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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480085580
みんなの感想まとめ
自己の人生を振り返りながら、科学的探求心とその過程を描いた自伝は、ダーウィンの思考と生き方が色濃く表れています。彼が学生時代に感じた退屈や、ビーグル号での航海中に行った観察の詳細は、彼の知的好奇心を物...
感想・レビュー・書評
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邦訳単行本は1972年刊、本書、改訂文庫版が2000年刊。
チャールズ・ダーウィン(1809-82)のコンパクトな自伝。文庫で正味150ページ。そのあとに、不要な土産物のように、祖父のエラズマスのこととかバトラーとの論争についての解説などが付いている。
はっきり言って、ほかの人の書いたダーウィン伝のほうがよっぽどおもしろい。それもそのはず、67歳の時から、「自分」と「子孫のため」に書いたとある。没後5年して、出版の計画が持ち上がり、家族は反対したらしい。しかし、抗しきれず、当たり障りのある箇所を削っての出版になったという。
笑ってしまうのは、エジンバラの医学部、ケンブリッジの神学部の学生時代。講義がいかに退屈で、つまらないものだったか。ほんとに嫌だったのがよくわかる文章。性格的にready-madeの学問には魅力を感じなかったのだ。
巻末、「自伝」旧版の削除箇所のリストがuseful。宗教がいかに不合理で荒唐無稽か、カットされているのはそのうちキリスト教と聖書の部分で(ボロクソ言っている)、ほかの宗教についてはカットされていない。この「自伝」でも、宗教は人類に遺伝的に受け継がれてきた心の産物なのかもしれないと言っている。ダーウィンならではの炯眼と思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ケンブリッジ在学中にフンボルトの「南アメリカ旅行記」を念入りに読んだ。
ビーグル号による航海中、ライエルの「地質学原理」第一巻を携行して、注意深く勉強した。一日のうちのある時間を日記を書くのにあて、自分が見たものをすべてを注意深く生き生きと描写することに努力した。
ダーウィンが進化の理論を心に抱いたのは、1839年頃。1856年にライエルから自らの見解を相当詳しく書くように勧められ、「種の起原」の3倍か4倍の量のものを書きはじめた。 1858年にウォレスが「変種が元のタイプから無限に遠ざかる傾向について」という論文を送ってきて、自らの理論と同じものが記載されていることを知ったため、原稿を要約して縮小した規模の書物を完成させ、1859年に「種の起原」として出版された。
各段にラベルを付けた棚に30~40の大きな紙ばさみを置き、その紙ばさみにバラバラにした文献やメモを入れることができるようにしていた。買った本には、その巻末に自分の仕事に関係のあるすべての事項の索引を付けた。自分の本でない場合は個別に抜粋を作り、それを大きな引き出しに入れた。何かの問題に着手する前には、短い索引を全部調べて、全般的な分類をした索引を作る。そして、それに紙ばさみをあて、それを取り出せば自分が一生の間に集めたすべての知識を使えるようにした。
ダーウィンが「種の起原」で提出した自然選択説は「ダーウィニズム」と呼ばれる。 1900年にメンデルの遺伝法則が再発見され、集団遺伝学の研究が盛んになった。 1910年から開始されたモーガンのショウジョウバエを材料にした研究は、数理統計学によってまとめられた。 1930年代から1940年代にかけて、進化論の再興すなわち「進化の総合説」が起こり、それを「ネオ・ダーウィニズム」と呼ぶことになった。
1975年、E.O.ウィルソン「社会生物学」
1976年、ドーキンス「利己的な遺伝子」
1978年、クレブス、デイヴィス「行動生態学」
社会生物学と行動生態学は、全く同義とみなしてよい。適応的な進化の産物を行動学的な特徴にまで拡張したものであり、動物行動学を集団遺伝学に基づく「ネオ・ダーウィニズム」を本格的に適用して展開したものとみなせる。 -
第1章 幼年期および少年期
第2章 ケンブリッジの生活
第3章 ビーグル号の航海
第4章 帰国から結婚まで
第5章 宗教上の信仰
第6章 ロンドンの生活
第7章 ダウン定住
第8章 私の著書
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