- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480082428
感想・レビュー・書評
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凄まじい。彼女がノートに書き綴った箴言の数々を死後編纂して出版された本書は、どれも信仰への確信と悲痛なまでに苦しみを受け入れようとする決意に満ちている。その余りにも高尚なストイックさに最初は距離を感じたが、著者の人生を知って納得がいった。ユダヤ人の家系に生まれ哲学科の教師になるも、病弱で偏頭痛に悩まされる自己を顧みず農場や工場で働き出す。貧民の救済のために革命運動に身を投じ、世界大戦への抗議として行ったハンストで餓死するという生涯。逃れられない心身の痛み、そんな痛みと向き合う時に本書は最高の鎮静剤となる。
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断章集だったのもあって読み終わるのに4ヶ月くらいかかった
自分も、自分の思想も、消えて見えなくなって欲しいと願ったところに彼女らしさを感じる
何かと比較した時の善は社会的な利益しか得ないってところは共感だけど、逆にそうじゃない善なんて僕は出来ない -
自分というものを弱くしていく、自分が空虚と感じるものを受け入れる、そうして恩寵を受け取ることが可能になる。
神秘主義が有効と認めつつも神を無限遠に置くシモーヌヴェイユ。恩寵が向こうからやってくるという表現。これはインド・ヨーロッパ言語圏だからなのか。いわゆる中動態があれば異なった表現になったのか。そのあたりは興味深い問題。
虚無と神の二つの方向性。 -
2014.09―読了
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2011.09.28 読了
ヴェイユの言葉の切っ先は鋭すぎる。グサグサ刺さる。だけど、そこから流れる血は美しく輝いているのだ。きっと。 -
悩んだ時にかいつまんで読むと、励まされます。
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生きることはひとつの思想である。そして、死もまたひとつの思想である。神によりよく遣えるものは、必ず神の裏切りに逢う。なぜならば、神は人が神の力にすがって生きることを望んでいないから。そう信じて、無神論者こそがよりよく神の教えに遵う者だと言い切った、異端の人。貧困のものが自分の糧をたよって、その財を盗むならばそれは構わないと信じて、家のテーブルの上に財布を投げ置いたという、そんなエピソードを持つ。ヴェイユは生きることが思想であることを知っていた人なのだろう。そして、嘘か真かはさておき、民衆のために命を投げ打つ思想を生きて見せてキリストのならいを忘れずに、自分もまた神の手をまたずに、自らに鞭打ちながら他人の幸福を祈った数少ない学者である。祈ることは痛切である。そしてそれは届かない。それに耐えてこそはじめて信仰は得られるものなのだろう。世の中の大半の信徒はニセモノである。そして、私はニセモノにさえもならず、怠惰のなかに無神論者を生きている。