの感想まとめ
エリートとしての期待に反し、発達障害を抱える人々の苦悩をリアルに描いた作品は、社会の偏見や誤解に挑む内容です。高学歴であっても、日常生活や仕事での困難に直面する当事者たちの声を通じて、彼らが抱える葛藤...
感想・レビュー・書評
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「高学歴エリートなのに」という、直観とは異なる生きづらさを取材した本。しかし同時に、そうした社会にハマりにくい人々でも高学歴と呼ばれるような学校に進学できる受験制度の矛盾、あるいは、決して社会に有益な人間だけがアカデミアに参加できる訳ではないという、三つの視点が浮かぶ。
読みながら、まずは二点目の受験制度の問題が気になる。暗記したものを書き出す作業は、訓練すれば要領次第で知性とは関係なく、テストで高スコアが取れる。少なくとも社会で仕事をする際には資料やパソコンを見ながら議論する事が可能であり、曖昧な記憶は事前に確認すれば良いのだから、暗記力と生きやすさは必ずしも相関しない。皮肉を言うなら「高学歴発達障害」というタイトルは「暗記能力者・発達障害」に言い換えられてしまう。学歴というのは、一定以上の範囲においては、それほど参考になり難い指標だ。
従い、取材相手も特定の系統の大学が多い傾向にあるが、これは私の偏見も混じるので、これ以上の詳述は避ける。寧ろ、会社に役立たないとしても、それを受け入れ可能なアカデミアの寛容性の方が私には救いであり、大学は純粋に学びたい人を受け入れてくれる機能があるのだという清々しい再発見もある。
ー 高学歴発達障害者の多くは、言語性IQと動作性IQの差の大きさが顕著に現れている。早稲田大学卒のとある当事者は言語性IQと動作性IQの差が40近くも離れていた。そうなると、勉強はできても、誰かに何かを指示されて動くなどといった働くための基礎とも言える部分が難しくなるのだ。発達障害は得意なことと不得意なことの差が大きいということが一番の特徴とも言える。
ー その工場には中卒の人や元暴走族のような人たちがいて、とにかく人間関係が濃密でした。お互いのことを監視し合って陰口ばかり言っているような。でも、陰口を言っているわりには「休みの日は何をしているのか」とプライベートを引き出そうとしたり、頻繁に飲み会をしたがっていました。そんな中に突然放り込まれてどうしたらいいのかわかりませんでした。
陰口、悪言、蜚語、誤認、誤解の多さと知性には負の相関がある。辛口や批評眼は知性を表すようで、割にただの不寛容だったり、誤読の延長だったりするものだ。そういう相手のルール強制、言葉遣いや論理的誤謬に飲み込まれないような自衛が重要。発達障害じゃなくても、説明時間に寿命を削られる悲しさは、相互に発生してしまう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
■発達障害は「ニューロ・ダイバーシティ」(脳の多様性)であるという捉え方も広まりつつある。ニューロ・ダイバーシティとは発達障害を「障害」として捉えるのではなく、「神経系の多様なあり方」として尊重していくという考え方。
定型発達の人でも多かれ少なかれ凹凸がある以上、ニューロ・ダイバーシティという概念はあらゆる人を包含するものである。 -
高学歴でありながら就職後に様々な困難を抱え、退職や診療内科へ通院した経験を持つ人々を追ったルポ。際立った特性を持つ故に他の人が出来る「当たり前」が出来ない。この苦しさは誰にでもあると思いますが「高学歴」という一つのレッテルが更に本人を苦しめています。
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他人事じゃない。誰もが抱え得る発達の障害。
高学歴なのに発達障害とわかった方の、社会に出てからの生きづらさがリアルに紹介されている。
良い大学を出て良い会社に就職したものの、電話に出てメモを取りながら話を聞いて、こちらから伺うべきことを聞くことができない。マルチタスクができない。
高学歴なのに単純作業で障害者月給で働くことになったケースも紹介されている。
「どうしてもこれが苦手」ということは誰にでもあるだろう。
生活や仕事に支障はなくとも、気づかずに他人に迷惑をかけていることがあるかもしれない。 -
高学歴な人たちの具体的な大変さがたくさん紹介されている。
できないことが目立たない場所を見つけるのがいいって言葉、なるほどと思う。ともすれば、つよみを活かすことばかりを考えがちなので、高学歴ではない人にも視点を変えるいいヒントになりそう。 -
「エリートなのに仕事ができない」のではなく、選んだ仕事が間違っているだけのような気がする。別に会社員にコダワル必要はなくて、昨今のネット社会では人との関わりを最小限にして自由に働ける環境が整いつつあるのだから、そういう道を模索していけばよいのではないかと。頭さえよければ、在宅労働でもそれなりのことはできずはず。
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高学歴とくくる必要がない
著者は偏差値60の日本女子大学に入ったことを高学歴でもなんでもないと書いてるが、疑問。立派な高学歴ではないか。
また、これは健常者でも戸惑ふよなといふ事例もあり、健常者にたいして認識にズレがある発達障害のひともゐるのではないか。
あと、わざわざ高学歴発達障害と限定してゐて、高学歴とさうでないのとで、何か発達障害にちがひがあるのかとおもったら、できない仕事が多く社会に馴染めず、高学歴プライドで鬱憤がたまると言ふ。結局それは学歴または発達障害関係なく、誰にでも起りうる事である。
要するに、高学歴と限定する必要性を感じなかった。
なほ、発達障害の生きづらさの解決に向けて、示唆に富む部分は多かった。
案外かういふのは、Kaien代表の鈴木氏も言ってゐたやうに、日本のメンバーシップ型雇用社会が原因なのではないか。海外のジョブ型雇用社会における発達障害の話を聞いてみたい。 -
私自身は並の大学を卒業し、社会経験を積みながら人並みの給料を稼ぎ、それなりに社会に適合できていると思いますが、高学歴発達障害の方々がインタビューで言っている生きづらさも多少なりと感じたことはあります。
読んでいくうちに、そもそも今の社会で真っ当と言われる人間としての物差しに合わないからと言って、それは本当に障害と呼ぶべきものなのか?と言う気持ちにもなってきました。
誰もが暮らしやすい社会と言うのは理想が過ぎるかもしれませんが、少なくとも誰かを障害呼ばわりするような社会も正しいとは思えません。
こっちの能力は価値があるがあっちの能力は価値がない、こっちの人は普通だがあっちの人は障害と言うことを人間が決めるものなのでしょうか?
我々人間は世の中をクリーンにしようと啓蒙し過ぎてしまったのかもしれません。
せめて自分の周りの人たちが嫌な思いをしないような関係性を築いていきたいと思いました。 -
偏差値の高い学校に合格することと障害は別のことである。
まあ、そりゃそうだよね。
著者が日本女子大学卒で高学歴と名乗るのはちょっと微妙。 -
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高学歴にも関わらず得意不得意の凹凸(主に凹が顕著)である人に焦点を当てたインタビュー集。内容は大変興味深いが、とにかく文章が読みづらかった。中高生の作文で見られる言い回しが多く、新書としてはやや荒削りな印象。
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高学歴発達障害当事者の端くれとして、共感するところが多かったです。
特に、本人やその周囲の人々の「本来これくらいできるだろう(できて当然)」というイメージと、現在提供されている支援がミスマッチを起こしやすいという点が。 -
“「エレベーターやエスカレーターは足が悪い人や妊娠さん、高齢者などにとってはありがたいですが、健常者も荷物が多いときや疲れているときはエレベーターやエスカレーターを使いたくなりますよね。バリアフリーになった結果として、私たちは身体障害者ではないけれど恩恵を受けています。そういうふうなことが、発達障害者にもできないかなと思っています」”(p.132)
“認知行動療法によって、自分を改めることで生きやすくしようとすると、何でも自分のせいにしてしまって、余計に病んでしまうことがあります。”(p.126)
わたしもまさにこのパターンで認知行動療法に失敗したことがある。自分を改めようとするトレーニングを頑張るのではなく、どうしたらこのままで暮らしやすくなるか、どういう環境でなら自分の特性を活かせるか、といったことに目を向けたらよかったのかもしれない。その当時認知行動療法に対して抱いた不信感の理由がクリアになった。 -
高学歴であることがプラスにもマイナスにも働くとわかった。
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当事者へのインタビューが中心です。当事者の苦労(苦悩?)を知る機会になりました。発達障害は近年、知られるようになってきましたが、怖い・近寄りがたいといったイメージが強い気がします。私も全然理解できていないので、当事者に寄り添える人間になりたいと思いました。
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昔は障害とされていなかった特性が今では障害とされている。そういう視点は大切にしたいです。
認知行動療法は自分を責めてしまう事になるかもしれないと聞いて目から鱗でした。 -
高学歴発達障害というキーワード。
発達障害を抱えている人にとって高学歴というのが、かえって足枷になっている現実は理解した。
ただ、人によって生きづらさはそれぞれにあるだろうし、それを努力で克服した人もいるので、何だか複雑な気分は。 -
最近発達障害に関する本を続けて読んだり、情報を得たりしているが、多かれ少なかれ自分自身にも身近な人にもその事象に心当たりがある。
「発達障害」というカテゴリーが注目される背景について熊代亨さんの説明が腑に落ちた。
言うなれば、「まっとうな人間」の基準が高まっていったのだ。(p156)
考えてみれば、人間が人生を生きるのは、生きづらさとの共存だ。その中でささやかな喜びを噛み締めながら生きている。生きづらさを抱えている一人一人が互いを認め合えれば、少しは生きやすくなるような気がする。 -
2024.04.22
ちくま新書のレーベル自体の評価を下げる一冊。
内容も捉え方がルーズだと感じる点も多々ある。何よりも問題なのは、何をもって「高学歴」とするかについての定義がまるでなされないまま冗長的に「ルポ」が語られていることに最初から最後まで違和感がぬぐえないまま終わった。
「高学歴」の定義をしたらしたで、読者から「それが高学歴?」のようなツッコミもあるだろう。それにしても、まずは何をもって「高学歴」として本著を作成しようとしたのかが甘すぎる。
これは編集者の責任もある。これで読者を捕まえて売ろうとするのは、「筑摩書房」らしからぬレベル感に感じるのは私だけだろうか。
テーマには興味を惹かれたが、ガッカリの一冊。 -
株式会社kaien など発達障害をサポートする民間ができ始めていること。
精神科ガチャがあること
大学関連は
入試、履修、就活と卒論の両立、卒業研究など直面する場面が多いこと
そして当事者が大学が一番楽だったという割合が多いと感じ、また社会にでてからが本当に大変だということ。
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