- Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480087935
作品紹介・あらすじ
フロイトはその最晩年、自身の民族文化の淵源たるユダヤ教に感じてきた居心地の悪さに対峙する。それは、"エス論者"として自らが構築してきた精神分析理論を揺るがしかねない試みであり、「生命と歴史」という巨大な謎と正面から格闘することでもあった。「もはや失うものがない者に固有の大胆さでもって、…これまで差し控えておいた結末部を付け加えることにする」-ファシズムの嵐が吹き荒れる第二次世界大戦直前のヨーロッパで、万感の思いをこめて書き上げられた、フロイトの恐るべき遺書。
感想・レビュー・書評
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本書は、精神分析学の創始者と言われるジークムント・フロイト(1856~1939年)が、死の直前に発表した作品である。
松岡正剛氏は、「千夜千冊895夜」(2003年11月)で本書を取り上げ、「これは恐ろしい本である。引き裂かれた書である。しかも、これはフロイトの遺書なのだ。人生の最後にフロイトが全身全霊をかけて立ち向かった著作だった。」と述べているが、ユダヤ教をはじめとするアブラハムの宗教に関わる人びとにとっては、衝撃の書であろう。
モーセは、アブラハムの宗教において、最重要な預言者の一人とされ、伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされている。その中の一つ『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトにいる“ヘブライ人”家族の子として生まれたが、ファラオがヘブライ人の新生児を殺すことを命じたので、それから逃れるためにナイル川に流され、王女に拾われて育てられたという。長じて、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受け、エジプトからヘブライ人を連れて脱出し、40年に亘り荒野を彷徨った末、「約束の地」にたどり着いた(モーセは約束の地に入れずに死んだ)とされる。そして、そこでユダヤ教が生まれた。。。聖書の伝承はこうである。
ところが、フロイトは本書で、モーセはエジプトの高貴な家(王家?)に生まれた“エジプト人”であり、モーセがヘブライ人に伝えた宗教は、紀元前14世紀にエジプト第18王朝のアメンホーテプ4世(イクナートンと改名)が、エジプト古来の多神教を全面否定して作った、世界史上最初の一神教と言われるイクナートンの宗教(アートン教)であるとする、恐るべき仮説を提起するのである。
そして、「モーセ」という名前がエジプト語由来のものであること、世の神話の大多数に登場する英雄は極めて高貴な家の出身である(そして、夢・神託で危険を告げられた父親がその息子を棄てるが、息子は身分の卑しい人に救われ、成人するに至って父親に復讐を遂げ、他方真の素性を認められて、権力と栄光を得るのである)こと、ユダヤ教が、当時はエジプト以外では見られなかった割礼という掟を取り入れていること、エジプトでは、イクナートンの死後、守旧派により多神教が復活し、イクナートンの側近がイクナートンの一神教を携えてエジプト外へ脱出する動機があったこと、モーセは口下手だったとされるが、それはモーセがエジプト人で(少なくとも当初は)ヘブライ人の言語を解さなかったからと考えられることなど、その根拠を次々と挙げる。
モーセが祖国を去るにあたって連れ出したユダヤ人は、祖国に残してきたエジプト人の、より優れた代理人でなくてはならず、ひとつの「聖化された民」をこそ、モーセはユダヤ人から創り出そうと欲したのであり、これは聖書の文章にもはっきり表現されているのだ!
しかし、なぜ“精神分析学者”のフロイトがこのような奇抜とも言える発想をし、文書に残したのか。。。?それは、フロイトが更に進める大胆な仮説が答となる。フロイトは言うまでもなくユダヤ人である。そして、自らの民族・宗教・歴史が持つ特性を明らかにしようとし、辿り着いたのが、モーセは(はじめは)厳格な一神教を受け入れられなかったユダヤ人に殺され、それがユダヤ人の「エディプス・コンプレックス」(ユダヤ民族にとっての父殺し)となったとする説なのだ。
精神分析学に興味がないと後半は少々読み難いが、前半の仮説部分だけでも極めてスリリングである。アブラハムの宗教に「if」を突き付ける、興味深い書。
(2019年11月了)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エス論ゴリ押しのフロイト大先生によるモーセとユダヤ教の大胆な読み解き。
この本の問題点を訳者の方が最後に指摘しているがとても面白かった。
掘り上げた宝物が意外と重くて開けるのが複雑だった、みたいな感じ。 -
冒頭の「モーセはユダヤ人ではなく、エジプト人だった」という仮説には、興味を持ったが、その後は全く理解できず。このブクログのレビューを見て、「そういう事を書いていたのか!」と理解させられる始末です。。。
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一応読んだがとても理解できたとは思えない。
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mmsn01-
【要約】
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【ノート】
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[ 内容 ]
フロイトはその最晩年、自身の民族文化の淵源たるユダヤ教に感じてきた居心地の悪さに対峙する。
それは、“エス論者”として自らが構築してきた精神分析理論を揺るがしかねない試みであり、「生命と歴史」という巨大な謎と正面から格闘することでもあった。
「もはや失うものがない者に固有の大胆さでもって、…これまで差し控えておいた結末部を付け加えることにする」―ファシズムの嵐が吹き荒れる第二次世界大戦直前のヨーロッパで、万感の思いをこめて書き上げられた、フロイトの恐るべき遺書。
[ 目次 ]
1 モーセ、ひとりのエジプト人
2 もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば…
3 モーセ、彼の民族、一神教(第一部;第二部)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
初フロイトにこの著作を選んだのは、偏に松岡正剛先生の千夜千冊での紹介文が面白かったからであり、せめて『トーテムとタブー』ぐらいは読んでおいたほうが良かったのだろうが、こればっかりは巡り合わせなので致し方あるまい。論理的整合性を保ちえないフロイトの仮説と、それを裏付けたいのか否定したいのかよく判らない葛藤と熱量の高さは、訳者による鬼気迫る解題も手伝ってか、精神分析という一見静的なジャンルにあって異様な迫力に満ちている。
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3-2 宗教論
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宗教ってどうやってできるの?
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本は10冊・・・に紹介あり