自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫 タ 1-3)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 80
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480081094

作品紹介・あらすじ

哲学とは自分を深く知るための、他者とほんとうに関わるための、もっともすぐれた技術(アート)なのだ。哲学の読みどころをきわめて親切に平易に、とても大胆に元気にとらえなおした斬新な入門書。もちろんプラトンもデカルトもカントもヘーゲルもニーチェもフッサールもハイデガーも大物はみな登場。この一冊で哲学がはじめてわかる。

感想・レビュー・書評

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  • 現役東大生が書いた「東大読書」で紹介されていた本だが、読んでよかった。
    本書の前書きで何となく敷居の高そうな哲学が、少し身近に感じられるようになる。後半になるにつれだんだんと専門的になりますが・・・
    本書で気になった個所、例えば、哲学とは、自分で自分を深く知るためのひとつの技術、自分と世界との関係を深く知るための技術と定義する。
    また、人間の生活をロバに乗って歩く姿の例えも味わい深い。
    思想とは、奥深く隠された高尚な真理を告げるものでなく、人間同士の相互了解の可能性を押し広げるための技術に過ぎない、言い換えれば、心理を発見したり表現したりするための道具ではなく、妥当を導くための技術なのである。・・
    などできるだけわかりやすい言葉を使って解説しようとする意図が伝わってくる良書です。
    デモクリトスの以下の言葉がいい。
    「様々な物欲に悩まされることなく、現在の自分に満足せよ。みじめな人々の生活を観察して彼らの苦しみをよく考えるがいい。そのことは一層多くを望んで他人を羨ましんだり妬んだりしないために必要なことだ。知恵こそが幸福の条件である。不正をしないことでなく、それを欲しさえしないということが大事だ。他人に対してではなく自分自身に恥じることを学べ。良いこと悪いことに関して自分自身に対してはばかり、このことが魂に対する法律として定められるようにせよ」
    哲学とは、自分を知るための技術であり、人生の道しるべともなりえる道具だということです。

  • 高校時代、倫理をとっていたのだけれど、その始まりが「世界の万物は〜」というところで「なんで?」となっていた自分にとって哲学の枠組みが見えて面白かった。内的な部分の分析に至る流れも、文章は難しかったけどわかりやすい。

    ただ、「自分を知るため」に読む本ではなかった。自己への理解、人という生き物の探究に関して読むならもっとライトな本がある気がする。高校の頃にこういう風に説明してくれれば、もっと倫理が面白く感じられたかも。西洋哲学についての大まかな系譜に関して知的好奇心が満たされたので、東洋の哲学についても何か本を読んでみたい。

  • 竹田青嗣って難解なイメージがあったのだけど、ほんとに「入門」として書いてくれていて、大人が改めて?哲学に触れたいと思った時には、是非オススメしたいと思う本だった。

    私はいつぞや「美しさとは何ぞ」と問いを立てたりもしたのだが、「美しさ」が何かを問うのはナンセンスだけど、私たちがお互いに「それ」と分かる感覚だと述べている。

    つまり私だけの美しさというものはないのか、とか考えたりもしたんだけれど、「真善美」はお互いに「それ」と認識できるものだと置かれたことが少し腑に落ちたりもした。
    めいめいが違った「真善美」を持っていれば、恐らく社会は成立しないだろうと思うからだ。
    それは悪がないことを指すわけではないし、正しさが揺らぐことを指すのでもない。でも、拠り所があるんだな、と初めて思った。

    人間は、この認識を高めていくことが出来るのであって、そのために哲学は世界と対峙する。
    学習も同じなのかもしれない。
    言葉に縛られるという限界を持ちつつも、より緻密に、より深遠に世界を見つめることが、自分を関係性の中で作り上げていくのだろう。

    ここまで流れるように書いているのだけど、後から読み直して、何のことよと思わないか心配(笑)

    最後に、先日「社会は人間が作ったものだからね」と言われた言葉を思い出した。
    現代哲学では、この社会に太刀打ち出来ない人間が指摘され、でも、そんなこと指摘してどーすんの?というような筆者の意見が続く。
    システムとしての社会が、人間を時に蔑ろにする場面は確かにあるが、それに抗うことを、たとえば村上春樹を読んでいると感じる。

    立ち戻るべきは哲学の原型だというのは、学問全般に言えることで、何を問い、何を明らかにしてきたのか、先人の軌跡は決して無駄ではないと思う。
    そして、何百、何千の哲学家たちが、共通感覚の基に編んできた知の体系こそ、人類にとっての財産なんだろうなと思った。

    えらいところまで来させられた。
    語弊、誤読も含んでいるように思うが、ご容赦を。

  • 学者でもない者が、哲学とどう向き合うべきかを教えてくれる一冊。たんなる教養としての哲学は役に立たない。そうではなく、世界を自分ごとに引きつけ、行き詰まるくらいまで考えたとき、哲学は役に立ち、新たなモノサシを与えてくれる。本書はそんな問題提起から始まり、以降は哲学史を噛み砕いて説明してくれる。「思想とは本来、なにか隠された奥深く高尚な真理を告げるものではなく、人間どうしの相互了解の可能性を押し拡げるためのひとつの技術にすぎない」というメッセージが心に残る。

  • 大昔に読みましたので細かいところまでは記憶しておりませんが、非常に読み易く入門書として優れた内容であると感じました。小学生でも充分に理解できる内容でありながら成人が読んでも得るものがある書籍だったと記憶しています。読書嫌いだが哲学とはどういうものか知りたい、という方には打って付けなのではないでしょうか。

  • 本書は2部に分かれています。
    前半は哲学とは大きくどのようなものかを書いていて、
    後半は有名どころを抑えた哲学の歴史的なものが書かれています。


    大学生だったときに、この本を読めと言ってほしかったと思う位、
    哲学者の考えや流れ、タイプなどを理解することができました。
    ただ、やはり駆け足でたくさんの哲学者の流れを紹介している
    ので、くわしく知ることにはならないでしょう。
    と、言っても私にはこの駆け足すら満足に理解していませんが。
    まさしくその名の通り、入門書には最適だと感じました。


    この世界へ入る小さな入口的本書。
    私は4年間、何をしてきたのでしょうか…。
    本書を読んで、そればかり考えさせられました。

    ま、いっか。

  • 難解な哲学書が多いが、本書は著者の見解がわかりやすく、新たな哲学観を持つことができました。

  • ほとんど全部が平易な言葉でかかれているので、やはり分かりやすい。そして「哲学する」ことの方法論・思考法の変遷がよくわかる。著者も記しているが、やはり現代の哲学は現実とのギャップがあまりに大きいようだ。でもこれで、次に哲学書を読む時の心構えが定まった気がする。

  • これを読んで初めてニーチェに関心を抱いた。

  • 色々学んだ後に再読したい一冊。巻末に読書案内もあり。

  • 著者の若い頃の哲学体験をもとに書かれた入門書。古今の哲学書は生き方の真理を教えてくれるものではない。その代わりに、自分自身に対する自分の了解を大いに助け、生を豊かにするものである。哲学は、自分で自分を深く知るための一つの技術(アート)である。・・・なるほど、と思う。
    そして著者は現象学に触れる。フッサールによれば、客観と認識の一致はあり得ない。これもなるほど・・。では、我々は何を確信して、あるいは妥当と見做して生活をしているのか?著者は、個人の内在的確証は他者の承認が付け加わることがなければならないと指摘している。「妥当」は、他者との相互的な確証が必要、というわけだ。
    このような視点は、他者と関わりながら日々生活する私達の考えのポイントしてはとても参考になるのでは、と思う。良書。

  • 哲学とはなんなんだろうと思って図書館で借りたが、私にはまだ早かったみたいだ。
    また巡り会えたら読んでみよう。

  • タレスからハイデガー、現代思想(といっても原著は1990年刊行なのでそれ以前)までの哲学の流れを示したもの。哲学とは考える技術である。そのため、哲学を学ぶことにはあまり意味は無く、哲学をすることに意味がある。日本には哲「学者」は多いが、「哲学」者はほとんどいない。

    ざっくりと哲学を概観するには良い。

  • 引用

     自分の(=世間から受けとった)習慣的な考え方でものごとを考えると、どうしても自分が苦しく、行き詰まってしまうときがある。そういう場合にはじめて、人間はこの習慣的な考え方に逆らい、それに抗ってものごとを根本的に考え直そうとする動機を与えられる。まさしく哲学は、そういう場合にわたしたちにとって、”役に立つ”。そういうときこそ哲学は、その”何のためにあるか”という意味をはっきりとわたしたちに告げるのである。
     こういう動機に支えられないなら、哲学は無味乾燥で、おびただしいエネルギーを必要とするだけの馬鹿げた世界である。学者や知識人人なるとするのでない限り、「それってオレに何の関係があるの」と言って済ませられる世界なのである。(p.11)

     人間が生活してゆくのは、一匹のロバに乗って歩いてゆくようなものだ。ロバの上にいる人間はロマンや理想を自分の存在意味を照らすものとして多く持ちたいのだが、この荷が大きいほど歩きつづけるロバは苦しくなる。ロバののどが渇き、腹が空けば、水や食べ物を与えてやらなくてはならない。これが生活の原則だが、ロマンや理想の積み荷は、そのためには何の役にも立たないのである(p.55-56)

  • 万物の根源、イデア、我思う故に我あり、神=自然、アンチノミー、の力への意志…と、哲学史は一見何の関係もない意味不明なキーワードに溢れています。本書の第二部では、こうした次々と現れる異説の歴史から、「主観と客観の一致」問題と「真善美」を軸に、各哲学者の直観を抜き出していきます。

    世界の原理を理性で推論していくタレスらギリシャ哲学者の考え方は、人間の精神こそ世界(何が真善美なのか)を秩序づけるとしたソクラテス・プラトンによって留保されました。
    デカルトの二元論も、スピノザの一元論も、理性の能力をいたずらに使用して世界の全てを捉えようとした不可能な試みとしてカントによって片付けられました。
    このように、自由な理性の持つ客観的な世界を主観的に捉えようとする傾向を避け、目には見えない真善美をどのように捉えるかという構図で一貫しているので、哲学史が一本につながります。とても気持ちのいい読書体験でした。

  • 最初に借りてから1ヶ月も経ってしまってやっと読み終わった。
    哲学は何のためにあるのだろうか、自分の人生を、というかもっと世間的な生活を送る上でどう役に立つのだろうか。この本はこういう質問に答えるべく書かれていると思うのだが、そして実際になるほどソクラテスやプラトンは、そしてカントはフッサールは、スピノザは、そういう系譜なんだなって分かって面白かったんだけど、やっぱり完全に腑には落ちていないなというのが読後感。
    Amazonで370円くらいで買えたから、届いたらまた読んでみよう。

  • とても難しいけれども哲学とはなんぞやが少し分かった気になる。

  • 読書会に伴い1-3章読んだ
    (2020/06/12)

    →2020/06/21 読了

  • 高校生くらいから哲学に興味を持ち始め、いくつかの「哲学入門書」(ヤスパースなど)に挑戦するも、挫折の連続でした。
    大学4年の今、この本に出会い、「哲学入門書」としては初めて読み通すことができました。
    今後は巻末の読書案内の中で気になったものを読んでいきたいです。

  • 確かに、わかりやすく書かれていて入門書として良本!
    しかしやっぱり哲学書の特性上なのか抽象的な言葉が多くて理解しづらかった〜
    例えが多用してある哲学入門書があったら絶対買うのになーそして子どもに教えてあげられるんだけどなー。
    例文がないのは、哲学者は抽象的な事柄を例にすることによって微妙にニュアンスが変わることを恐れてるのかな?それとも間違って教えてたら申し訳ないからかな??

    近代哲学のキルケゴール、ニーチェ、ハイデガー部分は現代社会につながる部分が多くてわかるーなるほどーってなった。

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者、文芸評論家。著書に『「自分」を生きるための思想入門』(ちくま文庫)、『人間的自由の条件ーヘーゲルとポストモダン思想』(講談社)など。

「2007年 『自由は人間を幸福にするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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