唯脳論 (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.63
  • (65)
  • (71)
  • (161)
  • (7)
  • (1)
本棚登録 : 1025
レビュー : 89
  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480084392

作品紹介・あらすじ

文化や伝統、社会制度はもちろん、言語、意識、そして心…あらゆるヒトの営みは脳に由来する。「情報」を縁とし、おびただしい「人工物」に囲まれた現代人は、いわば脳の中に住む-脳の法則性という観点からヒトの活動を捉え直し、現代社会を「脳化社会」と喝破。さらに、脳化とともに抑圧されてきた身体、禁忌としての「脳の身体性」に説き及ぶ。発表されるや各界に波紋を投げ、一連の脳ブームの端緒を拓いたスリリングな論考。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 養老氏の著作の原点?
    解剖学者という視点から明快に説明されており わかりやすい
    脳 機能 回路⇒思考 意識と話が進む
    現代の脳が優位な背景を 知ることができる

  • 昔、ヒトは洞窟に住んだり、森で獣を捕まえたり、自然の中で生きていたけど、文明が進むにつれ、建築物や道路、街路樹に囲まれた社会を作っていった。この社会は脳の大脳皮質が生み出した幻想。

    たしかに都会に住んでると、周囲のあらゆるモノゴトは単なる記号や情報にしか見えなくなってくる。自然から切り離されたデジタル世界に生きてる錯覚になる。でも、ネットとかで生々しい死体の写真や「九相詩絵巻」を見ると、「あぁ、ヒトも自然の一部なんだ」「あらゆる意識を生み出すのは脳という身体の器官なんだ」と気づいて背筋がゾッとする。心地よい幻想から目が覚めて、生々しい自然の中にいることに愕然とする。なんか怖い。

    養老さん曰く、

    隠されるものは、一皮剥いだ死体、すなわち「異形のもの」である。しかし、それがヒトの真の姿である。なぜなら、われわれがいかに「進歩」の中へ「逃走」しようと、それが「自然なるもの」の真の姿だからである。ヒトを生み出したのは、その「自然」である。

  • 解剖学の観点から脳とは何か、構造、機能、意識とは、言葉とは、さまざまな角度から脳の本質を論じていく。
    今われわれは脳の作りだした桃源郷に住んでいる。
    そこから解放されるか否か、それは私の知ったことではない。
    だそうだ。
    読むのに頭をつかう(それこそ脳をつかう)が、久々に質のいい大学の講義受けたような気分になれる。

  • 考えない様に、、と考えてしまう。。。
    人間にとって「脳」とは何か?

    人間は身体拡張を続け、足は高速で走る車、そして空を飛ぶ
    翼へと進化し、そして、人間は「脳」の拡張へと向かう。

    心ってなんだろう?

    「脳だけをとってみても、物質になったり、心になったりする。
    それが、われわれの脳が持つ性質なのである。」
    物質としての脳からなぜ意識や心が生まれるのだろう?

    現代社会を「脳化社会」として、身体の拡張から「脳」の
    拡張へと進化?する人間。

    心と体の秘密が分かって来る。

  • 10年ぶりに再読。視覚系と聴覚系の脳による融合からの言語の発生が面白い。構造と機能、量子と連続などの脳による統合から、哲学的諸問題の様相が見えてくる。完全に脳化された都市という場は、人間、人類を更なる脳化に導くのだろうか。身体の一部としての脳が、身体性を完全に隠蔽する時、人類は今の人類と同じでは無くなる。


  • 名著。
    「現代とは、要するに脳の時代である」と、脳優勢の時代であることを考察した一冊。

  • なかなか面白い本で、89年発行時は結構斬新であったと思われる。脳研究者の「あとがき」は少し暴走ぎみであるが、本書の内容はそれを差し引いてもなかなか深く広い。循環系をいくら分解しても循環がとりだせないように、脳を分解しても心が出てこないことを示し、社会や心が脳の産物であることを示す。また、目的論と運動系の関係、聴覚と時間の関係、視覚と聴覚の連合と言語の関係などなかなか刺激的な理論にみちている。

  • 唯脳論。解剖学や生理学の専門的な内容もあり、養老孟司の一般的な著作に比べるとなかなか難しい。言葉や文化、文明はすべて人の脳の枠内に包含されているというのが唯脳論の主張だと理解した。都市化や文明化は詰まるところ、脳が地球にある「自然」を脳が作る「人工物」に置き換えていくことのようだ。だから、養老さんは残された自然である虫に全面的に目を向けているのかな。

  • だいぶ前になるが、某ニュース番組で脳化社会への警鐘を鳴らしていた養老氏の「脳化社会」という考えをより深く理解したいと思い、読み始めた。

    養老氏の現代社会に関する考え方は、この本の「はじめに:唯脳論とは何か」と「エピローグ:脳と身体」を読むだけでも十分理解できる。情報化社会とはすなわち社会全体が脳化することを意味しているし、医学的な見地から見ても脳そのものが情報器官であることからも簡単に説明がつくと説明する。

    しかも情報化以前に近代化を推し進めてきた時代背景も、それよりももっと過去からの人類の歴史を顧みると、伝統や文化社会制度、言語も全て脳の産物であるから、「私たち人間は脳に従属し脳の中に閉じ込められている」という表現を養老氏は用いる。

    基本的な本の構成としては解剖学者である著者が脳そのものを哲学を抜きにした形で正面から、運動器官としての身体と情報器官である脳との関係を捉えなおす上で用いられるのが、唯脳論である。くれぐれも注意しなくてはいけないのはこの言葉は養老氏の造語である点だ。

    人の活動を、脳と呼ばれる器官の法則性から全般的に眺めようとする観点を唯脳論と定義づけている。確かにわたしも読み始めてすぐは、意識や意志を持つ上では脳の器官は自己定義にそもそも必要であるし、それを体現するには身体を使わなくてはいけないので、この議論がわからないところがあった。しかし、身体と脳を切り離して考えてみることで現代社会やそこに住む人間が抱える複雑な問題を解き明かすに十分な客観性を与えうることにまずもって驚いた。

    他の内臓器官とことなり心を特別視する人々にとっては、「心」が脳と同一であることになじめないと指摘し、それを作用と機能という二つの枠組みを適用することで鮮やかに峻別している。他の臓器ではまずモノとしての臓器の構造を視覚を通じて理解し、そこからその臓器の機能を理解する。一方で脳についてはまず考える、意識するという機能そのものが先にたって、構造を理解するのが後に来るという逆転現象が生じる。しかもまだ人間は自分達の心である脳を完全には理解しきれていない。

    心を分析して理論化された心理学に対して、物的な視点である解剖学的見地から脳の機能を解体していくと、人間が人間であるがゆえに必要な脳のある部分は簡単に理解することができるが、さらに奥深くて真理がそこに存在するのかどうかさえも分からない更なる問題に直面する。この点を理解できただけでも読む価値のあった本だった。

    脳化社会に生きる人間はいつか脳の身体性に復讐されることになると養老氏は予言する。その復讐がいかなるものかは養老氏は指摘しないが、ダーウィニズムを前提に議論が展開される本書においては自然界における生態系の進化から派生した人間にそなわる「自然」が脳化社会の中で生きる自分の脳をストレスや心労などを通じた心の病気や傷といわれる形で、現実化しているのではないかと私なりに解釈している。

    個人的な関心ではあるが、現代における脳化した社会と、映画「マトリックス」で描かれた人間が機会に従属し身体の運動機能を熱源として利用されて脳が何も意味をなさない時代設定を、比較してみると養老氏のいう「脳化社会」がどんなものかが少しは分かりやすくなるのかなと思ったりもする。

  • 100528読了。
    養老氏の著作は理系の研究者が書く本にしては、かなり歯切れが良く、読みやすい。ただ、この本を読んで、その切れ味鋭い舌鋒に「世界とは脳だ!」と巻かれてはいけない気がする。著者がそもそもこの本を書いた理由は「文系と理系の対立を脳に還元してみる」というものである。要は試みであり、思想の提言ではない。
     岸田秀が「ものぐさ精神分析」において唯幻論を提唱したとき、私はその理論の明快さにはらはらした。その影響で、今でも私の中では「自殺は幻想我の保持である」とか「人間は最初不能であった」というフレーズが大きな価値観になって占めている。無論、あくまでも岸田氏は心理学者であったから、実証可能性において所詮文系の創りだした都合のいい物語にすぎない、と良い意味の読者であることを誓うこともできた。
     しかし、養老氏は解剖学者である。理系の人の説く理論に私はどうも弱い。文系の人の弱さが実証性で、理系の人の弱さがレトリックや訴求力であるならば、養老氏は両方を克服しているように思える。だから、一瞬そのハイブリッドな筆致に信奉してしまいそうになるが、脳においては未解明の部分も多く、実証性は欠けること、また、たまに何を言ってるか良く分からないので信者にはなるまい。幸い本人も「脳とは順次連結していく神経細胞の集合体にすぎない」というように、脳至上主義者ではないから、その辺は一歩引いて読むべきだろう。 また、連載であるからところどころ話が飛ぶ。
     「計算機という脳の進化はわれわれの脳の一部の、これからの進化なのであって、原理的に脳を代替するものではない。」という記述で、人工知能の不必要性がわかった。
     睡眠は休みではなく、脳の情報整理活動であるから、無意識といえど生の一部である。
     一番頷いたのは、意識の発生について。脳にとってみれば、「自分自身が成立していくために必要なこと」が意識である。だから、意識は脳にとって必然である。心の問題に関しては、意識と言い換えればよいのであり、構造と機能の問題に変わりない。

    構造主義、視覚主義(永遠or一瞬)⇔機能主義、聴覚主義(流れる時間)
     
    「わかる」とは「形をリズムにする」こと。要は、ヒトの意識による視覚系よ聴覚系の連合である。
    ブローカ中枢→運動性言語中枢
    ウェルニッケ中枢→聴覚性言語中枢
    角回→視覚性言語中枢

    ヒトの認識の普遍性について、丸山真男の論文を脳の時間意識の変奏に読み替えた部分は、素晴らしい。自然科学と人文社会学の普遍性を垣間見せてくれた。

     

全89件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

解剖学者

「2019年 『世間とズレながら、生きていく。(仮)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

唯脳論 (ちくま学芸文庫)のその他の作品

唯脳論 単行本 唯脳論 養老孟司
唯脳論 (ちくま学芸文庫) Kindle版 唯脳論 (ちくま学芸文庫) 養老孟司

養老孟司の作品

唯脳論 (ちくま学芸文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする