知恵の樹 生きている世界はどのようにして生まれるのか (ちくま学芸文庫)
- 筑摩書房 (1997年1月1日発売)
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感想 : 24件
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480083890
みんなの感想まとめ
本書は、私たちの認識や意識の本質を探求する旅へと誘います。生物の誕生から社会意識に至るまでの過程を、オートポイエーシス理論を通じて描写し、環境との相互作用を重視する視点を提供します。読者は、身体の細胞...
感想・レビュー・書評
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私たちが日常当たり前のように、空を見て空だと認識し、地を歩いて歩いていると認識している。これは誰から見てもそうなのか?絶対的な意味で本当だろうか?
こういうと、相対主義の話かと思うかも知れない。
本書の位置づけは、相対主義でも実存主義でもなく、その狭間の理解困難な道をとる。生物の誕生から原核生物、単細胞、多細胞、神経の発生を、環境とセンサーの相互作用として記述するオートポイエーシス理論を展開。そこから更に生物個体間の相互作用、言語、社会と拡大し、最終的には私たちの認識する世界は何か?の答えに行き着く。
フラクタルな論旨の展開で細胞から社会意識まで一気に駆け昇る旅を終えるとき、身体の細胞一つひとつから世界へとつながる感覚を得ることができ、心身の新たな境地へと到達する。 -
フランシスコ・ヴァレラの「身体化された心」に分からないながら、大きな刺激をうけ、きっとこちらのほうが入門的な著作に違いないと思い、読んでみる。
書きぶりとか事例が多い所とかは一見分かりやすそうだけど、やっぱりいまいち既に分かっている以上のことは、分かるわけではない。翻訳も一見わかりやすそうだけど、実のところ、それほど親切なわけではない。
浅田彰が前書きを書いていることに象徴されるが、これってすごくニューアカ的な文脈で、分かろうが分かるまいが、それらしい知的な感じがすれば良い、という感じの本になっている気がした。
その辺が、原書自体のムードなのか、翻訳のムードなのかは不明。
書いてあることは、すごく面白そうだし、多分、自分が今考えていることのずばりど真ん中のことのはずなんだけど、なんだかしっくりこない。
この微妙なイライラが、満足度に影響している。きっと、素晴らしい本なんだろうとは思えるのだが。。。 -
終章の「生物学的にいって、愛がなければ、つまり他者の受容がなければ、社会という現象は生じない」というくだりだけを取りだしてしまうと、これはよくある俗流生物学の本なのだろうかと疑ってしまうが、もちろんそんなことはなく、ヒトの意識とは?知るとはどういうことか?といった根源的な問題を、あくまで生物学の立場からひとつひとつかんがえていくという、知的誠実さがかんじられる良い本だった。
オートポイエーシスというかんがえかたに扉をひらいて招いてくれると同時に、生物としての人間という事実をたしかにふまえつつ「意識」や「心」を問題にすることは可能であり、しかもそれは環境の実在を前提とした表象説/客観主義にはまりこむことでもない、という導きの糸を示してくれてもいる。
「ぼくらは(表象説でもなく唯我論でもない)その中間の道、カミソリの刃の上を選ぶことを、学ばなくてはならない」 -
1997年に初版で購入した当時には、理解するには読解力が足りていないことが明らかだったため、読まずに温存してきた。
四半世紀を経て、少しは食らいついて勝負になるのではとベージを手繰ったが、後半力尽きた。難解。
ただし断片的にでも読み解いた部分だけでも、知的興奮を味わうことができた。
素直に、再読の機会を設けたいと思います。 -
訳:管啓次郎、序文:浅田彰、原書名:DER BAUM DER ERKENNTNIS(EL ARBOL DEL CONOCIMENTO)(Maturana R.,Humberto;Varela G.,Francisco)
〈いかにして知るのか〉を知る◆〈生きていること〉の組織◆歴史-生殖と遺伝◆メタ細胞体の生活◆生物のナチュラル・ドリフト◆〈行動域〉◆神経システムと認識◆〈社会〉現象◆〈言語域〉と人間の意識◆知恵の樹 -
[ 内容 ]
エネルギーや物質を環境から受け入れはするものの外部システムの作動には関知せず、自己は自身をもとに自らを創出する―本書は、システムが自分自身の組織を形成し変化させていく閉じた環のなかにとどまり、その循環をよき環としてとらえなおそうという、まったく新しい生物学の原理“オートポイエーシス理論”の初歩的で原理的な入門書。
生物のあいだの円環を意識しながら、生命の世界に対するしなやかな感性と、生物を制御対象ではなく自律主体として見る柔軟な視線でとらえるこの認識論は、1973年、チリのアジェンデ政権下における知的沸騰のなかで生まれ、社会や法律、現代思想に大きな影響を与えた。
[ 目次 ]
第1章 “いかにして知るのか”を知る
第2章 “生きていること”の組織
第3章 歴史―生殖と遺伝
第4章 メタ細胞体の生活
第5章 生物のナチュラル・ドリフト
第6章 “行動域”
第7章 神経システムと認識
第8章 “社会”現象
第9章 “言語域”と人間の意識
第10章 知恵の樹
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
1200円以上の価値。文庫でこの値段は恐ろしいかと思いますが、価格以上の値段だと思います。
本書は、『なめらかな社会とその敵』著者による推薦書で、オートポイエーシスの理解を深めることができるそうです。できるそう、というのは生物学の専門書のため非常に難解で、発散と収束を細かく繰り返して読まないと、ハテ?となってしまいます。ぼんやり分かったようで分からない、多分何回も読まされることになるかと思いますが、根気良く読みたいなあと思います。
広く様々な分野に応用できるよう記述されているので、どの分野の方にもオススメですね。特に理工系やマネジメント層に読まれると良いのではと思います。
挿絵が多く、また綺麗なものが多いのでそれを読むだけでも充足感があります。雑誌本や小説と違った考えを得ることができるかと思いますので、興味があるかたは是非。 -
オートポイエーシス理論の原理的な入門書。浅田彰が序文書いてるんやと、読んでびっくりした。ルーマンは難しいという人にはまずこっち読んだほうがいいかも。
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難しい。何度も開いては諦めた。言葉の表面を追っていても全く理解できない。言葉だけでなく感覚的になんとかシンクロしていていかないといけない。ちょっとわかった気がしてやっぱりわからない本。
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グレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学」を生物学の方面から解釈しなおしたような感じ。サイバネティクスの系譜。
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西垣通の「基礎情報学」の中心的な概念だったオートポイエーシス理論がよくわからなかったので、それならと読んでみた。
で、読んだ結果は、わかったようなわからないような。自律的な個体として自ら環境との境界を作り出していく…というようなイメージだろうか。そうした個体がそれぞれ相互作用で大きなレベルの運動が生まれる…と。読んでいるあいだ、オブジェクト指向とかリゾームとか電子ブロックとかが頭に浮かんだのだけどこのイメージであってるんでしょうか。
理解はあまりできていないけど、それでもすごく刺激的な内容だった.認識について考えますよーとはじめに宣言したかと思えば、細胞の発生や振る舞いの話をしだす。それがだんだんと細胞があつまって一体となったメタ細胞、多細胞生物、人間…とどんどんスケールが大きくなっていって、人間の社会的活動にまで話が広がる。そして最後に認識の話に戻ってくる。その細胞の振る舞いから認識の話までが、オートポイエーシスの理論で構成されてしまう。
そして最後に「生物学的にいって、愛がなければ、つまり他者の受容がなければ、社会という現象は生じない」って文章にたどりついたときには、なんだか感動してしまった。よくありそうな文だけど、”生物学的にいって”という言葉が入るだけですごく新鮮で別物に感じる。こんなことを書いてる生物学の本てほかにないんじゃないか。この一文だけでおおいに満足してしまった。 -
全体としては非常に面白いんだろうけど(そんな予感はする)
あまり読んでて面白くないというか、難しい。
分かったようで分からない。
でもオートポイエーシス、分かりたい。 -
マトゥラーナとヴァレラによるオートポイエーシス本。
既知の概念を捨てる覚悟で望まないと難解なとこもある。 -
オートポイエーシス
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オートポイエーシスを提唱した学者による入門書。
オートポイエーシスとは関係なく面白い。 -
仕事に行き詰ると、もっと大きいことに目を向けてみようとする。
そのときに読む一冊。 -
8点
