ニーチェ全集 2 (ちくま学芸文庫 ニ 1-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (571ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480080721

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    ── ニーチェ/塩屋 竹男・訳⦅全集 2 悲劇の誕生 19931101 ちくま学芸文庫⦆
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4480080724
     
    (20231018)

  • ソフォクレスのオイディプス王を典型とする古代ギリシャ悲劇におけるギリシャ精神の本質を、アポロン的なるものとディオニュソス的なるものの対立と和解という形で論じます。

    ディオニュソス(バッカス)は酒の神で、酩酊・陶酔を特徴とし、無秩序な物自体の世界・現実的な苦悩に満ちた世界を意味する。
    破壊するとともに創造のエネルギーともなる。
    非造形芸術としての音楽に対応。

    アポロンは光の神で、ニーチェはショーペンハウアーの個別化の原理を適用しディオニュソス的な混沌とした世界にはっきりとした形を与えるものを意味する。
    ただしそれは夢に象徴されるような仮象の世界である。
    絵画や彫刻のような造形芸術に対応。

    アポロン的なるもの・ディオニュソス的なるもののどちらか一方が強すぎたり弱すぎたりしてはダメで、両者の相克と和解を経て、アポロン的かつディオニュソス的な悲劇が誕生するようです。

    ニーチェは陶酔させて夢を見させる悲劇芸術に、現実の苦悩からの救済・苦悩に直面し引き受けつつも生を肯定することをギリシャ悲劇・ギリシャ精神の本質として認めました。

    そういった悲劇がソクラテスやエウリピデスの理性によって堕落した芸術に成り下がっていた当時のドイツ文化において、ワーグナーの音楽に古代ギリシャ悲劇復活の兆候を見出します。

  • 本来の『悲劇の誕生』。なぜなら本書は『悲劇の誕生』だけでなく『悲劇の誕生』の思想圏に属する他の講演や論文も収録されているからです。

    (『悲劇の誕生』の思想圏から)
    ギリシアの楽劇
    講演「ソクラテスと悲劇」の断片
    ディオニュソス的世界観
    ギリシアの国家
    音楽と言葉について

    (ホメロスの競争)



    (ギリシア人の悲劇時代の哲学)
    序言
    後の序言
    本論
    継続のための草案
    草案覚え書き

    (ホメロスと古典文献学)

    以上が含まれ、こちらの方が『悲劇の誕生』本編よりページ数が多いです。
    本来『悲劇の誕生』はニーチェの初期構想によるともっと膨大なものでしたが、ワーグナーのためにそれとは関係のない草案を削除し縮小して現在の形に成りました。ですので本来の『悲劇の誕生』がどのようなものだったのか、本書で垣間見ることが出来ると思います。特に「ギリシアの楽劇」「講演「ソクラテスと悲劇」の断片」「ディオニュソス的世界観」では『悲劇の誕生』の分かり難かった箇所が、別の言葉で分かりやすく述べられており、理解の助けになりました。

  • ディオニュソス的なものから生まれたアポロン的なもののもつ悲劇性、それを転倒させるエウリピデスの力。

  •  もしも、芸術の発展がアポロン的なものとディオニュソス的なものの相克によるものだということが・・・の有名な一文ではじまる『悲劇の誕生』は出版当時ほとんど誰からも理解されてなかった。アポロンが陽なら、ディオニュソスは陰、アポロンが夢の象徴であるなら、ディオニュソスは陶酔の象徴だ。コロスの乙女たちは、舞台上でプロメテウスの巨人を実際に体験していた。今の時代の自分をカッコに入れて、当時の情景を元あるままにあるように自己を投射する系譜学の要諦、その技術によって過去からそれらを救い出すことをニーチェは可能にした。これがいかにすごいことか。

  • ニーチェは形而上学的な立場から実践者を批判したソクラテスを批判する。ギリシアに立ち返って西欧近代を批判する。ヘーゲルも大嫌い。その文献学的な批判の仕方が、じつに西欧的だね。

    詩と音楽と演劇から文明自体を語るっていう、この思考法を、なんと名付けようか。「一事が万事」思考とでも言うかね。

    西欧近代を根本から批判するためにソクラテス=プラトン以前の哲学者と、それ以降との差異を考える。「ギリシア人のなかにディオニュソス的なるものがあった(だから悲劇が誕生した)のにソクラテス=プラトン以降の西欧はそれを抑圧してきた。その抑圧の最たるものがキリスト教だ」という批判。

    ギリシアに立ち返る神秘主義。悲劇はディオニュソス的なるものの芸術的観照。科学性は悲観主義に対する恐怖・逃避。科学を芸術家の観点の下に、他方、芸術を生の観点の下に見る。悲劇はギリシア人の「健康から来る神経症」。

    アポロンとディオニュソス。造形の芸術と音楽の芸術。光明と混沌。夢と陶酔。現象界と物自体。仮象と現実。意志と本能。

    ギリシア悲劇の本質を、ソクラテス以前の哲学者(ヘラクレイトス)の世界観に見る。/ニーチェの悲劇の概念は形而上学的、実存的、世界史的、文学的概念。

    盲目的な意思の荒れ狂う大海たる物自体の世界は、混乱たる本能的衝動の世界として、狂乱、陶酔の神たるディオニュソスが支配する。明確な形象の世界、主観的な現象界、仮象、夢幻の世界は、光明の神たるアポロンが支配する。

    苦悩をそのまま歓楽へと転ずる真実の救済は、苦悩からの逃避ではなく、苦悩に直面しこれと戯れる遊戯自在の境地に至ることであり、『悲劇の誕生』が、すなわちそれである。

    反キリスト教的な教義と評価を「ディオニュソス的」という。芸術の発展にアポロン的なものとディオニュソス的なものとの二元性。/悲劇は根源的に合唱隊。/ギリシア悲劇の最古の形態はディオニュソスの苦悩。

    目が物を分離するのにたいし、音は物を結合する。

    国家と社会が、一般に人間と人間の間隙が、自然の胸へと連れ戻す一種圧倒的な一体感の前に消失するということ、これがディオニュソス的悲劇のまず第一の作用なのである。

    戦慄すべきものの芸術的制御たる崇高なるものと、不合理なるものの嘔吐からの芸術的解放たる喜劇的なるもの。

    審美的ソクラテス主義。「すべてのものは、美しくあらんがためには、知的でなければならぬ」「ひとり知者のみが有徳である」。

  • <哲学者>としてのニーチェ最初の著作。本書は2つの二項対立からなっている。一つはアポロン対ディオニュソスであり、一つはディオニュソス対ソクラテスである。

    簡単に要約しよう。

    最初の二項対立、アポロン対ディオニュソスというのは、つまり洗練された芸術の力vs生々しい感性や衝動の力を指す。

    アポロンが意味するのは、華々しく着飾った芸術である。それはすなわち、人生を美しくする幻想だ。今風の言い方をすると<物語化>といってしまっても良いかもしれない。整合性があり、ストーリーラインがきちんと備わっている。

    対して、ディオニュソスが意味するのは、より生々しい衝動である。ニーチェはそれを特に異民族の祭りに見出した。それはより人間の本能や本性に訴えかけるものであり、そこには着飾った幻想があるのではなく、陶酔と熱狂がある。

    本書の前半部は、ディオニュソスの逆襲というべき論調で進んでいくのであるが、ニーチェは同時にこれら2つに融合の可能性があるということを示唆する。

    すなわち、ディオニュソス=陶酔を取り込んだアポロン=幻想であり、それが本書の題名となる<悲劇>に見出されるということなのである。

    故に、続く2つ目の二項対立、ディオニュソス対ソクラテスにおいては、ディオニュソスは最初の二項対立のディオニュソスと同じものを意味しない。このディオニュソスは<悲劇>、すなわちアポロンを取り込んだ(あるいはアポロンに取り込まれた)ディオニュソスを指している。そしてそこに対立するのは、近代科学を代表する、芸術を理解しようとしない象徴のソクラテスなのである。

    こういった芸術と陶酔、芸術と科学といった世界観の対立は、今日でも至るところに見られる。芸術と科学の対立は、人文学と自然科学の対立とも読み替えられるが、こういった問題意識を持つ人間は少なくとも一度、本書に目を通す価値はあるのではないだろうか。

  • 「アポロン的」と「ディオニッソス的」の二項対立概念によって知られる、もはや「古典」的な書。

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