重力と恩寵 (ちくま学芸文庫 ウ 5-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480082428

感想・レビュー・書評

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  • 凄まじい。彼女がノートに書き綴った箴言の数々を死後編纂して出版された本書は、どれも信仰への確信と悲痛なまでに苦しみを受け入れようとする決意に満ちている。その余りにも高尚なストイックさに最初は距離を感じたが、著者の人生を知って納得がいった。ユダヤ人の家系に生まれ哲学科の教師になるも、病弱で偏頭痛に悩まされる自己を顧みず農場や工場で働き出す。貧民の救済のために革命運動に身を投じ、世界大戦への抗議として行ったハンストで餓死するという生涯。逃れられない心身の痛み、そんな痛みと向き合う時に本書は最高の鎮静剤となる。

  • 断章集だったのもあって読み終わるのに4ヶ月くらいかかった

    自分も、自分の思想も、消えて見えなくなって欲しいと願ったところに彼女らしさを感じる
    何かと比較した時の善は社会的な利益しか得ないってところは共感だけど、逆にそうじゃない善なんて僕は出来ない

  • 自分というものを弱くしていく、自分が空虚と感じるものを受け入れる、そうして恩寵を受け取ることが可能になる。

    神秘主義が有効と認めつつも神を無限遠に置くシモーヌヴェイユ。恩寵が向こうからやってくるという表現。これはインド・ヨーロッパ言語圏だからなのか。いわゆる中動態があれば異なった表現になったのか。そのあたりは興味深い問題。

    虚無と神の二つの方向性。

  • 2014.09―読了

  • [ 内容 ]
    「重力」に似たものから、どうして免れればよいのか。
    ―ただ「愚寵」によって、である。
    「恩寵は満たすものである。
    だが、恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしかはって行けない」「そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。
    何かしら絶望的なことが生じなければならない」。
    真空状態にまで、すべてをはぎ取られて神を待つ。
    苛烈な自己無化への志意に貫かれた独自の思索と、自らに妥協をゆるさぬ実践行為で知られる著者が、1940年から42年、大戦下に流浪の地マルセイユで書きとめた断想集。
    死後、ノート(カイエ)の形で残されていた思索群を、G・ティボンが編集して世に問い、大反響を巻き起こしたヴェイユの処女作品集。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 重力が、愛と感じるか、それとも単なる重みでしかないと感じるかはその人によるだろう。ヴェイユは重力を逃れられない運命であると認識しているようだ。そして恩寵はその重力から開放されるものだという。
    重力を違う言葉で読み替えると関係ということになる。私達がいま生きて、重力を感じているのも、星同士の関係にあるだろう。ヴェイユは関係の働きかけが一方に傾くと違う方はおろそかになるという。
    そして、関係というのは主に思考のことなのだ。ヴェイユがのべたいのは思考と、それ以外のものの関係につきる。それ以外のものとは光のことだと。
    難解だがよみすすめてゆきたい。

  • 2011.09.28 読了

    ヴェイユの言葉の切っ先は鋭すぎる。グサグサ刺さる。だけど、そこから流れる血は美しく輝いているのだ。きっと。

  •  ヴェイユが思索の断片をつづった『カイエ』による箴言集。猛烈に毒があり、長く続けて読むのはつらいが、ときどき手に取りたくなる。強く励まされる言葉があるかと思えば、あまりの厳しい指摘に暗澹となることもある。

     「人に哀願するのは、自分だけの価値体系を他人の精神の中に力ずくででもはいりこませようとする絶望的なこころみである」
     「同じひとつの行いでも、動機が高いときよりも、動機が低いときの方が、ずっとやりやすい。低い動機には、高い動機よりも多くのエネルギーが含まれている。問題はここだ。低い動機に属しているエネルギーを、どうやって高い動機に移しかえるか」

  • 悩んだ時にかいつまんで読むと、励まされます。

  • 生きることはひとつの思想である。そして、死もまたひとつの思想である。神によりよく遣えるものは、必ず神の裏切りに逢う。なぜならば、神は人が神の力にすがって生きることを望んでいないから。そう信じて、無神論者こそがよりよく神の教えに遵う者だと言い切った、異端の人。貧困のものが自分の糧をたよって、その財を盗むならばそれは構わないと信じて、家のテーブルの上に財布を投げ置いたという、そんなエピソードを持つ。ヴェイユは生きることが思想であることを知っていた人なのだろう。そして、嘘か真かはさておき、民衆のために命を投げ打つ思想を生きて見せてキリストのならいを忘れずに、自分もまた神の手をまたずに、自らに鞭打ちながら他人の幸福を祈った数少ない学者である。祈ることは痛切である。そしてそれは届かない。それに耐えてこそはじめて信仰は得られるものなのだろう。世の中の大半の信徒はニセモノである。そして、私はニセモノにさえもならず、怠惰のなかに無神論者を生きている。

著者プロフィール

(Simone Weil)
1909年、パリに生まれ、43年、英・アシュフォードで没する。ユダヤ系フランス人の哲学者・神秘家。アランに学び、高等師範学校卒業後、高等学校(リセ)の哲学教師として働く一方、労働運動に深く関与しその省察を著す。二度転任。34─35年、「個人的な研究休暇」と称した一女工として工場で働く「工場生活の経験」をする。三度目の転任。36年、スペイン市民戦争に参加し炊事場で火傷を負う。40─42年、マルセイユ滞在中に夥しい草稿を著す。42年、家族とともにニューヨークに渡るものの単独でロンドンに潜航。43年、「自由フランス」のための文書『根をもつこと』を執筆中に自室で倒れ、肺結核を併発。サナトリウムに入院するも十分な栄養をとらずに死去。47年、ギュスターヴ・ティボンによって11冊のノートから編纂された『重力と恩寵』がベストセラーになる。ヴェイユの魂に心酔したアルベール・カミュの編集により、49年からガリマール社の希望叢書として次々に著作が出版される。

「2011年 『前キリスト教的直観 甦るギリシア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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