言葉にのって: 哲学的スナップショット (ちくま学芸文庫 テ 2-1)
- 筑摩書房 (2001年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480086136
感想・レビュー・書評
-
赦しについて。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1997〜99年ごろの、デリダのインタビューをまとめた本。後期デリダの主要論点のエッセンスを概観できる。赦しをテーマとした最終章「正義と赦し」がとくにキレキレ。
以下は引用。
“世界の指針が混乱したりみわけられなくなったりした場合に、ただ自分だけのための指針を創出しても、何にもなりません。必要なことは、指針を他の人々に対して提示すること、いずれにせよ、その指針が他の人々によって識別され受け入れられるようにすることです。”(p71)
“〔アルジェリアの、フランス語を話すユダヤ人社会という複雑な系統〕はまた、私に、多くの自由を与えてくれます。なぜなら、系統的繋がりが複雑であるときには、一方を貶めるために他方に加勢したり、一方だけの味方をしたりしてから、またもとに戻れるからです。……単一の系統は、系統ではありません。多かれ少なかれ複雑で、多かれ少なかれもつれ合っていますが、つねに一人の父、一人の母以上のものがあるのです。”(p89)
“いかなる法律も正義に適合することはないでしょうし、だからこそ法律(ドロワ)の歴史が存在するのであり、だからこそ人間の権利(ドロワ)が進展するのであり、だからこそ法制の果てしない確定づけや止まることのない改善可能性があるのです。”(p105)
“赦しは裁くことではありません、それは確かです。赦しは裁き(ジュスティス)の代わりにはなりません。赦しの価値は、法的な裁判の価値とは異質なものです。”(pp195-196)
“赦しがあるためには、取り返しのつかないことが思い出され、それが現前し、その傷が開いたままでいることを要します。もし傷が和らぎ、癒合したら、赦しの余地はもはやなくなります。”(pp202-203)
“もし私が赦しの名のもとに犯罪者をその罪から切り離すとすれば、私は罪のない人を赦すのであって、罪ある人を赦すのではないことになります。つまり、みずからの非を認めて謝罪する人は、もはや同じ人ではありません。ところで、赦しは、罪のない人や悔悛した人を赦すのではありません。それは、罪ある限りでの罪ある人を赦さなければならないのです。……つまり、現に自分の犯罪を再現し反復しつつあるにちがいないような犯罪者を赦さなければならない、ということになるのです。”(pp205-206) -
面白かった。対話形式。
脱構築をおぼろげにでも掴める一冊。
彼以後、哲学はどうなっていくのか? -
デリダが、自伝的なものを語っている著書の1つ。
ラジオでのインタビューという特異な形式をもつ本書は、
内容としてデリダの立ち位置を見るには面白いものとなっている。
「肉声」…だったかな?
彼の学生時代の話は、割と多くの研究者の情報源となっている。
そこでは、
ルソーとニーチェ、両方に言い分があると感じられ、しかしお互いが相反している……と考えたデリダ青年のノート上で試みられた両者の調停など興味深い。
サッカー少年であった、というのが言われ続けてしまっているとするデリダおじいちゃんの苦笑いには、笑った。
「テクストの外はない」ので、デリダ本人が言うことしか、
引くことはできないので、申し訳ない気持になった。 -
ラジオ番組におけるジャック・デリダへのインタビューを記録した本で、ジャック・デリダの入門書となる本。自身について、レヴィナスの歓待について、フッサールの現象学について、政治上の嘘について、赦しについて、の5つの構成となっている。全くもって意味不明かと思いきや、案外面白い。自身の著書、「死を与える」・「声と現象」の解説も多少加えていて、入門書として良い。ただ、理解しきれてないけど(苦笑)
-
メシア的なものは必ずしもユダヤ的、キリスト教的な形象において現れるメシアに限られるわけではない。
アルジェリアでフランス語を話すユダヤ人社会に生まれたことをデリダは幸運に感じている。
本のために本を読む時間のために、本を守りたいとは思わない。本の見方をするとともに本に依存しない手段の味方になる。 -
¥105
-
parolからecritureへ。
歓待について、現象学について、政治における虚言について、マルクス主義について、正義と赦しについて。
言葉の美しさと言葉の(肯定的な意味も含め)暴力とを思い知らされる。
デリダに惑わされることこそ、デリダを理解することかもしれない。 -
ジャック・デリダのインタビュー集。伝記的に自分のことを話したり、政治的な意見を述べたり、哲学的考察を概観したりしていて、入門書として薦められている本。デリダ独特の言葉づかいが少ないので、入っていきやすい。