- Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480087119
作品紹介・あらすじ
昭和17年12月、評論家・清沢洌はある決意をもって日記を書きはじめた。のちに『暗黒日記』の名で知られるようになるこの日記は、戦後に外交史を書くための資料とすることを企図して、戦時下の政治や社会にあらわれた種々の病理現象に対する観察や批判を詳細に記したものであった。彼が痛烈に批判した現象の多くは、日本社会が長く培ってきた病理的傾向の最も凝縮された姿であり、その批判は、現在の日本を考えるに際してもきわめて示唆に富んでいる。優れたリベラリストがのこした後世への遺言ともいうべき貴重な記録。第1巻には17年12月から18年12月までを収録(全3巻)。
感想・レビュー・書評
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清沢が記録した新聞記事やラジオ放送の内容は、とにかく日本が勝つという話ばかりで、戦局の悪化が著しくなってもそれは変わらない。
メディアが先の戦争推進に関わったことは種々の本を読み知ってはいるが、そんな情報ばかり見聞きしていると周りがいくら焦土と化そうとも、いつかは勝てるくらいに思ってしまうものなのか。
しかし日本は負けた。その時、日本人はどんな気持ちだったのか。戦局の悪化に伴い生活が苦しくなる中で、清沢は革命が起こることを危惧する。確かに敗戦時に革命の方向に行ってもよさそうなものだが、起こらなかった。そうした日本人の敗戦時の心持ちについて、清沢ならばどのように分析してみせたか、急逝が惜しまれる。
戦時統制が形式主義に堕し、戦争遂行に必要な生産を妨げたり、戦争を支えているはずの国民の生活を破綻させたりすることを清沢は批判する。
おかしな話だが、こうした批判を目にして、本当に日本は大真面目に戦争に総力をつぎ込めていたのか、もっとマシな戦争の仕方があったのではないかという感想を抱いてしまった。
またユダヤ陰謀論が新聞に盛んに載っていたことを知った。陰謀論はいつの世も存在する。それは結局、透徹した分析を放棄し、冷酷な現実を己の言い分で糊塗して、やっつけてしまうことだ。やっつける側は気持ちがいいものなのだろう。
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清沢洌は、120年前の1890年2月8日長野県に生まれた評論家・ジャーナリスト。
この、太平洋戦争中に書かれた日記は、新聞の切り抜きも含む克明なもので、戦後まとめて刊行されて大反響を呼んで反骨のジャーナリストとして一躍有名になったもの。
彼は保守派リベラリストとしてもっとも誠実な人。 -
実は読んだのは、ちくま書房の全部収録した方ではなく、三分の一程度の岩波版。形式主義、観念主義にとらわれた日本の雰囲気、そしてそれを作り出した原因としての教育を痛烈に批判している。読んでいると、世の中の閉塞感にどっぷりと浸けられたような気がする。その一方で彼が指摘している多くのことは今も続いていることことにも気づかされる。ただ、思考の対象は多岐にわたり、全体の20%ほども理解できたかあまり自信は無い(固有名詞が多く、また背景も勉強不足のためわからないこと多し)。
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戦時中についての本を読むと、当時のヒステリックで思い込みが激しくて感情的な傾向に、知らないうちに染まってしまっていたりするのですが、そんなときにこの本を読んでそのクールさに、冷静な見方を取り戻せました。反戦の人たらんとするときに必要なのは希望を排除したクールな事実の見方かもしれない。
面白かったのは、文中に当時の新聞掲載の言論が引用されていて、いかに嘘をついているかは当然として、その嘘が、アメリカについての嘘は日本の実状にあてはまり、日本についての希望的嘘がアメリカの実状にあてはまるという、狙ってか狙ってないのか分かりませんが、その対比が面白かったです。東条首相もアメリカ国民とアメリカ軍を率いての戦争だったら楽だったろうけど、アメリカ国民は東条のような人をリーダーに選ばないだろうな。