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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480081568
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人間の活動を深く掘り下げた本書は、アレントが「労働」「仕事」「活動」の三つの概念を通じて、私たちの行動や社会の成り立ちを明らかにします。「活動」とは、他者との交流を通じて共存を築く過程であり、その理解...
感想・レビュー・書評
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現代では、人が「必要」から解放され、自由のままに自分が自分であることを表現できる「公的領域」が無くなってしまっている
■本書のメッセージ
・人間は「労働」「仕事」「活動」という3つの活動力で、人間は環境に関わる
・かつてギリシアのポリスにおいては、「活動」が公的領域でなされた。言論によって、自分が何者であるか、他者と異なるということを示していた
・しかし、現代にかけて、公的領域は消滅した。人間の自由な活動は無くなり、生命維持のための必要にかられた労働偏重の世界となっている
・公的領域は無くなり、私的領域が全体に拡大しつくした現代において、本当に、個人本来が自由に生き、行動をすることは極めて困難となっている
【感想】
生命維持の活動に追われていて、人間本来の活動ができていないのでは、という主張には納得する。これだけ働かないと生きていけない社会はどこかおかしいと思う。現代はどれだけの人が自由さを感じているだろうか。起きている時間の大半を仕事や労働に費やしている。社会のシステムが、それを人々に強いているなと思う。
哲学や社会思想家の基礎知識と、偉人たちの論理が自分のアタマの中で整理できていないと、読むのに大変苦労する。哲学科の大学4年生か修士ぐらいの前提知識が要求されている気がする。アリストテレス、プラトン、マルクスなど、有名な哲学者や思想家をたびたび引用しながら語れるが、そもそもその偉人たちが哲学界でどういう位置づけたるかを知らないと、筆者の主張とどう対比されているのかが読み取れない。
分厚い哲学書は初めて読んだ。読書会で3回で読んだ。自分の主張の正当性をアピールする手法が、社会科学と異なることは、私にとっての発見だった。とにかく文章を重ねて綿密に論理を練る。過去の偉人たちの主張を借りながら、自分のコンセプトを述べていく。データを使ってサポートするのではなく、偉人や有名な書籍の言葉を使いながら論旨展開を行う。そこそこ説得力はあって、「まぁそうかもな」とは思わされる。
社会科学者の研究は、こういった哲学者たちの作ったコンセプトや問題意識の延長線上にあるのだろうな。
読んでもここまで理解が困難な文章は初めてだったかもしれない。著者はドイツ語を母国語として、英語で書いたというから仕方ないのかもしれないが。文章が極めて下手なので、人に薦めづらい。主張やコンセプトは練り上げられているから、惜しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アーレントのいう「人間の条件」とはつまり、生命それ自体=生命を維持しなければならないということ、世界性=耐久性をもった人工的環境がなければならないということ、多数性=一人一人違った人間が共生しているということ、の3つである。
そして人間はこの3つの条件に基づき、消費物を生産する「労働」、耐久財を製作する「仕事」、公的領域に出現して他者と関係を結ぶ「活動」を行っている。
本書は、「労働」「仕事」「活動」それぞれの特性を、哲学史的背景とともに掘り下げながら、3つのうち何が最も重要だとみなされてきたかという、ヒエラルキーの変遷を記述するものである。
アーレントの議論は時系列に沿って展開するわけではないが、あえて時系列に沿って整理すると次のようにいえると思う。
古代ギリシアにおいて市民たちは、「労働」「仕事」を私的領域(家政)に属するものとして軽蔑した。自分たちはといえば、ポリスという公的領域において自らの卓越を表現する「活動」に余暇を費やした。【活動>仕事>労働】
プラトンは、「知っている者=思考する支配者」と「行為する者=実行する被支配者」を二分する哲人政治を提唱し、「活動」=政治のもろさを「仕事」の確実性に置き換えようと試みた。【仕事>活動>労働】
キリスト教は、個人の生命の不死を説き、生命を神聖視した。「労働」「仕事」「活動」のすべてが生命に従属するものと見なされ、均質化をもたらした。結果として、労働はかつてのように軽蔑されなくなり、むしろ奨励されるようになった。【労働≧仕事=活動】
あらゆるものに「疑い」の目を向けたデカルトは、あの有名な「われ思う、ゆえにわれあり」という一つの真理を、自己の精神の内側に見出した。「デカルト以降」の近代人は、自己の外側を取り巻く世界のリアリティを失い、他者の存在や人間一般に対する関心は薄れた。【労働?仕事>活動】
マルクスは「労働」こそが最高の価値であるとし、ニーチェは生命こそが人間のすべての力の根源であるとした。【労働>仕事>活動】
そしてデカルト的懐疑によりかつての信仰は失われ、近代人は再び死すべき存在となった。が、世界は依然としてリアリティを欠いている。人間はいわば自己の精神の内部に幽閉された。その結果、唯一不死のものと見なされうるものとしては、「種としてのヒト」の生命だけが残った(種として永遠の循環を繰り返す動物と同じレベルに成り下がった)。
アーレントは現代における「活動」の地位低下を嘆く。
自由な「活動」を保証するということ。日本はどうか?
市民参加を是とする政治制度、異なる意見を尊重する成熟した雰囲気、公的領域と私的領域の峻厳な区別……いずれも日本はまだまだ未熟と言わざるを得ない。
党議拘束が存在する議会政治は民意を正しく反映していないし、人々の間で政治的話題はタブー視される。ほとんどすべての選挙において、本来的には公的領域に属さない「経済」が争点となる……
もちろん、アーレントが理想としたような“純度”の高い公的領域は、現代では実現不可能だろう。しかし、「活動」が軽んじられ、個人が尊重されない現状に甘んじていれば人間の自由は侵されかねない。人間は自らの尊厳を保つために、絶対的真理など存在しないこの世界で、終わりのない「活動」に身を投じなければならない。 -
ハンナ・アレントの代表的な書籍の一つです。彼女独自の理論である「活動(action)」という人間行為の原理と想定される概念が説明されています。
「活動」は、対比として「労働(labor)」、包括概念として「仕事(work)」と併せて理解する必要があります。
「活動」を一言で言うと、人間が言論や行動を通じて他者と交わり理解したうえで、それぞれの存在の共存を許しあう過程です。
なにやら難しいですね。
でも中身は小説タッチになっているので、読みやすい・・・というより新しい発見があるかもしれませんよ。 -
人間の活動を分析した本。生命を維持するための労働。物による人の世界をつくり出すための製作。人と人のつながりをつくり出す活動。今まで一度たりとも考えたことがなかった視点から人間が分析されていた。
差別や貧困、政治的腐敗、終わらない戦争等々なんと人類は愚かなのだろうと絶望していたが、この本を読むとそれが当たり前なのかなという気がしてきた。そして、その人間の本性は少しづつ変化しながら未来へと続いていくのだろうな。
希望は持てないが多少冷静にはなれる本。 -
本当に読み応えのある深い本でした。本書は20世紀の哲学者ハンナ・アレントの代表作の一つで1950年代に書かれました。訳者の志水氏も最後に述べているように、どちらかと言えば難解な本ですが、アレントの言葉の定義がわかってくると徐々にスラスラと読めるようになってきます。志水氏が最後に本書の概要をとてもわかりやすく説明されていますが、読者の皆さんはまずは自力で本書を読み進め、最後に自分の理解を補う上で志水氏の解説を読むと良いかと思います。
本書は人間の「活動的生活」を「労働」「仕事」「活動」の3つに分類し、アレント氏がそれぞれを定義づけます。そして人類の歴史(古代ギリシャ以降)において、この3つの序列がどう変化してきた、そしてその理由は何か、を解き明かしています。最初はどう違うのか良くわからないかと思いますが、アレントの言葉の使い方に慣れてくるにつれ、本書の後半ではだいぶ違いが理解できます。
アレントは本書の最後の章で「アルキメデスの点」の話を出します。これは何かといえば、人類は地球に拘束されている生き物であるにもかかわらず、地球を離れて宇宙のある点から地球を見ることが出来るようになったことを、ガリレオ・ガリレイの地動説をもって説明しているのですが、私はアレント自身も「アレントの点」なるものを持っていると思いました。しかもこのアレントの点は、空間的に遠く離れた点という意味だけでなく、時間的にも遠く離れた点に自分をおくことが出来る、という意味で時空間を超えた点だと思います。自身を古代ギリシャにおくと、いかに現代社会(20世紀)の常識が非常識であるか、が描写できるというようなことがたびたび登場します。アレントは非常に視野が広いだけでなく深い(つまり事象の根源を突き止める)ことができる卓越した人物であったと感銘を受けました。 -
読んでいて一番驚いたのは、あまりにもページが進まないことだった。kindle版を購入し、右下に%を表示させていたのだが、いくら読んでも%の値が変わらない。まるで果てしなく高い山を登っているような気持ちになりながら、この本を読み進めた。しかし読み終わった今思うのは、「こんなに濃い内容で、かつこんな量の良質な文章を1500円程度で読めるなんて物凄く良い買い物だったな」ということだ。
正直、読む前は「物凄く偉そうな哲学書なのかもしれない」とか、「押し付けがましい文章かもしれない」とか、この本に対してあまり良いイメージを持っていなかった。タイトルが「人間の条件」なんていうあまりにも誇大なものだからだ。しかし実際読んでみると、その中には緻密で、直向きな哲学的思考と、それに基づいた分析、考えが一生懸命並べられている。その文章全てを丸呑みできるわけでは勿論ないけれど、私はその文章を読みながら普段考えないことを考えたり、ハッとさせられたりした。社会に対する目、自分の生に対する目が読む前と後で変わった気すらした。素晴らしい文章であった(とはいえ、最初の最初は何を意図した文章かわからずかなり読むのに苦心した。宇宙開発、何の話だ?何かを暗示する系の文章がずっと続くのか?と思ったが、読み終わってから何が言いたいかやっとわかった。辛くなったら最初は読み飛ばせばいいと思う。ちゃんとロジカルに、ストレートに伝えてくれるパートが後に続くので。)。
この本は教訓的で、私達が一度立ち止まって世界を客観視する機会を与えてくれる。同時に、今の考え方、常識、社会のあり方が、「基から」あったものでなければ、「そうでなくてはならない」ものでもないということを気付かせてくれる。全ては変遷の末にできたもので、そして変遷の過程にある。変わりゆくものであることと、そこに道理があることを伝えてくれる。それだけで救われるものもあるのではないか、と個人的には思う。読む価値はある。そして時代遅れでもない、と私は思う。むしろ今の時代について考えるに相応しい本である。是非、気になっている人がいたら読んで欲しい。 -
人間の条件すなわち労働と仕事と活動を分析し考察することで近代社会における思想的体系の再構築を図る。
ハンナ・カレント氏自身、ナチス政権下で祖国ドイツそしてパリを追われ国家の庇護を得ぬ脆弱な基盤を背景に、思想と行動をより強固により具現にすべく社会運動家と思想家として彼女の熱量を感じる。 -
人間の条件の最も基本的な要素である活動力は…労働、仕事、活動である。
労働…消費と結びついた、消費物をつくること。
仕事…人間の個体の生命を超えて存続する、「世界(各世代の居場所)」の物を作ること。
活動…日々の活動
活動─仕事─労働 の順に並んでいたヒエラルキーは、仕事─活動─労働へと変わり、近代になると労働─仕事─活動に逆転した。
労働の勝利は、「世界」を消費の対象とした。
また、労働が人間の生命の維持にのみ専心する以上、キリスト教の勃興以来、西洋の伝統の一部となった最高善としての生命が、生の哲学として復活した。
作者にとっての「公的領域」のモデル→古代ギリシアのポリス。ポリスでは活動と言論により、自分は何者であるかの正体を暴露し、単に生きるための必然から解放され、自由を獲得した。
経済はポリスでは本来、家族的なものすなわち非政治的なものであったが、国民国家の勃興によって家族を拡大させた「社会」が出現、公的領域が消滅した。
労働が勝利を収めるに従って、公的領域と私的領域の境界線は曖昧になり、「社会」が勃興。社会の中では、自分が他人と同じであることを示す「行動」が人間領域を支配した。
労働の優位の政治的表現→社会主義。
これに加え、作者は労働優位と経済重視の資本主義社会も批判した。
公的領域で活動し言論することが人間の条件の決定的な部分を成すならば、普通の市民の政治参加を保証し拡大する課題は、政治論の中心に置かれねばならない。 -
←『みんなの当事者研究』國分
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高1の時に初めて読んだまじめな本。思い出深い。
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よくよく考えたら、あんたは、結局、働かずに楽して思索に耽っているだけの有閑マダム(笑)ではないですか?世の中の人はそんなにヒマではないのですよ。もう少し生きると言うことをまじめに考えましょう。
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公的領域。活動。言論活動で政治生活。差異をもった他者との対話。集会での発言。言葉で説得。各個人の経済利益の調整ではなく、共通の利益や関心について話し合う。自分がだれであるかを示す開かれた場。多様な意見をもつ人々が自発的に政治に関わる。政治に自ら積極的に参加し、公共的な役割に身を投じ、戦争のときには国のために勇敢に命を捧げる。スポットライトを浴びる場。自らの卓越さをしめす場。素晴らしい領域。人はポリス的動物(アリストテレス)。言葉を発することのできる存在。古代ギリシアのポリス素晴らしい▼しかし、経済論理で動く政府、政治の大衆化が公的領域を侵食し始めた。社会的領域。大衆の世界。画一主義(全体主義の種)。受動的な生活で満足。経済の論理で動く。けしからん領域。現代の大衆は労働と消費を重視、古代ギリシアでは労働と消費は否定的に捉えられた。現代の大衆は公共の領域で他者といっしょにあまり活動しない。古代ギリシアでは公共の領域で活動していた。現代では社会的領域が巨大化した。古代ギリシアでは私的空間か公共の空間だけで、「社会」という領域はなかった▼評議会に期待したい。市民の間で自然発生的に評議会が形成され、それらをまとめる評議会が生まれ、変化を生む。1930年代ドイツではそうした市民が発言する場・公的な領域が失われていた。ハンナ・アレントArendt『人間の条件』1958 →参加民主主義
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※”労働”は日々の糧を得るため毎日やるもの。自分と家族の生存のため。働いて、生きるために必要なものを買う。生命を維持するためのもの。死んだら何も残らない。閉ざされた薄暗い場。くつろぐ場。労働が人間をつくる(マルクス)のではない。公的な領域で活動することで、自分が誰であるかを示す。
※”仕事”は一回限りの個性的・創造的な作品(芸術・文学作品)を残すもの。
※古代ギリシアのポリス。人口多くても数万人。
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アーレントは”活動”を重視しているが、古代ギリシアの市民たちが”活動”に集中できたのは、奴隷が経済活動である”労働”を担っていたから。奴隷がいない現代社会で人は”活動”に専念できない。 -
おそらく半分くらいしか理解できていないだろうが、「出生が人間事象への唯一の希望」という表現は心に残っている。
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烏兎の庭 第一部 11.1.03
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/arendty.html -
読み終えたけど、とても読んだといえる状態じゃない。
内容が理解できていない。複文表現についていけず、断片的にしか内容が頭にはいってこない。こりゃ準備をしたうえでリターンマッチに挑むしかないな。 -
人間の条件 ハンナ・アレント ちくま学芸文庫
政治思想家と言う触れ込みだけれど
哲学者と言うべきだと思う
しかし法律書を読むように気の重い文章である
単語がシックリとこないしクドイ
それでも内容に惹かれて五百ページも読むことになる
プルードンの格言に
「財産とは盗みなり」とあるという
しかも彼は財産をすべて人間社会から
取り上げてしまうことで
暴政を発生させてしまうことの方を恐れたとある
コレこそ何とかしなければならない
パラドキシカルで皮肉な話だ
視野を広げた意識の成長によって邪な自らを
管理する方法を編み出せるはずであると思う
(私とあなたが双方に選び合うことで出合いが起こる
個と集合の対等観の関係がつくりだす相乗効果
生き延びる為の行為である天性による《労働》から
物質的に豊かになるための行為である人為的な《仕事》へと発展し
更に精神的に成長するための行為であるお互いの《関わり》へと向う
アクションを起こして意識上の全体観へと飛躍する) -
人間の自発的な力による行いを労働、仕事、活動に分類する。その射程や古代ギリシアから20世紀にいたるまでを含む。私的領域、公的領域、その混ぜあわせとして成立した社会の概念を用いて人間とその生活空間を分析する。そして、人間の性質の変化と近代に対して、哲学的に問いかけていく。
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名著だと思う。ハイデガー・ブルトマン・ヤスパース等に薫陶をうけながらも、ナチスの台頭によって、フランスへ逃れ、ユダヤ人として収容所暮らしもしたアレントが、国を失った人間の「生存の恐怖」を感じながら、亡命先のアメリカで1958年に上梓した政治哲学の書である。テーマは「私たちが行っていること」を理解することで、文中では「どうすべきか」という主張を抑制しているが希望も語っている。全体として、西洋古典文明・キリスト教・デカルトの懐疑・ガリレオの科学革命などの分析を通し、生命観・宗教・科学などを分析し、これらの営みが深く政治に関わっていることを指摘している。人間の行動は「労働」(生存のため消費されすぐに消える物を作る行為)、「仕事」(世界のなかで比較的長く残る物を作る行為)、「活動」(演じる等の行為で人の多数性に依存する行為)の三つに分かれる。また、公共は「テーブル」であり、そこに集う人間を集めると同時に切り離す。テーブルがなくなれば、私的領域も消え、ただただ孤独な人間たちが、同じように振る舞うように強制される「社会」が台頭してくる。ギリシア・ローマの古典文明では、公共の領域は人に見られることで「自分が誰か」を示す場であり、はかない生命の人間がその中に「勇気」をもって自己を顕し「活動」することで、不死の生命(名声)を得ようとする場であった。キリスト教はこの価値観を転倒し、世界こそはかなく、「魂こそ不死」と主張した。これによって、公共で不死を得ようとする「活動する人間」の源泉を奪ったのである。しかし、キリスト教的生命観もデカルトの懐疑によって決定的痛手をうけ、「欺く神」の「不条理」のなかで、魂の不死も信じられなくなった。「仕事」は芸術作品のように「世界」にのこる物を樹立しようとする孤独な行為であるが、イデアを「世界」に写し取る行為でもある。イスを作る職人はイスのイデアをみて設計するのだ。プラトンはこの「仕事」の行為を政治に応用し、哲人王が考え、民が行動するという支配を考えた。アレントによれば支配は政治からの逃走である。政治は本来、多数の人間が「活動」することなのだが、「活動」は人の網の目の中で作用・反作用をくり返し、本来、とりかえしもつかないし、一定の範囲に閉じ込めておくこともできない。これを無理矢理、型にはめるのが支配なのである。この型が「仕事」をする人が用いるイデアである。「仕事」は近代の価値観のなかで勝利を収めるが、ガリレオによる望遠鏡の利用は人間に地球外へ離脱することを教え、デカルトの方法的懐疑によって「世界」からも離脱し、存在するものは自分の精神だけとなった。「仕事」をする人間は自分が働く場であり、物を残す場でもある「世界」を失ったのである。こうして、自然への無制限の暴力、環境破壊がおこってくる。「労働」は生存と結びつき、自然のリズムのなかで行動する喜びをともなっていたが、産業革命以降、消費社会の台頭と連動して、リズムが加速され、人間的な行動ではなくなっていく。そして、ただやみくもに消費し生存する形にゆがめられた「労働」だけが残る。ここでは「生命」が「最高善」とされる。歴史は「労働する動物」の勝利の過程であった。現代は「不死」を信じないのに「人の命は地球より重い」と考える時代で、「生きるために働く」のか「働くために生きる」のか分からない時代である。生命を維持するという目的はあるが、生きる意味を見出せないのだ。だが、「目的」ではなく「意味」を思考し、「活動」の「とりかえしのつかない」ことを「許し」、「約束」をして「活動」の意味をふたたび見いだすところに希望はあるのである。アレントは東洋の思想については述べていない。東洋思想がアレントの指摘とどう結びつくのかということは課題として残る。
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読み終わるのに3ヶ月ぐらいかかった。
本書の内容は殊更に述べる必要もないだろう。人間の活動力を労働、仕事、活動(言論など人々の間で行われるもの)に分け、今日は人々が種々の利害に囚われず活動する公的領域がなく、労働だけが支配し、人々が政治に参加せず(=活動せず)ただ生産と消費に終始する虚しい社会になったよね、という話。
僕が注目するのは、以下のようなことである。
アレントは、ただ食っちゃ寝の「労働」の虚しさから人を救うのは永続する世界を作り出す仕事で、何のために作るんだかわからない「仕事」の虚しさから人を救うのは物語を作り出す「活動」であるという。
そして、注目すべきは(あとがきでもスルーされているが)、何やっても思い通りにはいかない「活動」に救いを与えるのは「許し」と「約束」であるということである。
これは目に見える人と人との関係性の中でのみ生まれ、あらゆる形で概念化され習慣化されている。しかし今までそれはよく研究されてこなかった。それは手段としてしか考えられてこなかったからだ。しかし、それはもしかしたらそれ自体として重要な……あるいは可能性としては絶対的な……価値を持つものかもしれない。
何を言っているかわからないという人はよろしい。ともあれ、本書はあまりに示唆に富み、学ぶところ多い書である。是非根気よく取り組んでみてほしい。 -
これはいい本だと思う。広く勧めたい。
しかし、かと言ってここでのハンナ・アレントの思想に深く共感できるわけではなく、そもそも彼女の思想は私には非常に隔絶したところから不意にやってくる「他者の声」にすぎない。それでも、この本は素晴らしく豊かな示唆に満ち、読者に沢山の思考をもたらすだろう。考えさせてくれる本である。
ただし、論述が下手なせいもあり、また、発想があまりに独創的なせいもあって、少々わかりづらいかもしれない。たとえばアレントは「活動力」を「労働」「仕事」「活動」の3つに分けるのだが、「労働 Labor」と「仕事 work」の違いは、どうもわかるようでわからない。
先が見えない(論旨のみとおしがたたない)文章なので、どうもわからないようであれば、繰り返して読むことをおすすめする。
現代が「労働」(と消費)に覆い尽くされ、活動(他者とのコミュニケーションや論述)や(創造としての)「仕事」が抑圧されてゆく、というハンナ・アレントの予見は鋭い。この本は1958年のものだが、まさに現代は彼女の予想したとおりの事態に至っているのではないだろうか。
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