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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480082855
みんなの感想まとめ
歴史の激動の中で生きた一人の詩人の葛藤や日常が、鮮やかに描かれています。藤原定家の日記を基に、著者は彼の心情や周囲の出来事を巧みに再現し、平安末から鎌倉時代の社会背景を浮き彫りにしています。定家の昇進...
感想・レビュー・書評
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平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人の藤原定家(ていか)(1162年~1241年)。歴史の教科書に登場し、『小倉百人一首』や『新古今和歌集』の選者でも有名な歌人だ。
よき書物を書写し、歌論を書き残し、乱世に辟易しながら不器用に、でも老獪に駆けぬけた定家。彼のことを耽美主義や唯我独尊だと揶ゆする人もいるけれど、文学を愛した定家は、いつまでも青春のただ中にいる青年のよう。おそらく彼がいなければ、『源氏物語』をはじめ『伊勢物語』や『土佐日記』といった書物をまともに読むことはできなかっただろう。もちろん『小倉百人一首』や『新古今和歌集』などの膨大な和歌もしかり。地道な努力とその偉業を思うと、まったく泣けてしまうほど一途だ。
1180年、定家は19歳のころからこの日記を書きはじめた。日常の様子や激しいグチも書かれていておもしろい。まあ~日記くらいしか愚痴ることができない、しがない宮仕えだったようだ――なかなか出世できず、若造の上司は生意気で口惜しく、放埓社長の後鳥羽上皇にこき使われヘトヘト。あげくに金もなくて困り果て、子どもはサッカー、じゃなくて蹴鞠(けまり)にうつつをぬかし、ちっとも歌の勉強をしない!――あぁまるで現代のサラリーマンパパのようで、歴史上の近寄りがたい歌人が、少しずつ等身大になり、人間味をましていく、そんな過程が楽しい♪
ちなみに定家が日記を書き始めたころ、あの鴨長明は26歳。定家とは和歌の繋がりもあり、彼の『方丈記』と見比べてみると、当時の都の様子がわかっておもしろい――というか、より深みをまして深刻な様子がわかる。さらに定家の大先輩、桜の歌人西行にも触れているから、わくわくする。
定家24歳のころ、平家は壇ノ浦で滅亡した。ほどなくして鎌倉幕府が開府する。これだけでもすさまじく歴史のただ中で、教科書にはないリアルさにあらためて驚く。
また後鳥羽院政は治水もなかば放置したため疫病が生じて蔓延し、都市人口は増加、遊食博戯の徒がはびこって強盗や放火犯の跋扈、あげくに怨霊思想……当時の都はひどく荒廃して、地震や天変地異も多く、飢饉に苦しみ、死者も多かったことが、定家の日記からもうかがわれる(鴨長明『方丈記』にも詳しく描かれている)。
さらに鎌倉幕府三代目の源実朝(さねとも)は興味深かった。彼は定家を慕い、独学で和歌を学んでいたようだ。定家は書写した「万葉集」や「新古今」などを贈り、和歌の指導などもしていたよう。
実朝の『金槐(きんかい)和歌集』は有名で、定家は小倉百人一首に彼の歌もとっている(九十三番)。飾らない力強さと哀愁が印象的で、万葉集のような雰囲気も漂っているせいか、正岡子規も絶賛したようだ。
ほかにも……、
「うばたまや闇のくらきに天雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなる」
(暗澹とした底なしの闇には、幾重にも暗雲が垂れこめていて、そのただなかで雁が鳴いている)
「黒」と題する実朝の歌が紹介されている。
これをながめていると、まるで実朝の断末魔のようで、鬼気迫るものがある。
ところで鎌倉幕府といえば、その全般をえがく『吾妻鏡』(あずまかがみ)があって、実朝の様子も書いてはいるものの……病身で奇怪な言動や性癖をことさらに記載していたりする。あくまでも北条氏側の立場で書かれている書物だから、できれば実朝自身の和歌や定家とのやりとり、慈円の『愚管抄』や『玉葉』などの書物と見比べてみると、より膨らみがでておもしろいかもしれない。
「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。」
(ちまたでは反乱や討伐の噂話ばかり耳にうるさいが、これはあえて記載しない。朝廷の征伐騒乱など、私には関係のないことだ)
血なまぐさい乱世の宮廷中枢にいたからこそ、歌人として、芸術家として生きる定家の克己と悲壮感がにじみ出ているようだ。月や星をながめていたくなるような寂寥、承久の乱に敗れて隠岐に流された後鳥羽院をひそかにおもんぱかり、実朝の境涯と悲運を嘆いただろう。さはされど、どのような時世になろうと和歌や芸術を愛した80年だったと感じ入る。
その定家に寄り添った作家・堀田善衛の解説もすばらしい(2022.6.25)。 -
藤原定家の日記『明月記』を辿りながら、定家自身の鬱屈や葛藤、その周辺で起きた様々な出来事や事件、そして平安末から鎌倉時代にいたる激動の時代のうねりを堀田善衛が定家氏に寄り添いながら生き生きと、まさにその息吹が伝わってくるかのように描いた秀作。堀田善衛の書きっぷりが軽妙でとても読みやすく面白かった。
日記中の有名な一節「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。」(世の中では反乱・追討の話ばかりが聞こえてくるけれど、あえてこれを記載しない。軍隊がどこに出征しようと私の知ったことではない。)を、堀田自らの大戦時の心境になぞらえ、戦争という時代背景と出征の予感におののきながらも文学追求の想いを重ね合わせたという。
実際、日記を辿る中で、遅々として進まない昇進への羨望と落胆、新古今和歌集編纂という文学最高峰への携わりと後鳥羽上皇からの面倒くさい口出し、最高峰へ達したが故に迫る大衆化というデカダンスとの距離意識、後鳥羽の精力的な乱痴気騒ぎや主家である九条家の(定家にとっての)無策ぶり、荘園横領などによる貴族としての貧乏生活、そして定家自身の様々な病気での苦しみなど、定家の嘆息と憤慨が明らかにされてくるにつれ、定家自身の狷介な性格とともに庶民とも上流貴族ともかけ離れた中流貴族の悲哀を見事に現代のわれわれに伝えてくれている。
定家が関わった西行や鴨長明論、それにリアル感がない故に美麗で、また往古の和歌の本歌取りを多分に取り込んだという新古今の芸術論をところどころに散りばめながら、堀田の芸術評論の書としても興味深かった。
本書では、定家19歳で源平争乱の口火を切る治承四年から48歳の承元元年までを取り上げる。 -
「ああーっ、おもしろ。」と思わず知らず
銭高老人(「犬が星見た」)になるくらい、
次から次から愉快なことが書いてある!
「お世話になった人に牛をプレゼントしたら、
あくる日、牛車がひけなくなり、出かけられない」
というところ、
大人ならちょっと予測できないのかなあ?なんて
不思議に思ったよ。ハハハ
後鳥羽上皇が「かくれんぼう」
(ルールは今と一緒と言うのがまた笑える)に凝って、
まわり中が迷惑している話、
お金が無い為賄賂が出せず、よって出世が出来ない為、
子供のような少年に交じって仕事をするのが辛い、定家君。
「漢文も読めぬ、書けぬものが出世して…」と嘆く、
定家君。
勅撰和歌集の選者、後世に語り継がれる歌の名人である人が、
貧乏暮らしで大雨が降ると水浸しのボロボロの家に住んで、
服が用意できず儀式に出なかったりするのが
何とも意外であった。
また、折々に
みんなの希望なのか願いの結果なのか、
「頼朝が死んだ」と言う噂(嘘情報)が流れてくる、
と言うのも面白かった。
ネットも何もない時代ですからねえ。
また、私の大好きな平維盛君が、
関東武士にやっつけられて逃げ帰ったあの話も
日記に書かれていた!
「入道相国(清盛)、猶以ッテ逆鱗ト云々」だって~、
可哀想~、京の都でもこの話でもちきりだったんだあ~。
維盛君には戦は向かないよ~って言いたいけど、
本人が「俺が一番わかってるよ!」って
言うよね、ごめん~。
また歌合せも、優雅な宮中の遊びと言う印象を
持っていたのだけれど、
本気も本気の真剣勝負だったというのに
吃驚だった。
それに、左右どっちかが圧倒的に勝ってはいけないのですって、
だから判者になると気を遣ってもう大変って、
定家君が言ってた! -
気難しそうな定家の一生を、何気ない日常の繰返しから現代に蘇らせた著者の力を感じた。文章の力が平成、令和にときめく作家とは段違いに力強い。
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明月記は、平安から鎌倉初期、歴史の中でも激動の時代に生きた新古今和歌集選者の藤原定家の19歳から48歳までの日記だ。49歳以降は続編とのこと。
この本は「私抄」と付いているように、まるで堀田善衛氏の講義を読んでいるよう。
原文も所々入れてある。(漢文なので、難しい)
後鳥羽院の乱痴気ぶりは酷い。天皇制は崩壊していたとは言え酷すぎ。
芸術センスもあり、何をやっても上手だったみたいなので、もっとまともであったら、承久の乱も違った結末になったかも。
朝廷を度々フランス革命前の王族と比較していて、ほんと、納得。
読む前は、昇進に躍起になったり、貧乏を嘆いたり、どの派閥についたら良いか迷ったりしている、せせこましい人のように思っていた定家。
けれど、それは日記に思いのたけを思いっ切り書いただけで、実際会ってみたら魅力的な人だったろうと思う。
絶対モテ男だし。和歌が巧だったんだから。
定家も彼の父親(俊成)も20人以上子供がいたのにはびっくりだけど。
明月記だけでなく、他の日記も引用しているので書いてある内容がより分かりやすくなっている。
それにしても日本人て、書くこと、読む事が好きな人種。
この時代に書かれた書物を千年後も読める幸せ。
後ろの年表をそれぞれ章の始めにちょこっと挟んでもらいたかったのと、作者の感想とか主観より、日記の内容をもっと多く知りたかったので星3つ。 -
明月記とはこんな日記だったんだ。地位に恵まれない下級貴族の愚痴の嵐。後鳥羽上皇もやりたい放題。歴史で学んだときと印象が激変
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時代背景や主要人物を把握していないと内容が入ってこない。
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堀田善衛は戦時中、招集令状の恐怖に怯えながら藤原定家の『明月記』を苦労して手に入れ、それを読んで「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」という一文に遭遇し愕然とした。
『明月記』は研究書に引用の多い「幻の書」である。
定家が56年間書いた日記で平安末期の政情や宮廷の実態、定家の心模様が綴られている。又『新古今和歌集』編纂の舞台裏もわかる。
かつて堀田善衛の書いた『ゴヤ』を読んで丁寧な表現の独特な世界に衝撃を受けた。今だに『わが子を食らうサトゥルヌス』の絵と解説は記憶に残る。
この作品も期待して臨んだが、彼の微妙な心持ちが理解できず未充足感ともどかしさの募る読書であった。
定家の日記は後鳥羽上皇や貴族の遊興と作歌を、そして日常の些事を淡々と綴っている。
後鳥羽院について「水無瀬離宮での遊女やら白拍子やらを総上げしての遊興とともに憑かれたようにして和歌に熱中しはじめ、その出来映えも言語道断、及ぶ人無し、感涙禁じ難き者なり」と定家は感心している。
又筆者は「院は主催者としても実践者としても競馬、相撲、蹴鞠、闘鶏、囲碁、双六それから何軒もの別邸と庭園の建造等々ルネサンス人的幅をもっていて‥‥承久の乱という戦争まで発起する」と目を見張る。
平家没落と朝廷の乱脈で混乱し、自然災害も重なり民衆は凶作と疫病で死屍累々、法然・親鸞の浄土教が衆生救済の勢いをまし法難に遭遇‥‥。
定家は九条兼実や父の庇護のもと後鳥羽の新古今編纂の選者に指名され昇叙も叶う。
筆者は新古今集とその周辺の歌業を「その抽象美を日本文学史上の高踏の頂点であり現実棄却の文学の祝祭である」そして「文学としては袋小路、その先にあるのはデカダンスのみであり、現実を棄却して文学によって文学するものは必ずや現実によって復讐される」と喝破する。
痛切な末法社会の現実と新古今の華麗さ、この両極端がよく理解できなかったことがもどかしさの要因だった。暗黒期、文学者堀田の歌人定家への時代を超えた共感と畏怖の念は伝わってくる。
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藤原定家の生きた時代は日本史の激動期だった。
それは定家が誰と同時代人だったかを見れば納得出来る。
「治天の君」つまり皇室の支配者が後白河院から後鳥羽院の時代。
政権の中心が皇室から武家に移り、平清盛、源頼朝、源実朝の時代。
80年の生涯を経た定家は、源平の動乱から鎌倉幕府の成立、公武の蜜月から対立、承久の乱による天皇家断絶の危機、京の都の衰退を経験しているのだ。
その激動の時代を、当事者である貴族が日記に綴っていたというのだから、興味は尽きない。
それをじっくりと読むのがこの書だ。
そこに登場する定家は、短歌の大御所というよりも、朝廷における出世に汲々とする下級貴族の姿を曝け出している。
付け届けが出世に物を言う時代、誰に何を贈り、誰から何を贈られたかを克明に綴る。
それこそが定家が子孫に残したかった遺産なのだ。
有職故実、これを知る者のみが出世することができたのだ。
それは最高権力者となった藤原道長の日記(「御堂関白記」)とても同様。
堀田善衛は、「定家明月記」を愛おしそうに読んでいく。
これが古典を読む、ということなのかと、思う。 -
藤原定家の日記「明月記」の解釈本。熊野御幸について、定家の行動を参考にしようとしている。訓読本だけでは理解できないところがあり参考にしようと手に取ったが、残念ながらあまり参考にはならず。ただ定家の貧乏公家としての暮らしと、雅な歌とは別世界であるとの話は理解できた。
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定家と堀田のズレが気になる。紅旗征戎非吾事と定家は述べるが、どれほど実際にせまっていたのだろうか。承久の乱ののちの言だとすれば、尚更である。定家は関係性の網目の中にいたはずである。紅旗も征戎も定家にとって吾が事であるはずである。後鳥羽院も院近臣も身近な存在である。単に戦乱の影響を最小限に通り過ぎてきたに過ぎない。
堀田は戦時中に明月記と出会い、紅旗征戎非吾事の屹立に感銘を受けた。現実とのギャップに苦悩した。しかし、紅旗征戎非吾事は定家にとってすら、希望であったのではないかと思えてならない。紅旗征戎非吾事という理想を巡って定家と堀田が二方向から視線をむけている。決して二人は視線を向ける向けられるの関係ではかい。だからズレが気になるのだ。 -
このタイトル、そして著者から想像するのは、普通は格調高い文学の香りがする内容だろう!見事に裏切り後鳥羽上皇の時代の実に乱脈極まりない{文化}が真面目に表現されているのだ。俊成・定家親子も数多くの女性と関係を持ち、30人近く子供がいて、後鳥羽もまた。フリーセックスのパーティーに狂乱する帝王・後鳥羽。ビックリポン。これは白河、後白河もそうだった。なんと後白河の男妾だった関白藤原基通。それが別に乱れと認識されず、「好きもの」が普通だった時代。それからようやく鎌倉時代には真面目な時代へ移っていったそうだ。定家や当時の貴族たちの日記に描かれているのはそのような内容だった。そういった環境でも新古今の2000首を全て暗誦していたという後鳥羽は実に偉大!定家もまたしたたかな人物。
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前に枢密院議長のを読んだときも思ったけど,やっぱり日記(文学)とても楽しいなあ,というのを実感した一冊でした。今回の場合は,時代が離れていてそれに関する解説が随所にあったこと,平安〜鎌倉あたりの比較的好きな時代の話であったことも影響しているかもしれない。
ともかく楽しかったので,続きの巻もまた読もうと思う。 -
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https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1631843934/
── 堀田 善...
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1631843934/
── 堀田 善衛《定家明月記私抄 19960601 ちくま学芸文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4480082859
…… 今から 840年ほど前の1181年、夜空に明るく輝く超新星が出現し
たことが、中国や日本の記録に残されています。超新星は当時「客星」
と呼ばれ、日本では藤原 定家の『明月記』などに記録が残っています。
同じく『明月記』に記録が残る1054年の超新星(SN 1054)は、現在
では超新星残骸の「かに星雲(M1)」となっていることが知られていま
す。しかし1181年の超新星(SN 1181)は、過去1000年で記録が残って
いる超新星の中で唯一、対応する天体が判明していませんでした。
以下略、続きはソースでご確認下さい)アストロピクス(20210916)
https://astropics.bookbright.co.jp/astronomers-solve-900-year-old-cosmic-mystery-surrounding-chinese-supernova-of-1181ad
2021/09/18
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資料番号:010716280
請求記号:915.4フ -
Amazon、¥750.
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明月記本文を触れている貴重な本。
時々作者の体験とかが前に出て来て、その項数を明月記に割いてくれって言いたくなる事がしばしばあった。 -
漢文体で書かれていて、読むのが難解な明月記を、逐一解説。
載っている和歌の文学的解説、書かれている記事の歴史的背景も幅広く解説してくれる一冊。
続編もどうぞ。 -
17夜
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手に取る前はお堅い本かと思っていたら、
著者自身も言うように
「平安時代の週刊誌」のよう。
日記の部分を声に出して読むと、気分倍増。
堀田善衛の作品
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感想 :

「現代のサラリーマンパパ」のところ、面白すぎます(*>∀<*)
アテナイエさんのレビューの面白さに、また...
「現代のサラリーマンパパ」のところ、面白すぎます(*>∀<*)
アテナイエさんのレビューの面白さに、また読みたい本が増えました。
読みたい本がどんどん積み上がり、読みたい本リストメモも長くなっていく一方です♪
レビューをお読みいただきありがとうございます。
今回はちょっとマニアックな本かもしれませんが、定家...
レビューをお読みいただきありがとうございます。
今回はちょっとマニアックな本かもしれませんが、定家の偉業にレビューさせてもらいました。
日記をながめていると、くすくす笑いたくなるような個所もあって、ここまでまじめにグチを言うというのも滑稽です。ほんとにサラリーマンパパ、猛烈大変! といった感じです(笑)。しかもパパは同僚とけんかして蝋燭? でぶん殴り、謹慎処分をくらったりしてます。なかなかやってくれますね。
なんと65歳から膨大な『源氏物語』を書写しはじめたようで、当時の65歳といえば、相当な翁で、目も酷使しすぎて悪くしていたようですが、気力は漲っていてスゴイです。
堀田氏の文体も特異なので、はじめはとっつきにくいのですが、慣れるとおもしろいですよ。お時間あるときに図書館でながめてみてください。