自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.66
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本棚登録 : 772
レビュー : 61
  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480081094

作品紹介・あらすじ

哲学とは自分を深く知るための、他者とほんとうに関わるための、もっともすぐれた技術(アート)なのだ。哲学の読みどころをきわめて親切に平易に、とても大胆に元気にとらえなおした斬新な入門書。もちろんプラトンもデカルトもカントもヘーゲルもニーチェもフッサールもハイデガーも大物はみな登場。この一冊で哲学がはじめてわかる。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は2部に分かれています。
    前半は哲学とは大きくどのようなものかを書いていて、
    後半は有名どころを抑えた哲学の歴史的なものが書かれています。


    大学生だったときに、この本を読めと言ってほしかったと思う位、
    哲学者の考えや流れ、タイプなどを理解することができました。
    ただ、やはり駆け足でたくさんの哲学者の流れを紹介している
    ので、くわしく知ることにはならないでしょう。
    と、言っても私にはこの駆け足すら満足に理解していませんが。
    まさしくその名の通り、入門書には最適だと感じました。


    この世界へ入る小さな入口的本書。
    私は4年間、何をしてきたのでしょうか…。
    本書を読んで、そればかり考えさせられました。

    ま、いっか。

  • 難解な哲学書が多いが、本書は著者の見解がわかりやすく、新たな哲学観を持つことができました。

  • 現象学を中心軸としてソクラテスからポスト・モダン思想までの哲学の流れとその問題を平易に解き明かし、哲学が単なる論理の遊びではなく、社会との関係性を深めるための術であることを明らかにする。

  • 大昔に読みましたので細かいところまでは記憶しておりませんが、非常に読み易く入門書として優れた内容であると感じました。小学生でも充分に理解できる内容でありながら成人が読んでも得るものがある書籍だったと記憶しています。読書嫌いだが哲学とはどういうものか知りたい、という方には打って付けなのではないでしょうか。

  • 著者にとってまさに哲学を知り、哲学書を読み深めていくことが、自分を知ることと絡みあってきた半生だったことが書かれている。

    また、本書では、多くの部分にわたって、古代ギリシャから現代に至る哲学の歴史と著者の解釈が書かれているが、それがどのくらい「妥当」(本書のキーワードの一つ。フッサール) な解釈なのか、わからない入門レベルの自分としては、補完できる他の一冊を探して読みたいと思った。

  • "哲学を知っている人が、(私のような)知らない人にわかりやすく説明をしてくれている本。この本を読むと哲学がわかった気になってしまう。思想家の読書案内にもなっている。
    著者が考える 哲学とは何か?
    1.物事を自分で考える技術
    2.困ったとき、苦しいときに役に立つ
    3.世界の何であるかを理解する方法ではなく自分が何であるかを了解する技術
    だという。
    そして、著者が哲学することを学んできた体験、経験を紹介してくれる。
    そして、順を追って西洋哲学がどんな歩みを経てきて現在に至ってきたのかを説明してくれている。
    この本は、3ヶ月ごとに読み返してもいいと思っている。なぜかというと、哲学を俯瞰して捉えられるようになりたいからだ。第3章からを今度はノートをとりながら読み、各時代に登場する人物と、その人物が示した世界観を捉えることができたら、古典を読む時のガイドになるだろう。

    この本を読んで、ヘーゲル、ハイデガー、ニーチェ、フッサール、サルトル、キルコゲール、デカルト、スピノザ、カントなどといった思想家の本を読んでみたいと思った。"

  • このような哲学入門の著書が読みたかった。難しい学問を出来るだけ平易に言い換えてくれることで分からないなりにも少しだけ分かりかけた。

    また何度も読み返したい。この本の中で著者が薦めてくれている入門編の作品は一通り読んでみようと思う。

    それにしても難しい。難しいけど何故か読みたくなるのは自分でも、この難解な書物を読む俺カッコイイ気持ちもあるけど、でも少しでも一瞬読めている感覚になる時がたまにある。その時がとても気持ちいい。放尿感にも通じる不思議な気持ちになる。

    ともあれこういうふざけた態度で読んでいて哲学に対して失礼ではないかと思っていたが、著者は

    「それぞれの学説をある真理を知るためにならい覚えようとするのではなく、そういった哲学的直観を深く育て上げるために哲学を読めばいいのである」という言葉に大変励まされた。

    また、

    だがわたしたちはいったい何のために「自分自身を知る」必要があるのだろうか。わたしの考えではそれはこういうことだ。人間にとって単純に自分の状態を知るということは、べつに大した意味を持たない。自分のルサンチマンや弱さや力の限界をよく知ることはそれなりの意味を持っているが。大事なことはむしろ、自分と他人との関係のありようを知るということであり、それを通してしか、自分を深く知るということはできないと考えたほうがいい。

    唸った。こういう今自分が何となく感じている感覚(それはまだ思考のような形を成してもいない)にうまく言葉で表現されている箇所に出会ったとき、いままさに自分が欲していることだと感じ雷に撃たれたような感覚になる。その時は姿勢を正して正座して読み直す。無意識に言葉が与えられて思考がはっきりと自分の意識下に入る。それが本当に合っているかどうかは分からないが。

    あとがきにて

    哲学を、よい音楽のように自分の生を深く味わうためのものとして遇すること。これが哲学に対する賢明な態度である。

    なるほど。哲学を音楽を聴くように接する。それなら自分にも出来そうだ。(決して音楽を下に見ている訳ではないが)哲学のその廻りをウロチョロする(本屋で本を探すように)カジュアルに、俗っぽく、自分なりに、これからも読もうと思った。

  • めちゃくちゃ哲学したくなった!そもそも自分も哲学に対しては興味があったもののなにやら難解な感じがして中々立ち入ることが出来ていなかった。しかしこの本を読んでみると、哲学というものは①この世界とはどのようなものなのかを理解すること、認識の問題②自分自身の生きかた、生を豊かにするもの、であるかという2つの問題を深く知ることができるものだということがわかった。もう少しこの本の参考文献などを読んで哲学してみたいと思う

  • 2017.4.30
     哲学の歴史における、いろんな基本的な考え方というものを、紹介している。誰が何を言ったのかではなく、それらを大きくカテゴライズするというか分節化すると、基本的な問題、考え方の枠組みや、問題が見えてくる、というものである。
     基本形はもう、主観と客観である。しかしこの主客というものはあくまで原型であり、様々なバリエージョンを持っている。
    ・精神と身体は違うという心身二元論。
    ・精神と身体は同じものの2側面だという一元論。
    ・カント的な本質世界と現象世界、そして仮象世界。
    ・ヘーゲル的な歴史的絶対知という一元論。
    ・世界とは何か、という実在論的な考え方と、その世界を認識している人間の意識とは何かという観念論的な考え方。
     現代思想もまた、主体と構造=社会というものが乖離して、個人は社会のシステムの中に組み込まれているという。資本主義のシステムによって、我々はものを買うのか、買わされるのかわからないという直観もここあたり。

     そして本著では、プラトンからの伝統として、観念論側から考えようとする。それはなぜかというと特に価値の問題に関して、どのような社会が良い悪いかというものは、個々人のもつ生活世界における価値判断を根拠とし、それらの間主観的同意形成によって社会レベルまで拡大していくことだからである。
     これは例えば私が、人間と人間の関係の希薄化に疑問を抱いて、それを友達と共有することにより、社会には居場所が必要だと考える、というような考え方の道筋と一致している。まぁそういうことだろう。
     
     なんだろ、やっぱり、個々人での価値判断というものを根拠に、考えていかないといけないんだなと思った。
     そしてそれを、他者との対話の中で、育てていくことが重要なのであって。まず社会的価値観があって、というわけではないのだ。
     そして現代はソクラテス的問題が続いている。それは本著で紹介されていたギュゲスの指輪の問題、すなわち人間が他者との関係のない時に快ではなく善をなす根拠はどこにあるか、ということと、また『ゴルギアス』の中にあったカリクレスとの問答における、善と快の問題でもある。
     善の根拠は関係にある。しかし現代は関係が希薄化している。故にみんな快を求めて消費して生きるのである。それは他者に迷惑をかけなければいい、という形で現れるエゴイズムである。
     しかし自らの快だけを求めて生きることはどこか、虚しい。なぜだろうか。私という精神の根拠は意味や価値における他者との差異にあるからであり、そして同時に私は意味や価値における同一化を求めるからである。
     いや、よくわからない。しかし意味や価値をめぐっての他者との関係の中に、ギュゲスの指輪や、善と快の問題や、もしくはそれを阻害する、キルケゴールやハイデガーの描いた頽落の問題、もしくはニーチェのルサンチマンの問題が、ある気がするのである。

     我々は価値や意味のレベルにおいて、時に共生する存在でありながら、時に殺しあう存在ではないだろうか。他者とともに価値を育む人間はそれがその人の存在意義を支えるかもしれない、しかし他者は私の価値を相対化もする存在である。つまり殺す。だから独我論的に自らのロマン世界を生きることで、先に私は他者を殺すのではないだろうか。
     竹田さんの本では、価値や意味の根本には欲望がある。もしくは情動性と言ってもいい。まずはここを見定める、というのが彼の視点である。私はそこに、他者との問題を持って生きたいと考えている。
     他者とは異なる価値判断を原理的に可能的に持たざるを得ない私が、他者とどのように生きていくことが、良い生き方だろうか。それは強者として、自分の価値判断を押し付けることでもなく、しかしみんなそれぞれだよねって相対化することでもない。絶対化する人間は頑固になるばかりである。相対化する人間は何も信じれなくなる。ではどうすればいいのか。そういうところを考えたい。そしてこの、どうすればいいかの先に、社会や世界という理念に関する、有用なフィクションの可能性というものがあるのではないだろうか。
     心という原理から考えるという点では私も同意する。その心という原理を、他者という観点から考えたい。私が私の価値判断を考える上でも、私の中にいる他者というものは避けられないからである。私は昔、他者を無視した人間だったし、そして今は、何が価値なのかわからなくなっている人間である。しかしその根本には自分の情動性というものがあるはずである。わからないのは、その根本に依拠していないから。しかし依拠しただけでは他者との共通了解が難しくなる。自分に依拠しながらも、他者を住まわせるためにはどうすればいいのか。単相状態としての価値判断を持ちながら複相状態としても考えられるにはどうすればいいか。
     そのために竹田現象学に依拠しつつ、今のところは野矢さんとか、ウィトゲンシュタインとかを参考にすることになるだろう。ニーチェも読みたいなぁ。

  • 誤解されないように厳密に論じる。小難しいから誤解され否定される。

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者。早稲田大学政治経済学部卒業。現在、早稲田大学国際教養学部教授。主な著書に、『プラトン入門』、『言語的思考へ』、『人間的自由の条件』、『完全解読 カント『純粋理性批判』』、『完全解読 フッサール『現象学の理念』』ほか多数。

「2017年 『ハイデガー入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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