- 本 ・本
- / ISBN・EAN: 9784480081445
感想・レビュー・書評
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乱歩の描く東京を題材にした都市社会学。
文学と都市論の幸福な結合。
こうした文学の論じ方があったのかという、驚きと悦びを感じた。
「D坂の殺人事件」において、原っぱであそぶ無邪気な少女が、長じて「二銭銅貨」のマゾヒストとしてしか快楽を感じられない女性に変貌してしまう昭和初期の悲哀。
松山巖の想像力に震撼した。
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アースダイバーを読んでから明治から今までの東京の街がどのように変貌し、今の現存する名残のようなものを見つける読書も好きになった。東京の空間人類学なども読み、たまたま目に入ったこの書も同様に良いものだった。乱歩が果たしてどこまで東京と関係性が町としてあるかは筆者も少し疑問を相しているが、街と文化の密接は必ずあると思う。今まで読んだものは地形学や、経済に基づく都市の変化だったので、この本では自分が住んでいたらこのように感じていたかもと想像しながら読むことができて楽しかった。
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乱歩作品に書き留められた1920年代の東京を、建築の視点から解読していく内容。東京という都市は常に変貌し続ける。その変貌によって排除され、あるいは自ら去っていく者たち。昔もいまも東京という都市は常に少年たちを怯えさせる一面を内包してるのではないかな、それが時代時代で姿かたちを変えているだけで、と思いました。
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江戸川乱歩の作品と、その舞台となった1920年代の東京とのかかわりについて考察している本です。
著者は、成熟した都市文化が花開いたことに着目し、そこで新たに生まれたさまざまな意匠が乱歩の探偵小説に取り入れられていることを明らかにしています。
「D坂の殺人事件」には、無為に喫茶店で時間つぶしをしている、語り手の「私」と明智小五郎が登場します。二人は、古本屋のおかみさんが殺される事件に遭遇し、推理比べをすることになるのですが、そこで「私」は、明智が犯人ではないかという推理を披露します。「私」は、明智と被害者が幼なじみだということを、推理の根拠として示したのです。
これに対して明智は、次のように反論します。「君は僕たちがどんなふうな幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べてみましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。また現に彼女を憎んでいるかどうか。君にはそれくらいのことが推察できなかったのですか」。こうした明智のことばは、幼なじみをうしなった悲しみの感情とはまったく無縁だと著者は指摘しています。そして、こうした希薄な人間関係が、「探偵小説」が生まれる社会的条件となっているといいます。狭い地域社会のなかでは、被害者と犯人の関係は明白です。これに対して大都市では、人びとの関係は不透明であり、それゆえ犯人の捜索には「分析的精神」が要求されることになります。そして、探偵小説の読者にも、作者が小説のなかにさりげなく織り込んだトリックや仕掛けに注意しながら読み進める「分析的精神」が求められることになります。
都市論的な観点から乱歩の小説に光をあてた評論として、興味深く読みました。 -
文学
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1920年代の東京の街の変遷を乱歩作品を基に辿る。
鍵のかかる扉は人々を二面に分け、裏の顔を作り出す。
街中の暗がりは一掃され、明智も東京とともに姿を変える。
乱歩の描く東京がもう見る影もないことは残念。だけれど、時代が変わっても、子どもたちを夢へと誘う名探偵や怪盗がいることは幸福だ、と思った。
「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」 -
江戸川乱歩の作品を通じて1920年代の東京を語る著作。本書の各章の最後には筆者が撮影したものを含む多数の建築物の写真が掲載されており、それらの建築物は1920年代に建てられたものである。写真は本書が最初に刊行された1984年頃に撮られたものと考えられるが、当時まだ同潤会アパートをはじめ、多くの建物が残っていたんだなあと感慨深い。
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丸善・ジュンク堂書店限定復刊。
乱歩作品をモチーフにした東京の都市論であり、文化論でもある。
本書を読むと、乱歩の諸作と、東京という都市、時代の変化が密接に関わっていたことがよく解る。
乱歩が作中で描いた『東京』という都市は、当時も今も決して現実の東京ではなかったが、『乱歩が描いた東京』が、何処かにひっそり今もあるんじゃないか……というか、あって欲しいなぁ。 -
都市東京論の好著である。江戸川乱歩の作品から1920年代を中心とする東京の姿と変容を浮かび上がらせる手腕は見事である。
積ん読になっている「二笑亭綺譚」を読まなくては。 -
何度目かの再読。
今もって色あせることのない名著です。戦前、戦中、戦後の江戸川乱歩作品から世相を、時代の動きを、そして東京の変化を読み取る手腕はさすがの一言。特に屋根裏の散歩者を「自らの視線に追い詰められた」男と結論した第二章は出色でしょう。
卓抜した都市論にして文芸評論という本書の価値は今もって全く廃れていません。
『乱歩と東京』原著からおよそ三十年。文庫化からも二十年が経過しようとしています。文庫版の解説を担当した種村季弘も既に鬼籍の人であり、東京もまた大幅に姿を変えておりましょう。本書を手に乱歩と往事をしのぶのも一興かと。
著者プロフィール
松山巌の作品





