暗黒日記 1 (ちくま学芸文庫 キ 11-1)

著者 :
制作 : 橋川 文三 
  • 筑摩書房
3.93
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本棚登録 : 61
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480087119

作品紹介・あらすじ

昭和17年12月、評論家・清沢洌はある決意をもって日記を書きはじめた。のちに『暗黒日記』の名で知られるようになるこの日記は、戦後に外交史を書くための資料とすることを企図して、戦時下の政治や社会にあらわれた種々の病理現象に対する観察や批判を詳細に記したものであった。彼が痛烈に批判した現象の多くは、日本社会が長く培ってきた病理的傾向の最も凝縮された姿であり、その批判は、現在の日本を考えるに際してもきわめて示唆に富んでいる。優れたリベラリストがのこした後世への遺言ともいうべき貴重な記録。第1巻には17年12月から18年12月までを収録(全3巻)。

感想・レビュー・書評

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  • 清沢が記録した新聞記事やラジオ放送の内容は、とにかく日本が勝つという話ばかりで、戦局の悪化が著しくなってもそれは変わらない。
    メディアが先の戦争推進に関わったことは種々の本を読み知ってはいるが、そんな情報ばかり見聞きしていると周りがいくら焦土と化そうとも、いつかは勝てるくらいに思ってしまうものなのか。
    しかし日本は負けた。その時、日本人はどんな気持ちだったのか。戦局の悪化に伴い生活が苦しくなる中で、清沢は革命が起こることを危惧する。確かに敗戦時に革命の方向に行ってもよさそうなものだが、起こらなかった。そうした日本人の敗戦時の心持ちについて、清沢ならばどのように分析してみせたか、急逝が惜しまれる。

    戦時統制が形式主義に堕し、戦争遂行に必要な生産を妨げたり、戦争を支えているはずの国民の生活を破綻させたりすることを清沢は批判する。
    おかしな話だが、こうした批判を目にして、本当に日本は大真面目に戦争に総力をつぎ込めていたのか、もっとマシな戦争の仕方があったのではないかという感想を抱いてしまった。

    またユダヤ陰謀論が新聞に盛んに載っていたことを知った。陰謀論はいつの世も存在する。それは結局、透徹した分析を放棄し、冷酷な現実を己の言い分で糊塗して、やっつけてしまうことだ。やっつける側は気持ちがいいものなのだろう。

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    昭和十七年十二月十二日(土)
     右翼やゴロツキの世界だ。東京の都市は「赤尾敏」〔代議士〕という反共主義をかかげる無頼漢の演説のビラで一杯であり、新聞は国粋党主〔国粋同盟総裁〕という笹川良一〔代議士〕という男の大阪東京間の往来までゴヂ活字でデカデカと書く。こうした人が時局を指導するのだ。
     ラジオの低調はもはや聞くにたえぬ。
     二三日以前、警察署の情報部のものが来て英米に対する敵愾心宣伝の効果如何を聞きに来たる。奥村情報局次長がやっている政策に対する批判だ。僕は奥村更迭の要をのべた。
     大東亜戦争下の失敗は、極端なる議論の持ち主のみが中枢を占有し、一般識者に責任感を分担せしめぬことであった。
        --清沢洌(橋川文三編)『暗黒日記1』ちくま学芸文庫、2002年、24頁。

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    年末から清沢洌の『暗黒日記』(岩波文庫、ちくま学芸文庫ほか)を読み直していましたがようやく読了。敗戦直前の四五年五月までの二年半の間、戦時中の政治と世相を記した日記だけど、読み終えて暗澹たる気持ちになる。

    民衆自体も知らず知らずのうちに加害していく構造と後押しする体制。今も同じなのではないだろうか。

    相手から学ばず、でかい声を出した方が勝ちになる。あいつは主義者だといえば知識人は口をつぐみ、配給組織の隣組は相互監視の燻りだしの密告社会へと機能していく。

    「いやさか、いやさか」と精神で勝とう!と人は言う。しかし「精神に徹せよ、といっても、徹した後にいかにするかの具体的方法がなくては何もならぬ」(十八年四月三十日)。

    非科学的精神主義の軍部と外を知らぬ指導者。歪曲された情報に躍る臣民ががっちりタッグを組む勢い。「不思議なのは『空気』であり、『勢い』である。(米国にもそれはあるが)日本のものは特に統一的である。その勢いが危険である。あらゆる誤謬がこのために侵されるおそれがある」(十八年六月二十七日)。

    『暗黒日記』序文には次のようにある。

    「お前(七歳の長男)は『お父さん、あれは支那(中国)人じゃないの?』と壁にかけてある写真を指して聞いた。『ウン、支那人ですよ』と答えると、『じゃ、あの人と戦争するんですね』というのだ。……お父さんは憂鬱になったんだ」。

    子供にそう問いかけられたくはない。

    「お前はまだ子供だからわからないけれども、お前が大きくなっても、一つのお願いは人種が違ったり、国家が違うからといって、それで善悪可否の絶対標準を決めないようにしてくれ。……お前は一生の事業として真理と道理の味方になってくれ。道理と感情が衝突した場合には、躊躇なく道理につくことの気持を養ってくれ」(同序)。


    http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20140104/p1

  • 清沢洌は、120年前の1890年2月8日長野県に生まれた評論家・ジャーナリスト。

    この、太平洋戦争中に書かれた日記は、新聞の切り抜きも含む克明なもので、戦後まとめて刊行されて大反響を呼んで反骨のジャーナリストとして一躍有名になったもの。
    彼は保守派リベラリストとしてもっとも誠実な人。

  • 実は読んだのは、ちくま書房の全部収録した方ではなく、三分の一程度の岩波版。形式主義、観念主義にとらわれた日本の雰囲気、そしてそれを作り出した原因としての教育を痛烈に批判している。読んでいると、世の中の閉塞感にどっぷりと浸けられたような気がする。その一方で彼が指摘している多くのことは今も続いていることことにも気づかされる。ただ、思考の対象は多岐にわたり、全体の20%ほども理解できたかあまり自信は無い(固有名詞が多く、また背景も勉強不足のためわからないこと多し)。

  • 戦時中についての本を読むと、当時のヒステリックで思い込みが激しくて感情的な傾向に、知らないうちに染まってしまっていたりするのですが、そんなときにこの本を読んでそのクールさに、冷静な見方を取り戻せました。反戦の人たらんとするときに必要なのは希望を排除したクールな事実の見方かもしれない。
    面白かったのは、文中に当時の新聞掲載の言論が引用されていて、いかに嘘をついているかは当然として、その嘘が、アメリカについての嘘は日本の実状にあてはまり、日本についての希望的嘘がアメリカの実状にあてはまるという、狙ってか狙ってないのか分かりませんが、その対比が面白かったです。東条首相もアメリカ国民とアメリカ軍を率いての戦争だったら楽だったろうけど、アメリカ国民は東条のような人をリーダーに選ばないだろうな。

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著者プロフィール

清沢 洌(きよさわ・きよし):1890-1945年。長野県生まれ。小学校卒業後、内村鑑三門下の井口喜源治が創立した研成義塾に入り、感化を受ける。1906年渡米、働きながらハイスクールを卒業。カレッジ在学中から邦字新聞の記者として活躍。20年、帰国して中外商業新報社に入社、のちに通報(外報)部長となる。27年、東京朝日新聞社入社。29年退社、フリーランスの文筆家となり次々と著書を発表、自主独立の評論家・外交史研究家として矜持を貫く。1945年5月、急性肺炎のため急逝。『暗黒日記』他著書多数。

「2023年 『外政家としての大久保利通』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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