江戸の想像力 18世紀のメディアと表徴 (ちくま学芸文庫)

  • 筑摩書房 (1992年1月1日発売)
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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784480080073

感想・レビュー・書評

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  • 田中優子 「 江戸の想像力 」 平賀源内(金唐革)、鈴木春信(浮世絵)、杉田玄白(蘭学事始)、上田秋成(春雨物語)から 近世(天明文化)を論じた本。

    中世と近代の間における 変容途中の文化の特異性を伝えている。過去と未来、異質と同質が混じり合った世界。

    近世文化の特異性
    *新たな創造への衝動と過去への熱い視線
    *外部=異質なものとの出会い
    *すべてのものが相対的であることの発見
    *連語と列挙方式が近世の基本様式〜俳諧、狂歌、浮世絵
    *近世=俳諧化=相対化の繰り返し運動→相入れないものの存在を否定せず、認めることで動き続ける

    「近世は あらゆる領域で 宗教的体系に依存せず、人間の普遍を考える」

    江戸文化の変容と創造
    「一つの物を追っていくと 空間と時間を超えて〜変容しつつ巡り、どこがオリジナルがわからなくなる」

  • とくに第一章、四章を面白く読んだ。神戸の南蛮美術展で見た、16、17世紀の大名達が好んで収集したという世界地図柄のカラフルな何枚もの屏風、そのバックグラウンドが理解出来たような気がした。近代・中央集権国家の形成に繋がらないからといって教科書の記述で飛ばされてきた部分に焦点を当て、活写している。評論というよりは語りのような、少し浪漫ちっくさのある筆致が特徴あるなぁと。

  • 721夜

  • 田中優子は、1952年生まれ、元法政大学総長。
    初版が出版されたのは1986年、著者34歳。
    華々しきデビュー作。
    本書がちくま学芸文庫で発行されたのが、1992年。
    文庫を即入手してその新鮮な面白さに感激した。

    だが、今回何度目かの再読をして、今まで本書を「つまみ食い」しかしてこなかったことに気がついた。
    本書はつまみ食いするのは勿体無い書物だと悟った。
    著者の江戸愛は、つまみ食いではなく、丸ごと骨まで全て味わい尽くすべきものだと気がついたのだ。
    江戸の何を愛玩するのかの実践を、本書の全編、全文、単語一つ一つが示してくれる。
    それは「楽しい江戸の底なし沼」と呼びたい。
    一足一足歩むごとにズブズブと深みにハマり、身体ごと江戸の中に入り込んでしまうからだ。
    それは、「江戸前鰻」でも良い、「南鐐二朱銀」でも良い、「本多まげ」でも良い、当然メインテーマの「金唐革」でも良い。
    どこからでも、どの単語からでも江戸に入り込むことができるのだ。
    こんな素晴らしい江戸案内はない。

    —のは間違いないのだが、この底なし沼はそれに止まらない。
    気がつけば、底なし沼は、金唐革を通してフェルメールにまで通底している。
    オランダのフェルメールの時代、江戸は四代将軍家綱の時代。
    日本に文物を運ぶデリバリー屋オランダは、フェルメールの絵に描かれた金唐革をはるばる運んで、徳川幕府に献上していたのだ。
    そればかりではない。
    影絵の革人形の世界的巡りは、フィレンツェに至って、ボッティチェルリにまで至るのだ。

    NHK大河で放映されている「べらぼう」の舞台は18世紀の江戸。
    正に、本書が取り上げるのが江戸の「近世」だ。
    今こそ、この名著を読み返す秋(とき)だ。

    (追記)
    この田中優子のデビュー作ともいうべき、素晴らしく魅力的で、知的興奮を掻き立て続ける作品は、誰もが読むべき作品だ。

    今回、何度目かの再読をして、この作品の源流に気がついた。
    ちゃんと書いてあるのだから、今更源流もないだろうとも思うが、改めて読んで、その源流の重要性に震撼した、と言うのが実情だ。
    その源流こそ、徳力彦之助の「金唐革史の研究」だ。
    徳力彦之助は、昭和初期に活躍した漆芸家。
    調べてみると、昭和初期に作った洋館が京都太秦にあることがわかった。
    ティンバー様式の建物の内装は、驚くべき豪華さ。廃船になった豪華客船の備品をふんだんに使用した別世界を今に伝えている。
    そこには、当然、金唐革のコレクションもある。

    徳力彦之助は、明治38年、西本願寺の絵所を務める家に生まれる。
    彼は、ヨーロッパで生まれた金唐革にのめり込む。
    のめり込んだ徳力は、金唐革の歴史を科学的に徹底的に追う。
    その姿勢が、本書の源流そのものなのだ。

    江戸時代に日本に盛んにオランダ船が運んだ金唐革。
    多くは徳川幕府に献上された。
    元々は、壁紙として開発された革製品だ。
    型押しされ、金箔や塗装がなされた豪華壁紙だ。
    オランダのフェルメールの絵画には明らかに金唐革と分かる壁紙が描かれている。
    壁紙が持ち込まれた日本では、これが煙草入れや巾着として使われた。
    ところが革製品は魅力的だが高い。
    舶来の高価な革製品を紙で模造品を作って廉価版「金唐革」として売り出して大儲けしたのが、平賀源内だ。
    フェルメール(1632-1675)と平賀源内(1728-1780)は、百年の時代とヨーロッパと日本という時間と距離を超えてつながっている。

    徳力彦之助は、日本の金唐革を分析して、舶来の金唐革は時代によって品質が異なることを明らかにした。
    アセトンに漬けると金属部分が完全に剥落するものと、全くビクともしないものがあったのだ。
    アセトンに耐性を持つものは初期の金唐革だった。15世紀イタリアの製品だ。
    そして、それがイタリアのクレモナでヴァイオリンの塗装に使用されたものと同じ塗料であることを突き止めるのだ。
    ストラディヴァリスの音の秘密が解明できない原因のひとつが塗装にあると言われている。
    ストラディヴァリスに使用されたものと同じ塗料が初期の金唐革に使用されているのだ。
    塗料はヴァイオリン用に開発されたものだろう。
    それが同時代の新製品、金唐革にも転用されたのだ。
    技術を通して金唐革とストラディヴァリスが通底する。
    徳力彦之助の凄いところは、その塗料の再現に取り組むところだ。
    あらゆる調合を行い、それが天然塗料ではなく、ポリエステルのような人工重合塗料である事を突き止める。
    その実物を見たヴァイオリンの名工は、これこそストラディヴァリスに使用されたものだと断言する。
    (これは、一般に認められたのか、一ヴァイオリン工のコメントなのか、判断は付かない)
    こうして、金唐革とストラディヴァリウスが塗料を通して固く結びつくのだ。
    だが、まだ金唐革の繋がりの連鎖はこれだけではない。ゾクゾク。。

    徳力彦之助は、金唐革の探究をする中で、スペインに伝わる初期金唐革の「野猪狩図」を分析して、それがギリシア神話に基づく、ボッティチェルリの絵画と酷似していることに気づく。
    ボッティチェルリは革職人の倅、丁度、金唐革の登場する時代に活躍している。
    そこにヴァイオリン用の塗料も伝わってくる。
    そこから徳力彦之助は、金唐革そのものの創始者としてボッティチェルリを特定するのだ。
    金唐革—ストラディヴァリウス-ボッティチェルリ、何ともエキサイティングで驚きの展開ではないか。

    さて、ここからが、田中優子の登場だ。
    徳力彦之助の知的展開を引き受けて、新たな知的展開を江戸文化に応用して見せるのだ。
    応用するのは、江戸時代中期。
    主役は平賀源内。
    ヨーロッパで「本物」の金唐革を生み出したボッティチェルリに対して、日本で「偽物」の金唐革を生み出した平賀源内を対置してみせるのだ。
    そして、「本物」「偽物」という裏表までひっくり返して、またひっくり返して、そんなものはどうでも良いという結びつきの目眩く世界を描いてみせる、という寸法だ。

    金唐革は、ルネサンス期のヨーロッパで、壁紙としてボッティチエルリによって創製されたものだ。
    それが江戸時代、オランダ船によって日本にもたらされ、革製品として、主に煙草入れとして流行した。
    それを紙で作ってしまったのが、平賀源内だった。
    窮乏のための一策だった可能性が高いが、もしかしたら、田沼意次の意を汲んで、日本からの金銀銅の流出を防ぐための輸出品として構想されたのかもしれない。
    一般には、この偽物金唐革は、一時的な流行を見ただけで消え去ったと考えられていた。
    ところが、本書は、それが明治になって復活し、煙草入れから始まって、本来の用途であった壁紙にまで使用されることを明らかにする。
    日本で、洋式の建物が増えて壁紙需要が登場したというわけではない。
    紙で作った金唐革を、革で作った本物の金唐革の本場に、本来の用途として輸出したのだ。
    それが大当たり。
    大蔵省印刷局が源内製金唐革を製造して輸出したというのだから、愉快だ。
    ヨーロッパからはるばる極東の日本に運ばれた「本物」の金唐革は、源内によって「偽物」(紙製)の金唐革となって再びはるばる極東日本からのヨーロッパに運ばれていったのだ。
    これこそ、「金唐革は世界をめぐる」だ。

  • 1992年(底本1986年)刊行。著者は法政大学第一教養部教授。

  • 学生の頃、単行本を読んだ記憶があるのだが内容はすっかり忘れていた。平賀源内の活動を通して、近世―江戸時代―が、抑圧された時代ではなく、いかがわしさをもとに躍動をしていた時代だということを示してくれる。
    そして、鎖国し世界とつながっていなかった、というのも大嘘で、世界の中の日本、文化的にも技術的にも商業的にも錯綜して絡み合った関係があったことも明白に示される。
    近代が行き詰まっていると言われるいま、過去にヒントを得ようとするな近世―江戸時代―なのではないか、と思う。それを一言で言うなら「相対化」だ。

  • [ 内容 ]
    近世的なるものとは何だったのか―。
    平賀源内と上田秋成という同時代の異質な個性を軸にしながら、博物学・浮世絵・世界図・読本といったさまざまなジャンルの地殻変動を織り込んで、江戸18世紀の外国文化受容の屈折したありようとダイナミックな近世の〈運動〉を描いた傑作評論。
    1986年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞作。

    [ 目次 ]
    はじめに 近世的なるものへ
    第1章 金唐革は世界をめぐる―近世を流通するもの
    第2章 「連」がつくる江戸18世紀―行動本草学から落語まで
    第3章 説話の変容―中国と日本の小説
    第4章 世界の国尽し―近世の世界像
    第5章 愚者たちの宇宙―『春雨物語』の世界

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 3/11 読了。

  • 江戸文化って面白い、という想いは伝わってくるのだけど、いかんせん串刺しとなるコンセプトが見えづらくて、読んでいて話が右から左に過ぎていくのがもったいない。

  • LBR

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著者プロフィール

1952 年神奈川県横浜市生まれ。江戸文化研究者、エッセイスト、法政大学第19 代総長、同大名誉教授。2005 年紫綬褒章受章。『江戸の想像力』( 筑摩書房) で芸術選奨文部大臣新人賞受賞、『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』( 筑摩書房) で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞を受賞。近著に『遊郭と日本人』(講談社)、
『江戸問答』( 岩波書店・松岡正剛との対談) など

「2022年 『手塚マンガで学ぶ 憲法・環境・共生 全3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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