貧困とは何か 「健康で文化的な最低限度の生活」という難問 (ちくま新書 1843)
- 筑摩書房 (2025年2月7日発売)
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感想 : 31件
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784480076694
作品紹介・あらすじ
◎生きてさえいければ貧困じゃない?
◎社会には救うべき人と救わなくてもいい人がいる?
◎貧困から抜け出せないのは努力が足りないから?
「貧困」の定義は時代によって違う!
議論はなぜかみ合わないのか?
貧困とは「お金がないこと」だと思っている人は多い。では生きていくための最低限のお金さえあれば貧困ではないのか? 貧困の定義は実は時代ごとに課題にぶつかり、形を変えてきた。貧困層を劣った人間と見なす優生思想、男女差別を前提とした家族主義、子どもを救うに値する/しないに選別する投資の論理、貧困を努力の問題に還元する自己責任論……。気鋭の研究者が、「貧困」概念をめぐる議論と問題点を整理し、「貧困」が今もなくならないのはなぜかという根本的な問いに対峙する。
みんなの感想まとめ
貧困の概念は時代とともに変化し、単なる経済的欠乏から社会的排除に至るまで多様な側面を持つことが明らかになります。著者は、貧困を理解するためには、絶対的貧困や相対的貧困の枠を超え、より広範な視点が必要だ...
感想・レビュー・書評
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「貧困」の概念・定義の変遷。絶対的貧困から相対的貧困、そして社会的排除へ。私たちの貧困の概念は絶対的貧困や相対的貧困にとどまっていないだろうか。
生活保護などによる絶対的貧困や相対的貧困の「所得の平等」から、社会的排除を克服して「自由の平等」へと世界の貧困概念は変わってきている。
私たちはいまどうすればいいのだろうか? 著者は言う「ベーシック・サービス+ベーシック・インカムで社会的排除は大幅に緩和されていくだろう」と。
一方で、ベーシック・サービスも分配関係の変更を迫るものでしかなく、それでは貧困のない社会の実現は不可能で、資本主義的生産関係にまで手を入れていかなければならない・・・とする第5章以下の議論は、今ひとつ理解が困難に感じた。 -
資本主義が発展してきたイギリスで、貧困に関する理論的な議論が始まったところからスタートしたが、現在の貧困を追認する形の分配関係論的貧困理論を紹介している.さらに貧困を根絶するための考え方として生産関係論的貧困理論も登場した.p191に「貧困とともに人間集団の差別を撲滅したいのならば、資本主義的生産関係に対するアプローチが必要である」と総括しているが、資本主義自体を変えていくことが必要だと主張している.おぼろげながら理解できた感じがした.
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●貧困とはなんだろうか?動物として生きていくための食べ物に困る事だろうか?人間としての生活をするために必要な物を欠いている事なのだろうか?
●健康な生活と、文化的な生活の二者択一なのか?人間は健康が損なわれた時だけに死ぬのではない。
●安全基準の許容量とは、社会的概念であり、科学的に決定される量ではない。本来なら、最も弱い人を基準にすべきであろう。
●貧困=あってはならない生活状態
●①19世紀末 絶対的貧困理論②20 世紀半ば 相対的貧困理論③1990以降 社会的排除理論
●産業革命時代、ブースの理論は、資本の論理より「役に立たない」判断をする。優生思想を利用。→問題あり。
●食事の意義。空腹、栄養を満たす、さらには、社会性を自己確証させること。社会参加の機能も。
●相対的貧困理論。当時は家族主義、女性に対する差別と抑圧のうえに成立していた社会。 -
貧困とは「あってはならない生活状態」としている。政府の統計での貧困という数値とは違った定義である。児童生徒の貧困にも言及しているので、卒論を貧困に関して書く場合には必読書であろう。
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368.2シカ
貧困について考えるという音は人間の生活とは何か根本から考えることであるとし、
貧困とは具体的な何か、貧困と自己責任論、貧困のない社会はあり得るかを論じている。 -
貧困がどのように把握されてきたかの歴史の解説に始まり、貧困の原因となる資本主義的生産関係の説明がなされていた。
絶対的貧困、相対的貧困(相対的剥奪を含む)は分配関係論的貧困理論であり所得を軸とした貧困の把握の仕方。他方で、社会的排除は自由の欠如として貧困を把握し生産関係的貧困理論とされる。
本書の特徴は貧困の緩和より進んで貧困根絶の貧困理論を模索したところ。
貧困を根絶するために資本主義的生産関係を乗り越える必要がある。そのあるべき社会は、研究者や政治家といった個人が考えるのではなく、民主主義における手続きの中で議論され構想されるという。そうだと思うが、資本主義とは違う社会をなかなか想像できないので、著者なりの構想を知りたかった。
また、社会的排除(と対概念の社会的包摂)の概念は排除した社会のあり方を問う概念なので、著者の貧困に向き合う姿勢と合致すると思った。
あと、相対的貧困と相対的剥奪を同じように扱っていいのかも疑問に思った。相対的剥奪は所得だけではなく多次元的に貧困を捉えるとバラとラペールの本で学んだから。
この本から刺激を受けたので、貧困を緩和する方法と貧困を根絶する方法を考えてみたい。 -
貧困論について、私自身は詳しくはないが、おそらく秀逸の書であると思う。まず貧困概念の変遷より、絶対的貧困から相対的貧困に、そして今は社会的排除。社会的排除が貧困概念とは初耳。貧困概念を進展させてきたのは、かつては労働組合、その後は「家族主義」に基づく女性差別反対への運動、おそらくフェミニズムも含む、そして人種差別や移民に対する排除反対なども含む多様な運動が後押ししている。結論としては、現在の資本主義の枠組み内では貧困や差別は撤廃できない、生産関係論的(階級論的)貧困理論から考えるしかない。そのための運動を行なっていき、社会をどのように変えていくがポイント。「子ども食堂」の問題についても人権論より理論的に喝破しており納得がいった。
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同時期にウェルビーイングにまつわる新書に触れていた比較でいうと、本著は「絶対的」「相対的」という貧困像から現代的な社会排除理論という流れが端的にまとめられていて入門書として好感が持てた。
いずれの書籍でも宇沢弘文の社会的共通資本などの自分好みの複数の著述が紹介されていて、やはり関心の程度が高いことを実感したがあとがきでもあるように、貧困ゆえに身内が命を絶った経験から貧困の撲滅を掲げている筆者が今後どのような活動を重ねていくのかという興味はこちらにより引かれるのである。 -
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[目次]
序章 貧困とは何か?
第1章 生きていければ「貧困」じゃない?-絶対的貧困理論
第2章 家族主義を乗り越えるために-相対的貧困理論
第3章 ベーシック・サービス、コモン、社会的共通資本-社会的排除理論
第4章 「子どもの貧困」に潜む罠-「投資」と「選別」を批判する
第5章 「貧困」は自分のせいなのか?-「階級」から問い直す
終章 貧困のない社会はあり得るか? -
368.2/Sh27
【社会保障論Ⅰ】 -
「r > g」を踏まえると、資本主義では貧富の差が拡大しやすく、この不平等を完全になくすことは難しい。したがって、再分配によって是正していくしかないというのが、現在の制度的対応だと理解している。
志賀氏のいう資本主義的生産関係の変革、すなわち物象化されていない生産関係に基づく新たな社会構想の実現に希望を抱くまでには至らなかった。「抜本的変革」というものに対する不信感もあるし、根治しなくても社会は段階的に改善していくものだと思う。
とはいえ、絶対的貧困→相対的貧困→社会的排除という貧困理論の変遷を追えたのはよかった。正直、ただの分類だと思っていたので勉強になった。 -
かつては一億総中流の幻想がそれなりに信じられていた。しかし、大都市のなかにある駅や公園などにはかなりのホームレスがいたのも事実だ。最近はその数は減少しているようだが、実際には見えない形で不如意な生活をしている人は多い。
本書では貧困の定義を多方面から述べていく。そしてそのイメージを下限に設定して、生活苦を小さな枠に入れ、そこに達しない状況の場合は本人の努力不足などの自己責任で論じることが多い現況を批判している。確かにそうした論調をよく耳にする。冷笑する人々は、人々の不幸の本質を知ろうとしない。
貧困の発生が資本主義という社会システムが生み出すものであることも指摘されており、我々が金科玉条とするこの考え方も批判の対象にするべきだという。格差を前提に発展する今の仕組みを解決するにはどうすればいいのか。それを考えさせられる。 -
配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01438563 -
貧困の定義がどのように拡大してきたか、を解説した本です。絶対的貧困から相対的貧困を経て社会的排除へと概念が広がる一方で、それぞれに対する批判的な意見があることも記載してあります。後半はやや学術的な感じが強くなります。入門にしては少し難しいなと感じました。
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貧困について、歴史的に絶対的貧困→相対的貧困→社会的排除のように認識が変化してきている。
絶対的貧困とは、食事や栄養が取れないのように、動物的生存のために必要なことが欠けていること。相対的貧困とは大多数に比べて所得が欠けていること。社会的排除とは、社会参加できていないこと。社会参加できてない=社会的排除=貧困=あってはならない生活状態という風に結論づけている。
私も感じていたが、日本人は自己責任論に傾倒しがちな気がしている。この自己責任論は、今の投資アプローチからも生まれてるのではないかと提言していた。投資アプローチ、つまり子供の時に投資回収できそうと見込まれる対象に対してお金を投資するということ。勉強ができるだったり、成績がいい人に奨学金だったり補助金を出すことを指している。
対して権利アプローチというものを話題に取り上げていた。そもそもお金のある子どもは勉強に特化せずとも自由にサークルしたり自由に行動できる一方、貧しい子供は勉強だけ(+空いた時間にバイト)を強いられる現実がある。
北欧的に税を高くして、貧困を減らすアプローチが必要なのではないかと感じた。現状限られた予算で貧困を救うとなるとどうしても優先度が必要になってきて、そのためには子供かつ投資回収見込みの高い人になってしまうのだろうと感じた。これも行き過ぎた資本主義・新自由主義が生んだ弊害なのだと思う。
新自由主義にちなんで「売れるもの」ではなく「必要なもの」を考えることが大事だという視点もよかった。「必要なもの」をどう定義するかが難しい気がするが、売るために物を作ってモノ余りしたり、必要ではなさそうだが売れるというだけで過剰生産されたり、この辺りは見直した方がよさそうである。
ベーシックインカムならぬベーシックサービスの考え方も学ぶことができた。インカム(お金)ではなく、サービスで提供するというやり方。
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